2023-12-20

ウクライナ戦争の本当の歴史

コロンビア大学教授、ジェフリー・サックス
(2023年9月20日)

米国民は、ウクライナ戦争の本当の歴史と現在の見通しを緊急に知る必要がある。残念ながら、ニューヨーク・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナル、ワシントン・ポスト、MSNBC、CNNといった主要メディアは、バイデン米大統領の嘘を繰り返し、国民から歴史を隠す、政府の単なる代弁者になっている。
バイデン氏は昨年、「神に誓って、あの男(プーチン露大統領)は権力の座に留まることはできない」と宣言した後、今回もまた同大統領を非難し、「土地と権力に対する卑屈な欲望」と非難している。 しかしバイデン氏は、ウクライナへの北大西洋条約機構(NATO)拡大を推し進め続けることで、ウクライナを未解決の戦争に陥れている張本人である。バイデン氏は米国民とウクライナ国民に真実を伝えることを恐れ、外交を拒否し、代わりに永久戦争を選んでいる。

バイデン氏が長年推進してきたウクライナへのNATO拡大は、米国の破綻した策略である。 バイデン氏を含むネオコン(新保守主義者)たちは、1990年代後半から、ロシアが声高に長年反対しているにもかかわらず、米国はNATOをウクライナ(とグルジア〔ジョージア〕)に拡大できると考えていた。 プーチン氏がNATOの拡大をめぐって実際に戦争を起こすとは考えていなかった。

しかしロシアにとっては、ウクライナ(とグルジア)へのNATO拡大は、ロシアの国家安全保障に対する存亡の危機とみなされている。特に、ロシアはウクライナと2000kmの国境を接しており、グルジアは黒海の東端に位置する戦略的な立場にある。 米国の外交官たちは何十年もの間、この基本的な現実を米国の政治家や将軍たちに説明してきたが、政治家や将軍たちはそれにもかかわらず、傲慢かつ粗野にNATO拡大を推し進めてきた。

この時点でバイデン氏は、ウクライナへのNATO拡大が第三次世界大戦の引き金になることを熟知している。 だからこそ、バイデン氏は(リトアニアの首都)ビルニュスで開いたNATOサミットで、NATO拡大のギアを低速に入れたのだ。 しかし、バイデン氏はウクライナがNATOの一員になることはないという真実を認めるどころか、ウクライナの最終的な加盟を約束することで前言を翻している。 実際には、バイデン氏は米国の国内政治、とりわけ政敵に弱く見られることを恐れている以外の理由はなく、ウクライナに血を流し続けさせることを約束しているのだ(半世紀前、ジョンソン、ニクソン両米大統領は、〔内部告発者〕故ダニエル・エルズバーグ氏が見事に説明したように、本質的に同じ哀れな理由で、同じ嘘をついてベトナム戦争を継続した)。

ウクライナは勝てない。 ロシアが戦場で勝つ可能性の方が高い。しかし、たとえウクライナが通常戦力とNATO兵器で突破したとしても、ロシアはウクライナでのNATOを阻止するために必要ならば核戦争に踏み切るだろう。

バイデン氏はそのキャリア全体を通じて軍産複合体に仕えてきた。同氏はNATOの拡大を執拗に推進し、アフガニスタン、セルビア、イラク、シリア、リビア、そして現在のウクライナで、米国を深く不安定化させる戦争を支持してきた。バイデン氏は、さらなる戦争とさらなる「増派」を望み、騙されやすい国民を味方につけるために、目前に迫った勝利を予言する将軍たちに従う。

さらに、バイデン氏とそのチーム(ブリンケン国務長官、サリバン大統領補佐官、ヌーランド国務次官)は、西側の制裁がロシア経済を締め上げる一方で、高機動ロケット砲システムHIMARS(ハイマース)のような奇跡の兵器がロシアを打ち負かすという自分たちのプロパガンダを信じているようだ。 そしてその間ずっと、米国人に対し、ロシアの6000発の核兵器には注意を払うなと言ってきた。

ウクライナの指導者たちは、理解しがたい理由からアメリカの欺瞞に付き合ってきた。おそらく彼らは米国を信じているか、恐れているか、自国の過激派を恐れているか、あるいは単なる過激派で、ウクライナが核超大国を打ち負かすことができるというナイーブな信念のもとに、何十万人ものウクライナ人を死傷させる覚悟があるのだろう。あるいは、ウクライナの指導者の中には、数百億ドルにのぼる西側の援助や武器からかすめ取ることで財を成している者もいるかもしれない。

