2023-03-28

ミンスク合意の裏切り

コラムニスト、テッド・スナイダー
(2023年3月20日)

歴史を振り返ると、ミンスク合意(東部ウクライナにおける紛争の停止を目指した合意。2014年の「ミンスク1」と2015年の「ミンスク2」がある)を結ばなくてよかった世界がある。
2014年、米国が支援したクーデターにより、民主的に選ばれ、東部を地盤とするウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ大統領が解任され、米国が選んだ米欧寄りの(ペトロ・ポロシェンコ)大統領と交代させた。ビクトリア・ヌーランド国務次官補(欧州・ユーラシア担当)は、ヤヌコビッチの後任としてアルセニー・ヤツェニュク(元ウクライナ首相)を米国が選んだとする通話が傍受されている。

新たな政府は、(東部)ドンバス地方が求める多文化ウクライナを否定し、民族主義的で一元論的なウクライナの実現を要求した。ドンバスのロシア系民族は、その言語、文化、権利、財産、生命に対する攻撃に苦しむことになる。

ドンバスはクーデター政権に反抗し、2014年5月までに、ある種の自治を宣言する住民投票を承認した。ウクライナの内戦は始まっていたのである。

ドンバスの暴力に対する最善の解決策は、ミンスク合意だった。ミンスク合意はフランスとドイツが仲介し、ウクライナとロシアが合意し、2014年と2015年に米国と国連が受諾したものである。ドンバスに完全な自治権を付与しつつ平和的にウクライナに返還することで、ウクライナにはドンバスを維持するチャンスを、ドンバスには平和とその望む統治を実現するチャンスを与えるものだった。

しかし、ミンスク合意以前に可能な解決策があった。

5月11日、ドンバスのドネツク州とルガンスク州は、主権獲得に賛成した。プーチン(露大統領)は住民投票の延期を要請しており、ロシアは民意を尊重しながらも、その結果を認めなかった。

2週間後、ポロシェンコが大統領に選出され、ドンバスの反政府勢力指導者と平和的解決に向けた交渉を開始した。交渉は順調に進み、翌月末にはドンバスをウクライナに平和的に残すための方式が見いだされた。この時点で、6月24日、ロシア議会は海外での軍隊使用権限を取り消した。和平は可能だった。

しかしその代わりに、(米政治学者)ニコライ・ペトロの報告によれば、ウクライナ政府は、プーチンが軍隊を撤退させたことで、ウクライナ軍が新たな優位に立つと判断し、ポロシェンコは和平を追求するのではなく、ドンバスを軍事的に奪還するための攻撃の開始を命じた。

この和平プロセスへの裏切りによって、ミンスク合意の調印が必要となったのである。戦いに敗れたポロシェンコは、ドンバスの平和的返還交渉に後退せざるをえなかった。

ミンスク合意が最善の解決策となったのは、ポロシェンコが和平交渉を妨害した後であった。ポロシェンコはミンスク合意も妨害してしまうだろう。それには多くの手助けがあったかもしれない。

ミンスク合意は、ロシアのプーチン大統領、ウクライナのポロシェンコ大統領、ドイツのアンゲラ・メルケル首相、フランスのフランソワ・オランド大統領によって交渉された。プーチンの各交渉相手は最近、ミンスク交渉は平和的解決を約束してロシアを停戦に誘い、ウクライナに軍事的解決に向けた軍備増強の時間を与えるための意図的な欺瞞であったと明らかにした。その主張を信じるなら、見かけ上の平和交渉は、最初から軍事的解決を意図していたものの隠れ蓑だったことになる。

ミンスク交渉の主役はドイツのアンゲラ・メルケル首相である。しかし同首相が2022年12月1日のシュピーゲル誌インタビューで語ったところによれば、「ミンスク会談の間、ウクライナがロシアの攻撃をうまくかわすために必要な時間を稼ぐことができた。現在、ウクライナは強固で要塞化された国になっている。あのとき、プーチンの軍隊に制圧されていたことは間違いない」。12月7日、メルケルはツァイト紙のインタビューでその告白を繰り返した。「2014年のミンスク合意は、ウクライナに時間を与えようとするものだった」とメルケルは述べた。ウクライナは「今日見るように、この時間を使ってより強くなった。2014~15年のウクライナは、今日のウクライナではない」

メルケルの主張は、ミンスクの参加者によって検証されている。オランド元仏大統領は12月28日のキエフ・インディペンデント紙のインタビューで、「ミンスクでの交渉は、ウクライナにおけるロシアの進出を遅らせるためのものだったと考えているか」と問われ、「そうだ、この点に関してはアンゲラ・メルケルが正しい」と答えた。そして「2014年以降、ウクライナは軍事態勢を強化した。実際、ウクライナ軍は2014年のそれとはまったく異なっていた。訓練も装備も良くなっていた。ウクライナ軍にこのような機会を与えたのは、ミンスク合意のおかげである」と述べた。

メルケルとオランドは、現在受け入れられている物語に合わせるために、過去の物語を書き換えるというオーウェル的な行為に及んだというもっともな指摘がなされている。しかし二人の説明は、プーチンと交渉しているもう一人の人物によって裏付けられる。

