2018-08-31

ホロコーストの教訓

麻生太郎副総理兼財務相がナチス・ドイツの独裁者ヒトラーを例示して「動機が正しくても駄目だ」と発言、撤回したことが問題となっています。

社民党の又市征治幹事長は「ナチス・ドイツの独裁者をひきあいに政治家の心構えを説くのは言語道断であり、断じて許されない」と批判。共産党の志位和夫委員長は「動機が邪悪だったからこそホロコースト(ユダヤ人大虐殺)という残虐な結果が引き起こされた」と指摘しました。

撤回は正しいし、批判ももっともです。しかし、与野党の政治家がホロコーストの真の教訓を理解しているかは疑問です。

恐ろしいホロコーストを引き起こした要因はいくつかありますが、その一つは経済的な成功者に対する嫉妬心です。

近代欧州の夜明け、フランス革命が起きて王政が壊されると、それまでゲットー(特別居住区)に隔離されていたユダヤ人が解放され、市民権を与えられます。その中から一気に社会的上昇を果たし、資本主義の先頭に立つ者が多数出てきます。

「これがキリスト教徒にはまったく面白くないんです」と歴史学者で東大教授の石田勇治氏は指摘します。「やつらに市民権を与えなければよかった」と声が上がります。ヒトラーはそうした大衆の嫉妬心に付け入ってユダヤ人差別を煽り、政治的支持を獲得していったのです。

2015年、ホロコーストをテーマとしたドキュメンタリー映画『SHOAH ショア』(クロード・ランズマン監督)が日本で20年ぶりに再上映され、東京都内の映画館に観に行ったことがあります。4部構成で計9時間27分にも及ぶ大作で、加害者側、被害者側それぞれの当事者に膨大な聞き取りを行い、大虐殺の実像を浮かび上がらせます。

第2部で印象的な場面があります。大虐殺を生き延びたユダヤ人男性が、かつて滞在したポーランドの村を訪ね、住民たちと再会。カトリック教会の前で男性を囲んだ村人たちに、映画スタッフが「ユダヤ人はなぜあんな目にあったと思いますか」と尋ねると、ある女性がこう答えます。「金持ちだったから」

ホロコーストを擁護する発言とはいえません。それでもナチス・ドイツが大虐殺を決断・実行した背景に、経済的に成功したユダヤ人に対する大衆の嫉妬心があったことを十分うかがわせます。

野党の左派政党は福祉の財源として富裕層に対する課税強化を訴えます。政府・与党はタックスヘイブン(租税回避地)を利用した富裕層の税逃れを非難します。そこに大衆の嫉妬心への迎合がないとは思えません。

ヒトラーが悪だと本当に信じるなら、嫉妬心という危険な炎を煽る政治を続けることはできないはずです。(2017/08/31

さらば、官僚たちの夏

戦後日本が奇跡的な経済復興を遂げたのは、通商産業省(現経済産業省)のすぐれた産業政策のおかげである——。1980年代、米国際政治学者チャルマーズ・ジョンソン氏によって唱えられたこの説は、今でもかなり信じられているようです。しかし、それは根拠の乏しい神話でしかありません。

1960年代、通産省は自動車産業の再編をもくろみました。日本が先進国として経済協力開発機構(OECD)に加盟するには海外からの直接投資を自由化しなければならない。しかしそうすれば、米国のゼネラルモーターズ(GM)やフォード・モーターなどの強大な自動車会社が日本の下位メーカーを買収して国内に拠点を築き、いずれ国内自動車会社は米国のメーカーに吸収合併されてしまう。それを防ぐため、直接投資の自由化前に国内の自動車会社はトヨタと日産グループに統合しておく——。これが通産省の構想でした。

ところが通産省の意図に反し、ホンダやマツダなどの下位メーカーが抵抗して再編が進まず、自動車産業では10社体制が長らく維持されました。その結果、国内市場で厳しい競争が維持され、かえってその後の日本の自動車産業の発展に大きく寄与したのです。寡占体制だった米自動車産業が衰退したのと好対照です。

ジョンソン氏はこうした事情を無視して「通産省の産業政策ゆえに、日本の自動車産業は発展した」と日本の産業政策を賛美しました。これに対し経済学者の小宮隆太郎氏(東大名誉教授)は「通産省の存在にもかかわらず、日本の自動車産業は発展した」と正しく反論しています(八代尚宏『新自由主義の復権』、中公新書)。

誤った「通産省神話」を広める助けとなったのは、1975年に刊行された城山三郎氏の小説で、テレビドラマにもなった『官僚たちの夏』(新潮文庫)です。「ミスター通産省」と呼ばれた元事務次官の佐橋滋氏らをモデルに、高度成長期の通産官僚たちの「奮闘」を描きました。独断専行型の佐橋氏(作中では風越信吾)を突き放して描いた部分もありますが、佐橋氏らが推し進めようとした官主導の業界再編を賛美した面があるのは否めません。

佐橋氏は1993年に亡くなり、佐橋氏の右腕でフランス流の官民協調経済を唱えた両角良彦氏(元通産事務次官、作中では牧順三)も今月97歳で死去しました。しかし佐橋氏らの時代、すでに批判されていた市場経済への介入はなくなるどころか、東芝に米原子炉大手ウエスチングハウス(WH)の買収を勧め、現在の経営危機を招くなど、ますますはびこっています。もういい加減に、時代遅れの「官僚たちの夏」に別れを告げるときではないでしょうか。(2017/08/31

2018-08-30

不思議の国の通貨

個人が自らの仮想通貨を発行できる「VALU」で人気ユーチューバ-、ヒカルさんの仮想通貨の価値が高騰後に暴落する騒動が起きました。この騒動、仮想通貨と本物のお金の違いについていろいろと考えさせられます。

まず、当たり前のことかもしれませんが、仮想通貨の世界では、通貨の価値が下がると、それを持っている人は損をしたことに怒ります。ヒカルさんらが高騰した自身のVALUを一気に売り出し急落したことで、利用者から「不当」と批判が殺到しました。

次に、仮想通貨の世界では、発行者は通貨の価値を高めようと努力します。通貨の価値が下がったときは、利用者から見放されないよう、最善の努力をします。ヒカルさんは自分のVALUを買い戻し、謝罪コメントもツイートしました。

北欧のエストニアは国家レベルで初めて、独自の仮想通貨「エストコイン」を発行し資金調達する新規仮想通貨公開(ICO)の検討に入ったそうです。発行後は民間の仮想通貨のように、価値が下がらないよう努力することでしょう。

さて一方、本物のお金の世界です。通貨の価値が下がっても、それを持っている人は怒らないどころか、損をしたことにすらほとんど気づきません。物価が上がることは通貨の価値が下がることを意味しますが、むしろ良いことのように信じられています。

発行者である中央銀行も、通貨の価値を高めようとするのでなく、逆に引き下げようとします。日銀は年2%の物価上昇目標を掲げていますが、これは円の価値を毎年2%ずつ引き下げるのと同じです。もちろん実現しても日銀総裁が謝罪したりしないでしょう。

仮想通貨は何か得体の知れないもののように思われていますが、以上の比較からは、本物のお金よりよほどまともに思えてきます。本物と信じられているお金のほうこそ、じつは不思議の国の奇妙な通貨なのかもしれません。(2017/08/30

民主主義と独裁の間

政府に腐敗がはびこる理由
大きくて強い政府にあこがれ、権力者への道を選ぶ人々。彼らはエゴが肥大し、誰よりも物を知っているとうぬぼれ、自分の考えを他人に無理強いすることをためらわない。政府に腐敗がはびこるのは、ノーベル賞経済学者ハイエクが述べたように、人間のくずが一番出世するからだ。
Poverty Is No Mystery - LewRockwell

棄権という選択
選挙で投票しないことを恥じてはいけない。投票の権利とは、誰にも投票しない権利、つまり棄権を含む。国民は棄権によって「大統領なんかいらない」という意思を表明しているかもしれない。棄権は投票と同じくらい重要な意味がある。どちらも国民の選択を明らかにするからだ。
The Cost of Politics - The Libertarian Institute

民主主義と独裁の間
スターリン、ムッソリーニ、ヒトラーは皆、自分は世界一民主的だと公言した。偏狭で取るに足らない一部の個人的な利益を押さえつけ、労働者、民族、人種全体の真の利益を尊重するからだという。民主主義は多数決を原則とするから、政府の目的が正しいかどうかを判断できない。
The Dangers of Totalitarian Planning, Past and Present - The Future of Freedom Foundation

アイデンティティ政治の行方
性別、人種、民族、性的指向など特定集団の利益を代弁するアイデンティティ政治の推進者によれば、人間は個人としての幸福を求めてはならない。どの人種、性、社会階級に属するかによって、自分は何者であるか、どう生きるべきかが決められる。言論の自由に存在の余地はない。
Totalitarian Planning Dangers, Past and Present - Foundation for Economic Education

2018-08-29

体制転換とミサイル危機

北朝鮮の核・ミサイル開発をめぐり、緊張が続いています。29日朝も北朝鮮が発射したミサイルが日本上空を通過し、政府は北朝鮮を非難しました。

しかしそもそも、北朝鮮はなぜ核・ミサイル開発に固執するのでしょうか。それを理解することは問題解決の手がかりになるはずです。

結論からいえば、北朝鮮が核・ミサイル開発をあきらめようとしないのは、超大国やその同盟国による力づくの「レジーム・チェンジ(体制転換)」、つまり今の金体制の転覆を防ぐために有効だと信じているからです。それには歴史的実績の裏付けがあります。

1959年のキューバ革命で同国が社会主義国となったことに衝撃を受け、米政府は国防総省と中央情報局(CIA)が主導し、武力侵攻で革命政権の転覆を図ります。1961年4月のピッグス湾事件です。この企ては失敗しますが、翌年キューバは米国による体制転換を防ぐため、ある手段を選択します。ソ連のミサイルを自国に配備することです。

