ミーゼス研究所編集主任、ライアン・マクメイケン
(2023年2月28日)
政治において「一度もない」というのは、とてもとても長い時間だ。しかし分離独立やいわゆる国民離婚の話題が出るたびに、「分離独立は絶対に起きない」という言葉をよく耳にする。この「絶対」という言葉が果たして本心なのかどうか、見極めるのは難しい。「この先10年、20年はない」という意味であれば、もっともな話である。しかしもし本当に「100年(あるいはそれ以上)以内には起こらない」という意味であれば、それは根拠のない純粋な憶測であることは明らかだ。そのような発言は個人の夢や希望にすぎない。
The answer lies not in doubling down on political unity, maintained through endless violence or threats of violence. Rather, the answer lies in peaceful separation. | @ryanmcmakenhttps://t.co/FuHz2Xgcoj
— Mises Institute (@mises) March 1, 2023
経験上、ほとんどの国の政府の状態は、数十年の間に大きく変化することが多い。1900年のロシアと1920年のロシアを想像してみてほしい。あるいは、1930年の中国と1950年の中国を想像してみてほしい。1850年のオーストリア皇帝に、1919年までにあなたの帝国は完全に解体されると誰かが言ったとしたら、おそらく皇帝はそれを信じようとはしなかっただろう。1945年当時の英国の臣民で、1970年までに大英帝国がすべて消滅すると思っていた人はほとんどいなかった。1970年代には、ソビエト連邦が長期的に存続することが既成事実化されたように見えた。1900年と1950年の世界地図を比較すれば、そのことがよくわかる。人間の一生に満たない時間の中で、世界の政治地図はしばしば見分けがつかないほど変化する。
しかし現状に安住し、いつまでも現状が続くと自分に言い聞かせている人たちがつねに存在する。多くの人は、自分の好きな国家体制が千年王国となり、「進歩」というバラ色の未来に向かって無限に生き続けるという希望に安らぎを見出している。政治的不死の主張は、政府を支持する叫びとして重要視されることも多い。フランスのマルクス主義哲学者レジス・ドゥブレ氏が指摘したように、「フランスは永遠である」という考えは経験上、真実ではないかもしれないが、それでもこの感情は、フランスの兵士やフランスの民族主義者に体制維持の動機を与えるものである。
一方、それとは反対の衝動、つまり体制の死滅を認識することは、多くの人にとって、国家の政治的偶像に対する一種の異端とみなされる。明らかに真実かもしれないが、それを口に出して言うことは「反逆」である。もちろん、「裏切り者」という叫びは、体制に感情的な愛着を持つ人々にとって、長らく常套手段であった。これまでの多くの異端がそうであったように、この異端も罰せられないわけにはいかない。かくして、「裏切り者」はフランス共和主義者の叫びとなり、〔革命政府に反抗して民衆蜂起が起こった〕ヴァンデ地方で女性や子供を虐殺するほうが、その地方の独立を許すよりましだと考えられたのである。アルメニア人分離主義者に対して大量虐殺を行ったトルコの帝国主義者の叫びでもある。
現実には、どのような政権も、現在の形は多くの人が望む以上に脆弱である。問題は、米国の体制がその規模や性質を根本的に変えるかどうかではない。いつ、どのような形で変わるかである。国家内部の対立が爆発して暴力や革命に発展するのではなく、地方分権を通じて平和的に政府権力を徐々に縮小していく可能性を検討しようとする人々は、ワンパターンな統一主義者よりも、はるかに政治史に通じているのである。
分離独立に反対する人々の感情的な性質は、反対派がこの議論に中間の立場を認めないという事実にも表れている。許される選択肢は、現状維持か戦争かだけである。
