2020-12-31

仮想通貨の運命


代表的な暗号資産(仮想通貨)ビットコインが30日、過去最高値を更新した。アジア時間の取引で一時2万8600ドルに迫った。今年、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)の中、ビットコインは4倍近くに値上がりした。機関投資家の間にビットコインを投資対象に組み入れる動きが広がっており、これがさらなる価格上昇への期待感を強めているようだ。

当初は得体の知れない存在として一部の個人投資家しか売買していなかった仮想通貨が、主流の機関投資家や大手企業からも市民権を獲得し、投資対象に加えられていけば、相場を一段と押し上げる可能性はある。しかしそれは一方で、仮想通貨の魅力を失わせるきっかけになるかもしれない。

仮想通貨が個人を引きつけてきた魅力の一つは、プライバシーの確保にある。ビットコインの場合、取引内容はすべて公開されているものの、取引を行った個人や組織は明らかにしていない。このためプライバシーが危うくなることは基本的にないとされる。その利点を生かし、税を逃れる手段にもなっているといわれる。

けれども大手の金融機関や企業にとって大切なのは、プライバシーよりもコンプライアンス(法令遵守)だ。税逃れなんてとんでもない。税務当局から見た「透明性」を高めるために仮想通貨への規制が強化されても、経営体力があるから対応できる。

遠からず、仮想通貨はもはや日陰者でなくなり、お天道様の下、健全な資産として大手を振って歩けるようになるだろう。しかし、その結果、本来持っていた魅力は失われていく。プライバシーは税務当局に対して事実上ないも同然となる。将来、仮想通貨に対する資産課税が導入されれば、政府はボタン一つで税率を引き上げることもできるかもしれない。

仮想通貨がこれまで魅力的だったのは、政府の目の届きにくい異端の存在だったからだ。しかし多くの楽観論者は、同時に政府公認の主流の存在にもなりうると信じているようだ。経済学者タイラー・コーエンはブルームバーグへの寄稿で「それは至難の技だ」と警告している

2020-12-30

池田清彦『環境問題の噓 令和版』

科学は多数決で決まらない


著者 : 池田清彦
エムディエヌコーポレーション
発売日 : 2020-10-06

菅義偉首相は10月に行った所信表明演説で、温室効果ガスの排出量を2050年までに実質ゼロにする目標を掲げた。その方針の前提とされるのは「地球は温暖化しており、それは代表的な温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)の増加による」という説だ。

この説はメディアを通じ、絶対に正しい「常識」として通用している。けれども、その「常識」はほんとうに正しいのか。本書は疑問を投げかける。

メディアでは最近、台風の勢力が強くなり、数も多くなり、被害も甚大になったのは温暖化のせいだと喧伝する。これに対し著者の池田清彦氏は「台風の数はこの半世紀を通じて微減傾向にあるし、勢力も1960年代や70年代のほうが強かった」と、気象庁のデータを示しながら反論する。

20世紀後半になって地球の温度が急激に上がったことを示す、ホッケースティック型の有名なグラフがある。米気象学者マイケル・マンが作成したもので、 温暖化CO2犯人説の有力な根拠の一つとされてきた。

ところが2019年8月、グラフはデタラメだと批判したカナダの元大学教授ティム・ボールをマンが名誉毀損で訴えた裁判で、マンは完全敗訴した。被告が求めた、マンがグラフを作成するために使用した原データを開示せよ、という請求を拒んだことが、敗訴の大きな理由だった。

池田氏はこの一件を紹介し、「もともと捏造したのだから、原データを開示できるわけがない」と述べたうえで、「この裁判も日本のマスコミ(少なくとも朝日新聞やNHK)は全く報じなかった」とメディアの姿勢を批判する。

温暖化そのものに関する池田氏の議論には、多数派から異論もあることだろう。しかし次の指摘は、間違いなく問題の本質を衝いている。

政治的な決定は多数決によって決まる。科学的事実は多数決によっては決まらないから、ここには必然的に齟齬が生じることになる。

そして「一度始めてしまった政策が、新たに判明した科学的事実に整合的でないことが分かったとしても、この政策はなかなか廃絶されない」。問題の根元には政治による科学の利用があることを、池田氏は見抜いている。

本書は、物々交換のすすめなど賛同できない主張もあるけれども、多数派の「常識」に流されないことの大切さを教えてくれる。

2020-12-29

官僚離れの解決法


若者の官僚離れが進んでいる。嘆くことはない。良い解決法がある。

記事によると、省庁の幹部候補である国家公務員総合職試験の申込者は2013年度は2万2248人いたが、20年度は過去半世紀で最低水準の1万6730人まで減少した。省庁を辞める官僚も急増しており、20代の総合職の職員の自己都合退職は、13年度の21人から19年度は87人に増えた。

国会や官邸への対応に伴う長時間勤務が、理由の筆頭に挙げられている。記事は「このままでは日本の行政機能が維持できないのではないか」と危機感を募らせる。

問題をなくすには、その原因を取り除けばよい。それもその場しのぎの対症療法ではなく、根本的な対策でなければならない。

公務員が長時間労働を強いられる根本の原因は、国会(立法府)や官邸(行政府)の業務、つまり政府の仕事が多すぎることにある。「日本の行政機能」がそもそも過大であり、維持できないのは当然なのだ。

仕事量の目安として、国の予算を見てみよう。2020年度当初予算のうち、歳出額の多くを占めるのは、社会保障関係費(34.9%)、公共事業関係費(6.7%)、文教及び科学振興費(5.4%)などだ。これらの仕事を思い切って減らせばいい。

乱暴に聞こえるかもしれないが、これらの仕事は政府がやる必要はないし、やらせないほうがいい。

社会保障のうちおもな業務は年金と医療だが、年金は年金財政の悪化や「消えた年金」問題で、政府は能力の限界が明らかだ。医療も以前からの医療費膨張に加え、今回のコロナ問題では欧米よりも感染者数が少ないのに医療崩壊寸前に追い込まれるなど、無能をさらけ出している。

公共事業は無駄な工事で自然を破壊し、保守管理を怠ってインフラ崩壊の危機を招いた。官営教育は学級崩壊や学力低下をもたらしている。

どの仕事も民間に任せたほうがいい。そうすれば政府の業務は大きく減り、公務員は今より仕事が楽になる。国民にも税負担軽減の恩恵があるだろう。一方、官僚をやめた人々は民間で力を発揮し、国民の幸福に貢献するだろう。それは彼らが官僚を目指した志にもかなうに違いない。

2020-12-28

グリーン戦略と灰色の未来


政府が2050年の温暖化ガス排出ゼロに向けた実行計画「グリーン成長戦略」をまとめた。菅義偉首相は記者会見で「成長の制約ではない。経済と環境の好循環を生み出す」と語ったという。もしその「好循環」とやらが実現するのなら、慶賀の至りだ。

けれども、とてもそうは思えない。

そもそも前提となる「温暖化二酸化炭素(CO2)犯人説」が正しいかどうかの検証が必要だが、今それをやる余裕はないので、かりに正しいとしよう。それでも、政府の計画には問題がある。