ウクライナを救う唯一の方法は、交渉による和平だ。交渉による解決では、米国はNATOがウクライナに拡大しないことに同意し、ロシアは軍隊の撤退に同意するだろう。 クリミア半島、ドンバス地方、米国と欧州の制裁、欧州の安全保障体制の将来といった残された問題は、終わりのない戦争ではなく、政治によって処理されるだろう。

ロシアはこれまで何度も交渉を試みてきた。NATOの東方拡大を阻止しようとしたり、米国や欧州との間で適切な安全保障上の取り決めを見つけようとしたり、2014年以降のウクライナの民族間問題を解決しようとしたり(ミンスク合意1と同2)、対弾道ミサイルの制限を維持しようとしたり、ウクライナとの直接交渉を通じて2022年にウクライナ戦争を終結させようとしたりしてきた。いずれの場合も、米政府はこれらの試みを軽視、無視、あるいは妨害し、しばしば「米国ではなくロシアが交渉を拒否している」という大嘘をついた。ケネディ米大統領(当時)は1961年、まさに正しいことを言っている。「恐怖から交渉することはないが、交渉することを恐れることはない」。バイデン氏がケネディ氏の不朽の名言に耳を傾けさえすればと思う。

バイデンや主流メディアの単純化された物語を超えるために、現在進行中の戦争につながるいくつかの重要な出来事の簡単な年表を提供する。

1990年1月31日。 ゲンシャー独外相がソ連のゴルバチョフ大統領に、ドイツ統一とソ連・ワルシャワ条約軍事同盟の解体という文脈において、NATOは「領土の東方への拡大、すなわちソ連国境への接近」を排除することを約束。

1990年2月9日 。ベーカー米国務長官がゴルバチョフ・ソ連大統領と「NATOの拡張は容認できない」と合意。

1990年6月29日~7月2日。ウェルナーNATO事務総長、露高官代表団に「NATO理事会と彼(ウェルナー)はNATOの拡張に反対している」と伝える。

1990年7月1日。ウクライナ国会、国家主権宣言を採択。「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国は、軍事ブロックに参加せず、非核三原則(核兵器の受け入れ、製造、購入)を堅持する永世中立国になることを厳粛に宣言する」

1991年8月24日。ウクライナが中立の誓約を含む1990年の国家主権宣言に基づいて独立を宣言。

1992年半ば。ブッシュ米政権の政策立案者たちが、先ごろソビエト連邦とロシア連邦に対して行った約束に反して、NATOを拡大するという合意を内部で密かに結ぶ。

1997年7月8日。マドリードNATO首脳会議で、ポーランド、ハンガリー、チェコがNATO加盟交渉開始の招待を受ける。

1997年9~10月。ブレジンスキー元米国家安全保障顧問が「フォーリン・アフェアーズ」誌(1997年9/10月号)でNATO拡大のスケジュールを詳述し、ウクライナの交渉開始は暫定的に2005~2010年とする。

1999年3月24日〜6月10日。NATOがセルビアを空爆。 ロシアはNATOによる空爆を「明白な国連憲章違反」と非難。

2000年3月。ウクライナのクチマ大統領、「この問題は非常に複雑で、多くの角度があるため、今日ウクライナがNATOに加盟する可能性はない」と表明。

2002年6月13日。米国が弾道弾禁止条約から一方的に脱退。露下院国防委員会の副委員長は、この行動を「歴史的規模の極めて否定的な出来事」と評する。

2004年11~12月。ウクライナで「オレンジ革命」が勃発。西側諸国はこれを民主化革命とみなし、露政府は西側諸国が米国の表向きと裏向きの支援を得て作り上げた権力奪取とみなした。

2007年2月10日。プーチン露大統領はミュンヘン安全保障会議での演説で、NATOの拡大を背景とした米国の一極世界の構築を強く批判し、次のように宣言した。「NATOの拡大は、相互信頼のレベルを低下させる深刻な挑発行為であることは明らかだ。この拡大は誰に対するものなのか。そして、ワルシャワ条約解体後に西側諸国が交わした保証はどうなったのか」

2008年2月1日。バーンズ駐露米大使がライス国家安全保障顧問に「ニエット(否)はニエットを意味する――NATO拡大へのロシアの越えてはならない一線」と題する極秘電報を送る。「ウクライナとグルジアのNATO加盟への意欲は、ロシアの神経を逆なでするだけでなく、この地域の安定に深刻な影響を与える懸念がある」と強調。

