2024-04-21

日米同盟はいらない

岸田文雄首相が今月、ワシントンでバイデン米大統領と会談し、日米同盟の強化を打ち出した。会談でバイデン大統領は「我々の同盟は史上最も強固だ」と強調し、岸田首相はその後の米議会演説で「同盟」という言葉を10回も繰り返した。バイデン氏は多くの歴代大統領と同様、いかなる国とも政治上の同盟を結ばないという米建国当初の精神を忘れているようだし、岸田首相も同盟がむしろ人々の安全を脅かす危険を無視している。
米国が日本を含む多くの国と同盟を結ぶ現状からは想像しにくいかもしれないが、米国の独立期に活躍し、国の基礎を築いた「建国の父」と呼ばれる有力政治家たちは、いかなる国とも政治上の同盟を結ばないよう警告していた。

たとえば、初代大統領のジョージ・ワシントンは退任の辞で「世界のいかなる地域とも恒久的な同盟関係を結ばない。これがわが国の真の方針だ」と述べた。アメリカ独立宣言の起草者の1人で、第3代大統領となったトーマス・ジェファーソンは「あらゆる国と平和、通商、誠実な友好を保ち、いかなる国とももつれ合う同盟を結ばない」と強調した

建国の父たちが同盟を戒めたのは、同盟によって自国の防衛と無関係な戦争に巻き込まれることを恐れたからだ。当時心配されたのは欧州諸国との同盟だった。ワシントンは「人為的な結びつきによって、欧州によくある政治的な波乱や、結合・衝突、友好・敵対に巻き込まれるのは賢明でない」と警告している。

そうかといって、他国との関係をすべて断てといったわけではない。戒めたのは政治上の結びつきであって、経済上の結びつきはむしろ奨励した。ワシントンは「諸外国との関係において、わが国の行動規範の大原則は、通商関係を拡大する際に、政治的な関係をできるだけ持たないようにすることだ」と述べている。ジェファーソンはさきほどの引用で「あらゆる国と平和、通商、誠実な友好」を保つよう勧めているし、別の場所では「すべての国と自由に通商し、どの国とも政治的なつながりを持たず、外交関係をほとんど、あるいはまったく持たないことに賛成だ」と記している。

現代のマスコミは、米国の政治家が他国との同盟に後ろ向きな発言をすると、「孤立主義」「内向き志向」と非難する。しかし、政治的・軍事的な関わりを絶ったからといって、世界から孤立するわけではないし、内向きになるわけでもない。経済上の交流があればいい。そのほうが一般の人々にとっては有益だ。

一方、日本もかつて同盟で道を誤った。1902(明治35)年に結んだ日英同盟だ。日英同盟は短期では日本の勢力拡大に役立ったように見える。

1904年に始まった日露戦争で、日本はさまざまな形で同盟国である英国の支援を受けた。まず、物資面だ。日本海軍の主力の戦艦6隻すべてが英国製だったし、装甲巡洋艦8隻のうち4隻がやはり英国製で、最新鋭のものだった。日本陸軍が戦時中に発注した銃砲弾の約半分は英国のアームストロング社やドイツのクルップ社などに発注したものだった。次に資金面では、日露戦争の戦費(当時の国家予算の6倍にあたる18億円)の4割は外国からの借金で、そのお金を貸してくれたのが英国と米国だった。劣らず重要だった支援は、情報の提供だ。英国は日英同盟を結んだ1902年、世界の植民地や主要国との間の海底ケーブル網を完成させた。これを利用し、ロシア軍の状況など軍事情報を日本に提供した。また、日本に有利な情報のみが巧みに市場に流され、日本の国債販売を後押しした(山田朗『日本の戦争 歴史認識と戦争責任』)。こうして日本はロシアに勝利し、韓国に対する支配権などを確保した。1905年には日英同盟の改定によって韓国に対する日本の保護・指導権を認めさせ、1910年には韓国を併合する。

1914(大正3)年に勃発した第一次世界大戦でも、日本は日英同盟の「恩恵」を受けた。日英同盟を理由に連合国側に加担してドイツに対抗し、中国に対し山東省のドイツ権益を日本が継承することなどを柱とする二十一カ条要求を突きつけた。また地中海に駆逐艦を派遣したのと引き換えに、英国と秘密協定を結ぶ。太平洋に点在するドイツ領南洋諸島を赤道で分け、赤道以南については英国の要求を、以北については日本の要求を互いに認めることとし、あわせて山東省のドイツの権益を日本が引き継ぐことを英国が認めるという内容だった(梅田正己『これだけは知っておきたい近代日本の戦争』)。1918年にドイツが降伏し、連合国側の勝利に終わるとパリ講和会議が開かれ、日本は英国との秘密協定どおりに、山東省の旧ドイツ利権を継承するとともに、赤道以北のドイツ領南洋諸島を国際連盟の委任に基づく委任統治領とし、中国や太平洋で勢力を拡大した。

ここまでの経緯からは表面上、英国との同盟で日本は大きく得をしたように見える。しかし、それは政府の立場による見方でしかない。日本やアジアの人々は多大な犠牲を払った。日露戦争に動員された日本兵は約180万人で、戦死者8万8000人、戦傷病者44万人に達した。植民地にされた朝鮮では日本の統治に不満が爆発し、1919年3月1日、独立運動が全土に拡大した(三・一独立運動)。朝鮮総督府は軍隊まで動員し、厳しい弾圧を加えて鎮圧した。

第一次世界大戦でドイツが敗北した結果、皮肉なことに、日英同盟の意味は薄れた。1921年、米国の主導で開いたワシントン会議で、中国の主権・独立・領土保全の尊重などを取り決めた9カ国条約などを結び、日英同盟は破棄された。その背景には、中国で日本の独走を望まない英国や米国の思惑があった。中国をめぐる日本と英米の利害の食い違いは、やがて深刻な対立へと発展し、ついに第二次世界大戦での全面対決と日本の悲惨な敗北に至る。

日本は戦争の結果、多数の人々の生命・財産を犠牲にしただけでなく、かつて日英同盟を助けに手に入れた海外領土をすべて失った。特定の国と政治上の同盟を結んだり他国を植民地にしたりするのではなく、あらゆる国と経済上の友好関係を保っていれば、別の道が開けていたかもしれない。

岸田首相は米議会演説で「日本の堅固な同盟と不朽の友好をここに誓います」と強調した。しかしその美辞麗句とは裏腹に、日米同盟は「世界の安定に貢献していく」(日本経済新聞、4月11日付社説)どころか、東アジアなどで対立を煽り、不安定をもたらす恐れがある。ワシントンの言葉に従い、「恒久的な同盟関係を結ばない」という選択を真剣に考えるべきだ。

2024-04-07

北朝鮮制裁の非道

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対する経済制裁の履行状況を調べる国連安全保障理事会の専門家パネルが、4月末で廃止される見通しとなった。専門家パネルの任期を1年延長する決議案に、ロシアが拒否権を行使したためだ。

日ごろ悪玉として叩いている北朝鮮とロシアがセットになった話題だから、主要各紙の反応は想像がつくだろう。社説でここぞとばかりに、「北朝鮮の不正を隠す決議案否決」(日本経済新聞)、「身勝手過ぎる露の拒否権行使」(読売新聞)、「露は拒否権行使を恥じよ」(産経新聞)などと一斉に非難した。けれども、経済制裁を声高に叫ぶメディアは重要なことを無視している。制裁は一般市民を苦しめる非道な行為という事実だ。
2009年に設置された専門家パネルはこれまで、北朝鮮が海上で物資を密輸する実態を明らかにするなどしてきたとされる。読売は「専門家パネルが廃止となっても様々な制裁決議が失効するわけではないが、監視体制が緩むのは避けられない。北朝鮮の核・ミサイル開発が加速するのは確実だ」と述べる

しかし、そもそも制裁に政策変更を促す効果は薄い。ローデシア(現ジンバブエ)や南アフリカが人種差別政策を放棄したケースはあるものの、制裁でイラク戦争を止めることはできなかった。北朝鮮に対しては2006年以降、18年間も制裁が続いているにもかかわらず、核開発やミサイルの開発は止まらない。その理由の一つには、第三国経由で北朝鮮に禁輸品を積んだ船舶が入港するなどの「制裁破り」があるとされる。その監視の一端を担ってきた専門家パネルを日本のメディアは持ち上げるけれども、開発が止まらなかった事実から判断する限り、結局たいして役に立たなかったということだろう。

それ以上に重大な問題は、制裁が一般市民を苦しめることだ。最近の北朝鮮は闇市の発達で、壊滅的な飢饉に見舞われた1990年代後半に比べれば食糧が手に入りやすくなったようだが、それでも長期にわたる制裁や新型コロナウイルスに伴う国境封鎖で食糧難が深刻になり、一部地域で餓死者も出たとされる。2021年のことになるが、国連の北朝鮮人権状況特別報告者は、北朝鮮で子供や高齢者といった弱い立場の人々が飢餓のリスクにさらされていると指摘し、北朝鮮に対する制裁を解除するよう求めた

ロシア外務省のザハロワ情報局長は、今回の拒否権行使について「終わりのない制裁は、その目的を達成するためにはまったく役に立たない。だが国家全体の財政的・経済的封鎖につながり、その結果、国民に相応の影響を及ぼす」とコメントしている。

見落とされがちだが、北朝鮮に対する制裁の影響を受けるのは北朝鮮の市民だけではない。国連による制裁は2006年10月以降、安保理決議にもとづき実施されているが、日本政府は同年7月以降、独自の制裁を発動している。その内容は日本と北朝鮮との間のヒト・モノ・カネの流れを全面的に遮断するもので、国連の要請する制裁よりもはるかに広範囲に及ぶ。その結果、在日朝鮮人の自由を著しく侵害している。

在日本朝鮮人人権協会に寄せられた被害相談によれば、Aさんは北朝鮮の平安南道に住んでいた実姉が死去したため、葬儀への参列や墓参のため、北朝鮮への渡航を求めて再入国許可を申請したが、入管当局が規制措置の例外を認めず許可しなかったため、葬儀に参加できなかった。

また同協会には、朝鮮に在住する親族に生活物資や生活資金を送付したいが、経済制裁による規制に抵触しないかという相談が多数寄せられているという。北朝鮮の厳しい経済環境で暮らす市民の中には、日本に住む親族からの仕送りで命をつないでいる人々が少なくない。制裁はこうした親族たちを窮地に追い込むことになる。

大人だけではない。全国各地の朝鮮学校生は、高校3年になると修学旅行で北朝鮮を訪ねているが、日本に帰国した際、空港の税関で、現地で購入したお土産品を没収される例が相次いでいる。2018年に神戸朝鮮高級学校の生徒が関西国際空港税関当局にお土産を没収された際、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が行った記者会見によれば、「生徒たちは、朝鮮にいる親戚や友人からもらった心からの贈り物を目の前で没収され、その非情さに心を引き裂かれて泣きじゃくったという」。