今回の計画の目玉の一つは、洋上風力発電だ。報道によると、今はほぼ手つかずだが、2040年までに一気に3000万~4500万キロワットを目指すという。漁業者や住民らとの調整も必要だが、最大の課題はコストだ。

政府の計画では、2030~35年に1キロワット時あたり8~9円と国際平均並みを目指す。海外では風力発電のコストは下がり続けているという話を聞く。ところが実態は違うらしい。キヤノングローバル戦略研究所の杉山大志研究主幹によると、欧州では実際には風力発電のコストは上昇しているという。

とくに洋上風力は陸上風力に比べて故障しやすく、信頼性が著しく低い。最近になるほど海岸から遠く、深い立地場所を余儀なくされ、コストが上昇している。2030年までに大量の洋上風力を新規に建設すれば、建設ラッシュで事業費用も急騰するだろうと杉山氏は記事で述べる。

今回の戦略で「キーテクノロジー」と位置づける水素も、コスト引き下げが課題だ。2050年には化石燃料に対して十分な競争力を持つ水準にするという。政府(経済産業省)の発表資料を見ると、水素産業の工程表に「導入支援」の文字がいくつも躍る。「支援」とは税金を投じるという意味だ。コスト引き下げのために一体いくらコストをかけるつもりだろう。

政府はコロナと戦うためと言って国民に自粛を迫り、失業や収入減を招いている。温暖化との戦いも国民にコストを強いることで、灰色の未来をもたらしかねない。

2020-12-27

日本中世、政府が通貨を発行しなくても困らなかった理由〜民間で製造、中国から輸入も

現代では、政府がそれぞれ独自の通貨を発行する「一国一通貨制度」が常識だと思われている。そうでなければ、お金の量をコントロールできず、経済は成長できないとも信じられている。


しかし、それは現代人の思い込みにすぎない。歴史をさかのぼれば、政府が自国の通貨を発行しないケースは珍しくなかった。

たとえば、18世紀にオーストリア政府が発行した、女帝マリア・テレジアの肖像を刻んだ銀貨は、本国ではとうに使われなくなった20世紀に至るまで、遠く離れたアフリカ・西アジアの特定地域で流通を続けた。この地域はオーストリアの植民地でも勢力範囲でもなく、むしろ英国やフランスの植民地ないしはその勢力下にあった(黒田明伸『貨幣システムの世界史』)。

さらに身近なところにも実例がある。日本の中世だ。

院政期・平氏政権期の12世紀半ばから戦国期の16世紀にかけての四百年近くにわたって、日本国内では渡来銭(宋や明が発行した銭貨)やそれを模倣した私鋳銭(中国や日本国内で宋・明銭を模して作られた貨幣)が、貨幣としての役割を担った。

古代の日本政府(朝廷)は、日本最古の流通貨幣とされる和同開珎以降、10世紀半ばまで皇朝十二銭と呼ばれる貨幣を鋳造し流通させたが、その後、鋳造された貨幣の利用は途絶えていた。それが再開するのは、中国貨幣の本格的な流入が始まる12世紀半ばである。

この時期に中国銭が流入した理由として、かつては、宋との間の交易で決済手段として宋銭が用いられたためと説明されることが多かった。しかし、同時期の宋との貿易は金や銀の地金で決済されていたようだ。また、中国大陸との民間貿易は894年の遣唐使中止以降も続いており、急に中国銭の国内使用が拡大した理由としては十分でない。

鎌倉大仏の原材料は宋銭?


経済学者の飯田泰之氏によると、現在ではむしろ貨幣以外での用途で日本に持ち込まれたと考える研究が注目されている(『日本史に学ぶマネーの論理』)。

たとえば、貿易船のバラスト(船を安定させるための重り)として持ち込まれたという説がある。日宋貿易における輸出品である金や硫黄に対し、おもな輸入品である陶磁器の比重は軽い。大陸からの帰途に船に陶磁器を満載しただけでは軽すぎて船が安定しないため、底荷として宋銭が用いられたという。

また、銭としてではなく、銅製品の原材料として輸入されたという説もある。鎌倉大仏の原材料は宋銭であると言われる。宋銭と鎌倉大仏はともに銅70%、鉛20%、スズ10%ほどの組成となっている。同者の類似は偶然とは考えにくい。

同時期の日本国内では、銅地金が金・銀やその他の商品に対して非常に高価になっていたとする指摘もある。その原因としては、国内銅山の枯渇や、仏教信仰の広がりによって仏像・仏具原料としての銅需要が増大したことなどが考えられるという。

船底に積む重りが必要だとしても、まったく無価値な物よりは、それ自体が日本国内で価値を持つ物を用いたほうが効率的だ。

現代の経済では、通貨が流通するためには、権力による強制や政府の負債としての性格を持つことが必要といわれる。しかし、中世日本の場合、初期の渡来銭は一定の重量の銅の持つ価値が裏付けになっていたと考えられる。そうだとすれば「権力による強制や政府負債としての役割なしに流通したことは不思議ではない」(飯田氏)。

これは日本だけの現象ではなかった。当時、中国銭貨やそれを模した貨幣の流通は、西日本から中国沿岸部を経て東南アジアへ至るシナ海を囲む、中華帝国の周辺社会に浸透していた。歴史学者の黒田明伸氏は、行政権力から乖離した、この緩い集合体を「環シナ海銭貨共同体」と名づける。

室町時代には、日中政府間の貿易である勘合貿易を通じ、銭が輸入された。しかし、輸入全体に占める量はさほど大きくなかった。むしろ中心は密貿易だったとみられる。

民間が貨幣を自律的に作り出す


日本国内で利用された銭は、中国からの輸入品だけではなく、民間で作られたものもあった。すでに触れたように、これらは中国の銭の模造であり、私鋳銭と呼ばれる。

民間が銭を模造したというと、通貨偽造だと眉をひそめる向きもあるだろう。けれども、これも現代人の感覚でしかない。歴史学者の高木久史氏はこう指摘する。「歴史をみると、政府やそれに準じる機関が貨幣を供給しないために民間が自律的につくりだす現象がしばしばある」(『撰銭とビタ一文の戦国史』)

15世紀以来、好都合にも日本で銅の産出が増え、銭の生産を促した。15世紀末から16世紀にかけて、室町幕府や大名など地方政府が定めた法は、「日本せに(銭)」「地銭」など日本産であることを意味する銭の名を記している。

室町幕府は銭を輸入したが、結果的に、自らは発行しなかった。その理由として有力な説は「必要がなかったから」というものだ。封建制度は臣下に地方支配を任せるので分権的であり、中央政府の行政費は相対的に小さい。国防も、地方に領地を持つ武士に実質的に委ねていた。

室町幕府自身の財政を補填するにしても、自ら銭を発行するのと、銅などを輸出して銭を輸入するのとであれば、後者の方が費用的に有利だったようだ。「だから、銭をつくる動機が働かなかった」と高木氏は推測する。

政府の通貨発行、再考のとき


中世の日本では、政府の統制に関係なく、人々がお金に関する秩序を自律的に作り上げた。それによって経済に支障が生じることもなかった。

前出の飯田氏によると、室町期の総生産(GDP)成長率は年平均0.33%、さらに戦国期に至っては0.48%と江戸期に匹敵する成長を遂げている。前近代社会に限定しての話ではあるが、これは他国と比較しても「明確な高度成長」である。