これにより米ソは激しく対立し、核戦争まで懸念されますが、からくも妥協が成立し、戦争は回避されます。キューバ危機と呼ばれる歴史的事件です。

米教育団体、自由の未来財団理事長のジェイコブ・ホーンバーガー氏はこう指摘します。「もしペンタゴン(国防総省)とCIAがキューバの体制転換を試みなかったら、キューバはソ連のミサイルを配備する必要など感じなかっただろう。ペンタゴンとCIAによる体制転換の企てこそがキューバ危機をもたらした」

経済・軍事力に乏しい第三世界の国々の支配者たちがキューバ危機から学んだのは、超大国による体制転換から身を守る最善の手段は、核ミサイルの保有だということです。今の北朝鮮もそう考え、実行に移したのです。

そうだとすれば、北朝鮮に核・ミサイルの開発を思いとどまらせる第一歩は、体制転換はしないと確約することであるはずです。しかし米国はティラーソン国務長官が北朝鮮の体制転換をめざさないと発言する一方で、ポンペオCIA長官が体制転換に前向きな意向を示すなど、腰が定まりません。日本にも主体的な動きは見えません。

北朝鮮政府が国民を圧政で苦しめているとしても、武力による体制転換が良い結果をもたらさないことは、イラクやアフガニスタンで証明されたはずです。

そもそもの原因である体制転換の脅しをやめず、北朝鮮をただ非難し、圧力をかけるだけでは、事態は改善しないどころか、むしろ逆効果でしょう。(2017/08/29

2018-08-27

金密輸と消費増税

経済犯罪が起こると、犯人をただ非難し、司法当局になんらかの対策を求めて話が終わってしまいがちです。しかし経済犯罪は表面に現れた症状にすぎません。症状をもたらした病根を見極め、メスを入れるほうが重要です。

7月3日付の投稿でも取り上げた、日本への金密輸問題があらためて注目を浴びています。ニッケイ・エイジアン・レビュー(NAR)が8月24日に配信した記事「Gold smugglers take a shine to Japan(金密輸業者、日本にほれ込む)」は海外の経済ブログやSNSで紹介され、反響を呼んでいます。

金密輸の背後には、大きく2つの経済問題があります。まず中国人民元の下落不安。中国の富裕層が人民元に対する信頼を失い、財産を国外に逃す手段として金を利用しているとみられます。「デジタルゴールド」の異名を持つ仮想通貨ビットコインが同様の理由で中国で人気となっていることを思い出します。

次に日本の財政問題です。運び屋が手荷物などに隠し、消費税を免れて日本に持ち込んだ金を貴金属店などに持ち込むと、消費税を上乗せした金額で買い取ってもらえるので、消費税分が儲けになります。政府は2014年に消費税率を5%から8%に引き上げましたが、これが金密輸のうまみを増した格好です。

NARが他メディアの報道として伝えるところによれば、消費税率引き上げのおかげで、運び屋への手間賃や空港係員への賄賂を払っても十分儲けが出るといいます。このままさらに税率が引き上げられれば、密輸に拍車がかかることでしょう。

人民元への不信にしろ日本の財政問題にしろ、その責任は政府の拙劣な経済運営にあります。密輸は「悪いこと」かもしれませんが、犯人だけを悪者に仕立て上げれば、問題の本質から目をそらすことになります。

しばらく前のNHK「クローズアップ現代+」で、密輸業者が消費税を逃れていることを指して「私たちの税金が不法にかすめとられている」と表現していました。しかし、一部の者が税金を違法に逃れたからといって、他の人から税金をかすめ取ったことにはなりません(税金を「かすめ取る」のはつねに政府です)。そのような表現で密輸業者への憎しみを感情的に煽れば、増税で国民を苦しめる政府の責任を見失ってしまうでしょう。(2017/08/27

ヘイトスピーチ規制の危険

ヘイトスピーチ規制の危険
政府がヘイトスピーチとは何かを決める権限を持つと、政府に対する批判はすべてヘイトスピーチだとみなすようになる。少数派を守るための法律でも、警察をナチスと非難した人を捕まえる道具に変わりうる。多数派への反対意見を黙らせるための不明確な法律として利用されうる。
The Harms of Hate Crime Laws

起業家が官僚になる時
ダイバーシティをうたうネット企業は創業以来、能力より多様性を重んじてきたわけではさらさらない。従業員に今の政治信条を押しつけたいにすぎない。政治信条で経営判断する道を選んだ企業の行動様式は、もはや起業家ではなく官僚である。GMもIBMもその道をたどり没落した。
PC and the Bureaucratization of the Economy | Mises Wire

官民連携の言論抑圧
米大手ネット企業は政府と多くのレベルで深く関わる。データ収集、監視、兵器開発、人工知能、よからぬ省庁へのクラウドスペース提供など。経済・社会・文化的な力を市場競争からだけでなく、政府とのつながりからも手にする。SNSアカウント閉鎖は政府の言論抑圧と連携する。
The Social Media Purge: Is the Mises Institute Next? | Mises Wire

人を黙らせる言葉
ヘイトスピーチとは、検閲推進派が人に見聞きさせたくないものを何でも表現できる便利な言葉だ。とても柔軟で、だから危険きわまる。マッカーシズムの赤狩り旋風が吹き荒れた1950年代、誰かを黙らせるには共産主義者のレッテルを貼ればよかった。今はそれがヘイトスピーチだ。
I Was Banned for Life From Twitter | The American Conservative

2018-08-26

銀行はなぜ破綻する

信用を失った銀行に預金者が払い戻しを求めて殺到することを「取り付け騒ぎ」といいます。銀行にとってきわめて深刻な事態です。預金の払い戻しに応じることができず、破綻する恐れが大きいからです。

最近では、銀行ではありませんが、カナダ最大の住宅ローン会社、ホーム・キャピタル・グループに取り付け騒ぎが起こって経営危機に陥り、米著名投資家ウォーレン・バフェット氏が救済する出来事がありました。

しかしそもそも、なぜ銀行は預金の払い戻しに応じることができないのでしょうか。たとえば、倉庫会社は顧客から多くの物品を預かっていますが、預かった物品を返すことができず倒産したという話は聞いたことがありません。

銀行と倉庫会社の違いは何でしょう。倉庫会社は預かった物品を必ず倉庫に保管しているのに対し、銀行は預かったお金の大半を貸し出しに回してしまいます。預金者から一斉に預金の払い戻しを求められても、貸したお金は急には返してもらえないので、払い戻しに応じられず破綻するのです。

もし銀行が倉庫会社のように、預かったお金をいつでも返せるように手元に置いておけば、たとえ多数の預金者が一斉に押しかけようと、払い戻せなくなることはないはずです。しかし実際には貸し出しに回して手元にないので払い戻せない。これが銀行が破綻する根本の理由です。つまり自業自得です。群集心理に駆られた預金者が悪いわけではありません。

おそらく金融に知識のある人ほど、この説明に戸惑うことでしょう。求められればすぐに返さなければならない預金を、返してもらえるまでに時間のかかる貸し出しに回す、つまり「短期で借りて長期で貸す」商売は、どの銀行もやっている普通のビジネスだ。それを否定したら銀行業は成り立たないし、経済にも大打撃になる。素人考えはやめてほしい——。こんな反論が目に浮かびます。

しかし「短期で借りて長期で貸す」ビジネスモデルこそ金融危機をもたらす元凶だという指摘は、決して素人考えではありません。金融を知り尽くしたプロが言っています。英国の中央銀行、イングランド銀行の前総裁マーヴィン・キング氏です。

キング氏は著書『錬金術の終わり』(日本経済新聞出版社)で、リスクの高い長期の資産に投資しながら、預金は安全だと装うのは、錬金術に等しいまやかしだと批判します。そのうえで新たな銀行システムのモデルとして、1933年に米国の著名な経済学者らによって提唱された「シカゴプラン」を紹介します。

シカゴプランとは、預金の100%を裏付ける流動資産を払い戻しの備えとして銀行に保有させる案です。実行すれば取り付け騒ぎはなくなり、それが生み出す不安定性も消えるとキング氏は説明します。

世界を金融危機に陥れたリーマン・ショックから来年で10年になりますが、金融緩和などの対症療法ばかりで、根本にはメスが入らないままです。このままでは危機の再来を否定できません。(2017/08/26

貿易戦争の犠牲者

盗んでも使えないもの
米トランプ政権、中国が米国の知的財産権(intellectual property)を「盗んだ」と非難。しかしかりに何かを盗んだからといって、それをうまく使いこなせるとは限らない。そもそも中国政府はどうやって、盗む価値のある知的財産を取捨選択できるのか。中国の役人が経済音痴な他国の役人より賢いとなぜ言えるのか。
China's Alleged 'Intellectual Property' Theft Is Much Alarmism About Nothing | RealClearMarkets

偽りのポピュリズム
ポピュリストは、勤勉で重税にあえぐ中産階級の利益を代表する。トランプ米大統領はロシアや北朝鮮と平和を求める点ではポピュリストだが、保護貿易を進める点ではその正反対。保護主義は政府の力で物の値段を押し上げ、大衆を犠牲に政府と癒着した企業を潤す仕組みだからだ。
Fake Populism - LewRockwell

チリとベネズエラの明暗
ベネズエラが保護主義を採ってきた半面、チリは貿易障壁を劇的に引き下げた。1979年以来、チリ経済の特徴は中南米で最も低い関税率(10%)と非関税障壁がないこと。ベネズエラは貿易を規制し、国営企業の製品を無理やり国民に買わせる。会社設立の期間はチリの4倍以上かかる。
Capitalism: Why Chile Is So Much Richer than Venezuela | Mises Wire