さらに事実上の制裁といえるのが、朝鮮高校生を高校「無償化」から除外したり、朝鮮学校への補助金を事実上停止するよう各自治体に通知したりする、文部科学省の措置だ。文科省は表向き、政治・外交問題とは無関係としているが、朝鮮高校の無償化排除を決めた第2次安倍晋三政権の下村博文文科相(当時)は2012年12月の記者会見で「拉致問題の進展がないことや朝鮮総連と密接な関係があり、現時点で無償化を適用することは国民の理解を得られない」と堂々と述べていた

なお、「無償化」は実際には納税者の納める税金で賄われるので、正しくは「税金化」であり、補助金ともども、教育を政府に従属させる手段だ。自由主義の立場からは廃止が望ましいが、現実に制度が存在する以上、いうまでもなく朝鮮学校生など特定の学生だけが不当に不利益を受けるような運用は許されない。在日朝鮮人に税制上の優遇措置は存在せず、親には当然納税者としての権利がある。

意外かもしれないが、拉致問題を念頭に朝鮮高校の無償化排除論がスタートしたのは、保守派の安倍政権下ではなく、リベラルとされたその前の民主党政権下だ。明治学院大学教養教育センターの鄭栄桓(チョン・ヨンファン)教授は、非軍事的強制措置(引用元の書籍では「準軍事的措置」とあるが、鄭氏の指摘により修正)である経済制裁は憲法9条の理念から控えるべきだという考えがあっていいはずなのに、「ほとんど国会で全会一致で承認されている」と指摘。「根源的な平和主義、経済制裁にも反対するような平和主義の芽は、この間生まれてこなかった」(共著『いま、朝鮮半島は何を問いかけるのか』、2019年)と述べ、野党や市民運動を含めた戦後日本の平和主義のあり方に厳しい問いを突きつける。

経済制裁は戦争に比べ穏やかなイメージがあるが、実際は違う。イラクに対する国連の経済制裁では飢餓や病気で100万人以上のイラク人が死亡し、うちほぼ半数が子供だった。米クリントン政権のオルブライト国連大使(当時)が1996年、テレビ番組で記者から「これまでに50万人の子供が死んだと聞いた。広島より多いといわれる。犠牲を払う価値がある行為なのか」と聞かれ、「大変難しい選択だとは思うが、それだけの価値はある」と言い放ったのは有名だ。

一方、リバタリアンの反戦ジャーナリスト、ジャスティン・レイモンド氏は、同じイラク制裁について「国民と政府を同一視する思考の論理的帰結であり、政府の犯罪(現実のものであれ想像上のものであれ)に対して個人を罰する」とその本質をつく。そして「権力の計算では、個人は数に入らない。イラク人は存在せず、イラクという国家だけが存在するのだ」と喝破する

北朝鮮制裁を叫ぶ日本の政府、野党、メディアはまさに「国民と政府を同一視する思考」に陥り、北朝鮮政府の「犯罪」に対して北朝鮮市民や在日朝鮮人という個人を罰している。制裁を求める人々に北朝鮮を全体主義国家だと笑う資格はない。国家という全体だけに注目し、個人を無視する冷酷な考えこそ全体主義なのだから。

2024-03-30

「ルールに基づく国際秩序」の化けの皮

国連安全保障理事会は3月25日、非常任理事国10カ国が共同提案したパレスチナ自治区ガザにおけるラマダン(イスラム教の断食月)期間中の即時停戦を求める決議を採択した。日本、中国、ロシア、英国など14カ国が賛成し、米国は棄権した。昨年10月に戦闘が始まって以来、安保理が停戦決議を可決したのは初めてだ。日本の大手メディアは「イスラエルの後ろ盾として過去4度にわたって決議案に拒否権を行使してきた米国の変化が大きい」(朝日新聞、3月28日社説)と米国の姿勢を評価する。しかし、それは甘い見方だ。
朝日の社説は「イスラエルはパレスチナ自治区ガザでの軍事作戦を中止しなければならない。(ガザの武装勢力)ハマスは約130人とされる人質全員を直ちに解放すべきだ」と、あたかも停戦と人質解放がセットのような表現をしている。停戦決議に反対してきた米政府の主張をなぞったかのようだ。実際の決議は、即時停戦とともに「人質全員の即時無条件解放」とガザへの「人道支援実施の確保」を求めてはいるものの、人質解放を即時停戦の条件としてはいない。

さて、日本の報道では無視されたが、今回の停戦決議後、米政府関係者の発言が物議を醸した。決議に「拘束力はない(nonbinding)」と主張したのだ。トーマスグリーンフィールド国連大使は25日、決議後の説明で「この拘束力のない決議の重要な目標のいくつかを全面的に支持する」と述べた。やはり同日、ホワイトハウスの記者会見でカービー大統領補佐官は「拘束力のない決議だ」と何度も発言し、「だからイスラエルや同国がハマスの追及を続けることにまったく影響はない」と主張した。国務省のミラー報道官も「今日の決議は拘束力のない決議だ」と繰り返した。

米国の言い分はおかしい。拘束力のない国連総会決議とは異なり、イスラエルも含めて国連加盟国は安保理決議に従う義務があるし、違反すれば制裁の対象となる。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が人工衛星を打ち上げると「国際法違反」と非難されるが、これは北朝鮮による核・ミサイル開発を禁止した2006年の安保理決議に違反するとされるからだ。この件に関する朝日の記事で専門家が指摘するように、安保理決議は国際法上の派生法に当たり、法的拘束力がある。

いつもは米国に万事歩調を合わせる英国でさえ、今回の停戦決議は棄権せず、賛成した。英紙ガーディアンは「バイデン(米大統領)の外交官たちは驚くことに、決議には拘束力がないと主張する。この判断は英国と同じではない。英国は停戦決議の即時実施を求めている」と書く

それにしても米国はなぜ、安保理決議には拘束力があるという明白な事実をなりふり構わず否定しようとするのだろう。そこには各国を平等に縛る伝統的な国際法と、米国が近年盛んに推し進める、あいまいな「ルールに基づく国際秩序」との間の深い亀裂がのぞく。コラムニストのテッド・スナイダー氏は米シンクタンク、リバタリアン研究所への寄稿で「安保理決議を拘束力のないものと判断し、国際法並みの拘束力を否定することで、米国は覇権主義から一国優位主義へと次のステップを踏み出した」と分析する

国際法上重要な役割を果たす国連に対し、リバタリアン(自由主義者)の一部は、全体主義的な「世界政府」につながりかねないとして警戒心を抱く。しかし実際には、大国が国連を利用することはあっても、主権を国連に譲り渡したり、自分の支配の及ばない「世界政府」をつくったりするリスクはほとんどない。むしろ「国連、とくに国際司法裁判所(ICJ)は、実定法や立法による制約を受けにくい分、国際法とは何かを宣言する際に、伝統的な正義の概念に従う自由がある」とリバタリアン法理論家のステファン・キンセラ氏は指摘する。そのうえで「国際法は個々の国家の法律よりも自由主義的だし、今後もそうあるべきだ」と強調する

これまで米国の軍事上の行動や主張は、伝統的な国際法に照らして問題があると批判を浴びてきた。先制攻撃を認める自衛権の解釈、テロリストとされる過激派への武力行使、1999年のセルビア空爆、2003年のイラク攻撃、2011年のリビア攻撃、グアンタナモ収容所に投獄されたタリバン兵に対する捕虜資格の否定などだ。国際法学者ジョン・デュガード氏は「米国はこの種の国際法上の解釈について、ルールに基づく国際秩序の大ざっぱな「ルール」の下で見解の相違としておいたほうが、国際法の厳格なルールの下で正しいと証明するよりも都合がいいし、そうできると考えているようだ」と論じる

そればかりか、米国は厚顔無恥にも、「ルールに基づく国際秩序」を守れと他国に説教する。しかし米国のそのような身勝手な態度は、もはや通用しなくなろうとしている。その象徴が、今回のガザ停戦決議といえる。伝統的な国際法では、決議に従い、即時停戦しなければならない。戦争継続やイスラエル支援で政治的・経済的な利益を得る米政府はそうしたくないので、「拘束力はない」と言い張っているわけだ。米国の国際法を軽視する姿勢が改まらなければ、子供を含む多数の市民が命を失い、飢餓が迫る、ガザでの停戦実現は心もとない。

日本のメディアは何かといえば、米国に都合のいい「ルールに基づく国際秩序」を持ち上げ、日本人をそれに従わせようとする。だが、世界はすでに欺瞞に気づいている。最近、上川陽子外相がフィジーの首都スバで開催された「太平洋・島サミット」(日本を含め19カ国・地域が参加)の中間閣僚会合に共同議長として出席し、南太平洋地域で影響力を強めるという中国を念頭に、「ルールに基づく国際秩序」などの重要性を確認したものの、代理や欠席でない外相の参加は、日本を除き6カ国にとどまったという。化けの皮のはがれた「ルール」にしがみつくのは、もうやめたほうがいい。

2024-03-25

民主主義を語る資格のないメディア

ウクライナへの軍事行動が始まって初のロシア大統領選挙で、現職のプーチン氏が通算5回目の当選を果たした。投票率は74%で前回2018年を上回り、プーチン氏の得票率は8割強で過去最高の圧勝だ。これに対し日本の主要紙は一斉に、選挙結果は強権により演出されたものにすぎないと主張し、ウクライナへの「侵略」は正当化されないと強調した。みっともない。自らの行いを顧みずにロシアを非民主主義国と見下し、侵略国家と一方的に非難する、日本を含む西側のその傲慢で偽善に満ちた態度こそが、ロシア国民の反発と愛国心を強め、プーチン大統領を圧勝に導いたのだ。
産経新聞は「ウクライナ侵略に反対し、「反政権」「反戦」を訴えた立候補者が事前に排除されるなど、民主的な選挙の片鱗もみられない」と批判した。いつもウクライナの徹底抗戦を主張しておきながら、反戦派の排除を問題視するとはご都合主義もいいところだ。立候補を認められなかったのはリベラル派の元下院議員ナデジディン氏や平和主義を掲げた元ジャーナリスト、ドゥンツォワ氏らだが、いずれも提出書類に無効な署名が多すぎるなどの不備が原因とされる。

ナデジディン氏は戦争終結や徴兵制廃止を訴えていたといい、選挙で争えなかったのは残念だ。しかし基準を満たさないのに立候補を認めれば、それこそ「民主的な選挙」に反する。それらしい根拠もないのに、不当に排除されたかのように言い立てるのは、たちの悪い印象操作だ。それほど支持者の多くない反戦派らの不出馬がプーチン氏の記録的な圧勝を可能にしたとは、言いすぎだろう。気に入らない選挙結果なら認めないとは、民主主義にふさわしい態度ではない。

読売新聞は「立候補や投票の自由が保証されてこそ、選挙は民主主義の制度でありうる」と強調し、プーチン政権について「議会や司法も、政権の影響下にあり、チェック機能は期待できない」と批判する。ロシアは完璧な民主主義国ではないかもしれない。だがその一方で、ロシア非難の先頭に立つ米国では、返り咲きを狙い予備選に出馬中のトランプ前大統領が多くの刑事訴追の標的となり、事実上、立候補の自由を妨げられている。泡沫候補への妨害どころではない。