オーストリア出身の経済学者ハイエクは、政府に貨幣発行を独占させず、民間で自由に発行し、競争させようと唱えた。政府が貨幣を発行せず、輸入銭や私鋳銭が流通した中世日本の歴史は、ハイエクの提案が決して現実離れしたものではないことを示している。

現代の先進国は、政府が中央銀行を通じて大量の通貨を独占的に発行し、みずからの負債を事実上引き受けてきたことで、債務膨張と財政危機を招いている。現代人が常識だと信じている政府の通貨発行を、歴史に照らして再考してみるべきだろう。

<参考文献>
黒田明伸『貨幣システムの世界史』岩波現代文庫
飯田泰之『日本史に学ぶマネーの論理』PHP研究所
高木久史『撰銭とビタ一文の戦国史』(中世から近世へ)平凡社

2020-12-25

毎日がクリスマス

筑摩書房の公式ツイッターで、『ムーミン谷のクリスマス』を勧めていたのを見かけて、買ってしまった。「人間関係に戸惑っている人へのクリスマスプレゼント」におすすめらしい。自分で読むんだけどね。


ツイートに、良い文があった。「相手も自分も幸せになる、そんな視点にぜひ触れてみてください」

筑摩の人はもしかすると、「相手も自分も幸せになる」という表現に、プレゼントを贈ることによって相手も自分も幸せになる、という意味も込めているのかもしれない。そうだとすれば、買い手の心理にさりげなく訴える、心憎い文章術と言わねばならぬ。

ところで最近、「贈与」がちょっとした流行語になっている。何事もギブアンドテイクで割り切る冷たい市場経済と違い、贈与(贈り物)は一方的に与えるものだから、人間らしい温かみがある、といった議論でこの言葉をよく見かける。

けれどもこの議論は残念ながら、経済の仕組みをよく知らない人が考えたものだ。

自由な市場経済で、Aさんが千円を払ってBさんから本を買うとき、Aさんはその本に千円の価値があると思っているわけではない。もし本と千円の価値が等しいなら、わざわざ千円を手放して、それと同じ価値しかない本を手に入れる理由はない。

同じくBさんのほうも、もし本に千円の価値があるのなら、わざわざ本を手放して、それと同じ価値しかない千円を手に入れる理由はない。

二人の間で売買が成立するのは、Aさんは「本の価値は千円より大きい」と考え、Bさんは逆に「本の価値は千円より小さい」と考えるからだ。同じ物でもその価値は人によって異なり、だからこそ売買が発生するのだ。

ということは、売買が成立するとき、売り手と買い手はともに、自分が手放した価値よりも大きな価値を手に入れる。その差し引き分は言ってみれば、相手からの贈り物だ。

贈り物というと、多くの人はクリスマスや誕生日にしかあげないものだと思っている。けれども実際には、何でもない普通の日でも、ショッピングで品物を買ったり、仕事でお客さんに商品を売ったりするたびに、私たちは相手に価値という贈り物をしている。毎日がクリスマスのようなものだ。

ムーミン谷の仲間のように「相手も自分も幸せになる」ためには、特別なことをしなくてもいい。コンビニやアマゾンで買い物をするだけだっていい。そう考えれば、人間関係も少しは楽になるかもしれない。

2020-12-24

持続不可能な財政


最近、国連の音頭の下、持続可能性ということがやかましく叫ばれる。将来世代の暮らしを持続可能な形で改善するために、環境の保護、貧困・飢餓の撲滅、ジェンダー平等の実現などが必要だと訴える。

ところがそこでは、将来世代の暮らしにとって環境や平等に劣らず重要な、ある課題については決して触れない。財政だ。

報道によると、巨額の新型コロナウイルス対策で政府の借金が膨れ上がり、2021年の先進国の政府債務は国内総生産(GDP)比125%に達する見通し。リーマン危機直後(89%)はもちろん、戦費支出で世界の債務が急増した第2次世界大戦直後の1946年(124%)も超すという。

ちなみに日本は足元で266%と先進国中、断トツで最悪の水準にあるのはご存じのとおりだ。国の借金は一人当たり約900万円。

こんな風に書くと、一部の人から「国の借金は国民の資産だぞ」と怒られるかもしれない。理屈はそのとおりだ。うちには家族4人分、計3600万円の資産があるんだと無邪気に信じられれば、毎日を大船に乗ったような気分で過ごせるに違いない。

けれども、その資産が不良資産だったら目も当てられない。なになに、ちゃんと利息は払われるし、元本も返ってくるから大丈夫? それはよかった。でも、国はそのお金をどこから持ってくるの? まさか増税?

話題の現代貨幣理論(MMT)によると、国の借金を返すのに増税する必要はない。中央銀行が無からお金を作り出せばいい。でも、そんなことしたらインフレになるのでは? 「安心しろ、インフレになったら奥の手を出すから」「奥の手とは?」「増税」

要するに八方ふさがり。先進国の財政は持続不可能だ。とくに日本は、将来世代どころか現役世代ですら、巨大な財政破綻から逃れることはできないだろう。今さら回避するのは無理だとしても、せめて政府にこれ以上の浪費をやめさせ、「その日」の痛みを少しでも小さくしたい。

2020-12-23

AI批判のあさはかさ


人工知能(AI)の普及につれ、その「影の部分」が問題視されるようになってきた。AIによる差別だ。

ソニーは2021年春にも、AIを使うすべての製品について倫理面での安全性を審査するそうだ。不適切と判断された製品は基準に合うよう改善したり開発を止めたりするらしい。

このことを報じた記事では、ソニーが審査で具体的に何を「不適切」と判断するのかはわからないが、米アップルの事例が紹介されている。2019年、クレジットカードの与信限度額を決める同社製のアルゴリズムが、女性より男性を優遇しているとの指摘を受け、カードの運用会社を米金融当局が調査したという。

こうした「AIの倫理」に関する報道のパターンはいつも決まっている。差別は無条件で悪いという前提に立ち、差別を行うAIを断罪する。そのうえで、AIの欠陥を人間が正してやらなければならないと、上から目線で決めつける。

じつにわかりやすい。けれども、物事はそれほど単純ではない。

たとえば、モテる男の必須条件は「3高(高学歴・高身長・高収入)」といわれる。これはどう考えても、低学歴・低身長・低収入の男性に対する差別だ。3高には含まれないが、イケメンかどうかも重要な条件だろう。ブサメンに対する心ない差別だ。

もし大手結婚相談所がAIを駆使し、「3高」やイケメンの男性をひそかにおすすめする仕組みを導入したら、差別は無条件に悪いと信じるメディアや政府は当然、差別を助長するものとして廃止を求めなければならないだろう。

だが廃止されて困るのは、婚活で「3高」やイケメンを探したい女性たちだ。少子化対策として結婚を奨励する政府自身の方針にも逆行する。

このように書くと、「差別と好みは違う」「差別と区別は同じではない」などと反論されそうだ。しかし、差別と好み、差別と区別がどう違うのか、明確な根拠を見たことはない。

AIによる差別はけしからんと声高に批判するメディアや識者自身、差別とは何かについて深く考えているとは思えない。AIは「マッタク人間テヤツハ……」とあきれていることだろう。