フィリップ・ショートの伝記『プーチン』によれば、ポロシェンコは後に、ミンスク合意に署名したのは「戦闘を止める唯一の方法だったからだが、政治体制や世論のナショナリズムの勢いのために、それが実行されることはないとわかっていた」と述べたという。

しかし2022年5月、ポロシェンコは「ミンスク合意を実施する政治的意志がないことを知りながら署名した」という主張を超え、ロシアを欺いたのは意図的だったとするメルケルとオランドの主張を裏付けた。ポロシェンコはフィナンシャル・タイムズ紙に、ウクライナは「軍隊をまったく持っていなかった」と語り、ミンスク合意の「偉大な外交成果」は「ロシアを国境から遠ざけること、国境からではなく、全面戦争から遠ざけること」だったと述べた。この合意により、ウクライナは軍備を整える時間を得ることができた。ポロシェンコはウクライナのメディアなどに「我々は望んでいたことをすべて達成した。我々の目標はまず、脅威を止めること、少なくとも戦争を遅らせること、つまり経済成長を回復し、強力な軍隊を作るための8年間を確保することだった」と語った。

ウォロディミル・ゼレンスキー(ウクライナ現大統領)は最近になって、証言に加わっている。ロシアとの和平やミンスク2への署名を掲げて当選したにもかかわらず、ゼレンスキーは現在、それらに署名するつもりはなかったと述べている。2月9日、ゼレンスキーはシュピーゲル誌に、協定を「譲歩」とみなし、メルケルとマクロンに「ミンスク全体としては……このままでは実施できない」と告げて「驚かせた」と語ったと報じられている。

更新した主張とは裏腹に、ゼレンスキーはミンスク合意を実施するという選挙公約を守ることに誠実であったようだ。当選後、ゼレンスキーは記者団に対し、ドンバスの分離主義者たちとの和平交渉を「再起動」させると語った。「ミンスク(和平)協議の方向性を継続し、停戦の締結に向かう」と伝えたのである。

2019年10月1日、ゼレンスキーは、ドンバスの選挙と自治権の承認を求めるドイツとフランスの仲介によるシュタインマイヤー方式に署名した。しかし「国内ですぐに反発に遭い」、ロシア、ドイツ、フランスはシュタインマイヤー方式に合意したものの、ウクライナは結局合意しなかった。

ロシアとの和平交渉とミンスク合意への署名を約束したゼレンスキーに対する反発は、強引で危険なものだった。極右民族主義的な準軍事組織「右派セクター」の創設者であるドミトリー・ヤロシュは、ゼレンスキーが選挙公約を実行すれば「彼は命を落とすだろう。どこかの木にぶら下がるだろう。……彼がこのことを理解することが重要だ」と脅した。

ウクライナの超国家主義者に外交の道を断たれたゼレンスキーは、選挙公約を翻し、合意の履行を拒否した。連邦主義者から民族主義者への旅は、決して珍しいものではなかった。ニコライ・ペトロは、ウクライナの運輸相であるウォロディミル・オメラヤンの2019年の発言を引用する。「ウクライナの新たな大統領はそれぞれ、自分こそがロシアと建設的な対話を行うことができ、ビジネスを行い、良好な関係を築く仲裁人の役割を与えられているという確信を持ってスタートを切る。……そしてすべてのウクライナ大統領は結局、(民族主義者)バンデラの事実上の(国家主義)信奉者となりロシア連邦に喧嘩を売る」

物理的な脅迫に直面した政府のメンバーは、ゼレンスキーだけではなかった。2020年3月12日、ゼレンスキーが「和解と統一のための国家プラットフォーム」を創設することを発表した場で、ゼレンスキー顧問のセルゲイ・シボコは、アゾフ大隊の大群から地面に投げ飛ばされた。

ミンスク2は自分が実行しない譲歩だというゼレンスキーの主張は、大統領になったばかりの頃(の考え)を反映していないかもしれないが、ウクライナ政府関係者の大合唱は反映している。メルケルとオランドの後の主張に力を貸したのは、ウクライナ国内ではポロシェンコとゼレンスキーという2人の大統領だけではない。

ニコライ・ペトロは『ウクライナの悲劇』の中で、「当初からウクライナの戦略はミンスク2の実施を阻止することだった」と述べる。ポロシェンコ、メルケル、オランドの証言に加え、ウクライナの元外相パウロ・クリムキンがラジオのインタビューで、「ウクライナがミンスク2に署名した唯一の目的は、ウクライナ軍の再建と対ロシア国際連合を強化することだった 」と述べたと、ペトロは伝えている。クリムキンは「文字どおりに読めば、ミンスク合意は実行不可能だ」と述べ、さらに「それは初日から理解されていた」と、欺瞞の事実を確固たるものにしている。

ペトロいわく、「過去と現在のウクライナの交渉担当者は皆、2021年2月にゼレンスキー大統領の参謀長であるアンドリー・イェルマークがしたのと同様に、同じ点を指摘している」。

メルケルとオランド、ポロシェンコとゼレンスキー、ウクライナ内部の声によって形成される、この多数の認め合いが真実なら、ミンクス合意は、ウクライナが軍隊を作り、西側がドンバスでのロシアとの戦争に備えてずっと計画し意図していた連合を作りながら、ロシアをなだめすかそうとする欺瞞だったと言えるだろう。

The Minsk Deception and the Planned War in Donbas - Antiwar.com Original [LINK]

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