また日本では、国政選挙での「一票の格差」が法の下の平等に反するとして選挙の無効を求める訴訟が繰り返し提起されているにもかかわらず、裁判所は「違憲状態」というだけで選挙の無効は認めないし、いわれた国会もほとんど是正しない。その結果、昔からの選挙区で強固な地盤をもつ世襲議員が多く当選し、内閣に顔を並べる。とてもロシアの選挙を見下す資格はない。

なにより、ロシアと同じく戦時下のウクライナは、戒厳令を5月中旬まで延長することを理由に、本来であれば3月に行う大統領選をまだ実施していない。国民から投票の自由を奪っているのは、ロシアではなく、ウクライナのゼレンスキー政権のように見える。なおウクライナは他にも、野党系メディアを閉鎖したりジャーナリストを拷問して死に追いやったりと、立派とは言いにくい振る舞いが目に余る。

各紙とも2022年2月に始まったロシアの軍事行動を「侵略」と非難するが、これも悪質な印象操作だ。現在の戦争は、ウクライナに肩入れする日本の国際政治学者でさえ認めるとおり、10年前にウクライナ東・南部で勃発した紛争の延長戦上にあり、その紛争中、民族主義的なウクライナ政府は女性や子供を含むロシア系住民を迫害し、殺傷した。歴史上、ロシアに属してきたこの土地の住民たちを保護することが、ロシアが開戦に踏み切った一つの理由だ。戦争が最善の手段だったかどうかという問題はあるものの、1999年のコソボ紛争で、西側の北大西洋条約機構(NATO)はアルバニア系住民の保護を理由にセルビアを空爆したのに、今回ロシアだけを非難するのは筋が通らない。

毎日新聞は「ロシアが一方的に併合を宣言したウクライナ東・南部の4州でも投票が強行された」と書く。西側メディアが繰り返す、この「一方的に併合を宣言」という主張は事実をゆがめる。クリミア半島や東・南部4州は、かつて住民投票でいずれも約90%が賛成し、ロシアに編入した経緯がある。このときも西側は今回の露大統領選同様、投票結果は認められないと騒いだが、激しい抗日運動を招いた日本による1910年の韓国併合(住民投票の結果ではない)と異なり、編入地域の住民がロシアの支配に憤激しているという情報はないし、ソーシャルメディアで流れる映像はむしろ喜んでいるようだ。

産経は、クリミアなどでの大統領選投票について、林芳正官房長官の「(クリミアなどの)併合はウクライナの主権と領土一体性を侵害する明らかな国際法違反だ。これらの地域での大統領選実施も決して認められない」という言葉を引用し、ロシアを非難する。だが「明らかな国際法違反」と言い切れるほど単純な話ではない。

近年、国際法上の「救済的分離」という理論が議論されている。特定の集団が自国政府によってアパルトヘイト(人種隔離)やジェノサイド(民族大量虐殺)のような継続的で重大な人権侵害にさらされている場合などに、救済として分離を認めるべきだとされる。自国政府から長年迫害・殺傷されてきたウクライナのロシア系住民は、まさにこのケースに当てはまる(米軍基地問題に苦しむ沖縄もこの理論により日本から独立できるかもしれない)。

さらに踏み込んで、個人の権利を重視する自由主義者(リバタリアン)の立場からは、アパルトヘイトやジェノサイドといった特別の事情がなくても、住民が投票で分離の意思を表明しさえすれば、それを「領土一体性」という国家の論理を理由に妨げてはならない。

経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは「ある特定の領土の住民が、それが一つの村であれ、全地区であれ、隣接する一連の地区であれ、自由に実施される住民投票によって、その時点で所属している国家との一体化をもはや望まず、独立国家を形成するか、他の国家に帰属することを望むと表明したときはいつでも、その意思は尊重され、遵守されなければならない」と述べ、こう付け加える。「これこそが、革命や内戦、国際戦争を防ぐための、実現可能で効果的な唯一の方法なのである」

同じく自由主義の経済学者ハンス・ヘルマン・ホッペはウクライナ戦争について論じ、「平和をもたらす方法として、地域の分離独立を主張する声を真剣に検討すべきだ」と指摘する。「これはウクライナの領土を縮小することであり、当然ゼレンスキー一味は反対するだろう。しかし、住民が守りたがらない領土をなぜ守るのか。戦争に巻き込まれないことを望む地域に、なぜ戦争を持ち込むのか」

ウクライナのロシア系住民は、すでに住民投票によってウクライナからの分離とロシアへの帰属の意思を示している。ところが日本など西側メディアは、住民の意思を無視し、認めない。気に入らない大統領選の結果を認めないのと同じだ。民主主義を語る資格はない。平和な手段による分離を認めない結果、悲惨な戦争が起こっても、ロシアの即時撤退という非現実的な要求を繰り返すばかりで、和平の提案をしようともしない。

日本のメディアは、ロシアに説教を垂れる資格があるほど民主主義についてよく理解していると思うのなら、今すぐクリミアと東・南部4州のロシア帰属を支持し、それを前提とした現実的な和平案を提示すべきだ。

2024-03-20

オスプレイがなくならない理由

米軍が14日、輸送機オスプレイの日本国内での飛行を再開した。昨年11月に鹿児島県沖で墜落し8人が死亡した事故を受け、全世界で飛行を約3カ月停止していた。停止措置の解除が表明されて1週間足らずで、詳しい原因を伏せたまま早くも飛行を再開したことに対し、左派メディアを中心に批判の声が上がった。しかし、安全上の問題が指摘されるオスプレイが日本からなくならない一因は、左派を含めメディアが外敵の脅威を煽り立て、在日米軍の治外法権的な存在を正当化してきたことにある。
オスプレイは世界各地で事故が多発し、「空飛ぶ棺桶」の異名を持つ。今回の墜落事故では、米軍にさまざまな特権を与える日米地位協定の問題点があらためてクローズアップされた。同協定に関する合意議事録は「日本の当局は、合衆国軍隊の財産について、捜索、差し押さえまたは検証を行う権利を行使しない」と定め、日本の捜査権を制限する。墜落事故が日本の領海・領空で起きても、日本が包括的な調査を行うことはできない。

今回の事故でも、海上保安庁は回収した機体の一部を米側に引き渡し、鹿児島県屋久島町も地元漁師らが集めた残骸を引き渡した。最大の物証である機体の残骸を手放すことで、日本側による原因究明は事実上、不可能となった。海保は米軍に調査への協力を要請したと発表したが、米軍が同意したかどうかは明らかではない。松野博一官房長官(当時)は昨年11月30日、地位協定の見直しに否定的な考えを示した。

米リバタリアン系サイトのアンチウォー・ドット・コムで、ジャーナリストのタケウチ・レイホ氏は「日本は米軍の飛行を止めることも、墜落の原因を究明することも、十分な情報を得ることもできない。そのうえ、政府は日米地位協定を見直すつもりはなく、地方自治体や住民の反対を無視している」と批判。「米国はいまだに日本を占領しているのだ」と鋭く指摘した

米ボーイング社が製造するオスプレイは、機体の不具合や事故の多発などで米国外からの調達数が伸びなかったことなどが影響し、2026年予定で生産ラインを閉鎖する。米国防総省は当初、米国外から400~600機の受注を見込んでいたが、実際には日本が17機購入したのみで、他国は次々と導入を見送った。昨年12月には、オスプレイに使う複合材の製造過程で、必要な基準を満たさない不正があったと司法省がボーイング社を訴え、同社が810万ドルを支払う内容で9月に和解していたことが明らかになった。

これだけ問題を抱えるオスプレイが米国以外では日本にだけ存在し続ける一因は、メディアの報道姿勢にある。

朝日新聞は今回の飛行再開について、3月15日の社説で「政府は本来、住民の不安を代弁し、米側に厳しく安全確認を求めるべき立場だ。それが一体になって再開を急いだ。国民の安全を軽視したと言われても仕方ない」と批判した。この主張そのものは正しい。

けれども、そもそも日本政府がオスプレイの米軍による配備を認め、自衛隊でも購入している背景には、「日本の安全保障に資するために必要」(木原稔防衛相)という「大義名分」がある。そしてメディアは日頃、政府のその言い分を後押ししている。

たとえば、朝日はほぼ同時期の3月10日の社説で、全国人民代表大会が開会中の中国について、「周辺国を軍事的に圧迫する存在となって久しい」「核戦力も着々と増強しており、もはや自国防衛に必要な水準を超えつつある」と述べ、「平和をうたう外交方針との乖離をどう説明するつもりなのか」と指弾する。

中国が核戦力を含む軍備を増強しているのは事実だ。軍拡は世界の平和を脅かす。とくに核兵器は大量無差別殺傷兵器であり、リバタリアン思想家のマレー・ロスバードが説くように、その使用はもちろん、存在そのものが非難されなければならない。

しかし軍事費の対国内総生産(GDP)比をみれば、中国は約1.6%にとどまるのに対し、中国を敵視する米国は約3.5%と2倍強に達する。保有する核弾頭の数は中国の410発に対し、米国は5244発とケタ違いだ。しかも米国は近年台湾と軍事協力を強化し、最近は陸軍特殊部隊(グリーンベレー)が中国本土に近い台湾の離島、金門島に常駐を始めるなど、中国に対しきわめて挑発的な態度をとっている。また日本自身、2024年度の防衛予算案は23年度当初比16.5%増で過去最大の金額となった。伸び率は中国(7.2%増)の2倍以上に達する。

このような状況で、中国だけを一方的に非難し、脅威を煽る朝日や他メディアの姿勢は非常に問題がある。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)報道も似たようなものだ。国民はこうした偏った報道に接し、在日米軍の存在やその特権、日本の軍拡を支持する世論がつくられていく。

つまり、問題を抱えるオスプレイが日本に配備され、人々の安全を脅かす責任の一端は、政府のお先棒を担いで外敵の脅威を煽る報道姿勢にある。メディアにその自覚はあるのだろうか。

2024-03-10

自由を奪った政府の責任

韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は3月1日、日本の植民地支配に抵抗した1919年の「三・一独立運動」の記念式典で演説し、日本との安全保障協力を推進する姿勢を示す一方で、日韓の歴史問題については「歴史が残した難しい課題」と抽象的な表現にとどめ、徴用工問題など具体的には言及しなかった。日本の主要紙はおおむね前向きに受け止めているが、甘いといわざるをえない。戦時下で個人の自由を奪った行為を真に反省・批判しないまま、安保協力というきな臭い「日韓友好」を推し進めれば、日本人自身、いつかそのツケを払うことになる。
尹大統領の演説に対し、韓国の革新系紙ハンギョレは「これまで癒やされず、清算されていない日本軍「慰安婦」と強制動員被害者問題など日帝強占(日本の植民地支配)をめぐる韓日の歴史認識の違いに関して、「加害者日本」の省察と責任、義務については触れず、「痛ましい過去」、「歴史が残した難題」というあいまいな言葉を並べた」と手厳しい。強制動員被害者問題とは徴用工問題を指す。

