2021-08-27

相互扶助の社会福祉

From Mutual Aid to the Welfare State: Fraternal Societies and Social Services, 1890-1967 (English Edition)

19世紀後半から20世紀前半にかけて、数百万人の米国人が友愛組合(共済組合)から社会福祉給付を受け取っていた。友愛組合の特徴は、支部の自治制度、民主的な内部統治、儀式、会員とその家族への相互扶助の備えである。(歴史学者、デビッド・ベイト)

19世紀後半、米国には主に三種類の友愛組織があった。秘密結社、疾病葬儀給付組合、生命保険組合だ。秘密結社は儀式を重視し、画一的な支払方式を避けた。他の二組織は手厚い健康・生命保険を売りに広く加入者を募った。どの組織も相互扶助と互恵主義を強調した。(同)

1920年の米国では労働階級の多くを含め、成人男性の三人に一人が友愛組合に加入していた。組合の支部は黒人や東・南欧からの移民の間で圧倒的な存在感を示した。当時、友愛組合を中心とする民族系福祉団体は、官民のいかなる組織よりも大きな助けとなった。(同)

19世紀後半から20世紀前半の米国で政府や慈善団体から施される援助は、少額でしかも大きな恥辱の種だった。政府・民間の慈善が上下関係を伴うのに対し、共済組合の援助は相互関係の倫理原則に基づく。助ける人と助けられる人は近所に住み、明日は立場が逆転するかもしれない。(同)

戦前の米国で友愛組合が政府や慈善団体に頼らず成し遂げた相互扶助の成果は政治家、公共政策の専門家、社会改革家、慈善家には理解できない。友愛組合は貧しい人々の間に巨大な社会・相互扶助のネットワーク構築に成功した。今の孤立した都市生活にはないものだ。(同)

2021-08-26

金本位制の美徳

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歴史上、金など実物貨幣の利点は明らかだ。紙幣はそれが多く発行されるほど、物価上昇を伴って価値を失う。紙幣経済は不安定で、景気変動や経済格差を起こしてきた。世界大恐慌はその例だ。極端な場合、ハイパーインフレや第一次世界大戦以降のような戦争を引き起こす。(エコノミスト、マーク・ソーントン)

金本位制は、政府が貨幣の原料や製造方法、市場価格を決めることを認めない。数百年にわたり政府の介入がなくても、貨幣は洗練された仕組みに変化してきた。ビットコインなど暗号通貨の台頭は、貨幣の潜在能力と政府が起こす混乱を思い出させる。(同)

金本位制復活の利点は、世界的な物価の引き下げと安定だ。貨幣の安定は貯蓄と経済成長を促すだろう。貨幣の購買力が安定すれば、起業家と消費者は将来に向け、より良い計算と計画ができる。(同)

金本位制の下で中央銀行でなく市場が決める金利は、短期では変動が大きくても、投資の時機を測りやすくする。物価高が続くと証券資産は価値を失い、実物資産は価値が増す。貨幣の安定でそうした分断はなくなり、社債や生命保険への長期投資が見直されるだろう。(同)

中央銀行の紙幣発行は、資産と資本を持つ高所得者をますます豊かにし、労働と年金を収入源とする低所得者をますます貧しくする。『21世紀の資本』の著者ピケティは図らずも、米国の格差拡大は1971年のニクソンショック(金本位制廃止)後に起こったことを示した。(同)

2021-08-25

平等主義の非人間性

Egalitarianism as a Revolt against Nature (English Edition)

無政府共産主義者が政府に反対する主な理由は、政府が私的財産権を創造し、保護すると誤って信じ、その結果、財産権を廃止する唯一の方法は政府の破壊だと思い込んでいるからだ。政府がつねに私的財産権の大きな敵であり侵略者であることをまったくわかっていない。(経済学者・法哲学者・歴史家、マレー・ロスバード)

共産主義は強制的であれ自発的であれ、その根底に存在するのは、卓越した個人に対する深い憎しみであり、一部の人間が他より生まれつきあるいは知的に優れていることの否定である。反理性的で反人間的な平等主義は、あらゆる個人からその人固有の貴重な人間性を奪おうとする。(同)

経済学に無知でも罪ではない。経済学とは結局、専門的な学問分野であり、多くの人々にとって「陰気な科学」でしかない。しかし、経済問題について声高に意見を主張しておきながら、経済学について無知なままというのは、まったくもって無責任きわまる。(同)

「希少性なき時代」が訪れたと言う人がいる。どうしたら確かめられるだろうか。答えは簡単、欲しい物やサービスの値段がすべてゼロになったときだ。まるでエデンの楽園のように努力も労働もせず、希少な資源を全然使わずに、あらゆる物やサービスを手に入れられるときだ。(同)

合理的な思考と経済学を捨て去れば、現代の生産体制と文明は破壊され、野蛮状態に戻るだろう。その結果、人間の大半は餓死し、生き残った者も苛酷でぎりぎりの暮らしを強いられることになる。(同)

2021-08-24

軍という官僚機構

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アフガン戦争が続いた2001~2021年、米軍の高官で撤退を確実にするため、介入・占領政策に強く反対を表明する者は誰もいなかった。職を辞し、公の討論で反対意見を訴える者は誰もいなかった。(米退役大佐、ダグラス・マクグレガー)

アフガンとイラクで戦略・戦術の失敗が明らかになったとき、ペトレイアス陸軍大将ら米軍高官の多くが選んだのは、ごまかして事実をねじ曲げ、あたかも進捗があるかのように見せかけることだった。誰かが真実さえ話していれば、米国人は何人死なずに済んだだろうか。(同)