貿易戦争の犠牲者
中国製品に関税をかけると、米国の消費者が購入する製品はいずれ値上がりする。米国民が中国製品を買うのは国産品より安いから。関税のせいで米国民は貧しくなる。中国製の部品に頼る米国の企業も代替品を探すのが難しい。25%のコスト上昇を自分でかぶるか消費者に転嫁する。
Trump's Senseless Trade War with China | Mises Wire

2018-08-25

軍という官僚組織

なぜかあまり意識されないことですが、軍は官僚組織です。昔の日本軍も、今の自衛隊もそれは同じです。一般のお役所同様の悪弊から逃れることはできません。

藤井非三四『陸海軍戦史に学ぶ 負ける組織と日本人』(集英社新書)は、戦前の陸軍・海軍が安全保障という任務を果たすうえでいかに欠陥を抱えた組織だったか、多くの具体例を挙げて明らかにします。

たとえば人事。平時はもちろん、戦時になっても年功序列、学校の成績を重んじ、信賞必罰が実行されませんでした。

海軍で主戦力となった空母機動部隊の司令長官には、航空に暗い南雲忠一ではなく、航空育ちで積極果敢な山口多聞を起用すべきだったと今も語られます。しかし著者によれば「それはまったく無理な話だ」。なぜなら「南雲は海軍兵学校36期、山口は40期、4期も若い者を後任として補職することは、制度的にあり得ないし、当時はそう発想すること自体、妄想として片付けられた」からです。

たとえば組織。陸海軍の連携が取れていなかったことは有名です。陸軍の輸送船団の護衛には海軍が当たりましたが、どちらの指揮官が全体の指揮権を握るかあいまいで、情報の共有も不十分でした。

その結果招いた「信じられないような椿事」の一つが、バタビア沖海戦での同士討ちです。味方である海軍の魚雷誤射により陸軍の輸送船団四隻が沈没し、陸軍司令官の今村均中将が海中に投げ出され3時間漂流したのです。「統一指揮の下に行動すれば、情報を共有することができて、錯誤が避けられる」はずだったと著者は批判します。

旧日本軍の欠点は防衛省・自衛隊にも引き継がれているようです。日経電子版の記事は、南スーダンでの自衛隊の国連平和維持活動(PKO)の「日報問題」について、防衛省が「起きているのは『戦闘』ではなく『衝突』である」と苦し紛れの言い抜けをしたのは、「退却」を「転進」とごまかした旧日本軍と重なると指摘します。

こんな調子でもし有事となった場合、旧軍のような失態を演じないといえるのか。心細い限りです。

民間企業でも、硬直した人事や縄張り意識、都合の悪い事実の無視など官僚的な欠陥が生じる場合はあります。しかし軍などの政府組織と決定的に異なるのは、欠陥を克服できない企業は、満足なサービスを提供できず、顧客から見放される点です。政府の場合、どんなに低劣なサービスでも、顧客である国民から愛想を尽かされる気遣いはなく、殿様商売にあぐらをかいていられます。

これは精神論で解決できる問題ではありません。政府という官僚組織の本質です。だとすれば、予算を増やし軍の規模を大きくしても、安全保障サービスの質がその分高まるといえないのはたしかでしょう。(2017/08/25

2018-08-24

戦前のモラルは高かったか

最近の日本人はルールやマナーを守らない。ゴミをまき散らして帰る行楽客、電車内で子供が騒いでも怒らない甘い親。これらは戦後教育のせいだ。それにひきかえ戦前の日本人はモラルが高かった——。よくあるこんな解説、本当でしょうか。

戦前は今より道徳心が高かったという主張に根拠がないことは、大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど——戦前のマナー・モラルから考える』 (新評論)を読めばわかります。同書は戦前の新聞や出版物を調べ、当時の日本人のモラルの実態を描きます。

たとえば電車内でのマナー。昭和15(1940)年7月5日付読売新聞にこうあります。「集団をなしたハイカーは、とかく群集心理に酔って粗暴に流れがちになります。始発駅の列車や乗換駅で窓から乗り込み荷物を投込む。最近では窓から荷物を投込んで座席をとって置くと、先に乗り込んだハイカーがこれをホームに投出して座りこみ、そのため口論が始まる」

公共の場でのマナーの悪さは駅に限りません。街には人々が捨てたゴミであふれていました。昭和5(1930)年3月25日付同紙で、東京家政学院創設者の大江スミはこう嘆いています。「折角きれいに道幅も広々とつくられた立派な道路を、かの紙屑、蜜柑の皮、竹皮などを捨てて汚す悪習がありますから、これを十分きれいにしなくてはならない」

また俗説と異なり、家庭での子供のしつけは厳格ではありませんでした。明治43(1910)年7月3日付同紙では、ある外国人が日本は「子供の威張る国」だと感想を語ったと記し、こう認めています。「客間と云わず応接室と云わず、一家を子供の横行するに任かせ、来客に供したる菓子を子供の奪い去ることすらある我国のある種の家庭の状を見せしむれば、あるいは『子供の威張る国』という感じを起さざるを得ざる場合あるべし」

日本人を好意的に描いた『東京に暮らす』の著者キャサリン・サンソムも「子どもを叱っている母親を目にすることはめったにありません」と記しました。

著者の大倉氏が批判するとおり、歴史に学ぶには、根拠の乏しい印象論に走らず「過去の事実を正確に、より客観的に、より多角的に把握する」必要があります。「昔はよかった」という幻想に基づいて歴史の全体像を歪めてはなりません。ましてや政府の道徳教育によって、ありもしない「古き良き時代」への回帰を強いられるのは御免です。(2017/08/24

2018-08-23

お金を貯め込むのはけしからん?

稼いだお金を使わないのはけしからん、という主張をよく目にします。稼ぐばかりで使わないとお金が「回らない」とか、稼いだお金は社会に「還元」しなければならない、といった意見です。

しばらく前のニコニコニュースによれば、ツイッターで、同様の考えを持つあるユーザーのこんな意見が反響を呼んだそうです。「お金を使うと対価を貰えたうえで他者に渡り、その他者がお金を使うと対価を、という無限の連鎖こそが経済効果の正体なのだと、いつになったらこの世界の常識が日本に広まり根付くんだろう」

こうした議論でたいてい目の敵にされるのは、お金を「貯め込む」富裕層や大企業です。上記のツイートに対しても「内部留保ばかり貯め込んで社会に還元しない企業がなくらないと無理」という反応がありました。お金を抱え込んで使わないのなら、政府が課税で取り上げ、他の人たちに配ったほうがいいという声さえあります。

そうした考えは昔からありました。一番有名なのは英経済学者ケインズでしょう。ケインズは貯蓄を良くない行いと非難し、低金利で金利生活者を「安楽死」させ、投資は政府がせよと主張しました。

ケインズは今のマクロ経済学の開祖ですから、その主張は上記のツイートの主がいうように、ある意味で「世界の常識」なのは事実です。しかし、それが正しいかどうかは別問題です。

富裕層はお金をすべてタンスにしまうわけではありません。多くの場合、銀行に預けたり株式・社債の購入に回したりします。これらのお金は直接・間接に企業に渡り、企業の投資に使われます。お金を出した富裕層はリスクを負っているのであり、怠惰に過ごしているわけではありません。

今の日本では、企業はお金を投資にあまり使おうとせず、銀行も企業が借りてくれないのでお金を抱えている現実はあります。富裕層のタンス預金も増えています。しかしこれらにも利点はあります。企業や富裕層が物を買わないので物価が上がらず、庶民や貧困層の暮らしを楽にするという効果です。

ケインズの主張に従い、政府が企業や個人が抱えたお金を無理やり取り上げ、公共事業などに使っても、一部の関係業者を一時潤すだけです。

自分のお金は、使おうと使うまいと自由なはずです。金持ちだから、大企業だからというだけでその自由が否定されるのは、おかしなことです。(2017/08/23

2018-08-22

資本主義のDNA

日本人は穏やかな農耕民族なので、生き馬の目を抜くような米国流の資本主義はなじまない——。こんなもっともらしい解説を見かけます。でも、それが正しくないことは、世界に先駆けた先物取引の歴史をみれば明らかです。

「惣(そう)じて北浜の米市は、日本第一の津なればこそ、一刻の間に五万貫目のたてり商ひもある事なり」。江戸時代の大坂の米市場に触れた、井原西鶴『日本永代蔵』の一節です。「たてり商ひ」とは売り手、買い手が立ち会って行う取引。のちに米市場は堂島に移転しますが、北浜はその前身です。

江戸時代の経済の基本は米でした。百姓は毎年、決められた量の年貢を納め、幕府・各藩はそこから消費する分と家臣に禄(給料)として与える分を取り置き、他は換金して武器購入や運営費用に充てました。

こうしたなかで米商人が台頭し、米市場も発展します。大坂で最も有力な商人は淀屋でしたが、他の商人も米相場の変動を利ざや稼ぎのチャンスとみて、「空米(からまい)取引」に乗り出します。空米取引とは、現物として存在しない帳簿上の米を取引すること。つまり先物取引です。

西鶴は、米の作柄を左右する気象に目を凝らして作戦を練り、相場を張る商人の姿を生き生きと描きます。「夕(ゆうべ)の嵐、朝(あした)の雨、日和を見合せ、雲の立所(たちど)をかんがへ、夜のうちの思ひ入れにて、売る人有り、買ふ人有り」

農耕民族うんぬんの俗説とは異なり、日本人に脈々と受け継がれる、利にさとい資本主義のDNAを示しています。

空米取引の多くは相場に賭ける投機です。投機というと眉をひそめる人が少なくありませんが、投機がなければ市場は役に立ちません。取引量が増えないので売りたいときに売れず、買いたいときに買えないからです。

空米取引は幕府自身が米を売りたいときに売るのに必要なのに、幕府は無慈悲にもそれを行なった商人の財産を没収したそうです(赤坂治績『江戸の経済事件簿』、集英社新書)。