2020-12-22

デジタル庁はいらない


政府が2021年9月のデジタル庁発足に向け、民間人材を4月に先行採用するらしい。非常勤の国家公務員とし、兼業やテレワークなど柔軟な働き方や待遇も認めるという。識者が「兼業など柔軟にするというのは良い方向性」「人材の利活用の観点でもプラス」などと歓迎のコメントをしている

ここで身も蓋もない疑問を呈したい。デジタル庁って、そもそも必要なのだろうか。

冷静に振り返ってもらいたいのだが、農林水産省は日本の農林水産業を良くしただろうか。文部科学省は日本の教育を良くしただろうか。観光庁は「Go To トラベル」で混乱を招いているが、日本の観光を良くしただろうか。これら省庁の関係者でさえ、胸を張って「良くした」とはとても答えられないはずだ。

いやデジタル庁は違う、と言う人がいるかもしれない。デジタル庁のおもな目的は、政府自身のデジタル化推進だ。自分のことだから真剣にやるだろうし、国民も便利になるよ、と。

そうは思えない。理由は二つある。まず、農水省や文科省、観光庁など政府の省庁がなぜダメかを考えよう。それは本来の目的よりも、政治的なしがらみや都合を優先してしまうからだ。

農業を自由化すれば競争力が高まり、長い目でプラスなのに、選挙や利権の都合でそれができない。デジタル庁も同じように、政治的な思惑や利権で本来の目的がゆがめられたり、過大なコストがかかったりするのは目に見えている。

次に、行政のデジタル化って、国民にとって本当にプラスだろうか。役所の手続きが迅速になれば便利かもしれないが、そもそもの問題は、行政手続きが多すぎることにある。政府の仕事を断捨離し、行政手続きを大幅に減らせば、わざわざ税金を投じてデジタル化などする必要はない。

政府はデジタル政策の一環としてマイナンバーの普及を推進するそうだが、そうなるとプライバシーが脅かされる恐れもある。確定申告などしなくても、政府が勝手に銀行口座から税金や社会保険料、NHK受信料まで引き落としてくれれば、たしかに便利かもしれないが、暮らしが楽になるとはとても思えない。

いまさら言っても仕方ないかもしれないけれど、デジタル庁って、やっぱりいらない。

2020-12-21

ワクチン反対は悪くない


米製薬大手ファイザーの新型コロナウイルスワクチンに関し、ジャーナリストの池上彰氏がこんな趣旨のコメントをしている。「ワクチンなど打ちたくない」という「ワクチン恐怖症」の人が多数いる限り、国家としての集団免疫が獲得できない、と。

「ワクチン恐怖症」というのは池上氏自身の表現だが、これは池上氏にしては、うかつな言葉遣いだと言わざるをえない。

国語辞書によれば、「恐怖症」とは、「そう感じることが無意味であると思いながら、特定の事物や状況に対して強い不安や恐怖を感じる神経症」のことだ。けれども「ワクチンなど打ちたくない」という人は、「無意味であると思いながら」接種を拒んでいるわけではあるまい。

言うまでもなく、一番の懸念は副作用だ。通常のワクチンが開発着手から承認まで数年から十年はかかるのに対し、ファイザー製ワクチンは米国での接種開始までわずか十カ月。臨床試験で強いアレルギー反応も報告されたそうだし、今後、予測できなかった重篤な副作用が発生するのではと恐れる人がいても不思議ではない。

ワクチンを過剰に恐れているように見える人々を「恐怖症」だと切り捨てるのはたやすい。けれども、リスクをどれだけ大きく見積もるかは、結局のところ一人一人の主観による。リスクを冒すことに慎重な人には、その意思を尊重するのが自由社会の原則のはずだ。それを否定すれば、中国と変わらない。

そもそもの問題は、ワクチンの接種を含め、個人・民間で対応できる医療を、政府が福祉の名目で仕切ることにある。政府の他のあらゆる政策と同じく、政府の医療政策は画一的で、個人の都合や好みをほとんど無視する。従いたくない人が出るのは当然だろう。

ワクチンを恐れる人々は、医学知識に乏しいだけなのかもしれない。ワクチンを打つほうが結局は正解なのかもしれない。しかし少なくとも現時点では、その逆の可能性も否定できない。ワクチン反対派は、危険を知らせるカナリヤの役目を果たしてくれているかもしれないのだ。「恐怖症」などとレッテルを貼るのはよくない。

2020-12-20

高杉尚孝『論理的思考と交渉のスキル』

タフ・ネゴシエーターは優しい


交渉に従事する人の中には、交渉プロセスの本質を「いかに相手を欺いて、自分のみの利益を確保するか」と信じている向きもある。しかし、それは間違った思い込みだと著者は指摘する。良い交渉とは、「自分と相手方、双方の満足度が高まる交渉のこと」(第一章)という。


著者のこの指摘は、経済学の原理からも正しい。そもそも取引とは、互いに利益になるときしか成立しない。Aさんはリンゴを手放してオレンジを手に入れたいと思い、Bさんはオレンジを手放してリンゴを手に入れたいと思ったとき、初めて取引が成立し、双方がハッピーになる。

「弱肉強食の世の中で、双方の満足度を高めるなんて、単なる理想論だ」と思うかもしれない。それは違う。もし買い手がつねに騙されたと感じたら、売り手から離れていってしまうだろう。「うちにはどうせ一見客しか来ないから、長期的な視野などいらない」と考えても、悪い噂が流れて客足が途絶えるだろう。

だから「単なる理想論ではなく、実利的にも、双方の満足度を高めることを念頭においた交渉が求められるのです」(同)と著者は強調する。

そうだとすれば、優秀な交渉人(タフ・ネゴシエーター)に求められる資質も、一般に流布される「絶対に譲歩しない頑固なネゴシエーター」のイメージとは違ってくる。

頑固を通すことによって、もしかしたら相手が根負けし、短期的には得をするかもしれない。しかし譲歩した側は将来、何かしらの形で仕返ししてくる恐れがある。これは良い交渉ではない。

ネゴシエーターに求められる「タフさ」とは、「双方に全く譲歩の余地がないように思われる交渉においても、粘り強く考え続け、双方が歩み寄れる提案を搾り出す柔軟な思考力を意味するのです」と著者は述べる(第六章)。

探偵フィリップ・マーロウのせりふではないが、本当にタフな交渉人とは、相手の満足度を思いやる優しい人間なのだ。

「交渉が相手を欺いたり、根負けさせたりすることだとしたら、とても自分にはできない……」。そう悩む心優しい人を、この本は元気づけてくれる。

2020-12-19

ケルトン『財政赤字の神話』

経済を悪化させるMMT


最近話題の現代貨幣理論(MMT)によれば、政府の財政赤字はインフレをもたらさない限り問題ではない。したがって財政危機が叫ばれる米国でも日本でも、政府はインフレが脅威になるまでは財政支出をさらに拡大し、国民のために役立てることができるし、そうすべきだという。