「中道」の選択肢としては、かつてのオランダ共和国のような合意モデルに基づく連邦がある。昔のスイス連邦のような非常に緩やかな連邦のモデルもある。欧州連合(EU)のような任意加入の関税同盟という選択肢もある。多くの防衛同盟に見られるような、独立した国家間の相互防衛協定という選択肢もある。いずれの選択肢も、今日の巨大な行政国家のような、全国的な規制と税を課す政府を必要としない。
しかし分離独立に反対する人々の多くは、これらの選択肢のすべてに反対している。「分離独立は行き過ぎだから、もっと分権的なモデルに移行しよう」とは言わない。なぜ中央集権派からこのような歩み寄りがなされないのか。なぜなら分離独立に反対する人々は、現状を維持することに重きを置いているからだ。国の支配階級の価値観を反映した形で、全国的な政策を押し付ける国政を望んでいる。植民地主義的な考え方の再来だ。「選挙や妊娠中絶、貿易のルールを、X州の人々に決めさせるわけにはいかない。あの人たちは、地方自治を許されるにはあまりにも無教養で、人種差別主義者で、愚かだからだ」
このような強引さは、潜在的な分離主義者に対して暴力を行使するという考えを、反対派がしばしば喜んでいる点にも見出すことができる。たとえばエリック・スウォルウェル下院議員は、米政府が国内の分離主義者に対して核兵器を使用するよう提案した。血で血を洗う第2次内戦(南北戦争)の考えを軽く見る人々もいる。実際、21世紀の分権化を19世紀半ば(160年前)の戦争に結びつけるという主張は、当時の反脱退派〔連邦から南部の脱退を許さない北部勢力〕の「解決策」が現在も同じ解決策を正当化することを暗に示している。なお、強調されるのはつねに米国の内戦であり、平和的な分離独立運動の多くの例には触れられない。デンマークからアイスランド、スウェーデンからノルウェー、マレーシアからシンガポール、大英帝国からマルタ、ソ連からバルト3国(ほんの一例だ)。その代わりに、米国の普通の分離独立反対派は、どうやら自分の隣人に対して戦争を仕掛けることに執着しているようだ。
もちろんそのようなことは、現代の米国人が「連合を維持する」という名目で、死や殺戮をいとわない、あるいは自分の子供たちに死や殺戮をさせることをいとわない場合にのみ、実行されることである。果たしてどれだけの人がそれを望んでいるのだろうか。そうでないことを祈るばかりである。そのような人は、狂信者としか言いようがない。
このような暴力的な反分離独立派の存在は、政治的統合が依然として危険であることを思い起こさせる。統合を支持する人々は、単なる脱統合の議論を、国民に対する連邦政府の支配を強化する必要性の表れと解釈するかもしれない。これはまた、政府が好む戦略でもある。この戦略は試行錯誤の末に完成したものだ。3世紀に崩壊が確実視されたローマ帝国は、そうして150年間も維持されたのである。皇帝は帝国を軍事独裁国家に変えたのだ。統一を押し付ける同じ方法は、数え切れないほど多くの国家で採用され、人権や自決に大きな犠牲を強いてきた。しかしディオクレティアヌス帝の独裁でも、最終的に帝国の西側地域の分離独立を防ぐことはできなかった(ユスティニアヌス帝のイタリア統一も失敗に終わり、莫大な死と破壊をもたらしただけだった)。大きな多民族国家にとって、分離と崩壊はつねに避けられないものだった。ローマ人も無関係ではなかった。米国人も無関係ではいられない。
その答えは、際限のない暴力や暴力の脅威によって維持される、政治的統一を強化することにあるのではない。むしろ自己決定の拡大、地域自治、連邦、合意による平和的分離にこそ、答えがある。今直面しているのは、政治的統一を「永遠に」維持しようとする後ろ向きの試みと、避けられない現実に直面することとの間の選択だ。一方には、現状維持に固執し、植民地主義的な考え方を持つ統一主義者がいる。もう一方は、中央政府の力を抑え、地域の自己決定を追求する人々である。中央集権派は間違った側にいて、結局は敗れる側にいるだろう。
Secession Is Inevitable. War to Prevent It Is Optional. | Mises Wire [LINK]
0 件のコメント:
コメントを投稿