日経電子版の記事によれば、自民党農林族の反対などを背景に、米先物の本上場が再び延期されました。昔も今も、政治家は自分がコントロールできない市場を恐れ、憎むのでしょう。(2017/08/22

2018-08-21

デフレは本当に悪いのか

いまさらですが、デフレって本当に悪いのでしょうか。

政府・日銀の公式見解では、デフレ(物価が毎年のように下がること)は経済にとって悪いことだとされています。でも、現実に照らして考えるほど、納得できなくなります。

たとえば、昨日配信された日経電子版のこの記事(「物価抑える格安スマホ」)です。格安スマホのおかげで、家庭の携帯電話通信料が下がっているそうです。それが物価全体に下げ圧力となっています。

今、つい「格安スマホのおかげで」と書いてしまいましたが、デフレが悪だとすれば、不適切な表現ですね。正しくは「格安スマホのせいで」です。格安スマホのせいで物価が上がらないのです。困ったものです。でも、いったい誰が困るのでしょうか。

日銀のホームページにある「5分で読めるマイナス金利」というQ&A形式の解説に、「物価が下がって何が悪いの?」という問いがあります。答えにこうあります。「デフレで物価が上がらないということは、会社の売上げも増えないので、給料も上がりません……」

もっともらしく見えますが、考えれば変です。インフレになってすべての会社の売り上げが増えたとしましょう。するとA社の売り上げだけでなく、A社に原料や部品を売るB社やC社の売り上げも増えますから、A社は利益が増えません。利益が増えなければ給料を上げるのは難しいでしょう。

一方、給料が上がらなくても、物価が下がれば、つまりデフレになれば、その分多くの物を買えるようになります。これを実質賃金の上昇といいます。だったら別にデフレでもいいのではないでしょうか。

米国で資本主義が急速に発展し、「金ぴか時代」と呼ばれた1870〜80年代、物価はほぼ一貫して下落しました。つまりデフレでした。

三菱UFJインターナショナルのエコノミスト、ブレンダン・ブラウン氏によれば、当時の物価下落率は1870年代が年3〜4%、80年代が同1〜2%でした。その結果、80年代には1人あたり実質賃金の伸び率がおよそ年4%にも達します。製品改善を考慮した現代流のヘドニック法で計算すれば、物価下落率はさらに大きくなるといいます。

日銀は2%の物価目標をあくまで掲げ続けています。しかしその目標がいつか達成されたとして、そのとき私たちの暮らしは今より豊かになっているでしょうか。(2017/08/21

2018-08-20

財産権がアフリカを救う

市場経済の基礎は個人の財産権です。自分の物でなければ、それを自由に加工したり、他の人に売ったりできないからです。しかし世界には、まだ財産権が確立していない地域もあります。その典型はアフリカです。

米ジョージ・メイソン大学人文研究所が運営するウェブサイト、ラーン・リバティの記事によると、アフリカでは多くの場合、政府が法的には土地を所有しています。ところが一方で、地域住民が慣習法に基づいてその同じ土地を所有するケースが少なくありません。そこでは酋長などの伝統的リーダーが部族や移民に土地利用の権利を割り振ります。

政府は慣習法に基づく土地所有を登記するよう求めますが、住民の多くは登記をしません。手続きが複雑なうえ費用がかさむからです。その結果、田舎の住民は多くの場合、土地に対する財産権が不確かです。このため人々は投資で農業の生産性を高めようとしません。所有をめぐってしばしば他人と争いとなり、暴力沙汰になることもあります。

しかし最近、この状態の改善をめざす民間企業が登場しました。ガーナで活動するランドマップという会社で、全地球測位システム(GPS)機能付きスマートフォンを使って農地の区画図を作り、隣接地主の了承も得たうえで、比較的低コストで所有証明書を作成するのです。

この証明書があれば、農民は借り入れや商品会社との契約がしやすくなる利点もあります。「ランドマップ社はアフリカの政府ができないことをやろうとしている」と記事の筆者、キャロル・ブードロー氏は述べます。信頼できる区画図を作り、正当な土地所有権を手頃な値段で証明する仕事です。

ペルーの経済学者で開発援助に詳しいエルナンド・デ・ソト氏は「財産の所有権がまともに認められないせいで貧困にあえいでいる人が世界各地に5億人いる」と指摘します(ドン・タプスコット他『ブロックチェーン・リボリューション』、ダイヤモンド社)。財産権を分散システムで記録するブロックチェーンも、政府に代わる解決策になるかもしれません。(2017/08/20

2018-08-19

「悪い言論」は規制すべきか

「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」 。言論の自由の原則を端的に示した、仏哲学者ボルテールの言葉です。ふだんは多くの人が称賛する言葉ですが、いざとなるとあっさり忘れ去られてしまいます。

米南部バージニア州シャーロッツビルでの白人至上主義団体と反対派の衝突事件が波紋を広げるなか、影響力のある人権団体、米自由人権協会(ACLU)の態度が議論を呼んでいます。白人至上主義者の言論の自由を強く擁護しているからです。

自由人権協会は、白人至上主義者のジェイソン・ケスラー氏が呼びかけ、今回の衝突事件の発端となった「右派の団結」集会をめぐり、事前にシャーロッツビル市当局が許可を取り消そうとした際、裁判所に不服を申し立て、認められています。当日に州が非常事態を宣言し、集会を中止した後には、ツイッターで「言論の自由の保護が十分でなかった」と指摘しました。

同協会は、トランプ大統領による移民の入国規制やトランスジェンダーの軍入隊拒否に抗議しており、リベラルなイメージを抱く人が少なくありません。それだけに、白人至上主義者の言論の自由を擁護する姿勢は、リベラルな支持者から「なぜシャーロッツビルのナチスを擁護するのか。寄付金を無駄遣いしてほしくない」などと非難を浴びています。

しかし、「左」だけでなく「右」の側にも立つ同協会の態度は、言論の自由の擁護という点で首尾一貫しています。驚くかもしれませんが、同協会は以前から、白人至上主義を掲げるKKK(クー・クラックス・クラン)やネオナチの言論の自由を守れと主張しています。

いくら言論の自由が大切でも、極右や人種差別主義者の言論まで守るのはいきすぎだと感じるかもしれません。実際、米国でも日本でも、ヘイトスピーチの規制を支持する人は少なくありません。リベラルな人ほどその傾向が強いように見えます。

しかし、「悪い言論」に言論の自由はない、規制してよいという考えが広まったとき、言論の自由は本当に守られるのでしょうか。

著書『暴露——スノーデンが私に託したファイル』(新潮社)が邦訳されているジャーナリスト、グレン・グリーンウォルド氏は自由人権協会の姿勢を支持し、こう指摘します

「政府の力を強化してネオナチや白人至上主義の主張を抑え込もうとすれば、裏目に出て、それらの極右運動を逆に強めるだろう。国家による検閲を今日支持する人々は、明日は自分がその標的となる。そのとき防ぐ手立てはもはやない」(2017/08/19

2018-08-18

85年前のマイナス金利

夏休みもそろそろ終盤。子供の自由研究の手伝いに狩り出される時期です。いいテーマが一つあります。マイナス金利です。

日銀が先日、小中学生向け見学会を開いた際、黒田東彦総裁に「マイナス金利について聞きたいのですが」と質問した子がいて、黒田さんが「また別の機会に……」とかわす一幕がありました。どうやらマイナス金利は小中学校でも注目の的です。

さて、マイナス金利は目新しい試みのように思われていますが、この奇抜な政策のアイデアは昔からあり、1930年代に欧州の一部地域で短期間実施されたことがあります。

アイデアを考案したのは、シルビオ・ゲゼルというドイツ出身の実業家・経済学者です。具体的な仕組みは「スタンプ貨幣」で、一定期間ごとにお札に一定額のスタンプを貼らないと使えなくするのです。普通はお金を銀行に預けておくと一定の利子が付きますが、スタンプ貨幣は保有していると逆にコストがかかりますから、マイナス金利と実質同じです。

今から85年前、オーストリアの町ヴェルグルの町長は、世界恐慌のあおりで町が不況に苦しんでいた1932年8月、かねて信奉するゲゼル理論の実践に乗り出します。道路の整備、橋やスキーのジャンプ台建設などの公共事業を始め、当時いた4300人の町民のうち1500人を雇い入れました。そして賃金の支払いのために、労働証明書といわれる地域通貨を発行します。

この地域通貨の特徴は、毎月1%減価するところにありました。月末に減価分に相当するスタンプを町当局から購入して貼らないと、額面を維持できません。

地域通貨はすごい勢いで町を巡り始めます。早く使ってしまえば、スタンプ代を払わなくて済むからです。失業はみるみる解消したといいます。

評判を聞きつけて町を訪れたある学者は、こう記しています。「以前はそのひどい有様で評判の悪かった道路が、いまでは立派な高速道路のようである。市庁舎は美しく修復され、念入りに飾り立てられ、ゼラニウムの咲き競う見事なシャレー風の建物である」(河邑厚徳他『エンデの遺言』、NHK出版 )

この出来事は、今でもゲゼル流の地域通貨を支持する人々から「ヴェルグルの奇跡」と称えられます。しかし、これは奇跡でも魔法でもありません。

贅沢な市庁舎などの描写から見て取れるのは、かつて日本でも起こったバブル景気です。人々に半ば強制的にお金を使わせれば、景気は一時良くなりますが、長続きしません。

オーストリアの中央銀行が紙幣発行の独占権を侵したとして訴訟を起こし、勝利したため、スタンプ紙幣の試みはわずか1年で幕を閉じました。もし中止されなければ、米教育団体ミーゼス研究所の記事が述べるように、やがてバブルの崩壊に見舞われたでしょう。

