木村 貴
もし財政問題を取り上げるテレビの報道番組で、財務省の研究所の研究員が「専門家」として出演し、「財政再建には増税が絶対に必要」と主張したら、そのまま信じるだろうか。農業問題を扱う番組で、農水省の研究所の研究員が「農業の持続的発展には補助金が不可欠」と論じたら、信じるだろうか。産業問題がテーマの番組で、経産省の研究所の研究員が「どんなに失敗しても官民ファンドの活用は重要」と訴えたら、信じるだろうか。
【「この時代に生きた人間として」訴える思い】
— 報道ステーション+土日ステ (@hst_tvasahi) March 18, 2022
防衛省防衛研究所 防衛政策研究室長 高橋杉雄氏
「ウクライナから目を背けてはいけない。忘れてもいけない」
「ウラジミール・プーチンを #歴史の法廷 に立たせ続けなければいけない。できることは何もないけれど、それくらいはできる」
#報ステ pic.twitter.com/uOU4nUHria
政府の職員は、たとえ研究員であれ、テレビ番組で政府に都合の悪いことは言わないものだという常識とメディアリテラシーがあれば、素直に信じたりはしないだろう。むしろテレビ局に「政府のプロパガンダ(政治宣伝)はやめろ」と抗議するかもしれない。テレビ局もそれがわかっているから、そもそも政府の研究員を「専門家」として出演させることはあまりない。
ところが不思議なことに、ある問題に限っては、政府の研究員が報道番組に頻繁に招かれ、政府見解に沿った主張を巧みに展開する。そして多くの視聴者が「さすがは専門家だ」と感心し、賛同する。それは軍事問題だ。
1年余り前にウクライナでロシアの軍事行動が始まって以来、防衛省の研究機関である防衛研究所の研究員がテレビをはじめとするメディアに連日登場するようになった。とりわけ登場回数が多く、視聴者らの人気も高いのが、防衛政策研究室長の高橋杉雄氏だ。
高橋氏はなかなかのイケメンで、語り口もソフト。サッカーやフィギュアスケートのファンでスイーツ好きというキャラクターも人気の理由のようだ。個人としては「いい人」なのかもしれない。しかし、そういう人であっても、いやそういう人だからこそ、発言には注意しなければならない。
高橋氏の発言をいくつか見ていこう。まずはウクライナ戦争が始まってまもない昨年3月18日に放送された、「報道ステーション」(テレビ朝日)だ。戦火を避けてウクライナからポーランドに逃れ、サッカー選手になる夢を奪われた少年らへの取材映像に続き、黄色のシャツにブルーのネクタイというウクライナカラーに身を包んだ高橋氏は、声を詰まらせながら、次のように切々と訴えた。
人間として、専門家であるとかジャーナリストであるとか、そういうことではなくて、この時代に生きた人間として、我々は今ウクライナで起こっていることから目を背けてはいけないし、見届けなければいけない。そしてそれを忘れてもいけない。忘れずにいて、この惨劇を引き起こしたウラジーミル・プーチン(露大統領)という人間を、歴史の法廷に立たせ続けなければいけない。僕たちにできることは何もないですけれども、それぐらいのことはできる。そう思いますね。
視聴者の反響は大きかった。この発言部分をシェアした報道ステーションのツイッター公式アカウントには、「全く同感です。私もこの時代に生きる一人の人間として訴えたい、いかなる理由があろうとも主権国家であるウクライナに侵攻するなど決してあってはならないこと」「とても心に刺さりました。専門家の方が専門家としての意見ではなく、憤りを抑えながらひとりの人間として本心からでた言葉だと思いました!」「心に訴える言葉とはこういう言葉だなと感じました。歴史の法廷に立たせ続けるそれくらいのことは出来る、考える夜にしよう」などと絶賛するコメントが付いている。
いつもは冷静な高橋氏が珍しく感情をあらわにしたことで、視聴者の心を強くとらえたようだ。しかしよく考えると、腑に落ちないことがある。
高橋氏は「歴史の法廷」を重視する。それならばまず、今回の戦争の歴史について、正しく踏まえたうえで発言しなければならないはずだ。
ウクライナ戦争は、テレビ視聴者の多くが信じているのとは違い、昨年2月に始まったのではない。9年前の2014年に始まったのだ。これは怪しい陰謀論などではなく、やはりメディアで引っ張りだこの国際政治学者・東野篤子氏や、ロシアの「侵略」を非難する北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長も認める事実である。