一方、日本の新聞はおおむね前向きに受け止める。なかでも保守系の読売新聞は3月4日の社説で「日韓改善の流れを不可逆的に」と題し、「韓国で反日感情が刺激されがちな独立運動記念日に、大統領が日本と未来志向の関係を築く重要性を国民に訴えた意義は大きい」と持ち上げ、「元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)問題への言及もなかった」と評価する。

題名の「不可逆的」とは、2015年12月28日、当時の岸田文雄外相らが発表した、軍慰安婦問題に関する「日韓合意」の「最終的かつ不可逆的に解決される」という文言を意識したものだろう。ようするに、徴用工にしろ軍慰安婦にしろ、韓国との歴史問題はすでに解決済みなのだから、二度と蒸し返すなというメッセージだ。これは日本政府の見解を踏まえたものでもある。

日本政府は、1965年に結んだ日韓請求権協定により、徴用工問題などは解決済みと主張する。しかし同協定で放棄された請求権に、個人の賠償請求権は含まれない。そもそも法理論上、不法行為に対する個人の賠償請求権を消滅させることはできないからだ。この事実は外務省も認めている(2018年11月衆院外務委員会)。

それにもかかわらず、2018年10月に韓国大法院(最高裁)が元徴用工に慰謝料の賠償請求権があることを認める判決を下すと、当時の安倍晋三首相は「日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決している」と従来の見解を繰り返し、「国際法に照らせば、ありえない判断」と反発した。しかし同協定で個人請求権は消滅していないのだから、韓国最高裁の判断は国際法に照らして十分ありうる判断だ。2005年に国連が採択した基本原則は、重大な人権侵害の被害者は、真実、正義、賠償、再発防止を求める権利を持つとしている。

さらに安倍政権は、韓国に進出している日本企業を集めて政府の立場を説明した。日本製鉄や三菱重工業は政府の見解に同調し、原告側と対話することを拒んだ。政府が事実上、企業と原告との協議に介入し、和解に進む道を閉ざしたといえる。2019年7月に政府は韓国への輸出規制を始め、8月には韓国を輸出優遇措置の対象となる「ホワイト国(現「グループA」)」の指定から外した(2023年7月に再指定)。表向きは否定したものの、これらは徴用工判決への報復措置とみるべきだろう。自由な貿易を妨げる迷惑かつ不当な行為だ。

昨年3月、尹政権は日本企業の代わりに韓国政府傘下の財団が原告に判決金を支払い、賠償を肩代わりする仕組みを発表した。原告・遺族の多くは財団から判決金を受け取ったものの、他の原告・遺族はあくまで日本政府・企業からの謝罪と賠償を求め、受け取りを拒否している。

歴史研究者の竹内康人氏は「日韓の友好は日本が植民地責任をとることからはじまります」(『韓国徴用工裁判とは何か』)と指摘する。政府同士が被害者の頭越しに「手打ち」をしても、真の友好への道は開けない。戦時の動員を口実に過酷な労働を強い、個人の自由を踏みにじった日本政府の責任をあいまいに済ませれば、やがて日本人自身が報いを受けることになるだろう。

2024-03-06

核とリベラル派の堕落

米ソ冷戦下の1954年3月1日、米国の水爆実験で太平洋マーシャル諸島・ビキニ環礁は壊滅的な被害を受けた。現地住民だけでなく、周辺海域で操業していた日本のマグロ漁船、第五福竜丸も空から灰状の放射性降下物を浴び、23人の乗組員全員が被曝する。事故から70年を迎えたのを機に朝日新聞は3月2日の社説で取り上げ、「世界のヒバクシャらと連帯を強め、核なき世界へ歩みを進めねばならない」と訴えた。その言やよしだが、もし日頃、核大国間の紛争激化を煽るような戦争報道をしていなければ、もっと説得力があっただろう。
実験された新型水爆「ブラボー」の破壊力は広島原爆の1000倍もあった。第五福竜丸の乗組員は全員、放射線でやけどの状態になり、頭痛、吐き気、目の痛みなどを訴え、顔はどす黒く変わり、歯ぐきからは血がにじみ出、髪の毛を引っ張ると根元から抜けてしまうなど、急性放射能症にかかった(川崎昭一郎「第五福竜丸」)。このうち無線長の久保山愛吉さんは半年後、40歳の若さで死亡した。死因は「急性放射能症とその続発症」と発表されたが、現在では、急性放射線障害と治療の輸血に伴う劇症肝炎が多臓器不全を引き起こしたとされる(小沢節子「第五福竜丸から「3.11」後へ」)。第五福竜丸だけでなく、外国船を含め1万人を超える乗組員が被爆したといわれる。だが朝日が指摘するように、日本政府は米側からの見舞金で政治決着を図り、被曝の影響を否定して健康調査もしなかった。

実験場とされたマーシャル諸島の人々も痛ましい運命をたどった。オンラインマガジンのディプロマットが述べるように、米政府は実験に先立ち、ビキニ環礁の住民に対し「一時的に」故郷を離れるよう求めたが、その後ビキニは居住不可能なままで、元住民は今も戻れていない。ビキニに近いロンゲラップ環礁などの住民はまったく避難させておらず、子供たちは降灰の中で遊んでいた。米軍は3月3〜4日に住民を避難させたが、すでに多くの人が放射線で体調を崩していた。米政府は今も一部を除く島々について放射性降下物の範囲や深刻さを認めておらず、何千人ものマーシャル人が米国の医療対策の対象となっていない。

朝日はビキニ事件の反省を踏まえ、「すべての核被害者の先頭に立ち、核廃絶への道を切り開くのは被爆国・日本の使命である」として、核兵器禁止条約と距離を置く姿勢をただちに改めるよう、政府に強く求めた。正論だが、核兵器の恐ろしさをそれほど理解しているのならなぜ、たとえば2月24日の社説ではウクライナ戦争について、即時停戦を訴えるのでなく、「息長くウクライナを支えていく責務がある」などと書くのだろうか。戦争当事者であるロシアも、ウクライナを支援する米国も核大国であり、戦争が長引けばその分、核戦争の可能性が強まるというのに。

2月21日にはリベラル派の国際政治学者、藤原帰一氏が朝日の連載コラムで、イスラエルのガザ攻撃については攻撃のすべてとヨルダン川西岸への入植の即時停止を求めながら、ウクライナについては「ロシアとウクライナとの停戦ではなく、ウクライナへの軍事・経済支援を強化し、侵攻したロシアを排除することが必要」だと主張した。ロシアの攻撃が軍人と文民を区別しない「国際人道法に反する攻撃」であることが理由だという。その理屈でいけば、ウクライナがそれこそ人道に反し、自国のロシア系住民を迫害・殺傷してきたことに対して、ロシアが軍事的手段に訴えたことを批判できないはずだ。いずれにせよ戦争は長引き、核戦争のリスクは高まる。

朝日新聞の混迷ぶりは、日本のリベラル派の限界と堕落を象徴している。

2024-03-03

永田町の特権集団

衆院政治倫理審査会が2日間にわたって開かれ、岸田文雄首相と安倍、二階両派の幹部が出席し、自民派閥の政治資金パーティー収入不記載事件について弁明した。主要各紙の社説はいずれも、政府・自民に批判的ではある。ところが、国民にとって最大の問題がなぜか論じられていない。税の問題だ。
たとえば、産経新聞は3月1日の社説で、岸田首相の弁明について「還流資金の政治資金収支報告書への不記載をいつ、だれが、どのような理由で開始したのか、またその使途など、肝心な点は明らかにならなかった」と述べる。政治資金規正法に違反し、収支報告書に記載しなかったことはたしかに問題だが、国民、つまり納税者にとって「肝心な点」はそこではない。数億円単位の裏金を「政治資金」として届ければ課税されない、という制度そのものが問われているのだ。

市民グループの12人が2月1日、東京地検に告発状を提出した。自民党安倍派の議員10人が2018〜22年に、派閥主催のパーティー券の売上金を税務署に申告せずに脱税したとする内容だ。東京新聞は「こちら特報部」(2月2日)でこの件を取り上げ、告発した市民グループ代表の「庶民なら厳罰を科されるのに、政治家なら2000万円を懐に入れても、収支報告書の修正で済まされる」というもっともな怒りの声を紹介。元官僚の政策アナリスト古賀茂明氏の「国民からは1円でも厳しく税を徴収するのに、権力者なら許されるというのは、明らかな差別」という発言を伝えた。

一部の人々は、政治家の税の特権には目もくれず、ありもしない特権を躍起になって糾弾する。いわゆる在日特権だ。在日コリアンへの憎悪をあおるデマとして知られるが、一部の保守派政治家や活動家はいまだに固執する。自民党の杉田水脈衆院議員はX(旧ツイッター)に、在日特権は「実際には存在します」と投稿し、批判を招いた。

2月28日の衆院予算委員会分科会では、日本維新の会の高橋英明議員が在日特権を取り上げ、税制面の優遇措置といった特権はあるのかと質問。国税庁は「対象者の国籍であるとか、特定の団体に所属していることをもって特別な扱いをすることはない」と否定した。

この問題についても東京新聞が「こちら特報部」(3月1日)で扱い、税以外にも在日特権は存在しないと指摘している。たとえば、入国審査時の顔写真の撮影や指紋採取などが免除される「特別永住資格」だ。日本は1910年に日韓併合で朝鮮人を「日本国民」にして、労働力として日本で炭鉱労働などに従事させ、終戦後に日本国籍を剥奪した。韓国政府と議論の結果、子孫を含め、安定的な生活が送れるように整備されたのが特別永住資格だ。出入国在留管理庁は「日本への定住性が強いことや、日本国籍を失わせてしまったことへの配慮は必要で、結果的に一般の永住者と違いが生じた」と説明する。日本の植民地支配という歴史的な背景があるのだ。

日本における最大の特権集団は、永田町にいる政治家たちだ。メディアは日頃、さまざまな差別問題を取り上げ、差別はよくないと叫ぶけれども、政治家の巨大な特権や庶民との差別には、気づかないか、気づかないふりをする。

2024-03-02

靖国神社という政治の道具

靖国神社に自衛隊の幹部や隊員が集団参拝し、議論を呼んでいる。1月9日には陸上幕僚副長らが靖国神社に集団参拝し、公用車の使用が不適切だったとして計9人が処分された。また2月には、海上自衛隊の幹部候補生学校の卒業生が昨年5月、練習艦隊の当時の司令官らとともに参拝していたことが明らかになった。これについて産経新聞が参拝擁護の持論を展開しているが、ついていけない。
コラム「産経抄」は2月26日、「靖国神社に参拝してなぜ悪い」と題し、参拝を問題視する朝日新聞を批判。「弊紙は首相をはじめ、靖国神社に参拝しないほうがおかしいと主張している」と述べた。