開始から1年半余りがたった日本のマイナス金利も、日銀自身が警鐘を鳴らす賃貸住宅の供給過剰など副作用が目立ち始めています。自由研究はリスクの指摘を忘れずに。(2017/08/18

2018-08-17

「利益第一」は悪くない

「利益をたくさん出せればうれしいが、それが第一の目標になるとずれていくと思う。最短かつ最効率で利益を得る会社が、人に喜ばれるとは思えない」

著名コピーライターの糸井重里さんが社長を務める「ほぼ日」を株式上場させる際、日経電子版のインタビューで発言し、話題になった言葉です。先日、Yahoo!ニュースが週刊エコノミストと共同制作した記事でも触れられていました。

糸井さんの言葉に共感する人は、ビジネスマンでも少なくないと思います。けれども、別の見方もできます。

資本主義経済で、会社が利益をたくさん出す方法は一つしかありません。お客さんにたくさん喜んでもらうことです。多くのお客さんが、コストを上回る値段でもぜひ買いたいと思い、買って満足するような製品・サービスを提供することです。

だとすれば「利益第一」は同時に「顧客第一」であり、悪いことではありません。良いことです。

「最短かつ最効率で」利益を得ることは、お客さんをその分喜ばせることでもあるので、良いことです。災害の影響で食料品や日用品が不足し、困っているとき、コンビニやスーパーがすばやく営業を再開して商品を売ってくれ、ほっとした経験のある人は少なくないはずです。

糸井さんは日経電子版のインタビューで「どこかにいる獲物を一網打尽に狩って、大もうけしたというやり方は僕らは得意ではない」と話していましたが、そんなやり方で生き残っているまともな会社は一つもないでしょう。会社は一度きりでなく、お客さんに繰り返し喜んでもらわなければ続かないからです。

残念ながら、一部には政府の規制で守られ、お客さんが欲しいと思わないような高い値段、低い品質の製品・サービスを売りつけ、儲けている会社もあります。でも、それは資本主義のルールに反した例外にすぎません。

糸井さんはYahoo!ニュースの記事で「うまくいったら自分たちがちゃんと利益を得て、それを応援してくれるお客さんが一緒に喜べる」と理想を語っています。その理想は資本主義に異質なものではありません。米国の鉄鋼王で大富豪として知られたアンドリュー・カーネギーは「他人の利益を図らずして自ら栄えることはできない」という言葉を遺しています。

糸井さんの「ほぼ日」がたくさん儲かることを祈っています。それはたくさんの笑顔を意味するのですから。(2017/08/17

2018-08-16

GDPのイデオロギー

国内総生産(GDP)といえば、国の経済規模を測る代表的な統計です。その客観性や中立性を疑う声は、一般市民はもちろん、経済の専門家からもほとんど聞かれません。
しかしGDPの計算方法には、考案当時の政治状況を色濃く反映した偏りがあります。その偏りは、現在も経済政策のあり方に影響を及ぼしています。

政府支出は、今でこそGDP(以前は国民総生産=GNP)に含むことが当然視されています。しかし第二次世界大戦前までは、含めないことが自然だと考えられていました。軍事費に代表される政府の出費は国の経済に貢献しないと考えられていたからです。

ところが第二次大戦を境に、旧来の考えが変化します。軍事費を経済に含まない古典的な考えに従えば、経済は縮小したことになってしまいます。政府にしてみれば都合が良くありません。政府支出を含める形にする必要がありました。

英国は、いち早く政府支出を含める方式に決定しました。このとき活躍したのは経済学者ケインズです。ケインズは国の生産に政府の活動を含めない従来の考えを批判しました。

米国でも1942年に商務省が発表した同国初のGNP統計は、政府支出を含めたものでした。これに対し経済学者クズネッツが政府支出を除くよう主張しました。7月16日付「経済統計は政府の仕事か?」でも触れたように、クズネッツは国民の豊かさを測るべきだと考え、軍事費や経済活動の前提にすぎないインフラ整備費を加えるのはふさわしくないと考えたからです。しかし結局、クズネッツは政治的争いに敗北し、政府の考えが勝ちを収めました(ダイアン・コイル『GDP』、みすず書房)。

生産に政府活動を含めるこの考えは、今では世界各国に広がり、当然と思われています。政府が軍備を拡張し、大規模な公共事業を行えば、たとえ生産の向上に役立たなくてもGDPにカウントされ、定義上、経済成長を押し上げます。

GDPは無色透明ではありません。政府の経済介入を是とする「大きな政府」の思想を色濃くまとっています。GDPによって経済を語る際には、このイデオロギーを念頭に置く必要があります。

今年4~6月期のGDPは年率4.0%の高い伸びでしたが、公共投資の大幅増が一因です。数字が示すほど私たちの暮らしは豊かになったのでしょうか。(2017/08/16

2018-08-15

ニクソン・ショックと米社会の分断

46年前の1971年8月15日、ニクソン米大統領はドルの金交換停止を突然発表しました。「ニクソン・ショック」です。当時も国際通貨体制が混乱しましたが、それ以上に深刻な影響は、その後米経済のインフレ体質が強まり、バブルによる格差と社会の分断に道を開いたことです。

ニクソン大統領がドルの金交換停止(対外的な金本位制の停止)に踏み切ったのは、1960年代にベトナム戦争や福祉拡大で大幅な財政赤字を抱え、金との交換を保証できなくなくなったためです。

本来、金本位制とは、通貨の発行量を政府が保有する金の範囲内に抑え、通貨の価値が薄まらないようにする仕組みです。その趣旨からすれば、金が底をついてきたら、政府の支出を削り、通貨の発行を減らすのが筋です。

ところが米政府はそうしませんでした。政府の支出を減らしたくないので、金本位制のほうをやめてしまったのです。これにより米政府は「金の足かせ」(英経済学者ケインズ)から解き放たれ、ドルをいくらでも刷れるようになりました。

米政府は1990年代から2000年代にかけて、中央銀行の連邦準備理事会(FRB)を通じ大量のドルを供給しました。お金を増やすのは経済に良いと考えたからです。一時はそう見えました。米経済は空前の繁栄を謳歌しているように見え、グリーンスパンFRB議長は「マエストロ(巨匠)」と称えられました。

しかし2008年、サブプライム住宅ローン問題を背景とするリーマン・ショックで、バブルに終わりが来ました。失業者が急増する一方で、政府は資本主義の原則を曲げて大企業を救済し、国民の批判を浴びます。FRBは金融危機対応を名目に、またも大量のドルを発行して証券市場を潤しました。「ウォール街を占拠せよ」の叫び声が上がり、労働者と協力関係にあるはずの資本家は「1%」として敵視されます。

米バージニア州シャーロッツビルで先日、白人至上主義者や極右団体のデモがあり、死傷者を出す騒乱となりました。要因はいくつかあるでしょうが、経済格差や貧困への不満、それをめぐる政治対立が底流にあることは間違いありません。

金融情報ブログ、ゼロヘッジによれば、ニクソン・ショック以前は上位1%の所得の伸び率は低く、下位90%の所得の伸び率は高かったのに、同ショックを境に下位90%の所得の伸びが止まり、一方で上位1%の伸びが加速しました。「金の足かせ」を失ったバブル経済では、金融機関など一部業種の収益拡大や株・不動産の売却益、配当などで所得格差が過度に広がるためだとみられます。

ウォール街は株高に沸いていますが、シャーロッツビルの衝突が示す米社会の分断を思えば、経済が健全に発展しているかどうか疑問です。それは同じく「金の足かせ」を捨て去り、未曽有の金融緩和を続ける日本にとっても他人事ではありません。(2017/08/15

2018-08-14

金かビットコインか

北朝鮮情勢をめぐる緊張が高まるなか、新旧の代表的な代替資産が投資家の人気を集めています。伝統的に有事に強いとされる金が買われる一方で、仮想通貨ビットコインも初めて4000ドルを超えるなど堅調です。

金もビットコインも、国境を超えてお金として利用される「無国籍通貨」です。政府・中央銀行による金融政策の圏外にあるため、金融緩和で円やドル、ユーロなど法定通貨の価値が大幅に薄まる場合には、そこから逃れる手段にもなります。

こうした共通点のある金とビットコインですが、相違点もあります。フォーブス・オーストリア版が今年4月の記事で、金と比べたビットコインの長所と短所をまとめています

ビットコインはいつでも誰でも身分証明書なしに口座を作れ、決済が迅速という長所があります(ただし日本は今年4月施行の改正資金決済法により本人確認が必要)。金で決済できる取引はごくわずかしかありません。ビットコインは送金コストも低くて済みます。金と違って貯蔵のコストもかかりません。

一方、ビットコインには、悪意のある集団や個人がネットワーク支配権の過半数以上を握り、不正な取引を行うリスクがあります(51%攻撃)。マネーロンダリング(資金洗浄)対策などで規制が強化される可能性もあります。インターネット、電気、機器なしでは利用できないのも金にはない弱みです。

発行量を制限し金本位制の仕組みに似たところのあるビットコインは「デジタル・ゴールド」とも呼ばれますが、以上の相違点を踏まえると、金とは資産クラスが異なると考えた方がよいと記事は指摘します。

学術研究によれば、運用資産の2〜4%をビットコインに、最大20%を金に割り振るよう推奨されているそうです。地政学リスクが高まり、超低金利の正常化も当面期待しにくいなか、金か仮想通貨かの二者択一ではなく、特色に応じて両者をともに活用するのが賢明なようです。(2017/08/14

2018-08-13

軍産複合体とは何か

アイゼンハワー米大統領は1961年の退任演説で「軍産複合体の影響力が、我々の自由や民主主義的プロセスを決して危険にさらすことのないようにせねばなりません」(豊島耕一・佐賀大名誉教授の訳による)と警鐘を鳴らしました。これが「軍産複合体」という言葉が広く知られるようになったきっかけです。