ただし、その具体的な内容が語られることは少ない。現在主流メディアを支配する「ウクライナは善、ロシアは悪」という一方的でわかりやすい図式にとって、都合が悪いからだ。
ウクライナでは2014年2月、米国の支援するクーデターで親露派政権が崩壊し、国粋的な親米派政府がロシア語を公用語から外すなど差別政策を打ち出した。このためロシア系住民の多い東部・南部で抗議デモが広がり、ウクライナ政府は武力でこれを弾圧。内戦となり、2021年末までに民間人3400人を含む1万4000人が死亡した。今でも大手メディアの過去記事を探せば、この経緯を伝える当時の報道が残っている。
民間人死者の大半は2014〜2015年に集中し、2016〜2021年は減少したものの、ウクライナ軍によるロシア系住民、つまり自国民への攻撃は断続的に続いた。ウクライナ政府に対しては、オバマ、トランプ、バイデンの米歴代政権が多額の軍事支援を行ってきた。その支援によって東部のドンバス地方などに砲撃が加えられ、女性や子供を含む人々の命を奪った。
「プーチンという人間を、歴史の法廷に立たせ続けなければいけない」と高橋氏は言う。しかし、なぜ「歴史の法廷」に立つのはプーチン氏だけなのか。なぜ2014年からの戦争でロシア系住民の命を直接・間接に奪ったウクライナや米国の歴代首脳は、除かれているのか。国外避難でサッカーの夢を奪われた少年には強く同情し、プーチン氏には怒りを燃やすのに、なぜドンバスの子供たちの命を奪ったウクライナや米国の政治家は、「歴史の法廷」に立たせようとしないのか。
次に、今年2月22日の討論番組「ウィークリーオチアイ」(ニューズピックス)で、メディアアーティストの落合陽一氏を聞き手としたトークだ。この戦争があとどのくらい続き、どういう動きになっていくかという問いに対し、高橋氏はこう答える。
終わる道筋は二つあると思うんですね。一つはロシアが変わって、撤退して戦争をやめるって決めれば明日にでも終わるんですね。ただ問題はロシアが変わりそうにないってことなんですけど、逆にいえば、ウクライナが(ロシア軍に占拠された領土を)取り返してもプーチン大統領はあきらめない。ということだとすると、たぶん戦場で勝っても戦争は終わらないんですね。ロシアが変わると戦争が終わるとすれば、戦争が終わるためのイベントというか出来事というのは戦場ではなくモスクワでしか起こらない。モスクワでの政変とか、あるいはたとえば、可能性はともかくとして、ベラルーシで政変があって親露政権のルカシェンコ(大統領)が倒れるとか、そういうような戦場以外での大きな出来事、イベントがあったときに、突然終わる可能性というのは一つあります。
ここでもなぜか、戦争を終わらせる責任はプーチン氏のロシアだけに負わされている。選択肢はロシアがおとなしく撤退するか、政変が起こるかの二つしかなく、米国やNATO諸国がウクライナへの軍事支援をやめるという選択肢は初めから無視されている。
ロシアがウクライナを「侵略」したのだから、ロシアが折れるのは当然だと米欧や日本政府は主張し、高橋氏もそれに同調しているようだ。しかしロシアに言わせれば、昨年2月に始めた軍事作戦は「侵略」ではなく、8年間迫害にさらされたロシア系住民を救うための行動である。軍事行動が最善の方法だったかという議論はあるにせよ、すべての責任はロシア側にあるとし、自国民に武力行使してきたウクライナ政府やそれを支援した米欧には何の非もないという主張は、あまりにも一方的だろう。
最後に、今年3月14日放送の「深層NEWS」(日本テレビ)である。ロシアでは動員兵がろくに訓練も受けずに前線に投入され、「捨て駒」にされているというリポートが紹介される。いくら人口が多いとはいえ貴重な人員を無駄にし、国民の戦争支持にも響きかねないことをするとは、にわかに信じがたいが、高橋氏はこう解説する。