しかし、一部の人々を熱狂させているこの主張は、正しくない。MMTの第一人者といわれる著者が持論を述べた本書に基づき、その理由を述べよう。

著者によれば、政府が支出を賄うためには、増税も借り入れもする必要はない。お金は中央銀行がコンピューターを使って銀行口座の預金を増やし、必要なだけ作り出すことができるからだ。この事実は正しい。けれども、何の問題も起こさないかといえば、そんなことはない。

著者自身が用いるバスケットボールの例(第一章)で考えるとわかりやすい。選手がスリーポイントラインの外側からシュートを決めれば、チームは3点を獲得する。このとき点をつけるスコアキーパーは、どこからも点を調達してくる必要はない。あたかも中央銀行が無からお金を作り出すように、単にスコアボードの数字を修正し、増やすだけだ。

著者はここでたとえ話を終える。しかしMMTの主張を正確に表現するには、これだけでは十分でない。

実際のバスケットボールでは、選手がゴールを決めない限り、スコアキーパーが点を増やすことはない。ところがMMTは、中央銀行が必要なだけお金を増やすことを認める。バスケットボールにたとえれば、スコアキーパーが「必要」と考えれば、いつでも点を増やせるようなものだ。

A高校とB高校が95対100で競っている試合で、もしスコアキーパーが「両チームに5点ずつ増やしてやろう」と思いつき、突然100対105にしたら、選手も観客も面食らい、戸惑うだろう。それでもこの場合、点差は5点のままだから、まだしも問題は小さい。

けれども、もしスコアキーパーが「A高校のチームには大物政治家の息子がいるから、10点増やしてやろう」と考え実行したら、105対100で逆転してしまう。これでは試合は滅茶苦茶だ。

そして現実の経済でも、中央銀行が無から生み出したお金は、社会の全員に平等に行き渡ることはない。政治的コネの強さにより、つねに不平等に分配される。

その事実は著者自身、こう認めている。「あらゆる財政赤字が幅広い国民の利益になるわけではない。財政赤字は毒にも薬にもなる。ほんのひと握りの層を富ませ、お金と権力のある人々の豪華ヨットを新たな高みに浮上させる一方、数百万人を置き去りにすることもある」(第四章)

そのうえで著者は、医療、教育、公共インフラなどへの投資を通じ、財政赤字を低所得層や中所得層に手厚く分配するよう求める。しかし、かりにそれが政治的に可能だとしても、経済に生じる問題は解決しない。

バスケットボールのたとえを思い出そう。スコアキーパーがA高校をひいきする理由が「大物政治家の息子がいるから」ではなく、たとえば「貧しい家庭の子供が多くてかわいそうだから」であっても、勝手に点を増やせば、試合が台無しになることに変わりはない。

試合がまともに成立するためには、その理由にかかわらず、スコアキーパーに勝手に点を増やさせてはならない。同様に、経済が正常に機能するためには、政府・中央銀行に勝手にお金を増やさせ、政治的理由によって分配させてはならない。

誰がどのような商品・サービスと引き換えに、どれくらいのお金を手に入れるのが経済的に適切かは、政府には判断できない。それを導くことができるのは、無数の人々が生産者、消費者として参加する自由な市場取引だけだ。

著者は「すべての国民に質の高い医療を提供する。すべての労働者に十分かつ適切な高等教育や職業教育を提供する。低炭素化ニーズに対応した質の高いインフラを整備する。あらゆる人に心地よい住居を確保する」(第八章)といった理想の経済を思い描く。

けれどもそれを実現するには、市場経済が十全に機能しなければならない。政府が金融と投資に介入すればするほど、市場経済の働きは妨げられ、その結果、消費者のニーズに応じた多様な医療、教育、インフラ、住居の供給は困難になる。

すでに日米政府は長期にわたる金融・投資への介入で市場機能を阻害し、バブルやそれに伴う格差拡大、庶民の生活水準低下といった弊害をもたらしている。MTTはそれに歯止めをかけるどころか、火に油を注ぎ、弊害を悪化させるだけだろう。

2020-12-18

民間オンライン教育の成長

コロナ下の米国では公立学校のリモート教育は不評だが、民間オンライン教育の多くは生徒数が増えている。マイテックハイは生徒数が昨年の2.5倍になり、8つの州で2万人近くが学ぶ。引っ越しの多い軍関係の家族に好評で、一貫性があり組み替えやすい教育課程が評価されている。

米国ではこの秋、少なくとも20の州で公立学校の生徒が減った。カリフォルニア州オレンジ郡では8000人、フロリダ州マイアミ・デイド郡では1万6000人が減少。コロナ期間中、家族はしだいに公立学校を避け、民間教育の選択肢を選びつつある。この傾向はコロナ後も続きそうだ。

米国ではコロナで公立学校が対面授業を停止する中、ホームスクーリング(在宅教育)が急増している。マサチューセッツ州では今年、7188人の生徒が公立校からホームスクーリングに移った。昨年はわずか802人だった。コロナ期間中、ホームスクーリングを選んだのは、低所得層の家庭が多い。

ケンブリッジ大学の最近の調査によると、英政府が強制したロックダウン(都市封鎖)は、子供のメンタルヘルスに重大な害を及ぼしている。7歳半から11歳半の子供168人を対象に調べたところ、子供のうつ症状は大幅に増えた。これは学校の一部・完全閉鎖などロックダウンと直接の関連がある。

2020-12-16

暴政を支持する人々

暴政はつねにその犠牲者から広く支持を得るから、人々の多くは自分の恐ろしい運命に気づかない。今日の衛生社会主義の暴政もそうだ。都市封鎖、マスク着用、学校閉鎖は多数の命を救うために必要と信じ、人々は従う。法の支配についてあら探しをしている場合ではないという。

すべての人を高齢者と同じくコロナ感染症にかかりやすいかのように扱う今のやり方は狂っている。その結果生じる集団ヒステリーも狂っている。もっと狂っているのは、集団ヒステリーに対応し野放しの独裁的権力を振るう行政府の高官たちを、多くの人々が信頼していることだ。

ロックダウン(都市封鎖)で救われたのは正味で一体何人の命なのか。その数が少なければ、政府の権限拡大は正当化できない。ロックダウンで救われた命の数は、収入減による自殺や病気・怪我、コロナ以外の医療の妨げなど、ロックダウンによって失われた命の数と比較しなければならない。

自由な個人主義は個人を孤立した利己主義者としかみなさないと批判される。しかし自由な個人主義から集団主義に向かうと、皮肉なことに、他者とのつながりや相互依存は薄れる。人々が政府とつながり、政府に依存するほど、人々は社会とのつながりや社会への依存を失っていく。

2020-12-14

失業増を招くもの

米国が賃金を上げ、失業を減らすには、ギリシャ、スペイン、フランスなどを真似してはいけない。これら欧州諸国の労働市場は非常に硬直的で、労働組合の介入が多く、そのため失業率が高い。欧州連合(EU)の失業率はかつて米国並みだったが、規制や重税のせいで今や2倍近くになった。

政府の消費者物価指数は石油や旅行の値下がり、技術の進歩で見かけ上、低く抑えられている。一方で医療、住宅、教育、保険、生鮮食品のコスト上昇は名目賃金や公式物価統計より大きい。コロナで需要の増えた衣食住関連の比重を高めると、物価上昇は公式統計の2倍以上になる。