2008年2月18日。米国は、ロシアの激しい反対を押し切ってコソボの独立を承認。 露政府は、コソボ独立は「セルビア共和国の主権、国際連合憲章、国連安保理決議1244号、ヘルシンキ最終法の原則、コソボ憲法の枠組み、高官級コンタクトグループ合意」に違反すると宣言。

2008年4月3日。NATOは、ウクライナとグルジアが「NATOに加盟する」と宣言。ロシアは「グルジアとウクライナの同盟加盟は、汎欧州の安全保障にとって最も深刻な結果をもたらす大きな戦略的過ちである」と宣言。

2008年8月20日。米国は、ポーランドに弾道ミサイル防衛(BMD)システムを配備すると発表。 ロシアはBMDシステムに強い反対を表明。

2014年1月28日。ヌーランド国務次官補とパイアット駐ウクライナ米大使がウクライナの政権交代を画策。その中でヌーランド氏は「バイデン(副大統領)は取引成立に協力するつもりだ」と述べている。

2014年2月21日。ウクライナ、ポーランド、フランス、ドイツの政府は、ウクライナの政治危機の解決に関する合意に達し、年明けに新たな選挙を実施することを決定。 極右武装組織「右派セクター」などがヤヌコビッチ・ウクライナ大統領の即時辞任を要求し、政府庁舎を占拠。 ヤヌコビッチ氏は逃亡。 議会は弾劾手続きを経ずに即座に大統領の権限を剥奪。

2014年2月22日。米国は即座に政権交代を支持。

2014年3月16日。ロシアはクリミアで住民投票を実施し、露政府によると、ロシアの支配を支持する票が多数を占める結果となった。 3月21日、露下院はクリミアのロシア連邦加盟を決議。露政府はコソボの住民投票との類似性を指摘。 米国はクリミアの住民投票を違法として拒否。

2014年3月18日。プーチン大統領は政権交代をクーデターと位置づけ、次のように述べた。「ウクライナで起きた最近の出来事の背後にいた人々は、別の意図を持っていた。新たな政府乗っ取りを準備していた。政権を奪取しようとし、手段を選ばなかった。テロ、殺人、暴動に訴えた」

2014年3月25日。オバマ米大統領は、ロシアを「近隣諸国を脅かしている地域大国であり、それは強さではなく弱さによるものだ」と嘲笑した。

2015年2月12日。ミンスク合意2調印。2015年2月17日、この合意は国連安全保障理事会決議2202によって全会一致で支持される。メルケル前独首相は後に、ミンスク合意2はウクライナに軍事強化の時間を与えるためのものだったと認めている。 ウクライナによる履行は見送られ、ゼレンスキー同国大統領も合意を履行する意思がないことを認めた。

2019年2月1日。米国が一方的に中距離核戦力(INF)条約を脱退。 ロシアはINF離脱を安全保障上のリスクを煽る「破壊的」行為だと厳しく批判。

2021年6月14日。ブリュッセルで開催された2021年NATO首脳会議で、NATOはウクライナを拡大し含める意向を再確認・「2008年のブカレスト・サミットで決定された、ウクライナが同盟の一員となることを再確認する」。

2021年9月1日。米国は「米・ウクライナ戦略的パートナーシップに関する共同声明」において、ウクライナのNATO加盟志向を改めて支持。

2021年12月17日。プーチン大統領、NATOの非拡大と中・短距離ミサイルの配備制限を柱とする「安全保障に関するアメリカ合衆国とロシア連邦との間の条約」草案を提出。

2022年1月26日。米国はロシアに対し、米国とNATOはNATO拡大の問題をめぐってロシアと交渉しないと正式に回答し、ウクライナ戦争の拡大を回避するための交渉の道を閉ざす。米国はNATOの方針として、「同盟に加盟する国を招く決定は、すべての同盟国のコンセンサスに基づいて北大西洋理事会が行う。このような審議に第三国が口を挟むことはない」。 要するに、米国はウクライナへのNATO拡大はロシアには関係ないと主張しているのだ。

2022年2月21日。 ロシアの安全保障理事会で、ラブロフ外相が米国の交渉拒否について詳述。「我々は1月下旬に彼らの回答を受け取った。この回答を評価すると、西側諸国は我々の主要な提案、主にNATOの東方不拡大に関する提案を取り上げる用意がないことがわかる。この要求は、NATOのいわゆる門戸開放政策と、安全保障を確保する方法を各国が独自に選択する自由について言及し、拒否された。米国も北大西洋同盟も、この重要な条項に対する代替案を提案しなかった」