動員兵でも結構扱いが違うんですよ。ある種ガチャみたいなもので、一部の動員兵は本当にほとんど訓練もさせずに前線に送り込まれている。一部の動員兵はきちんと訓練をされて投入される、あるいは予備兵力としてまだ投入されていないみたいなものがあるので、かなり状況によって違うようです。前線に送られる兵士についてはもう、他のもともといた兵士とは分けて、自分たちがどういう作戦をやるかも知らされずに、とにかく前線に放り込まれてウクライナ軍の攻撃を受けるおとりとして使われるケースもあると。(略)ケースバイケースですから、一概にプーチン大統領として、ある意味「捨て駒」として使われるような兵士を減らせというような動きには実は多分ならないんじゃないかと思いますね。
「捨て駒」とは、 将棋で有利に戦いを進めるため、相手が取るように打つ駒をいうのだが、この高橋氏の語るロシア軍の、新兵をわざわざ前線に送り、カカシか何かのように使い捨てる「捨て駒」戦法で、戦いが有利になるとは、素人目にもとても思えない。本当だとすれば、おそらくプーチン大統領は西側メディアがいうように、正気を失った狂人なのだろう。するとウクライナは、なぜかその狂人相手に苦戦を強いられているということになる。
それにしても驚くのは、兵士の配置が「ガチャ」(くじ引き)のように決められるという事実だ。司会者も驚いたのか、捨て駒になるのか戦闘員になるかの分かれ目はどこにあるのかとあらためて尋ねる。すると高橋氏はこう答える。
たぶんほぼ完全に運なんだと思います。もしかしたら出身地域、かなり少数民族のほうを前線に出してる可能性はあるんですけれども、ちょっとそれを判断する根拠は今のところないです。
「たぶんほぼ」と自信なさげだが、「完全に運」だとすれば、まさに「ガチャ」である。ところが邪悪なプーチン氏は少数民族をわざと選んでいる可能性があるといい、それなら「ガチャ」ではない。どっちやねん!と思っていると、最後に「それを判断する根拠は今のところないです」と来る。これが吉本新喜劇なら、高橋氏以外の全員がずっこけるところだ。根拠はないと正直に言ったのはいいが、それなら最初から、プーチン氏への過度な偏見を煽るようなことを軽々に話さないでほしい。
同じ放送で「ロシア軍による戦争犯罪」が話題となり、高橋氏はこうコメントする。
おそらくロシア軍の規律として、民間人に対する犯罪行為を一切禁止していないんだと思いますね。なので戦争が長引けば長引くほど行われるでしょうし、これまでも奪回された町ほぼすべてで戦争犯罪が発見されていますから。今占領されている町ではたぶん現に起こっている、すでに。というのは前提に置かなければいけないと思いますね。
「民間人に対する犯罪行為を一切禁止していない」とは、ギネスブックに載りそうなすごい話だが、これも最初に「おそらく」、最後に「思います」が付いているので、話半分に聞いておいたほうがよさそうだ。たとえば、高橋氏が別の番組で「民間人を虐殺して逃げたということなんだと思う」と非難する昨年4月の「ブチャの虐殺」は、ロシアに罪をなすりつけたウクライナ側の仕業との疑いが持たれている。ロシア軍は首都キエフ(キーウ)近郊の町で起こったとされるこの「虐殺」が「発見」される前に町を撤退していたし、撤退後に撮影された動画に遺体は映っていない。その後、英紙ガーディアンがブチャの民間人は「フレシェット弾」の犠牲になったと報じ、これもロシア軍のせいにされたが、フレシェット弾とは、まさにウクライナ軍が数年間にわたってロシア系住民の攻撃に用いてきた砲弾だ。
もちろんこれらは状況証拠であり、ウクライナ軍の自作自演が確定したわけではない。それでも、サッカー選手になる夢を奪われた少年に深く同情した心優しい高橋氏なら、子供を含むブチャの市民をむごたらしく殺害した真犯人を特定し、裁きを受けさせたいと願うはずだ。ブチャだけでなく、ウクライナの多くの町で起こっているという戦争犯罪について、それがロシア軍の仕業なのか、それともウクライナ軍の偽旗作戦なのか、公正な調査を待ったうえで、怒りを誰に向ければよいか判断したいはずだ。
ところが高橋氏は、十分な調査もされないうちから、犯人はロシアだと決めつける。ドンバスで命を奪われた子供たちを無視し、歴史から目を背け、ウクライナ政府や米国の責任を問わない。なぜだろうか。もしそれが日本の同盟国(あるいは宗主国)である米国を批判できないという政治的理由によるものだとすれば、高橋氏の主張は結局、政府の戦争プロパガンダにすぎない。
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