クロニクルズ誌編集長、ポール・ゴットフリード
(2023年3月21日)
記憶によれば、2003年3月に始まった米国のイラク侵攻を糾弾した覚えはないし、その後すぐにも糾弾した覚えはない。やがて私は、イラクへの侵攻は愚かな行為であったと考えるようになった。イラク侵攻の初期段階から最も率直な批判者だと広く思われていたにもかかわらず、当初はその考えを明言しなかった。
"One of the things that became crystal clear from the invasion and reaction was a large antiwar presence on the right."
— The American Conservative (@amconmag) March 21, 2023
By Paul Gottfried:https://t.co/lrEcDuIjg3
2003年3月25日付のナショナル・レビュー誌に掲載された「愛国心のない保守主義者」の一人として私を挙げたデビッド・フラム氏も、私をいら立たせた。フラム氏は明らかに、自分が熱狂的に支持している戦争に私が反対していると思い込んでいたが、私に対する同氏の罵詈雑言は、私がイラク侵攻に反対していると思い込んでいたこととはまったく関係がない。敵は私を「パレオ(パレオ・コンサバティブ=旧保守主義者)の中で最も激しく独りよがりだ」と非難した。というのも、フラム氏の新保守主義者の友人たちが私を大学院の教授職から遠ざけようとしたことに、私が反応したからだ。同氏はかなり親身になって、私が非難されているのは、授業に遅刻し、不満を抱いた学生が漫談と勘違いするような方法で講義をしたことにあるとも語っている。不思議なことにフラム氏は、新保守主義者が計画したイラク侵攻に公然と反対した私が「愛国心のない保守主義者」であるという証拠を、提示しなかった。同氏は、この論文で攻撃した他の人たちと私の仕事上の関係から、私の立場を決めつけたのである。
2002年の創刊当時、私はこの雑誌(アメリカン・コンサバティブ誌)の役員を務めていたので、フラム氏は間違いなく、私の発言は米国の保守主義者たちの立場を暗黙のうちに支持していると考えた。私はクロニクルズ誌を含む他の出版物にも寄稿したが、そこではW(ジョージ・W・ブッシュ元大統領)の軍事的冒険にあまり興味を示さなかった。
もちろん私の批判者たちは、私がずっと傾いていた立場について正しかったのである。私は戦争に反対することを宣言して回ったわけではなかったが、結局イラク政府が「大量破壊兵器」を保有しているという怪しげな主張に基づく、大失策であったことを理解したのである。イラクへの侵攻は多くのイラク人の犠牲者を出し、米国の利益には何の役にも立たなかったが、その最も強力な扇動者にとっては有益だった。フラム氏をはじめとするネオコン(新保守主義者)たちは、決して起こすべきではなかった戦争を擁護することで、政治評論家や政府顧問としてのキャリアを積んだ。(ワシントン・ポスト紙コラムニストの)マイケル・ガーソン氏のような宣伝家も、「民主主義の価値」を広めるという米国の使命を提唱し、ジャーナリストとしてのキャリアを築いた。ハンガリーなどの伝統的なキリスト教の国々にLGBT(性的少数者)の権利をもたらそうとする努力に見られるように、私たちは今もその仕事に従事している。
しかし、仲間の多くが早くから把握していたこの事実に気づくには、数週間を要した。当初、私はイラクに上陸した米国の軍隊を応援していた。なぜなら米軍はまあ、米国人だからだ。しかしすぐに、私たちが泥沼に迷い込み、そこから正式に脱出できたのは2011年だったということが明らかになった。しかもネオコンたちは、少なくとも1991年の第一次湾岸戦争が終わったときから、この紛争を迫っており、サダム・フセイン(イラク大統領)が大量破壊兵器の使用を計画しているという荒っぽい主張と、いつもの空虚な人権レトリックでこれを擁護していた。
侵略とその反動から明らかになったことのひとつは、右派における大規模な反戦活動の存在であった。私は冷戦時代を通じて、米国の敵に対して軍事力を行使するのが右派だと考えていた。また軍事的な取り組みに反対する人たちは、必ず左派に属すると信じていた。たしかに、伝統主義者のジョージ・ケナン氏(外交官)から自由主義者のマレー・ロスバード氏(経済学者)まで、私の一般論に例外があることは知っていた。しかし反共的な外交政策に反対するこれらの人々は、めったにいない異常者だと考えていた。
その後1990年代に入り、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス研究所での人脈構築を通じて、「戦争・福祉国家」に反対する非左翼的な人々と知り合うようになった。このとき、米国のベトナム関与に反対した人たちが、すべて共産主義者のシンパだったわけではないことがわかった。さらに1980年代のネオコンとの戦いから、熱狂的な冷戦の戦士がすべて右派であったわけではないことがわかった。左翼にも反共主義者がいて、ソ連帝国が崩壊した後も米国の外交政策に影響を与え続けていた。冷戦が終わったのだから、非共産主義者である左派が優位に立つことは明らかであったはずである。
しかし右派が右派的な理由で反戦活動を行う可能性があることを、それまでそれほど明白ではなかったやり方で明らかにしたのは、イラク侵攻に対する反応だった。米国の軍事力に反対するのは、「同情心あふれるリベラル」としてではなく、その使用が戦略的・道徳的に不当であり、ディープステート(闇の政府)による権力簒奪を招くからだというのが、戦争危機から私が得た大きな認識であった。イラク侵攻とそれに対する嵐のような反応について考えるうちに、その結論に達した。ネオコン評論家たちの主張に反し、2003年3月の私の最初の反応はそうではなかった。
Presumptive Neoconservatives - The American Conservative [LINK]
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