軍産複合体とは、軍と軍需産業が結びつき、政治や経済に大きな影響を及ぼす体制のことです。その歴史は古くはありません。アイゼンハワー大統領が演説で述べたように、第二次世界大戦中、米国には軍事に特化する産業はありませんでした。ゼネラル・モーターズ(GM)、ゼネラル・エレクトリック(GE)、ダウ・ケミカルといった民需産業が、戦時中に兵器を生産したのです。

専門の軍需産業が台頭したのは、むしろ戦争が終わってからです。ソ連との冷戦に対応するという大義名分の下、「巨大な規模の恒常的な軍事産業を創設」(アイゼンハワー大統領)したのです。

よく誤解されますが、軍需産業は、政府の経済介入を排除する「新自由主義」の産物ではありません。民需産業と違い、消費者の自由な選択に支えられてはいません。軍需産業を支えるのは、税金を原資とする軍の予算です。

アイゼンハワー大統領の警告から半世紀以上、ソ連崩壊による冷戦終結からも四半世紀がたった今、米軍産複合体は衰えるどころか、逆に力を増しているようです。

日経電子版の記事が伝えるとおり、トランプ政権は7月、国防総省や陸軍の重要ポストに軍需産業出身者を多数送り込みました。すでに軍事費の拡大を追い風に、ロッキード・マーチンなど軍需産業の業績は軒並み好調です。そこへ北朝鮮との緊張が加わり、株価も上昇しています。

北朝鮮をめぐっては、同国の核・ミサイル開発と米韓合同軍事演習の同時停止という緊張緩和の道も模索されています。しかし、もし緊張緩和が業績や株価にマイナスなら、軍産複合体がそれを望むとは思えません。

日本では北朝鮮が軍事力をちらつかせると「挑発」、米国の場合は「圧力」と表現し分けるなど、勧善懲悪のわかりやすい構図にあてはめた解説が少なくありません。日経電子版の記事がその一端を明らかにしたように、米朝間の緊張にはもっと込み入った、生臭い背景があるはずです。(2017/08/13

2018-08-12

寛容という困難

多くの人が寛容の大切さを説きます。しかし寛容ほど、口にするのはたやすくて、実行するのが難しい道徳もないのではないでしょうか。米グーグルが「女性差別」とされる文書を書いた男性社員を解雇した問題で、そんな思いを強くします。

英BBCが報じるように、解雇された男性社員のジェームズ・ダモア氏が文書で述べたのは、女性は男性に比べ、物よりも「人間に関心を持つ」ことが多く、「より協力的」で「より心配しがち」な傾向があるという見解です。

この見解は、根拠のない放言などではありません。むしろ脳科学などに基づく現代の科学では、標準的な知見です。進化心理学者で、著書『恋人選びの心』(長谷川眞理子訳)が邦訳されている米ニューメキシコ大学のジェフリー・ミラー准教授は、ダモア氏が「科学的根拠をほぼ正しく理解して」おり、「私たちが何を知っていて何を知らないのかについて、かなり適切に峻別している」と話しています。

それもそのはずで、ダモア氏はグーグル入社前、ハーバード大学で生物学を専攻していたと伝えられています。

一方、BBCの記事は、ダモア氏の見解を批判する文脈で、人の性別をもとにその人の性格を判断しようというのは「まるで手術に斧を使うようなもの」だという学者の発言を引用しています。

しかし、これは的外れです。ダモア氏は解雇の原因となった文書(BBCの記事からリンクが張ってあります)で、わざわざグラフまで付けて、次のように強調しています。「多くの場合、男女の違いは小さく、重なる部分が大きい。だから集団レベルの分布をもとに、個人について判断することはできない」

ダモア氏の見解が絶対正しいといいたいわけではありません。大事なのは、たとえ不快でも、異なる意見を頭から排除せず、耳を傾ける寛容の心を持つことです。それが社会に真の調和と多様性をもたらす第一歩であるはずです。(2017/08/12

2018-08-11

国民の資産が過去最大、ああうれしい!?

「国の借金が国民1人当たり***万円」という表現に腹を立てる人が少なくありません。増税を狙う財務省が、マスコミを通じて的外れな表現で国民の不安をいたずらに煽っているというのです。

財務省が増税をしたがっているのは事実ですし、国の財政状況は深刻だと強調する背景に増税の意図があるのもたしかでしょう。増税はまっぴらです。しかしだからといって、財政が深刻でないわけではありません。同じく「国の借金が国民1人当たり***万円」という表現が的外れだともいえません。

時事通信の報道によると、財務省は10日、国債と借入金などの残高を合計した「国の借金」が6月末時点で過去最高の1078兆9664億円になったと発表しました。7月1日時点の人口推計(1億2675万人)を基に単純計算すると、「国民1人当たりの借金は約851万円になる」といいます。

この表現に対し、ネット上などでいつもの批判の声が上がっています。代表的なのは「国債は政府の借金(負債)で、国民の借金ではない。国民からみればむしろ資産」というものです。

この指摘は間違っていません。政府は国民に国債を売ってお金を借り、国民は政府から国債を買ってお金を貸しています(外国人が約1割を保有していますが比率が低いので無視します)。借りたお金は負債であり、貸したお金は資産です。

しかし問題は、借りたお金を政府がどうやって返すかです。企業であれば、社債を売って借りたお金はさまざまな事業で稼いで返します。けれども政府の場合、収入を得る方法は実質一つしかありません。国民への課税です(お金の発行によるお金の価値の下落という「見えない税」を含みます)。

普通の資産なら、増えればうれしいものです。しかし、国債残高が過去最大になり、国民の資産が増えたと躍り上がって喜んでいる人は見当たりません。財務省やマスコミに騙されているからでしょうか。まさか。国債という資産が増えるほど、将来払わされる税金が増えることを知っているからです。

国民1人当たり約851万円という数字は、形式的には政府の借金でも、実質的にその借金を払うのは国民ですから、国民の借金と呼ぶのは的外れではありません。

もし野放図に政府の借金を膨らませた政治家や官僚、そこから利益を得た一部の人々だけが返済の義務を負うのなら、国民1人当たりの額など気にしなくてよいでしょう。しかし残念ながら、ツケを払うのは、何の責任もない将来世代を含むすべての国民です。その理不尽に対する怒りを忘れないために、「国民1人当たりの借金」報道は必要です。(2017/08/11

2018-08-10

根拠なき金融政策

日銀が追加緩和を決めた2014年10月以降、一貫して反対票を投じた少数派として知られる前審議委員、木内登英氏の発言が話題になっています。

木内氏は日経QUICKニュース社(NQN)のインタビューで、日銀が掲げる2%の物価目標について「それが2%であることの根拠はこれまで何一つ示されてこなかった」と批判しています。

これには異論も出ていますが、木内氏の見方が正しいように思われます。

黒田東彦日銀総裁は2014年3月20日、日本商工会議所でその名もずばり、「なぜ『2%』の物価上昇を目指すのか」と題する講演を行い、大きく3つの理由を挙げています。(1)消費者物価指数の上方バイアス(2)金利引き下げ余地の確保(3)グローバル・スタンダード--がそれです。

(1)は、消費者物価指数には上昇率が高めに出る傾向(上方バイアス)があるので、前年比で物価安定の目標を示す場合には、「ある程度プラスの値にする必要がある」というものです。

しかし、「ある程度」と表現されているだけで、それがなぜ2%かという説明はありません。

(2)は、プラスの物価上昇率を維持することで、金利引き下げ余地(のりしろ)を確保し、 景気悪化への金融政策の対応力を高めるというものです。ここで黒田総裁は「例えば、潜在成長率が1%、物価上昇率が2%であれば、景気に中立的な金利水準は3%となります。この場合、景気悪化に対して、金利引き下げにより景気を刺激する余地がそれだけあるということになります」と説明しています。

しかし総裁自身が言うとおり、これはあくまで「例えば」の話です。なぜ2%かの説明はやはりありません。

(3)は、海外の中央銀行の多くが、以前から2%を目標とする政策運営を行っているというものです。黒田総裁は具体例として英国、カナダ、ニュージーランド、米国、ユーロ圏などを挙げています。

どの国もそうだからというのはなんとなく説得力がありますが、論理的な根拠とはいえません。実際海外でも、2%の根拠はあやふやだと批判されています。「グローバル・スタンダード」がつねに正しいとは限らないのです。

もし日銀のいう2%の「根拠」が、ここで黒田総裁が挙げたものだけだとすれば、木内氏の言うとおり、実際には根拠は何も示されていないといわざるをえません。根拠なき金融政策はいつまで続くのでしょうか。(2017/08/10

2018-08-09

「雇用維持」が労働者を不幸にする

官民ファンド、産業革新機構のお粗末なベンチャー投資実績が明らかになった矢先、同機構の支援を受けて経営再建中の液晶メーカー、ジャパンディスプレイ(JDI)が4千人規模の人員削減を検討していることがわかりました。

大胆な経営判断などとほめる人はいないはずです。設立5年、前期まで3年連続で最終赤字に陥っているにもかかわらず、抜本的な構造改革に踏み切るのはこれが初めてなのですから。遅すぎたというべきでしょう。

日経電子版の記事で、決断が遅れた背景には官主導の経営体制があると指摘しています。1年半近く前の2016年3月にJDIが国内外の工場の一部停止や早期退職の募集を実施した際、経済産業省が「待った」をかけたそうです。雇用拡大を掲げる安倍政権の経済政策への批判を恐れたためです。

もしこのとき雇用維持にこだわらず、改革に着手できていたら、今ごろはもっとましな経営状況になっていたかもしれません。しかし政府の圧力で先延ばししたために、外国勢との競争が厳しさを増すなか、結局、大幅な雇用削減に追い込まれたのです。