産経の主張の内容を、1月16日の社説で確かめよう。宗教の礼拝所を部隊で参拝することなどを禁じた1974年の防衛事務次官通達について、産経は「靖国神社や護国神社は近代日本の戦没者追悼の中心施設で、他の宗教の礼拝所と同一視する次官通達は異常だ」としたうえで、「戦没者追悼や顕彰を妨げる50年も前の時代遅れの通達は改めるべきだ」と批判する。

靖国神社が「近代日本の戦没者追悼の中心施設」だという主張にはごまかしがある。幕末・維新の内戦では官軍の戦死者だけが祀られ、幕府側や西南戦争の西郷隆盛などの戦死者は天皇にそむいた「賊軍」だとして祀られていないし、対外戦争についても基本的には軍人・軍属だけで、原爆や空襲などで死んだ民間人は合祀されていない。

静かに「追悼」するだけならまだしも、「顕彰」(靖国神社ホームページの表現では「事績を永く後世に伝える」)は問題が大きい。旧日本帝国は、支那事変(日中戦争)や大東亜戦争(アジア太平洋戦争)以前にも、日清戦争、台湾征討、北清事変、日露戦争、第一次世界大戦、済南事変、満州事変と数年ごとに対外戦争を繰り返し、勝利して多くの植民地を獲得するとともに、抵抗運動を弾圧した。これが侵略戦争でないというのは無理がある。その「事績」を永く後世に伝えたいという靖国神社の姿勢は、侵略戦争を肯定していると見られても仕方がない。

靖国神社の死者の圧倒的多数を占めるアジア太平洋戦争の「英霊」たちは、「日本を守るため尊い命をささげた」と産経はいう。尊い命を本当に自発的に「ささげた」のかという問題を別にしても、兵士たちが守ろうとした日本とは、それ以前の多くの戦争によって築かれた植民地帝国であり、それ自体が日本軍のアジア侵略の産物にほかならない。

靖国神社が一宗教法人としての信念から、いわゆるA級戦犯を含め、侵略戦争や植民地支配に責任のある人々であっても、その霊を鎮めたいというなら、そうすればいい。しかし首相や閣僚、自衛隊幹部らによる参拝は、引退後ならともかく、少なくとも現役中は(たとえ「私人」の立場だと強弁しようと)認めるべきではない。部下の自衛官に圧力をかけて、見せかけだけの「個人の自由意志」で参拝させることも同様だ。

なぜなら、国家が宗教を利用して過去の戦死者を称えることは、現在の国民の戦争に対する嫌悪や抵抗を弱め、将来の戦争に協力させるための常套手段だからだ。それが過去の侵略戦争を否定しない、あるいは積極的に肯定しさえする宗教・宗派だとすれば、戦争への歯止めはさらに弱くなるだろう。

「国内左派の批判や外国の内政干渉におびえ、首相や閣僚の参拝が近年減ったのは残念だ」と産経は嘆くけれども、戦争は御免だと願う普通の日本人として、首相や閣僚の靖国参拝が減るのはまったく残念ではないし、むしろ喜ばしい。宗教を、戦争を煽る政治の道具として利用させてはならない。国民に重税を課し、自分たちは裏金によって課税を不当に免れるような、平時から国民をないがしろにする政治家たちであれば、なおさらだ。

ところで産経は、北方領土を占領し、ウクライナに攻め込んだロシアを「侵略者」と呼んでしきりに非難している。よほど侵略戦争が許せないらしい。その報道のおかげで日本人の間に「侵略戦争は許せない」という感情が広まり、日本の過去のアジア侵略を反省する人が増えれば、靖国参拝を安易に支持する人は減るだろう。呵呵。

2024-02-28

領土問題で対立を煽るな

2月は領土問題にまつわる出来事が相次いだ。1日には、尖閣諸島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内に中国が設置したとみられるブイを先月発見したと政府が発表した。7日は「北方領土の日」、22日は「竹島の日」だった。保守派の産経、読売新聞がそれぞれ社説でこれらの話題の全部または一部を取り上げたが、その多く、とりわけ北方領土については、相手国との対立を無用に煽り立てるものだ。
北方領土について、産経新聞は7日の社説を「ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵略を始めてから2度目の「北方領土の日」を迎えた」と書き出し、北方領土とウクライナを同列に論じた。「ウクライナはロシア軍に侵攻され、領土を占領されている。北方領土とウクライナは同じ構図の問題といえる」としたうえで、「領土を取り戻すために日本とウクライナは連帯を強め、侵略者ロシアに立ち向かいたい」と勇ましく主張する。読売新聞の8日の社説も同様の趣旨だ。

ロシアのウクライナ侵攻は、戦争という手段に訴えたことが良いとはいえないものの、ウクライナ政府から暴力による迫害を受けたロシア系住民を救うという目的があった。ロシアが侵略者だとすれば、ウクライナは自国民を殺傷した迫害者だ。産経は岸田文雄政権に対し「日本はウクライナと同様に、ロシアに領土を不法に奪われている被侵略国だ―という事実を内外に強く発信する」よう求めるけれども、グローバルサウスと呼ばれる新興・途上国を中心として、ロシアを一方的に侵略者と非難する米欧の主張を信じない国は多い。産経が政府に求めるような「発信」は、世界で失笑を買うだろう。

たしかに、ソ連時代のロシアが第二次世界大戦の末期、降伏交渉に入った日本に対し、中立条約に反して攻撃を加え、北方四島を占領したり、日本がサンフランシスコ講和条約で、連合国の「領土不拡大原則」に反する千島列島の放棄に同意させられたりしたことは、日本のアジア侵略の問題とは別に、不当きわまりない。

もっとも、ソ連の占領や千島列島放棄の起源は、米国がソ連の対日参戦の見返りに千島列島を引き渡すとひそかに約束した「ヤルタ密約」にある。侵略をそそのかした米国には何も言わず、ロシアだけを居丈高に非難するのは、これまた世界の笑い物だ。

なにより、相手国と対立すれば問題の解決はむしろ遠ざかるし、最悪の場合、武力行使に発展すれば、たとえ小さな島を手に入れたとしても、犠牲ははかりしれない。戦争は高くつく。紛争は平和的に解決しなければならない。

領土問題は国民感情を揺さぶり、ナショナリズムを高揚させやすい。だからこそジャーナリズムによる冷静な議論が必要だ。売るために対立を煽るメディアはいらない。

2024-02-24

戦争をやめさせない新聞

ロシアがウクライナに侵攻して2月24日で丸2年となった。新聞各紙は一斉に社説で取り上げたが、たいていの論調はこれまでとまったく変わらない。ウクライナはあくまで戦い続けろ、という勇ましい主戦論だ。戦況がウクライナに不利となり、多数の兵が戦場で日々命を落としているにもかかわらず、戦争をやめるなという主張は、ウクライナ人はもっと大勢死ねと言うに等しい。
とくに目に余るのが、日ごろは日本国憲法の平和主義を守れと唱える、朝日新聞のタカ派ぶりだ。24日の社説で「ロシアが一方的に始めた戦争を終わらせられるのは、ロシアだけだ」と決めつけ、あらためてプーチン露大統領に対し「ただちに停戦し、ウクライナ領土から全軍を撤退させよ」と、中身に全然進歩がない。

朝日の「ロシアが一方的に始めた戦争」という言葉に読者は、ウクライナとの戦争は2年前の侵攻で突然始まったと思い込むだろう。しかし今回の戦争は、激化はしたものの、長期の紛争の一局面にすぎない。紛争は2014年2月にウクライナで起こったクーデター「マイダン革命」から断続的に続いている。親露派の大統領を倒し、親米派を据えたクーデターで、米国が関与していた。

民族主義色の濃い新政権は、ロシア語の使用禁止などロシア系住民差別政策を打ち出し、このため東・南部で大規模な抗議デモが起こる。政府はこれを暴力で弾圧し、その後も度重なる砲撃で女性や子供を含む多数が死傷してきた。2年前にロシアが侵攻に踏み切った際、ロシア系住民の保護を目的としたのはそのためだ。内戦への武力介入という選択が最善だったかどうかはともかく、経緯を無視して断罪するのは乱暴すぎる。他国への人道的介入は米国もたびたび行っている。

別の背景として、シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授が指摘するように、米欧が北大西洋条約機構(NATO)をそれこそ一方的に東方に拡大し、ロシアの安全を脅かしてきたことも見落とせない。

朝日はプーチン大統領に対し「ただちに停戦」せよと求めるが、ロシアはこれまで停戦を探っており、それを米欧が阻んできたというのが事実だ。2022年3月、ロシアとウクライナはトルコのイスタンブールで停戦について会談し、ほぼ合意した。ところが米英が介入してウクライナのゼレンスキー大統領に合意を破棄させ、長期戦に踏み切らせた。仲介を務めたイスラエルのベネット元首相らが明らかにしている。

また、今月13日のロイター通信の報道によれば、昨年末から今年初めにかけて、ロシアが米国に接触し、停戦の可能性を探ったものの、米国に拒否されたという。

プーチン大統領は今月、米国人記者タッカー・カールソン氏のインタビューで、停戦に向けた対話について聞かれ、イスタンブール会談が中断された以上、ロシアから最初の一歩を踏み出すつもりはないとして、こう答えた。「なぜ、他人の過ちをわざわざ正さなければならないのか」。当然の言い分だろう。

朝日は「侵略者が得をする事態に至れば、模倣する勢力が後に続き、力と恐怖が支配する世界が現出しかねない」と書く。そのご高説を、徴兵され前線に送られるウクライナの兵士やその家族に聞かせてやればいい。きっと喜んで犠牲になってくれるはずだ。

2024-02-23

騒がれる獄中死、無視される獄中死

ロシアの野党活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏が、獄中で急死した。これに対し米欧政府は、死因もまだ定かでないのに、プーチン露大統領に責任があると非難した。日本の主要紙はその尻馬に乗るかのように、一斉にナワリヌイ氏をほめたたえてその死を悼み、ロシアを叩いている。
朝日新聞は2月19日の社説で「直接の死因は不明だが」と断りつつ、「過酷な環境で自由を奪われていたことを考えれば、プーチン政権による弾圧が引き起こした悲劇であることに間違いはない」と決めつける。苦しい屁理屈だ。もし朝日のこの理屈が正しいのなら、同じ「過酷な環境」の刑務所で自由を奪われて過ごす囚人たちがバタバタ倒れていなければおかしいが、そんな情報はない。

朝日の主張は、「何が起きたのか正確には分からないが」と前置きしつつ、「プーチンと彼の悪党たちがしたことの結果であることに疑いはない」となぜか自信満々断言した、バイデン米大統領の無責任な発言と大した違いはない。

朝日は続けて、ナワリヌイ氏の経歴について「2000年代から、政府高官の隠し資産や豪邸などを暴露するブロガーとして人気を集めた」とだけ述べる。間違いではないが、これだけでは同氏がどんな人物かわからない。