政治家は公共医療と政府支出がコロナ危機の解決策だと言うが、事実に反する。ベルギーは世界で最も政府支出比率の高い国の一つだが、百万人当たりの死者は米国より36%多い。一方、韓国は政府規模と1人当たり医療支出が小さいが、5180万人の国民のうち死者は457人にとどまる。

持続可能な経済は、政府に押しつけてもらう必要はない。今この瞬間も競争と技術によって実現しつつある。政府に市民の自由、貯蓄、実質賃金を奪わせてはならない。消費者はすでに企業に対し、持続可能性や環境に配慮した経営を行わせている。これは政府の介入より優れている。

2020-12-13

貿易禁止が生んだ密貿易集団「倭寇」〜アジアにネットワーク、鉄砲伝来にも一役

「商品が国境を越えなければ、兵士が越える」という西洋の格言がある。19世紀フランスのエコノミスト、フレデリック・バスティアの言葉ともいわれるが、実際は出所不明のようだ。いずれにせよ、その意味は重い。「貿易を禁じれば、国家間の対立が強まり、戦争になる」というのだから。


この格言を思わせる現象が、日本の戦国時代、東アジアの海に出現した。倭寇(わこう)である。

倭寇とは14世紀から16世紀にかけて、朝鮮・中国沿岸で密貿易を行ったり、物や人を略奪したりした武装集団を指す。活動の時期によって前期と後期に分かれる。

多種多様な民族構成


日本の南北朝動乱のさなかに現れた前期倭寇は、壱岐・対馬・北九州地域を根拠地に、おもに朝鮮半島で活動した。これに対し、戦国時代に出現した後期倭寇は、構成メンバーや活動地域がかなり異なっていた。

後期倭寇は圧倒的多数を占める中国人を核に、日本人や東南アジアの人々、さらにはアジアに進出してきたポルトガルをはじめとする欧州勢力を含む、多種多様な民族が加わり、中国南部で密貿易を行った。出現の背景となったのは、海禁政策と呼ばれる明の貿易規制である。

モンゴル族が支配する元と対抗するなかで成立した明は、漢族の文化を再興しようとした。その一環として農業の重視を打ち出す一方で、商業は邪魔だと考え、民間商人の私的な海外渡航と貿易を禁止した。これが海禁政策である。

しかし、自由な海外貿易を志向する広東、福建、浙江省など中国沿岸部の商人たちは、官憲の目を盗んで密貿易に手を染めるようになる。商品流通経済がかなり進んだ段階で、貿易規制を強行することは、初めから無理なことだった。

経済史学者の川戸貴史氏は「明の海禁政策による自由貿易の制限が、ハイリスク・ハイリターンを求める密貿易集団たる倭寇を生み出すことになった」(『戦国大名の経済学』)と指摘する。

取り締まり強化で凶暴化


後期倭寇は東アジア海域に独自の航路を開拓し、各地の貿易港を結ぶ密貿易のネットワークを築いていった。中国、日本、東南アジア諸国を包含するそのネットワークから膨大な利益を獲得した。彼らは国家や民族の「境界域」に生きる存在であり、「複数の地域、国家、民族を結びつけることで、活動した空間に繁栄をもたらした」と歴史学者の村井章介氏は述べる(『分裂から天下統一へ』)。

もちろん倭寇には平和な商取引の側面だけではなく、暴力の側面もあった。もともと密貿易は海上に船を出して平和的に行われたが、明政府はこれを犯罪として厳しく取り締まったため、密貿易者のほうもそれに抵抗して武装集団を結成するようになる。取り締まりが強化されるにつれて、かえって凶暴化していった。

こうして倭寇は、条件次第では殺戮をなりわいとし地域に惨害をもたらす海賊集団にもなった。したがって、「自由貿易を求めた新興商人」として手放しには評価できない。けれども凶暴化の背景には、貿易の禁止という理不尽な政策があったことを忘れてはならない。

後期倭寇の頭目の一人に、王直という人物がいる。商業の盛んな徽州(きしゅう)の出身。早くから任侠の徒に交わり、密貿易で巨万の富を築くが、1548年、拠点としていた双嶼(そうしょ、リャンポー)の密貿易基地が明の官憲によって壊滅し、難を逃れて日本の五島列島に本拠を移す。

やがて王直は、海の豪族である平戸藩主・松浦隆信の勧めを受け入れ、博多に近くて便がよい平戸島に二千人の部下を従え移住した。平戸湾を見下ろす地に唐風の豪華な居館を建て、王者さながらの生活を送り、つねに贅沢な緞子(どんす)を身につけていたという。

王直は博多や薩摩の日本人と密接な連絡をとっていたばかりでなく、大内義隆、大友宗麟などの有力大名とも交渉があった。三百人を乗せる大船で明の各地と交易し、平戸は密貿易の新拠点になっていく。日本やアジアの商人が集まったほか、のちにポルトガル船、英国船も入港する。

ポルトガル人を乗せた密貿易船


話はややさかのぼる。ポルトガル人を乗せた船が九州南方の種子島に漂着し、鉄砲を伝えたのは1543年とされるが、1542年などとする説もある。いずれにしても、この船はポルトガルの船ではなく、王直の所有するジャンク船だった。この密貿易船には百余人が乗り込み、王直自身もその中にいた。

王直が村役人と浜の砂で筆談したところでは、船客は「西南蛮種」(東南アジア方面から来た異人種)で、貿易のために来たという。その中の二人の長が鉄砲を持っていた。彼らが火薬と鉛弾を中に詰めて発射してみせると、光と雷のような轟音を発し、どんな的でも命中した。そこで領主の種子島時尭は大金を出して二挺を買い取った。よく知られる鉄砲伝来の経緯である。

その後、鉄砲は日本国内で製造されて急速に普及し、戦国時代の戦い方を一変させていく。日本の歴史に転機をもたらした鉄砲伝来は、倭寇の密貿易ネットワークによって可能になった。

のちに王直は、郷里の母と妻子を人質に取った明政府に投降し、殺された。2001年、五島列島の福江市(当時)の商工会議所が安徽省にある王直の荒れ果てた墓を整備し、日中友好の先駆者として顕彰碑を建てた。ところが2005年、南京師範大学の教員ら二名が墓碑の王直の名と顕彰碑の一部を削り取るという出来事があった。

保護主義への教訓


教師は、王直は日本の武士、商人と結託して、中国の沿海を荒らし回った漢奸(売国奴)であるからと自己の行為を説明し、中国のネットなどではそうした行為が愛国的として評価されたという。

歴史学者の宮崎正勝氏はこの出来事に触れつつ、倭寇についてこう述べる。

国法に反する「密貿易商人」というとらえ方は、東アジア交易の成長を歴史の前進とみなす歴史評価とは異なる見方であり、「倭寇」という呼称にも権力に抗する者はすべて「賊」と見なすという体制的な歴史観が投影されている。(『「海国」日本の歴史』)

ついに明政府は、弾圧では倭寇を抑えきれないことを悟り、1567年、二百年にわたって実施してきた海禁政策を放棄する。倭寇の元凶とされた日本を除き、海外への出航と貿易を許したのである。これにより、倭寇は終息する。

