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インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...

2026-08-23

イスラムの衝撃

7世紀、西アジアを起点として、世界の構造を根本から変える地殻変動が始まった。イスラムの台頭である。アラビア半島の都市メッカの商人ムハンマドは、610年頃から、自身が唯一神(アラー)の啓示を伝える「最後の預言者」であることを説き始めた。その教えは、最後の審判において救済されるためには神の言葉に従い正しく生きるべきとするもので、信徒(ムスリム)を急速に増やしていく。

イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)

メディナを拠点に勢力を拡大したイスラムは、当時の地政学的な隙間を巧みに突いた。西アジアの二大巨頭であったササン朝ペルシアと東ローマ帝国が、長年の抗争で疲弊していたのである。メッカとメディナは、戦乱を避けた商人が利用するイエメンからシリアへ至る隊商路上に位置しており、イスラムはこの既存の商業ネットワークを掌握することで、宗教・政治・経済が一体となった強固な基盤を築き上げた。

ムハンマドの後継者であるカリフたちは、破竹の勢いで版図を広げる。東ローマ帝国からシリアやエジプトを奪い、651年にはササン朝を滅亡させた。これによりユーラシア西方の勢力図は一変する。亡国となったペルシアの人々は、イスラムに帰依するか、あるいは「オアシスの道」を東へと辿り、唐へ亡命した。彼らがもたらしたゾロアスター教やマニ教、ネストリウス派キリスト教、そしてポロ競技や音楽といったイラン文化は、長安の都で華開くこととなる。

イスラムの拡張は止まらず、ウマイヤ朝期にはモロッコからジブラルタル海峡を越えてイベリア半島までを支配下に置いた。その後、750年にイラン北東部ホラーサーン地方から興ったアッバース朝がウマイヤ朝を打倒し、新たな覇権を確立する。

特筆すべきは、イスラム教が本質的に「商業肯定」の宗教であった点だ。ムハンマド自身が商人一族の出身であり、キリスト教圏とは対照的に、正当な利潤追求は徳目とされた。

イスラム研究者の井筒俊彦氏は、聖典コーランが「商人言葉、商業専門語の表現に満ちている」と指摘する。人間がこの世で行う善なり悪なりの行為を「 稼ぎ」と考えることなどは、その典型例である。コーランでは「宗教も神を相手方とする取引関係、商売」なのだという(『イスラーム文化』)。

イスラムの商業倫理を携えたアラブ人は、広大な帝国を舞台に、国境を超えたビジネスの担い手として躍動していく。アッバース朝の第2代カリフ、マンスールが建設した首都バグダードは、その象徴である。ティグリス川に面したこの都市は、東南アジアやインドの特産品が集積する国際貿易のハブとなり、「平安の都」として人口100万を超える空前の繁栄を極めた。

バグダードから東へ延びる「ホラーサーン道」は、中央アジアのオアシスの道へと直結していた。当時、このルートはアッバース朝と唐という東西の二大帝国によって安定的に管理され、商取引が活性化した。その主役を担ったのが、変幻自在な交易民ソグド人である。

両帝国の勢力圏が接したとき、751年の「タラス河畔の戦い」という衝突が起きた。この一戦は、アッバース朝の中央アジア支配を決定づけただけでなく、歴史的な副産物を生む。捕虜となった唐の技術者により、製紙法が西伝したのである。バグダードに建設された製紙工場は、安価で丈夫な記録媒体を供給し、イスラム世界に爆発的な情報の流通をもたらした。

「紙」は学問のあり方を変えた。「知恵の館」に集った学者たちは、アリストテレスをはじめとするギリシャ哲学を次々とアラビア語へ翻訳。これがイスラム神学や科学の飛躍的発展を支える知的インフラとなったのである。

一方、海域においてもイスラムのプレゼンスは圧倒的であった。バグダードとペルシア湾を結ぶ貿易路の整備により、8世紀にはペルシア湾が海上貿易の主眼となり、インド洋の西半分はムスリム商人の勢力圏(ムスリムの海)と化した。航路はアフリカ東海岸まで延び、現地のイスラム化を促した。

彼らが駆使したのは、三角帆を持つ縫合帆船「ダウ船」である。季節風を正確に捉えるこの船は、陶磁器や木材といった重量貨物の長距離輸送を可能にした。ムスリム商人は、バグダードを出航してからわずか1年足らずで、インド、東南アジアを経て中国へと到達したという。

この海洋ネットワークの連結に対し、唐帝国も敏感に反応した。海上交易を管理・徴税するための官庁「市舶司(しはくし)」を広州に設置。同地には「番坊」と呼ばれる外国人居留地が作られ、アラブ系商人らのコミュニティが形成された。同時に、そこではアフリカから連れてこられた黒人奴隷(崑崙奴)の売買も行われていた。奴隷貿易は、後世のヨーロッパ人の専売特許ではなく、この時期のムスリム商人によって既に国際的なビジネスとして構造化されていたのである。