ナワリヌイ氏がロシア政界で頭角を現したのは2006年、極右の年次集会「ロシアの行進」(同年モスクワで禁止)を支持してからだ。同氏はイスラム地域からの移民を「虫歯」にたとえ、移民の自由に反対した。12年には、「ロシアの外交政策はウクライナやベラルーシとの統合に最大限向けるべきだ」と説いた

つまりナワリヌイ氏は、進歩的な朝日が忌み嫌うはずの、ヘイトスピーチを行う極右だったうえ、ウクライナのロシア統合を説く民族主義者だったのである。実際、ウクライナではロシアの民族主義者として非難された。ロシアの「侵略」と戦うウクライナを応援する日本のメディアが、そんな人物をほめたたえるのは筋が通らない。

その後、ナワリヌイ氏の発言は穏やかになったが、それは純粋な信念の変化というよりも、西側諸国の支持を得たり、自らを「反プーチン」と称したりするためだったとみられている。朝日など日本のメディアが同氏を持ち上げるのも結局、「反プーチン」なら誰でもいいからだろう。

大騒ぎされるナワリヌイ氏の死と対照的なのは、先月ウクライナの刑務所で死去した米国人ジャーナリスト、ゴンザロ・リラ氏だ。ウクライナ東部ハリコフ州に住み、ブログや動画で情報発信してきたリラ氏は昨年5月、ウクライナ保安局(SBU)に逮捕され、ウクライナの指導部と軍の「信用を失墜させた」として訴えられていた。

同氏の父親によれば、リラ氏は獄中で重い肺炎にかかったのに刑務所から無視された。父親は「息子の死に方を受け入れることはできない。拷問され、恐喝され、8カ月と11日間も隔離されていたのに、米大使館は息子を助けるために何もしなかった」と嘆いた

リラ氏の非業の死について、日本のメディアがウクライナ政府に対し怒りを表明することはなかった。同じ獄中死でも、政治的な事情によって、騒がれたり無視されたりする。これがジャーナリズムの現実なのだ。

2024-02-21

嘘の戦争

前回触れたコロンビア大学のジェフリー・サックス教授は、ウクライナ戦争の報道について「ニューヨーク・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナル、ワシントン・ポスト、MSNBC、CNNといった主要メディアは、バイデン米大統領の嘘を繰り返し、国民から歴史を隠す、政府の単なる代弁者になっている」と厳しく批判する。これら米メディアの報道を右から左に垂れ流す日本のマスコミも、「国民から歴史を隠す、政府の単なる代弁者」だといわざるをえない。
日本のマスコミはことあるごとに、米欧日の西側諸国は「民主主義陣営」だと胸を張る。けれども、政府やメディアが正しい情報を提供しなければ、民主主義の主役であるはずの国民は、物事を適切に判断できない。「ロシアは悪、ウクライナと西側は善」という単純な図式、つまり嘘を振り撒くのは、ジャーナリズムではなくプロパガンダでしかない。

起業家で論客としても知られるオリバー・サックス氏(サックス教授とは無関係)は2月18日、ソーシャルメディアのX(旧ツイッター)で、「嘘の戦争」と題する長文の投稿をした。ウクライナ戦争に関する西側の情報は、戦争の始まりだけでなく、進行中の出来事についても嘘にまみれていると告発し、終わるときにも嘘でごまかすだろうと予言する。

サックス氏は戦争の現状について、こう述べる。「ウクライナは勝っているといわれるが、実際は負けている。(略)ウクライナの最大の問題は米議会からの資金不足だといわれるが、実際には西側諸国は十分な弾薬を生産できない。解決には数年かかる問題だ」

サックス氏によれば、欺瞞はそれだけでは終わらない。「和平の機会はないといわれるが、実際には交渉による解決の機会を何度も拒まれた。ウクライナが戦闘を続ければ、交渉上の地位が高まるといわれるが、実際には、すでに提示し拒否された条件よりもはるかに悪くなるだけだ」

こうした嘘が紛争を長引かせ、その結果、ウクライナは「肉挽き機」(多数が戦死する戦場)にかける人々をさらに動員しようとし、国民の不満が急増し、ゼレンスキー政権の崩壊につながるとサックス氏は予測する。

さらにサックス氏はいう。ウクライナがついに戦争に敗れ、国が廃墟と化したとき、「嘘つきども」はこういうだろう。我々は最善を尽くした。プーチン(露大統領)に立ち向かった。プーチン擁護派の第五列(スパイ)がいなければ成功していた、と。同氏はこう締めくくる。「そして責任を転嫁し、自らをほめ称えると、アフガニスタンやイラクで大失敗した後にウクライナに移ったように、あっけらかんと次の戦争に移るだろう」

この投稿に対し、Xの会長を務める起業家イーロン・マスク氏は「的確だ」とコメントした。

サックス氏の予測が的中するかどうかはともかく、政府の公式見解に反するこうした見方もすくい上げ、公平に紹介するのが、言論の自由を掲げるジャーナリズムの役割だろう。今やその役割を果たしているのはXのような一部のソーシャルメディアであり、大手マスコミではない。

2024-02-20

ウクライナ支援停滞は当然だ

日本経済新聞は2月10日の社説で「ロシアによる侵攻を受けたウクライナへの欧米による資金支援が滞っている」と述べ、「支援の停滞が続けば、「法の支配」を守る民主主義陣営の決意の揺らぎとして世界に誤ったシグナルを発することになる」と警告を発した。正義のためなら金を惜しむなという、経済紙らしからぬ勇ましい主張だ。
もしお金が無尽蔵にあれば、正義のためにどれだけ支援しても構わないだろう。しかし残念ながら、お金は無尽蔵ではないし、コストを増税や物価高などの形で負担させられるのは、各国の納税者なのである。資金支援が滞るのは当然だ。

日経は、米国を中心とする西側諸国が「「法の支配」を守る民主主義陣営」だと持ち上げるが、いまどきそんなことを信じているのは、よほど国際情勢にうとい読者だけだろう。早い話、もし米国がそのようにご立派な「陣営」の代表だとすれば、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザの住民の大量殺害という「明白な国際人道法違反」(グテレス国連事務総長)を放置するばかりか、イスラエルに対し武器・資金の支援まで続けて平気なはずがない。

日経は、ロシアが「侵攻による利益を手にしたまま強引な停戦で幕引きをはかろうとしている」と書くが、今回の紛争がロシアの一方的な「侵攻」で起こった単純なものでないことは、政府やマスコミの垂れ流す物語を信じるだけの浅はかな読者でない限り、いい加減気づいている。

イスラエルとパレスチナの紛争が昨年10月7日に突然始まったのではないように、ロシアとウクライナの紛争も2022年2月24日にいきなり始まったのではない。コロンビア大学のジェフリー・サックス教授が整理するとおり、その原因は冷戦終結時、米欧が北大西洋条約機構(NATO)の拡張はしないとソ連に約束したにもかかわらず、それを無視して東方への拡大を続けたことにある。ロシアを悪、ウクライナを善と決めつける勧善懲悪の浪速節はもうたくさんだ。

かりに、ロシアが「強引な停戦」に持ち込んだとして、その何が悪いのか。勝ち目のない戦いをいつまでもやめさせてもらえず、日々多くの命を落とすウクライナの人々からすれば、「民主主義陣営」のメンツなどどうでもいいから、一刻も早く戦争を終わらせてほしいに違いない。

どうしてもウクライナが戦争を続けたいのであれば、自分の金でやってもらいたい。冷たく聞こえるかもしれないが、もっと早く資金支援をやめておけば、ウクライナ(とロシア)の人々はこれほど大勢死なずに済んだ。

日経は、米欧で「厭戦気分」が広がってきたという。やがて丸2年になる戦争が嫌になるのは当然だし、資金支援が尽きるのは、戦争をやめたいウクライナの人々に良いことだ。しかし日経はそれを嘆き、日本は「ウクライナを助けていく必要がある」と尻を叩く。人道支援や避難民の受け入れはともかく、ただでさえ負担増にあえぐ日本の納税者に、遠く離れた外国の戦争のために払う金は、もうない。

2024-02-17

香港「民主化運動」の真実

産経新聞は2月9日の社説で、香港の民主活動家で、カナダに事実上亡命していた周庭(アグネス・チョウ)氏が香港警察に指名手配されたことについて、「自由を求めてカナダにとどまり、香港に戻らないことを決めた周氏への報復である」と断じ、「今後、周氏の安全が脅かされることがないよう国際社会は中国と香港政府への監視を強めなければならない」と訴えた。個人の自由はもちろん、守らなければならない。しかしそれは、他人の自由を侵さない場合に限る。
香港政府は2020年、「国家分裂」「政権転覆」「テロ活動」「外国勢力と結託し国家に危害を加える」という4つの行為を処罰対象とする香港国家安全維持法(国安法)を施行した。周氏は同年8月、同法違反の容疑で逮捕される。その後保釈されたが、条件として警察に定期的に出頭する義務などを課せられていた。昨年9月、留学のためカナダに渡航した周氏は出頭日の12月28日、香港に戻らなかった。このため香港警察は周氏を指名手配した。

これに対し産経は、「自由に生きたい」という周氏の基本的人権を踏みにじるものだとして、「背後で香港政府を操る中国共産党政権の本性をあらわにしている」と中国を非難する。もし中国政府がそこまで人権無視の極悪非道なら、保釈などしないだろう。産経を含め日本の新聞・テレビがまったく報じない、香港の「民主化運動」の実態を考えれば、なおさらだ。

周氏は民主化を求めた14年の大規模デモ「雨傘運動」で注目を集めた。19年の反政府デモでは政治団体「香港衆志(デモシスト)」の幹部として、日本を含む国際社会に対中制裁など圧力強化を訴えた。日本のマスコミはこうした「民主化運動」をひたすら持ち上げるが、筑波大学名誉教授の遠藤誉氏や海外のオルタナティブ(代替)メディアによれば、この運動は「全米民主主義基金(NED)」から支援を受けている。NEDは冷戦時代に創設された団体で、米議会が出資する。世界各国の政治に影響を及ぼすため、多くの選挙やデモに介入してきたとされる。いわゆるカラー革命の工作部隊だ。

19年の反政府デモでは、香港国際空港がデモ隊に占拠され、マヒした。現場では暴力がエスカレートし多数が負傷。中国共産党系メディア環球時報の記者が空港で抗議グループに縛られ、暴行を加えられる事件が起きた。平和な抗議活動とはいえず、他者の自由・権利を明らかに侵害している。

もし日本で、中国共産党に支援された暴力的な反政府デモが起きて羽田空港を占拠し、デモ隊から自社の記者が暴行を受けたら、産経は何と言うだろうか。間違っても、民主化運動はすばらしいと称えたり、デモを主導した政治団体の幹部が「自由に生きたい」と海外に旅立ち、帰ってこないのを喜んだりはしないだろう。