「米国は、我々が基本的に重要だと考え、これまで何度も言及してきた安全保障の不可分性の原則を回避するために、あらゆる手段を講じている。同盟を選ぶ自由という自分たちに都合のいい要素だけをこの原則から導き出し、それ以外は完全に無視しているのだ。同盟を選ぶ場合もそうでない場合も、他国の安全保障を犠牲にして自国の安全保障を強化することは許されないという、重要な条件も含めてである。

2022年2月24日。プーチン大統領は国民への演説でこう宣言した。「過去30年にわたり、我々は欧州における平等かつ不可分の安全保障の原則について、NATOの主要国と辛抱強く合意に達しようとしてきた。この提案に対して、我々は常に皮肉なごまかしや嘘、あるいは圧力や恐喝の試みに直面し、一方で北大西洋同盟は我々の抗議や懸念にもかかわらず拡大を続けた。その軍事組織は動き出しており、申し上げたように、まさに我々の国境に近づいている」

2022年3月16日。ロシアとウクライナは、トルコとベネット・イスラエル首相の仲介による和平合意に向けて大きく前進したと発表。 報道されているように、合意の基礎には以下が含まれる。「ウクライナが中立を宣言し、軍備の制限を受け入れれば、停戦とロシアの撤退が可能になる」

2022年3月28日 。ゼレンスキー大統領は、ウクライナはロシアとの和平協定の一環として、安全保障と組み合わせた中立の用意があると公言。 「安全保障と中立、我が国の非核地位、我々はその用意がある。それが最も重要な点だ……彼らはそのために戦争を始めたのだから」

2022年4月7日。 ロシアのラブロフ外相が、ウクライナが以前に合意した提案を反故にしたと主張し、和平交渉を頓挫させようとしている西側を非難。 ベネット・イスラエル首相はその後(2023年2月5日)、懸案となっていたロシアとウクライナの和平合意を米国が阻止したと述べる。ベネット首相は、西側諸国が協定を阻止したのかと問われ、こう答えた。「基本的にはそうだ。私は彼らが間違っていると思った」。 ある時点で、西側諸国は「交渉するよりもプーチン氏を潰す」と決めたのだ、とベネット氏は言う。

2023年6月4日。ウクライナは大規模な反攻を開始するが、2023年7月中旬時点では大きな成果は得られず。

2023年7月7日。バイデン米大統領が、ウクライナが155ミリ砲弾を「使い果たし」、米国も「残り少なくなっている」と認める。

2023年7月11日。ビルニュスで開催されたNATO首脳会議で、最終コミュニケがウクライナのNATOにおける将来を再確認。「我々は、ウクライナが自国の安全保障体制を選択する権利を全面的に支持する。 ウクライナの将来はNATOの中にある......ウクライナは同盟国との連携や政治統合を深めており、改革路線を大幅に前進させている」

2023年7月13日。オースティン米国防長官、戦争終結後、ウクライナは「間違いなく」NATOに加盟すると改めて表明。

2023年7月13日。プーチン大統領は次のように繰り返す。「ウクライナのNATO加盟については、何度も言っているように、明らかにロシアの安全保障にとって脅威となる。実際、ウクライナのNATO加盟という脅威が、特別軍事作戦の理由というか、理由の一つになっている。ウクライナの安全保障を強化するものでもないことは確かだ。一般的には、世界をより脆弱にし、国際舞台での緊張を高めることになる。 だから、これには何のメリットもない。我々の立場はよく知られており、以前から決まっていたことだ」

The Real History of the War in Ukraine - Antiwar.com [LINK]

【訳者コメント】最近勃発したイスラエルとパレスチナの紛争では、日本の大手メディアは過去のいきさつを踏まえ、多少バランスの取れた報道をしている。それに引き換え、ウクライナとロシアの紛争に関する報道は、「ウクライナは善、ロシアは悪」と一方的に決めつけるひどいものだ。サックス教授はそれを腹にすえかね、リベラルのエリート学者でありながら、米政府の公式見解に反するウクライナ戦争の真実を訴える。それは陰謀論でもなんでもなく、ウクライナ戦争の勃発前までは大手メディアも報じていた事実にすぎない。政治的に不都合な事実は、なかったことにされてしまうのだ。

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