どの国でもたいてい、政府は雇用の維持・拡大を政策に掲げ、経済合理性に基づく人員削減に反対します。それは短期では労働者にとって救いかもしれません。しかし長期ではむしろ労働者を不幸にします。

経済合理性に基づかない企業活動は決して長続きしません。職を失うのはつらいことですが、そのタイミングが遅れるほど、新しい職探しは難しくなります。

JDIの4千人規模の人員削減は海外が中心で、国内は250人程度の早期退職募集にとどまるといいます。いまだに政治的な配慮を感じないでもありません。官主導の経営体制が変わらない限り、真の改革は難しそうです。(2017/08/09

2018-08-08

仮想通貨の夢と悪夢

技術革新は人間の暮らしを豊かにする可能性を秘めています。しかし、悪用されれば逆に災いをもたらします。

たとえば航空技術の場合、1903年にライト兄弟が世界初の本格的な有人飛行に成功したわずか約10年後、第一次世界大戦で爆撃機として利用されました。空を飛ぶ夢が、降り注ぐ爆弾という悪夢に転じたのです。

仮想通貨も今、夢と悪夢の分かれ目にさしかかっているようです。

金融情報ブログ「ゼロヘッジ」によると、中国は、仮想通貨ビットコインなどの中核技術であるブロックチェーンを課税に利用する方針を表明しました。詳細は不明ですが、中央銀行である中国人民銀行はすでに独自の仮想通貨を開発し、実証実験に入っており、今回の課税構想と連動しているとみられます。

中国に限らず、英国、オランダ、カナダなど中央銀行がみずから仮想通貨の発行を検討する動きは世界に広がっています。日銀は仮想通貨発行の具体的計画はないとしていますが、研究は熱心にしているようです。

もともとビットコインなどの仮想通貨は、オープンなコンピューター・ネットワークで運営され、中央集権的な管理主体が存在しないことが特徴とされてきました。しかし実際には、それ以外の方向に発展する可能性もあります。

銀行がクローズドなネットワークで運営する仮想通貨は、銀行が中央で管理主体の役割を果たします。それでも複数の銀行が競争すれば、完全な中央集権にはなりません。

しかし中央銀行が仮想通貨を発行し、通貨市場を事実上独占すれば、究極の中央集権が実現します。中央銀行は、タンス預金に逃げられることなくマイナス金利を実行できるばかりか、個人や企業の経済活動をすべてつぶさに把握できるようになります。

中央銀行がそうした情報を直接利用することはないにせよ、徴税・捜査当局など国から情報提供の要請があれば、公的機関である以上、断れないでしょう。そうなればあらゆるプライバシーが国に筒抜けです。

近未来に現れるかもしれないそのような体制に対し、経済学者の野口悠紀雄氏は、英国の作家ジョージ・オーウェルが小説『1984年』で描いた、全国民の生活を仔細に観察できる全能の独裁者「ビッグ・ブラザー」そのものだと警鐘を鳴らします(『ブロックチェーン革命』、日本経済新聞出版社)。

しかし「Medium」のブログ記事が指摘するように、日本では仮想通貨が非中央集権であることの重要性に対する関心はきわめて薄いようです。仮想通貨の悪夢を私たちは食い止めることができるでしょうか。(2017/08/08

2018-08-07

リスクの間違った取り方

「官民ファンドなんて必要なのか」。産業革新機構によるベンチャー投資のお粗末な成績を日本経済新聞の記事で知った読者の多くは、そう感じたに違いありません。そうした中、民間で取れないリスクを取る使命があるから、損はやむをえないと擁護する意見もあるようです。

記事によると、官民ファンドである革新機構は、ベンチャー投資事業でこれまでに全株を手放した23件のうち元が取れたのは4件どまり。けれども、これに対して革新機構には言い分があるようです。

志賀俊之会長は「『負け』が増えたのは反省だ」と認めつつも、創業間もない企業の支援で民間よりリスクを取っていると弁明しています。

日本は超低金利なのに、企業や金融機関がリスクを避けるのは問題だという考えもあるようです。そうだとすれば、官民ファンドはあっていいということになります。

しかし、これらの弁明や考えは正しくありません。なぜなら、リスクは取ればいいというものではないからです。

民間企業はやみくもにリスクを取るわけではありません。つねにリターンとの見合いで考えます。見合うだけのリターンが得られないと考えれば、リスクは取らない。それが正しい経営判断です。

ところが官民ファンドの場合、志賀会長の言う「創業間もない企業の支援」といった大義名分が最優先され、リターンは二の次です。政治家の圧力もあるらしい。しかも失敗しても資金に困らない。これでは損失続きとなるのも当然です。そんなリスクの取り方は無謀でしかありません。

たとえ超低金利でも、リスクに見合ったリターンが得られるとは限りません。そうだとすれば、リスクを避ける企業や金融機関を臆病者呼ばわりするべきではありません。皮肉なことに、民間の慎重な判断が正しいことは、革新機構のお寒い成果から明らかです。

最後に、「政府の仕事は金儲けではないから、損失は問題でない」と考える人もいるかもしれません。ベンチャー投資がそもそも政府のやるべき仕事なのか疑問ですが、もしそうなら、官民ファンドなどという天下りに都合のいい中途半端で不透明な形にせず、純粋な公共事業としてやるべきでしょう。損失は納税者がすべてかぶることになりますが……。

いずれにせよ、官民ファンドはいらないのです。(2017/08/07

2018-08-06

平和の夢、自由貿易の夢

平和への祈りの季節がやってきました。戦争の犠牲者に祈りを捧げ、平和への思いを新たにすることは大切です。しかし、それだけで平和を守ることができないのも事実です。

一部の人々は、平和を守るには軍事力が必要だと言います。国家間の軍事力が均衡することで、互いに相手を攻めにくくなり、そこに平和が生まれるというわけです。

この考えの落とし穴は、軍事力の均衡に客観的な基準はなく、結局はそれぞれの国の主観で判断するしかない点です。かりにA国、B国という2つの国が同じ数の戦車、戦艦、戦闘機を持っていたとしても、人口や経済力、地理的条件などを含めた国力は同じではありえません。

敵を恐れる心理や駆け引きの意図から、どちらの国も自分のほうが劣勢だと主張し、軍拡競争に陥るでしょう。そこから実際の戦争まではわずかな距離です。事実、たとえば第一次世界大戦はそのようにして起こりました。

軍事力に頼るもう一つの問題点は、経済への悪影響です。軍事に人材や資金を投入すればするほど、国民の生活に必要な製品・サービスに回せる人材や資金は少なくなり、その結果、国民は貧しさを強いられます。安全保障の目的は国民の生活を守ることであるはずなのに、本末転倒です。

どうすればよいのでしょうか。かつてその処方箋は明らかでした。自由貿易です。

平和を支えるのが自由貿易であることは、昔は世界の共通認識でした。たとえば1901年、赤十字社創立者のアンリ・デュナンとともに第1回ノーベル平和賞を受賞したフランスのフレデリック・パシーは、自由貿易を熱心に支持する経済学者でした。

そのパシーをはじめ、自由貿易を支持する人々に大きな影響を与えたのは、19世紀英国の政治家で実業家のリチャード・コブデンです。穀物生産を助成し輸入に制限を加える穀物法に対する反対運動を繰り広げ、廃止に追い込んだことで知られます。

自由貿易を行う国が増えると、平和の維持が大切になり、軍事力の使用が減る——。これがコブデンの洞察であり、信念でした。その正しさは、自由貿易が栄えた19世紀後半、世界で大きな戦争がほとんどなかったことで証明されています。

コブデンは1846年の演説で、その信念を語っています。同国のミュージシャン、ジョン・レノンの反戦歌「イマジン」を連想させます。

「自由貿易の成功が人類にもたらす利得の中で、物質的な利益は一番小さなものにすぎません。自由貿易の法則は道徳の世界において、あたかも宇宙における重力の法則のように働きます。人々を親しくさせ、人種・信仰・言語の違いがもたらす敵意を退け、永遠の平和という絆によって結びつけます」

「夢かもしれませんが、遠い未来、自由貿易の力は世界を変え、政府の仕組みは今とまったく違うものになっているかもしれません。強大な帝国も大規模な軍隊もいらなくなるでしょう。人類が一つの家族になり、労働の果実を同胞と自由に交換できるからです。国家は地方自治体のようなものになるでしょう」

コブデンの理想は現代でもまだかろうじて生きており、自由貿易に正面切って反対する政府はごくわずかです。しかし最近は、自由貿易の名の下に、実際には農業への助成など保護主義を推し進めようとする欺瞞が目立ちます。平和を守るには、真の自由貿易を守らなければなりません。(2017/08/06

2018-08-05

政治で社会は変わらない

政治のニュースを読んだり見たりするのは楽しいものです。総理の座をめぐる権力抗争、国会の駆け引きなどのドラマから、誰と誰とが不仲だとかいうゴシップ、たまに飛び出す失言やスキャンダルまで。話題にこと欠きません。

しかし話題が政局や政界を離れ、本業の政策のことになると、たちまちうんざりします。最近だと、補助金とワンセットの貿易政策を誇らしげに自由貿易と呼んでみたり、失業者を増やす最低賃金の引き上げで格差を是正すると主張したり……。政治家が本業さえやらずにいてくれたらどんなにいいことかと、思わずにいられません。

でも昔は池田勇人首相が決めた所得倍増計画のおかげで、日本は高度経済成長を遂げたではないか、と思う人がいるかもしれません。もし政治家が号令をかけるだけで経済が発展するものなら、ソ連は崩壊したりせず、今ごろ経済大国になっていたはずです。

社会を豊かにするのは政治家ではなく、企業家です。高度成長を成し遂げたのは、戦争の焼け跡から立ち上がった企業家たちでした。所得倍増計画が描いたのは日本の重化学工業化ですが、高度成長の実際の主役は洗濯機、冷蔵庫、テレビといった家電製品や自家用車でした。これらは女性の家事の負担を軽減し、家族に新しい娯楽をもたらすという社会変革を起こしました。