産経など日本のメディアは、香港の「民主化運動」の真実を正直に伝えたうえで、中国・香港政府の対応を評価してもらいたい。

2024-02-15

日本は建国4万年

産経新聞は2月11日の社説で、当日の「建国記念の日」をテーマに取り上げた。元日に能登半島地震が起き、被災地への支援で国民の結束が求められる中、「国を愛してこそ国民の絆も強まる。日本建国の由来と意義を、改めて深くかみしめたい」と訴えた。
震災で崩れた能登の姿に心を痛め、被災した人々に同情するのは、人間として自然の感情だろう。しかし自然に生じる「絆」は、政府によって定められた「建国記念の日」とは何の関係もない。美しい日本列島やそこに暮らす人々の歴史は、日本が「建国」されたというたかだか二千数百年前よりも、はるか昔にさかのぼるからだ。

産経は建国記念の日の由来について、初代天皇の神武天皇が東に軍勢を進めて大和を平定し、現在の暦で紀元前660年2月11日に即位したことによると解説する。この説明ははしょりすぎている。神武天皇の実在そのものからして歴史学的に証明されていないのはともかく、問題は2月11日という日付だ。

『日本書紀』によると、即位は「正月」すなわち1月1日である。そこで明治政府はいったん、旧暦明治6年1月1日、すなわち新暦1月29日を紀元節(建国記念の日の前身)と定めたが、孝明天皇(明治天皇の父)の命日が1月30日だったため、前日では不都合だとして制定し直した。それもどうかと思うが、さらにあきれたことに、制定し直した2月11日という日付の理由が、よくわからない。当時の文部省天文局が「算出」したともいわれるが、算出方法は不明だ。「建国の由来と意義」を「深くかみしめ」るための日付としては、あまりにもテキトーではなかろうか。

そんなことは気にならないのか、産経は、「これは日本が建国以来、一度も滅んでいないということを示している」と誇らしげに書く。天皇家の立場でみれば(「万世一系」が事実だとして)そうなるだろう。けれども当然ながら、天皇による「建国」以前にも日本列島には人が住み、歴史があった。

たとえば、さきほど触れたとおり、神武天皇は即位前、「東征」と呼ばれる戦争で敵対勢力を次々と滅ぼしている。『古事記』によれば、土雲と呼ばれる先住民にご馳走をふるまい、油断したところを斬りかからせて皆殺しにした。土雲からすれば「一度も滅んでいない」どころか、全滅だったのである。

日本列島に人が住み始めたのは、それよりはるか昔、約4万年前の旧石器時代といわれる。もちろん当時、「日本」という国家はなかったが、国土はあり、人々は協力して暮らしていた。そういう意味での「国」は、その頃からあったといえる。

産経は「悠久の歴史を歩む国家の一員であることを喜びたい」と書く。「悠久の歴史」が二千数百年とは短かすぎる。日本の「建国」は4万年前だ。そのころ今と同じ太陽を見上げ、風に吹かれていた人々は、列島の歴史と政府の歴史を同一視する、現代の日本人をきっと笑うに違いない。

2024-02-14

NATOはいらない

日本経済新聞は2月13日の社説で「トランプ前米大統領のNATO発言を憂う」と題し、北大西洋条約機構(NATO)に関するトランプ前米大統領の発言を批判した。「NATOの信頼性を傷つけ、ロシアを利する言辞だ。決して看過できない」と大変な剣幕だ。しかしトランプ氏の発言は、的外れだとは思えない。
トランプ氏が支持者集会で語ったところによれば、大統領在任中に出席したNATO会合で、ある欧州の首脳から、国防費の負担目標を達成していなくてもその国がロシアから攻撃されたら米国が守るかどうかを問われ、「守らない」と返答したという。

背景にあるのは、NATOの国防費分担問題だ。すべてのNATO加盟国は国内総生産(GDP)の2%を国防費に充てるよう求められているが、日経も触れているとおり、31の加盟国で実現したのは米英など推計11カ国にとどまり、大国であるドイツやフランスは未達だ。

北大西洋条約第5条は、いずれかの加盟国への攻撃にその他の加盟国が集団的自衛権を行使して反撃する集団防衛を定める。「トランプ氏の発言はこれをないがしろにするものだ」と日経は非難する。けれども、いくら条約で決まっていても、義務を果たさない国を守れといわれたら、米国の納税者の多くが納得するまい。大統領返り咲きを狙って選挙運動中のトランプ氏の発言は、納税者のまっとうな不満や疑念を意識したものだろう。

そもそも、日経など大手メディアが決して語らないことだが、NATOという軍事同盟は本当に必要なのか。冷戦時代にソ連に対する防衛を理由に結成されたのだから、本来なら冷戦終結とともに解散するべきだった。しかし米欧の軍産複合体の利権と結びついたNATOはその道を選ばず、人権や対テロ戦争を旗印に掲げ、荒っぽい「世界の警察官」として振る舞い始めた。ユーゴ空爆、アフガン攻撃、リビア空爆などだ。いずれも多数の市民の命を奪い国土を荒廃させたうえ、混乱だけを残す大失敗に終わった。

日経は「ロシアのウクライナ侵攻でNATOの重要性は増した」という。しかしロシアがウクライナに攻め込んだのも、元はといえばNATOがロシアとの約束を無視して東方拡大を進め、ついにウクライナまで加盟させようとしたのが原因だ。

そのNATOが、今度はインド太平洋地域進出を狙っている。過去の「実績」から、ろくなことにならないのは明らかだ。日経は「中国は同盟国を軽んじるトランプ氏の発言を注視しているに違いない」と中国の脅威をあおるが、少なくとも中国はNATOのような害悪を世界に及ぼしたことはない。トランプ氏はNATOそのものを否定まではしていないが、NATOはいらない。

2024-02-03

リバタリアンとガザ攻撃

昨年10月7日にパレスチナの武装勢力ハマスが行った大規模なロケット弾攻撃に対する「報復」として、今もイスラエルによるガザ地区、ヨルダン川西岸地区への無差別爆撃が続き、世界の注目を浴びている。この問題について、リバタリアンはどう考えるのだろうか。

(写真左からホッペ、ロスバード、ロックウェル)

リバタリアニズムとは「米国型資本主義」をひたすら礼賛する弱肉強食の思想だと信じ、毛嫌いする人は、その米国が肩入れし支援するイスラエルのガザ攻撃を、リバタリアンは当然支持するものだと思うかもしれない。それは間違いだ。この誤解を解く格好の「事件」が最近起こった。

ウォルター・ブロックといえば、現代のリバタリアン経済学者を代表する一人だ。著書『不道徳な経済学』は、売春婦や転売屋は社会の役に立つと大胆に主張する興味深い本で、私自身、昨秋から神奈川減税会の勉強会でこの本の邦訳書を教材に選び、読み進めている。ブロックは他にも切れ味鋭い論文やコラムを数多く発表しており、すばらしいリバタリアン知識人だと思っていた。

ウォルター・ブロック
ウォルター・ブロック
(wikipedia.org)

ただし、気になることがあった。ユダヤ系米国人のブロックは2021年、アラン・フューターマンという経済学者と共著で『イスラエルを支持する古典的自由主義の主張』という本を出版している。序文を寄せたのは、今まさにガザを激しく攻撃している、イスラエルのネタニヤフ首相だ。違和感を覚えたものの、値段が高い(キンドル版で約1万6000円)こともあり、内容を確かめることなく、ほったらかしてしまった。

そして昨年、ガザ攻撃の始まった数日後の10月11日。ブロックはフューターマンと連名で、米経済紙ウォールストリート・ジャーナルのオピニオン欄に「ハマス壊滅の道徳的義務」と題する記事を寄稿した。「イスラエルは、その隣に存在するこの邪悪で堕落した文化を根絶やしにするために、必要なことは何でもする権利がある」という勇ましいリード文が、内容を端的に示している。この主張がいかにリバタリアニズムに反するものかは、後の説明でわかるだろう。

ブロックらの寄稿に対しては、リバタリアンの間で非難が起こった。反戦派ジャーナリストのスコット・ホートンはユーチューブで、「ウォルターはイスラエル・ガザの見解のおかげでリバタリアニズムから追い出された」と語り、ファンドマネジャーのケビン・ダフィーはブロックの主張をその師マレー・ロスバード(故人)と比較し、「戦争における民間人の殺害に関して、リバタリアン論壇の中に亀裂を感じる。それともブロックは単に敵前逃亡したのだろうか」と述べた

エコノミストのサイファディーン・アモウズ(邦訳書に『ビットコイン・スタンダード』)は以前、パレスチナ問題についてブロックと議論したことがあった。10月の記事が出た後、ブロックから、意見の異なるリバタリアンであっても、同意する問題については協力できることを示そうと論文の共同執筆を提案され、次のような厳しい返信(本人の許可を得てステファン・キンセラがブログに掲載)で怒りをあらわにした。

ウォルターへ

私たちの討論で、あなたがパレスチナ人の私有財産権の正当性を認めず、社会主義的な政府機関であるイスラエル土地公社によるパレスチナの土地の独占継続を支持していることがはっきりした。また、あなたは最近、ウォールストリート・ジャーナルの血に飢えた論説で明らかにしたように、罪のない民間人を絨毯爆撃しても、自分の仲間でなければ許されると考えている。この2つの事実は、人間関係の基本として財産権を認め、自分から攻撃をしかけることを否定する私のような文明的な人間と、暴力と窃盗を支持するあなたのような野蛮な社会主義者の怪物との間に、建設的な対話の余地がないことを意味している。あなたのような考えを持つ人と付き合うことで名前を汚すような提案は、誰からであれ、ありえない。

(ガザ問題と)無関係な論文を私と書くことで、大量虐殺を支持することへの罪悪感を和らげようとするよりも、(経済学者)ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの『ヒューマン・アクション』を読んで、文明にとって財産権が切っても切り離せない重要性を理解し、ホッペ教授(後述)の議論倫理学を読んで、財産権を否定する社会主義者と私が関わることがなぜ無意味なのかを理解するよう勧める。これらの点については、ここに添付した私の最新刊『経済学原理』でも詳しく論じている。これらの著者が書いているのは、売春や政治的シオニズム、その他の憎むべき退廃を擁護することに専心する、ウケ狙いの浅はかなリバタリアニズムという、あなたの白痴的なブランドよりもはるかに知的レベルの高いものであることは承知しているが、あなたが根気強く自らを奮い立たせれば、人間社会がどのように平和的に機能するかを理解し、晩年には自分を取り戻せるかもしれないと期待している。

もしあなたがこれらの本を読み、正気に戻り、歴史的パレスチナの土地の私有化を公に支持し、民間人への爆撃を糾弾する気があるなら、喜んであなたと仕事をすることを検討したい。それまでは、文明的な人間とだけ協力し続け、あなたとその仕事はこのまま無関心を装ううちに消えていくだろう。

サイファディーンより

売春を擁護するブロックの著書まで「ウケ狙いの浅はかなリバタリアニズム」とばっさりやられては、勉強会の教材に選んだ私の立つ瀬がないが、それはともかく、ガザ問題に関するアモウズのブロック批判は正しい。とくに、罪のない民間人に対する無差別爆撃が、暴力による身体・財産への一方的な侵害を否定する、リバタリアンの「非侵害原則」に反することは明らかである。