利益追求の平和的な手段である貿易を禁じれば、暴力的な手段である略奪や戦争をもたらす。倭寇の歴史は、保護主義に傾く現代の世界に教訓を投げかける。

<参考文献>
  • 村井章介『分裂から天下統一へ』(シリーズ日本中世史)岩波新書
  • 村井章介『なぜ、大航海時代に戦国の世は統一されたのか 富と野望の外交戦略』 (NHKさかのぼり日本史 外交篇)NHK出版
  • 川戸貴史『戦国大名の経済学』講談社現代新書
  • 田中健夫『倭寇―海の歴史』講談社学術文庫
  • 池上裕子『戦国の群像』(日本の歴史)集英社
  • 岡田英弘他『紫禁城の栄光―明・清全史』講談社学術文庫
  • 宮崎正勝『「海国」日本の歴史: 世界の海から見る日本』原書房

2020-12-11

コロナ対策のお粗末

総額2兆ドル超のコロナウイルス支援・救済・経済安全保障法(CARES法)で、1人1200ドルの小切手が多くの米国民に送られるはずだった。しかし政府が古い納税者情報を利用したため、小切手は収入減に本当に苦しむ人に届かなかったり、死亡した人に届いたりしている。米国に住んでもいないスウェーデンの市民にまで届いた。

米カリフォルニア州ではコロナ対応で拡大した失業手当を狙った詐欺で、20億ドル以上を騙し取られた。手当を受け取るためのデビットカードを同じ住所に複数枚(数百枚の場合も)送ったケースが多数。働いているとは思えない幼児や百歳以上などの高齢者にも失業手当が払われた。

ロサンゼルス市はコロナ再拡大を受け、外出制限令を出した。ところが多くの例外があり、それらに一貫性がなく、混乱に拍車をかけている。美容室やショッピングモールは営業を続けていいのに、遊園地は休業。保育所やデイキャンプはOKでも、公立・私立学校での対面授業はダメ。

ロックダウン(都市封鎖)や日常生活の規制が再び広がるなか、米国民のメンタルヘルスはすでに過去20年で最悪となっている。ギャラップ調査によると、精神状態が「きわめて良好」と答えたのは34%で、2019年より9ポイント低下。「良好」または「きわめて良好」は85%から76%に低下した。

2020-12-09

中央銀行デジタル通貨の脅威

中国式の社会信用評価システムと中央銀行デジタル通貨(CBDC)が組み合わさるとどうなるか。ウィキリークスのような「悪い」非営利組織に寄付をすると、電車の切符を買えなくなるかもしれない。アダルトグッズを買うと評点が下がり、政府の仕事をもらえなくなるかもしれない。

人々がビットコインなどの暗号通貨を保有するのは、中央銀行デジタル通貨(CBDC)の代替手段としてではない。マイナス金利を押しつけられたり、不換紙幣の価値が下落したりするリスクを避けるためだ。CBDCの導入はそれらのリスクを和らげるどころか、むしろ高めてしまう。

中央銀行デジタル通貨(CBDC)が導入されると、経済は金融緩和という麻薬にますます中毒しやすくなる。経済危機のたびに薬を打たれ、中毒は治りにくくなる。ジンバブエやベネズエラほどではなくても、健康ではなくなる。日銀がもたらした日本の失われた30年を見ればわかる。

金や銀を通貨として使うのを妨げている要因の一つは、政府の税だ。しかし変化は起こりつつある。テキサス、アリゾナ、ユタ、ワイオミングなど米国のかなりの州では、貴金属に対する売上税やキャピタルゲイン課税を廃止し、代替通貨としてドルと対等に競争させる条件を整えた。

2020-12-07

黒人社会と政治

米国の黒人が直面する諸問題への解決策は、黒人社会の中にしかない。政治は解決にならない。フィラデルフィア、デトロイト、ボルチモア、シカゴ、ワシントン、ニューオーリンズなどで黒人は政治的に高い地位にあるが、これらの都市の教育水準、犯罪率、家庭崩壊は全米最悪だ。

黒人住民の多い米メリーランド州ボルチモア市での調査によれば、同市の3804人の高校生のうち、数学に習熟しているのはわずか14人だった。19世紀末から20世紀半ばは、今より黒人は貧しく、差別も激しかったが、サーグッド・マーシャル最高裁判事ら優れた人物を輩出していた。

米天文学協会の会員のうち82%は白人で、黒人は2%しかいない。物理学の学士号を得る黒人は3%だけだ。科学分野に黒人が少ないのは人種差別とは関係がない。原因は学力だ。高校を卒業しても数学の最低限の習熟度にも達していなければ、理系の高報酬のキャリアに進むのは難しい。

人は情報を得るのにかかるコストを節約しようとする。ドアを開けて虎がいたら、急いで逃げる。その虎に関する詳しい情報に基づいてではない。虎は凶暴だと決めてかかっている。人も同じだ。黒人や女性というたやすく得られる情報は、一部の人にとっては意思決定に十分なのだ。

2020-12-06

インカ帝国はなぜ滅びたか

国際的な考古学者のチームはこのほど、南米ボリビアとペルーにまたがるチチカカ湖で水中調査を行い、500年以上前に沈められた石箱を発見した。ナショナルジオグラフィックの記事によると、箱には、インカ帝国の貴族が腕にはめたブレスレットとみられる金の円筒などが入っていた。


インカ帝国はペルー南部のクスコを中心に、15世紀から栄えた国だ。全土に道路網と宿駅制度を設けてコロンビアからチリ中部に及ぶ広大な地域を支配し、各地に巨大な石造の神殿や要塞を建設した。皇帝は太陽の子とみなされ、絶大な宗教的権力を振るった。

インカ帝国はしかし、スペイン人の侵略によりあっという間に滅びてしまう。1532年11月16日、スペインの征服者ピサロはペルー北部の高地カハマルカの戦いで、インカの皇帝アタワルパを捕らえる。アタワルパがピサロに処刑され、帝国が滅亡したのは8カ月後のことだ。

栄華を極めた帝国がなぜ、もろくも崩れ去ってしまったのだろうか。

2020-12-05

不屆きな會員

本協議會〔國語問題協議會〕の設立に盡力された福田恆存氏の『私の國語教室』を初めて讀んだのは、高校生の頃だつたと思ふ。理路整然とした漢字制限批判・現代假名遣批判に感銘を受けた。大學を卒業し、新聞記者になつた頃、福田氏に師事した英文學者・評論家、松原正先生(故人)の熱心な讀者になつた。けれどもこの頃はまだ、自分が正漢字・正かなで文章を書いてみようといふ氣はなかつたし、その機會も手段もなかつた。

その機會と手段を整へてくれたのは、インターネットの普及である。仕事で海外赴任中だつた二〇〇〇(平成十二)年、「地獄の箴言」といふホームページを手作りで開設し、正假名遣ひと技術的に可能な限りの正漢字で、國語問題や文化、思想を題材にエッセイを書き始めた。ちなみに「地獄の箴言」といふタイトルは、松原先生の著作で知つた英國の詩人、ウィリアム・ブレイクの作品から取つてゐる。

その後、松原先生と親しく接する機會をいただき、その御縁で、本協議會に入れていただいた。協議會の初代理事長が勤務先の大先輩、小汀利得氏だつたことにも何か縁を感じた。協議會では會員の皆樣と樂しく交流し、ホームページやブログ開設のお手傳ひもできた。