今も変わりません。携帯端末、交流サイト(SNS)、ライドシェア、民泊、仮想通貨……。次々と生まれるスタートアップ企業は、想像もしないような形で、社会を便利で豊かにしていきます。むしろ政治は「ルール整備」という名目で変化を遅らせています。

個性あふれる政治家たちが演じるショーは楽しみましょう。せっかく税金を払っているのですから。しかし社会を変えるのは彼らではありません。今この瞬間も世界中でビジネスチャンスをうかがう、多数の企業家たちです。(2017/08/05

2018-08-04

株主資本主義を擁護する

経済問題に対する論評でよく、「株主至上主義」や「株主資本主義」が批判されます。「米国流の株主至上主義は労働者や地域社会を切り捨てる」とか、「株主資本主義は短期の利益ばかりを追い求める」とかいった具合です。

記事にあるように、企業の稼ぐ力を測るモノサシの一つである自己資本利益率(ROE)に対し「従業員など他の利害関係者を犠牲にしてでも株主利益を追求する『株主至上主義』に陥りかねない」という批判もあります。

これらの批判の背景にあるのは、企業の意思決定における株主の発言力を弱め、代わりに従業員や取引先、消費者、地域社会など他のステークホルダー(利害関係者)の発言力を強めなければならないという考えです。しかしそうした考えは、むしろすべての利害関係者を不幸にします。

市場経済において、従業員など株主以外の関係者を大切にすることは、株主の利益に反しません。逆に株主の利益にプラスになります。

たとえば従業員を大切にする企業には、多くの労働者が入社を希望し、優秀な人材を雇いやすくなります。これは株主の利益にプラスです。地域社会を大切にする企業には、多くの地域が立地を求め、事業に適した土地に進出しやすくなります。これは株主の利益にプラスです。

企業は収支が悪化すると、一部の従業員をリストラする場合もあります。リストラされた従業員にとっては不幸なことです。しかしリストラしなければ、企業の経営はますます悪化し、最悪の場合、倒産してしまうかもしれません。そうなればすべての従業員が職を失い、不幸になります。株主も損失をこうむります。株主と従業員の利害は一致しています。

また、この例から、株主が短期の利益ばかりを追い求めるという批判が正しくないこともわかるでしょう。リストラは短期の利益のためというより、むしろ長期の利益のために行うのです。株価は長期の利益見通しを反映して動くので、長期の利益を無視した経営は株価を下落させます。

もし法律で企業統治における従業員の発言力を強化したら、どうなるでしょう。リストラは従業員側の反対でなかなか実行できず、できるころにはすでに手遅れとなる恐れが大きくなるはずです。

株主による経営判断はときに冷たく見えるかもしれません。しかしそれは多くの人々を不幸にしないための、いわば必要悪です。憎まれ役である株主を擁護しようではありませんか。(2017/08/04

2018-08-03

危機は市場が解決する

仮想通貨ビットコインの仕様変更をめぐる動きは、事前に「分裂危機」と騒がれましたが、大きな混乱なく終わったようです。メディアでは早くも、11月とされる「次の危機」に関心を向けていますが、今回の結果が示した重要な事実への言及は見当たりません。それは「政府が管理しなくても、市場の危機は市場が解決する」という事実です。

もし政府・中央銀行が管理する法定通貨の円で、今回の分裂騒動に匹敵するような問題が起こった場合、どうなるかは容易に想像できます。政府は緊急対策本部を立ち上げ、有識者を大勢集めた会議を開き、税金を使ったさまざまな「対策」を講じるでしょう。

ビットコインは政府の管理下にないため、今回こうした「対策」は何もありませんでした。それを不安に感じる人もいたかもしれません。しかし、結果は見てのとおりです。7月23日には仕様変更が前倒しで実施され、8月1日には新通貨「ビットコインキャッシュ」が生まれビットコインは分裂しましたが、天は落ちてきませんでした。

思い出すのは、「2000年問題」の騒動です。それまで西暦の下2ケタしか記入していなかったコンピューター・システムが2000年に一斉に機能不全となり、大混乱に陥りかねないといわれたのです。各国政府の指導で世界中でプログラムの改修が行われ、中小企業には大きな負担になりました。

米国ではグリーンスパン議長率いる連邦準備理事会(FRB)が1999年末にかけ、通貨供給量を大幅に増やしました。これが当時の情報技術(IT)株バブルに油を注いだといわれます。

しかし結局、何も起きませんでした。後になって「そもそも重大な危険は存在しなかった」などといわれましたが、無駄に使われたお金は返ってきません。

それにひきかえ、今回のビットコイン分裂問題では、政府のお節介なしに、関係者だけの努力で市場の安定を保ちました。市場のトラブルには政府が対処するのが当然という通念を揺さぶる、画期的な出来事です。

歴史をさかのぼればわかるように、もともと金融市場は、政府に監督されることなく、自浄能力を発揮して自律的に発展しました。21世紀の仮想通貨は、市場が本来の姿に立ち返る先導役になるかもしれません。(2017/08/03

2018-08-02

現金廃止、4つのリスク

世界の一部の国々が高額紙幣の廃止などに踏み切るなか、現金廃止を持論とする米ハーバード大学のケネス・ロゴフ教授が、日本も1万円札と5千円札を廃止するよう日経電子版のインタビュー記事で提言し、話題となっています。キャッシュレスはたしかに便利ですが、現金という選択肢をなくしてしまってよいのでしょうか。

海外では政府による現金廃止運動を「テロとの戦い(War on Terror)」や「麻薬との戦い(War on Drugs)」になぞらえ、「現金との戦い(War on Cash)」と呼ぶことがあります。この表現が暗に示すのは、「テロとの戦い」などと同じく、「現金との戦い」は一般市民にむしろ害悪を及ぼしかねないという事実です。

ウェブサイト「ビジュアル・キャピタリスト」がインフォグラフィックで、「現金との戦い」の一般市民からみたリスクをわかりやすく整理しています。大きく4項目にわたります。補足を交えて紹介しましょう。

第1にプライバシー侵害の恐れです。キャッシュレス決済で現在主流のクレジットカードなどは現金と違い、第三者の仲介を必要とします。このため個人の取引やその記録が、政府に監視される恐れが強まります。ブロックチェーンを利用した仮想通貨は匿名性の高い技術ですが、政府がサービス提供業者に個人情報提供を要求する可能性は残ります。

第2に財産保全に対するリスクです。現金がなくなると、個人は財産を金融システムの外で蓄える自由を失い、銀行などの倒産リスクから逃れられなくなります。マイナス金利政策で預金が目減りしても逃げ場がありません。

第3に生命への危険です。インドでは昨年、高額紙幣が廃止された際、病院で治療を拒否されたり、食品が買えなくなったりしました。

第4にサイバー犯罪のリスクです。財産を電子的な形でしか蓄えられないと、サイバー犯罪の潜在的リスクや、被害にあった場合の打撃が大きくなります。

ロゴフ教授が強調する現金廃止のメリットは、これらのリスクと背中合わせであることがわかります。いずれも小さなリスクではありません。

マネーロンダリング(資金洗浄)や脱税、収賄などの犯罪行為を減らす効果はあるでしょうが、それは政府による個人取引の監視や個人情報の悪用につながりかねません。

マイナス金利政策はやりやすくなるでしょうが、個人からすればタンス預金という逃げ道をふさがれ、財産保全の手段が少なくなります。ロゴフ教授はなだめるように、小口預金者はマイナス金利の対象外とすることも可能と言いますが、それは政治の都合次第ですし、むしろ大口預金者の財産権が守られないことのほうが、国外への資金流出など経済への悪影響は大きいといえます。

個人の資産防衛を困難にし、監視社会にもつながりかねない現金廃止。キャッシュレスの便利さにつられて安易に賛同しないよう、気をつけたいものです。(2017/08/02

2018-08-01

温暖化懐疑論を叩く人たち

自然科学には門外漢ですが、科学にとって「疑う精神」が大切であることくらいは知っています。ですから、地球温暖化懐疑論に対する有無を言わせないバッシングには違和感を覚えていました。それはあながち素人の見当外れな感想ではなかったようです。

記事によると、気候科学の現役研究者でも、二酸化炭素(CO2)偏重の温暖化説が100%正しいとは思っていない人が少なくない。しかし下手に疑義を呈すれば自分や弟子に悪影響が及びかねないため、「口を慎む」。学者の世界の現実を垣間見させる、生々しい指摘です。

いきおい、懐疑論を展開するのは異分野のベテラン研究者になるといいます。懐疑論の具体的な主張それぞれについて正しいかどうか判断する知識はありませんが、少なくとも「人為的温暖化説は曖昧な点が多いのにもかかわらず、誰も何も考えずに追随しているという印象を受ける」という、ある名誉教授の指摘には同感です。

たとえば記事にあるように、8年前に現役の主流派研究者がわざわざ「地球温暖化懐疑論批判」と題する冊子を発行し、懐疑論の重要な論点を「一蹴」したものの、今ではその論点は懐疑論が正しかったことがわかっています。

そうした事実を無視して、懐疑論者を「『科学』を認めない人々」などと決めつける論調には危うさを感じます。

温暖化CO2主因説は今や、各国政府が環境政策の前提とする公式見解です。しかし、だから科学的に正しいとは限りません。物理学者リチャード・ファインマンが述べたように、「いかなる政府であろうと、科学の原理の真偽を決める権利はありません」(『科学は不確かだ!』、岩波現代文庫)。

報道の世界でも、温暖化懐疑論が肯定的に取り上げられることはほとんどありません。貴重な記事が書かれたことを喜びたいと思います。(2017/08/01