2024-01-11

規制で自滅する日本経済

日本経済新聞は1月8日の社説で「構造的な人手不足に克つ大改革を」と題し、2024年は運輸・建設業などで人手不足が今まで以上に大きな社会課題となるとして、「官民挙げて聖域なき改革に踏み出す」よう求めた。
「官民挙げて」とはメディアでよく目にする景気のいい言葉だが、社会課題を解決するのに必要なのは「民」(民間)の力であって、「官」(政府)は引っ込んでおいてもらいたい。そもそもたいていの社会問題は、政府の規制が原因だからだ。政府がまたぞろしゃしゃり出れば、問題はむしろ悪化する。人手不足も例外ではない。

運輸業界では「2024年問題」が騒がれる。その要因は、今年4月から施行されるトラックドライバーの時間外労働の規制強化だ。時間外労働時間は年間960時間に規制されるほか、国がルールとして定める年間の拘束時間が、3300時間に見直される。これまでは時間外労働に関する規制はなく、年間の拘束時間についても3516時間となっていた。

政府は今回の規制強化をトラックドライバーの労働環境改善につなげるというが、他のあらゆる規制同様、むしろ逆効果だ。時間外労働が減れば当然、収入は減る。すでにドライバーの間で、働く時間が短くなれば、その分給与が減ってしまうので、そちらのほうが困るという声が上がっている。仕事が楽になっても給与が減ってしまっては、本末転倒だ。収入減を補うために無理なアルバイトなどを強いられれば、結局、体は楽にならない。

NHKが取材した埼玉県の運送会社では、長距離輸送の仕事を減らさざるをえないという。規制が強化されると交代のドライバーが同乗する必要があるが、人手不足で新たな雇用は難しい。このため長距離輸送の受注を減らし、代わって短中距離輸送を増やす方針だが、単価の高い長距離輸送を減らせば、売り上げに響きかねない。会社の経営が苦しくなれば、ドライバーの待遇や雇用にも当然響く。

日経は、「長時間働いて稼ぐ」という意識を変えるには、「歩合給から固定給への転換が重要」と説くけれども、固定給は会社にとってはコスト上昇になりやすく、ドライバーのリストラにつながりかねない。

本来なら時間外労働への規制強化そのものを撤回すべきだが、それが無理なら、日経が述べるように、自動運転、ドローンでの配達、ロボットによる積み荷、ライドシェアの解禁など、さまざまな創意工夫を可能にする規制緩和を急ぐべきだ。だが政府の腰は重い。このままでは、日本経済は規制にがんじがらめとなり、自滅するしかない。

2024-01-08

民主主義で分断は解決できない

朝日新聞は1月6日の社説で、世界各地で社会の分断が極度の政治不信を生んでいるとして、民主主義が機能するためには「政治的に競い合う相手を「排除すべき敵」ではなく、正当な存在と認める自制と寛容が必要だ」と説いた。ご立派な主張だが、問題点が少なくとも2つある。
まず、朝日を含む大手メディア自身が社会の分断をあおってきた事実を無視している。次に、社会の分断は民主主義で解決することはできない。順に説明しよう。

朝日は、米バイデン政権は前任のトランプ政権の政策のひずみを正さず、むしろ中国やロシアへの対抗を念頭に「専制主義か、民主主義か」という対立軸を打ち出し、新たな分断を助長したと批判する。だが朝日など日本の大手メディアは、バイデン政権やその忠実なしもべである岸田政権の尻馬に乗り、中国やロシアを、民主主義を踏みにじる専制国家として非難してきた。

とくにロシアに対する攻撃は目に余る。朝日は同じ社説で、3月に予定されるロシア大統領選は「プーチン氏の独裁とウクライナ侵略を正当化する茶番になるだろう」と切り捨て、ロシアでは「反対勢力は排除され、言論統制は一層深まった」と非難する。一方のウクライナでロシア以上の言論統制や反対勢力の排除が横行していることには、知らんぷりだ。

ウクライナとロシアの紛争には、昨年10月激化したイスラエルとパレスチナの紛争と同じく、それまでの長い経緯があるのに、それを無視してロシアを一方的に「排除すべき敵」と決めつける。「正当な存在と認める自制と寛容」などかけらもない。

次に、朝日によれば、米国の民主主義は秋の大統領選で試練に直面する。バイデン氏当選を認めない共和党支持者がなお6割超もいる中で、トランプ氏が返り咲けば、内外の分断と対立はより深まりかねないという。そうなるかもしれない。だからといって、社会の分断と対立は民主主義で解決することはできない。

民主主義とは、ざっくり言ってしまえば、意見の異なる人々を多数決で無理やりまとめ、同じ考えに従わせようとする制度である。自分の意見が認められない人は他者と反目し、溝を深める。民主主義はそもそも分断や対立を招きやすい政治制度なのだ。その弊害は国が大きくなるほど深刻になる。価値観や主張の異なる多くの人々が住むからだ。

そうだとすれば、改善策は一つしかない。国をできるだけ小さくすることだ。具体的には、既存の国からの分離独立である。米国で共和党支持者の多い「赤い州」が、民主党支持者の多い「青い州」と別れて別の国になれば、社会の分断・対立はかなり和らぐだろう。実際、カリフォルニア州、テキサス州、ニューハンプシャー州などに分離独立の運動がある。

日本でも政府の増税政策に我慢ならない人は、どこかの町か村に集まって、分離独立を試みてはどうだろう。政府や大手メディアはきっと反対しないはずだ。政府やメディアがいまだに熱心に支援するウクライナは、ソ連から独立してできた国なのだから。

2024-01-03

被災者支援は市場の力で

元日の夕方、石川県の能登地方でマグニチュード7・6、最大震度7の強い地震が起きた。輪島市で約200棟が燃える大規模火災が発生したほか、各地で建物の倒壊が相次いだ。命を落とした人以外に、倒壊や火災で家を失った被災者が多く、避難生活の長期化も懸念される。
3日付の社説で産経新聞は「被災者を支えるために国民一人一人が「できることをやる」という意識を共有することが大事だ」と述べた。同じく朝日新聞は「国や自治体が果たすべき「公助」が追いつかない時が増えている。こういう時こそ、地域のつながりによる「共助」の力も十分に発揮したい」と訴えた。

これらの主張は大切なことを見落としている。被災者支援に最も力を発揮するのは、「公助」でもなければ、「共助」でもない。自由な市場経済の力だ。そして市場経済が存分にその力を発揮するうえで、国民一人一人の「できることをやる」という道徳意識などは必要ない。平時と変わらず利益を追求する企業家精神があればいい。

朝日は「温かい食べ物は供給できているか。ベッドや布団、暖房器具などは十分か。物資の供給には全力を尽くしたい」と力を込める。ここに列挙された、温かい食べ物、ベッド、布団、暖房器具のうち、国や自治体の「公助」や、地域のつながりによる「共助」によって生産できるものは一つもない。いずれもそれぞれ専門の民間企業によって作られ、販売される。列挙された以外の多数の製品・サービスについても同様だ。

民間企業の活動を導くのは、つねに利益だ。企業のオーナーが被災地に多額の寄付をすることもあるが、それは個人としての行動であり、企業はあくまでも利益の獲得を目的とした製品・サービスの供給を通じて社会に貢献する。それは平時においても、自然災害のような有事においても変わらない。

むしろ有事こそ、民間企業の迅速な対応力が明らかになる。地震のあった石川、新潟、富山などでセブン―イレブンやファミリーマートなどコンビニエンスストアは一時休業したものの、安全確認と清掃が終わり次第、順次営業を再開している。総合スーパーなどを展開するイオンは、一部専門店で営業を見合わせているが、食品・日用品を中心に全店で営業している。

政府は岸田文雄首相を本部長とする非常災害対策本部で、コンビニやスーパーなどの民間事業者と協力することを決めたという。しかしはっきり言って、余計なお世話だ。民間企業は政府から言われるまでもなく、営利活動を通じてすでに被災地を支えている。政府がやるべきは、市場経済が今以上に力を発揮できるよう、各種の減税や規制撤廃をただちに実行することだ。

2024-01-01

「米国による平和」の嘘

朝日新聞は元日の社説で「紛争多発の時代に」と題し、国際紛争の多発について論じている。一読して驚いた。紛争多発の原因に関する認識が、事実とあまりにかけ離れているからだ。
朝日が引用するスウェーデンのウプサラ大学の分析によれば、冷戦終了後に着実に減りつつあった武力紛争は、2010年を境に増加に転じた。直近の集計では世界で進行中の紛争は187に達しているという。

問題はここからだ。まず、朝日はこう書く。「2010年といえば、米国はオバマ政権の1期目。リーマン・ショックによる不況が尾を引き、米国の対外政策が一気に内向きに転じた年である。パックス・アメリカーナ(米国による平和)の陰りは隠しようもなく、一方で中国が大国志向を強めた」

2010年から米国の対外政策が「内向きに転じた」と朝日は批判し、それによってそれまでの「パックス・アメリカーナ」が乱れたと嘆いている。しかし世界の平和はすでにそれ以前から、アフガニスタン戦争(開始は2001年、以下同)やイラク戦争(2003年)といった「対テロ戦争」によって乱されていたし、その軍事介入を主導したのはほかならぬ米国だ。「内向きに転じた」という2010年以降も、米国はリビア(2011年)やシリア(2014年)で軍事介入を主導してきた。

「米国による平和」どころか、「米国による戦争」である。朝日はこうした事実を無視したうえで、さらにこう述べる。

かくして冷戦後の国際秩序は根底から揺らぎ、「警察官」を失った世界は不安定化した。抑え込まれてきた緊張関係や、先進諸国から忘れ去られていた地域紛争が、相次いで「着火」した。

国際情勢が不安定になり、紛争が多発するようになったのは、米国が世界の「警察官」の役割を果たさなくなったからだというのだ。しかし、これまで述べた事実に照らせば、実際は正反対だろう。米国が世界の警察官気取りで、各国で軍事介入を繰り返したことこそが、国際情勢を不安定にしたのだ。日本もその誤った対外政策に追随してきた。

今この瞬間も、米国は北大西洋条約機構(NATO)を通じてウクライナを支援し、ロシアとの紛争を長引かせているし、イスラエルに武器・資金を供与し、パレスチナ自治領ガザに人道危機をもたらしている。どちらも、遠く離れた米国の自衛に必要な介入だとは思えない。

自衛に無関係な軍事介入はしないのが、米国の伝統のはずだ。第6代大統領ジョン・クインシー・アダムズは「諸外国が米国の志向する理念や理想に反する内政を行っても、他国の問題に干渉するのを慎んできた」と述べ、「米国は倒すべき怪物を探しに海外へ行ったりしない」と戒めた。

大統領選を控える2024年、米国がなすべきは、朝日があおるような、世界の警察官として張り切るのではなく、多数の人々を不幸にするおせっかいな軍事介入をやめることだ。