こうして8世紀、長安は内陸からのソグド・イラン系商人と、海路からのアラブ・マレー系商人が交差する、世界最大の国際商業都市となった。長安とバグダード。東西の巨大な市場がネットワークで結ばれたこの時代こそ、まさに「最初のグローバリゼーション」の萌芽であったといえるだろう。

2026-08-19

オーストリア学派のデジタル図書館

The Original Austrians: A Digital Library of the Austrian School of Economics (Mises.at) [LINK]

【海外記事より】思想団体であるプロパティ・アンド・フリーダム・ソサエティ(The Property and Freedom Society)のウェブサイトに掲載された記事をご紹介します。オーストリア学派経済学の思想家や著作を体系的に集約したデジタル図書館「The Original Austrians」が、Mises.at(ミーゼス・オーストリア)において公開されています。このプロジェクトは、同団体の長年のメンバーであるラヒム・タギザデガン氏が設立したscholarium.atによって公開されたもので、オーストリア学派やオーストロ・リバタリアニズムの知見を集める他のオンラインリソースを補完するコレクションとなっています。

このデジタルアーカイブには、オーストリア学派に関する膨大で有用な資料がいくつかの項目に整理されて収録されています。「思想家」の項目では、起源および古典的オーストリア学派である第1世代・第2世代から、戦後の復興と新オーストリア学派にあたる第5世代まで、全5世代にわたって思想家が分類されています。

また、「系譜」の項目では、5世代にわたる師弟関係やサークル、同僚としてのつながりといった学派の系統が視覚的に図解されています。さらに「場所」の項目では、中心地であったウィーンや発祥の地となったレンベルク、ブリュンをはじめ、ジュネーブ、ロンドン、ニューヨーク、オーバーンといった伝統を継承・展開させていった拠点など、オーストリア学派が思索や教育を行い、移住していった計61箇所の地域が記録されています。

「著作」の項目には、同分野に関する879冊の書籍と、1838編のエッセイ、書評、講義録を含む、合計2717タイトルの著作情報が網羅されています。オーストリア学派の歴史と思想の広がりを一望できるデータベースとして整備されています。 

2026-08-14

ミーゼス研究所の粛清

Mises Institute's 5 Purges: Omitting Jewish Bankers, by Marco de Wit - The Unz Review [LINK]

【海外記事より】執筆者のマルコ・デ・ヴィット氏がWebメディアのThe Unz Reviewに寄稿した論考によれば、オーストリア学派経済学の研究拠点であるミーゼス研究所において、中心理論家であったマレー・ロスバード氏の著作や思想に対する独自の不掲載や自主検閲が行われていると指摘されています。同研究所は、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス氏やロスバード氏の記憶や知識を継承し、自由市場経済の推進や文化保守主義の維持、そして米国を世界最大の帝国主義国家とみなす立場に基づく反戦・孤立主義の外交政策を掲げて長年活動を続けてきました。

歴史を動かす主体として特定の知識人や指導者の果たす役割を重視したロスバード氏は、国家主義を解体するためには、経済危機や戦争を裏で引き起こしてきた支配層の真の実態を隠さず暴露することが不可欠であると主張しました。同氏の歴史分析によれば、米国の支配層はモルガン家に代表されるWASP系、ロックフェラー家に代表される米国主流派、そしてロスチャイルド家やクーン・ローブ社などに代表される国際的なユダヤ系金融勢力という3つの主要なネットワークで構成されています。これらの派閥は日常的には互いに競い合いながらも、中央銀行制度である連邦準備制度の創設など、金融のカルテル化を推進する局面では一致結束してきたと説明されています。

同氏は1980年代以降、思想家のハンス・ヘルマン・ホッペ氏らと協力して右派的なパレオ戦略を展開し、支配層を構成するすべての勢力に対して直接的な批判を展開しました。しかし、1995年にロスバード氏が急死すると、研究所を主導するデイヴィッド・ゴードン氏やジョセフ・サレルノ氏らの後継者たちは、同氏の選集や要約本を編集・刊行する際、ユダヤ系金融勢力に関する論述や支配層理論そのものを意図的に削除または除外するようになったとデ・ヴィット氏は述べています。

こうした一連の意図的な省略や編集上の回避方針により、現在ではホッペ氏という極めて稀な例外を除き、同研究所に関わるほぼすべての研究者がユダヤ系金融勢力の役割についての客観的な分析や言及を行わなくなっていると同記事は締めくくられています。