二〇一〇(平成二十二)年、新たに「自由の騎士が行く」(今は「自由主義通信」に改稱)といふブログをこれも正字・正かなで始めた。以前から共感を抱いてゐたリバタリアニズムの思想を前面に押し出したものだ。

リバタリアニズムは「自由至上主義」などと譯されるが、要するに民間の活動に政府が介入することを極力退けようとする考へである。ここでは詳しく述べないけれども、昨年、慶應義塾大學教授の渡邊靖氏が『リバタリアニズム――アメリカを搖るがす自由至上主義』(中公新書)といふ本を出してゐるので、興味のある方は讀んでほしい。

國語問題も、元をただせば、民間の文字表記に對する政府の要らざる介入から起こつたものだ。

さて、それでは私は今現在、ブログを正字・正かなで書いてゐるかといふと、恥づかしながらさうではなく、途中から新字・新かなに切り替へた。これについて申し開きをしておきたい。

最大の理由は、檢索されにくいことだ。ネット上に公開した文章を多くの人に讀んでもらふためには、グーグルをはじめとする檢索エンジンで探しやすくなつてゐる必要がある。殘念ながら正字・正かなではその可能性が小さくなつてしまふ。加へて、正字・正かなを見ただけで拒絶反應を示す讀者の存在も、考慮せざるをえない。

また、ブログで書いた文章を本にしたい氣持ちが強まり、電子書籍化したことがあるのだが、表記を新字・新かなに變換する際に變換ミスが多發した。このときは自費出版だつたが、運よく商業出版できさうな場合、表記の變更は必至で、變換ミスを修正する手間は馬鹿にならない。その後どこからも出版の話は來てゐないのだが、これもブログで正字・正かな表記をやめるきつかけになつた。

最近、『三浦老人昔話』など岡本綺堂のいくつかの作品が中公文庫から正かなで出版されてゐる。すばらしい試みだと思ふ。けれども綺堂と違つて無名ライターの私の場合、正かなで出版させてくれる殊勝(無謀?)な版元が現れるとは考へにくい。

そんなわけで、今のブログ「自由主義通信」は志に反し、新字・新かなで書き連ねてゐる次第である。せめてもの罪滅ぼしに、自己紹介欄だけは以下の内容を正字・正かなで書いてゐる。

「木村貴(きむら・たかし) 一九六四年熊本縣生まれ。新聞社勤務のかたはら、歐米の自由主義的な經濟學や政治思想を獨學。經濟、政治、歴史、文化などをテーマに個人で著作活動を行ふ。現在、關聯會社勤務」

最近は協議會の催しもさぼつてばかり。まことに不屆きな會員ではありますが、今後ともどうぞよろしくお願ひいたします。

(國語問題協議會會報「國語國字」第二一四號に寄稿。ブログの自己紹介は現在一部更)

2020-12-04

社会主義の不合理

オーストリアの経済学者ミーゼスは1920年の論文で社会主義が本来不合理であることを示した。社会主義者で経済思想史が専門のロバート・ハイルブローナーはベストセラー『世俗の思想家たち』でミーゼスを無視。だが1990年、ソ連崩壊に直面し「ミーゼスは正しかった」と認めた。

マルクスにとって分業とは諸悪の根源だった。人を仲違いさせ、階級格差を生み、人類の団結を破壊する。しかし実際には分業は、人に集団的な画一性を強いることなく、社会の統合を促す。人や地域には違いがあることを認め、人間の根源的な条件を直視して最善の解決法を探る。

インターネットの発達とともに、社会の変化はボトムアップで起きつつある。この事実はアダム・スミスの市場経済思想に合致し、エドマンド・バークの反革命思想にも通じる。国民国家の命脈が尽きるとともに、トップダウンの革命という大いなる実験は終わりを迎えるだろう。

もし政府が国債の元利保証をしなければ、人は国債を買うはずだったお金を消費に使うか、生産に回すかのどちらかだろう。なぜこれら二つの選択肢は、政府の官僚にお金を使わせるよりも、経済にとって悪いことだと言えるのか。ケインズ経済学はこの問いに答えることができない。

2020-12-03

危機をもたらしたもの


「コロナ危機」という言葉を毎日のように各種報道で目にする。しかし正確には、その多くは「コロナ対策がもたらした危機」のはずだ。

日本経済新聞の連載記事「コロナと資本主義」は、ベーシックインカム(最低所得保障)制度を取り上げ、世界の動きについてこう書く。「コロナ危機で若者や非正規雇用など経済的な弱者が深刻な痛手を被り、新たなセーフティーネット(安全網)として導入を模索する動きが相次ぐ」(太字は引用者)

この「コロナ危機」も、正確には「コロナ対策がもたらした危機」のはずだ。コロナ対策のやり方は国によって異なるが、欧米などで中央・地方政府によるロックダウン(都市封鎖)の強制が経済に深刻な打撃を与え、そのあおりで経済弱者が解雇や失業の憂き目を見ている。

日本では建前上、強制力のある措置は採られていない。営業時間の短縮やイベント開催の自粛を都道府県知事が事業者に「要請」し、従わない場合は「指示」できるにとどまり、指示に罰則はない。それでも公権力を背景とした指示は、事実上の強制力を持つと言える。

「コロナ危機」以外にも、メディアが「コロナ対策の影響」とはっきり言うべきところを「コロナの影響」としか言わないのは、単に文字数の節約のためだけとは思えない。コロナ対策が経済に打撃を与え、経済弱者を苦しめているとしたら、当然、政府の責任を問い、対策の見直しや中止を求めるのが筋だ。しかしそれは、政府のコロナ対策を基本的に支持するメディアの立場に反し、都合が悪い。

政府自身の政策が危機を引き起こしているのであれば、ベーシックインカムなど新たな政策を持ち出す前に、効果に疑問のあるコロナ対策そのものをまず見直すべきだろう。

2020-12-02

マスク着用という儀式

病原菌の多くは目に見えず、謎めいているため、歴史上、伝染病の予防は儀式的な振る舞いに頼ってきた。同意しない者は他人の健康まで脅かすとされた。現代でも、公の場でのマスク着用は自他をコロナ感染から守る証拠がないにもかかわらず、団結の名の下に支持されている。

政府のコロナ感染症対策で人の命が救われるとき、必ずその引き換えに、経済・社会への悪影響などで犠牲になる人がいる。これでは「公共善(common good)」の促進とは言えない。公共善とはその名のとおり、国民全員に共通の(common)善でなければならないからだ。

人間生活の社会的側面はそれなしで済む贅沢品ではなく、人間生活そのものだ。休日の家族での食事、教会での礼拝、結婚式はもちろん、日常のありふれた付き合いでもそうだ。人がコロナ禍を乗り切る方法は自由でなければならない。自分しか知らない身近な情報はその武器になる。

フランスは欧州で最も厳しいロックダウン(都市封鎖)を長く続けているにもかかわらず、コロナによる百万人あたりの死者数は急増している。チェコも同様で、世界でも最も速いペースで死者が増えている。他の東欧諸国も同じく死者が増えているが、ロックダウンはチェコほど厳しくない。