米国の文官・武官の上級幹部らは、彼らを支える官僚ともども、とことん無能で、有効な軍事戦略を立てることも実行することもできなかった。(同)

アフガン戦争で失敗した米軍幹部は誰も首にならない。1942~1945年春、陸軍のジョージ・マーシャル将軍は軍団長・師団長を32人解任した。仕事が期待に届かなかったからだ。海軍では真珠湾攻撃後、第二次世界大戦の初めの18カ月で潜水艦の艦長がすべて交代させられた。(同)

米軍高官の行動の多くを説明するのは、非公式な制度である身内びいきだ。それによって出世する士官は「いい奴」であり、波風を立てたがる人間ではない。性格・能力・知性と無関係に非白人の士官を高い階級に就けても、事態は改善しない。(同)

米軍で戦争実行能力のある高官(文官の上司に対し、何が本当に起こっていてどんな行動が求められるか真実を伝えられる高官)を見つけるのは難しい。三つ星、四つ星階級への出世はたいてい能力ではなく、政治で決まる。大統領は欲しい人間を将軍や提督にするのだ。(同)

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2021-08-23

起業家精神の阻害


営利企業はどんなに大規模であろうと、経営の手足が政府に縛られていない限り、官僚主義に陥ることはない。

官僚的な硬直性に向かう傾向は、企業本来の進化ではない。政府がビジネスに介入した結果である。社会の経済組織の枠組みで企業が果たす役割から、利益追求の動機を消し去ろうとする政策の結果である。

起業の天才はつねに教師であり、生徒ではない。自力でのし上がる。権力者の世話になったりしない。しかし一方、政府は創造的精神をまひさせる状況を作り出し、起業家が社会に有益なサービスを提供するのを妨げることができる。

今日、税は起業家の利益の多くを吸い上げる。起業家は資本を蓄えることができない。事業を拡大できない。会社は大企業になれない。既得権益者に対抗できない。

今日あらゆる国の税法は、まるで税の最大の目的が、新しい資本の蓄積とそれによって達成できるはずの改善を妨げることであるかのように定められている。他の政策も同様だ。それなのに創造的なビジネスリーダーがいないと文句を言うとは、お門違いもいいところだ。

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2021-08-21

資本主義と縁故主義


資本主義を批判する人々の心配はもっともだが、問題は資本主義(所有権と自由な取引に基づき、人間に多大な利益をもたらした制度)にあるのではない。縁故主義にある。(エコノミスト、フレッド・コフマン)

縁故主義の下では政府が企業に支配され、権力を使って市場に介入し企業に便宜を図る。縁故主義で栄える経営者は利害関係者のために働かず、国家権力を利用し市場経済の規律を免れる。資本主義は個人の野心を他者への奉仕に変えるが、縁故主義は個人の強欲を権力濫用に変える。(同)

縁故主義の下、政治家は親密企業に特別許可や公的助成、税控除を与える一方、その競争相手や消費者には関税や規制を押し付け、市場競争を妨げる。企業は向こう見ずに過剰なリスクを取る。成功すれば儲けは自分のものだし、失敗しても政府が助けてくれると知っているからだ。(同)

縁故主義の経営者は非難に値する。強欲で利己的で不道徳だ。人と環境を犠牲にし、果てしなく欲望を求め、人の権利を踏みにじる。だからマルクス主義者は労働者の搾取を論じた際、手がかりを人の心に求めたのだろう。しかし縁故主義の経営者は資本主義者ではない。マフィアだ。(同)

資本主義のやり方は縁故主義とは違う。自由な市場と法の支配の下では、冷淡で口先だけの欲張りな企業は儲けることができない。せいぜい目先の得だけだ。長期で稼ぐには共感(顧客や従業員らを理解する)、同情心(彼らに奉仕する)、公平さ(彼らを公正に扱う)が必要である。(同)

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2021-08-20

経済の自由と平和


マルクス社会主義者が海外での戦争を拒否するのは、敵は外国でなく自国の所有階級と考えるからだ。ナショナリスト帝国主義者が革命を拒否するのは、自国のあらゆる層は外敵との戦いで利害が一致すると信じるからだ。どちらも軍事介入や流血に対する一貫した反対ではない。(経済学者、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス)

自由主義が侵略戦争を拒否するのは博愛心からではなく、功利の観点からだ。戦争の勝利は有害とみなし、征服を望まない。最終目的を達するには適さない方法とみなすからだ。国は戦争と勝利ではなく、労働でしか国民の幸福の前提条件を整えることができない。(同)

生産手段の私有と自由な経済秩序に基づかない平和主義はすべて、ユートピアでしかない。国家間の平和を望む人々は誰であれ、政府とその影響力を厳しく制限しなければならない。(同)

恒久平和への道は、社会主義のように政府と中央権力を強化することでは開けない。政府が個人の生活に広く介入し、個人にとって政治が重要になるほど、人々の間に不和をもたらす。(同)

人と物の完全な移動の自由、個人の財産と自由の最大限の保護、学校制度における政府のあらゆる強制の廃止。すなわち1789年フランス革命の理念を完璧に適用することが、平和に不可欠の条件である。(同)

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2021-08-19

画一性の強制


人間の本質に関する重要な事実は、個人が非常に多様であることだ。もちろんあらゆる人間に共通する肉体的、精神的な特徴はある。だが他のいかなる種にもまして、個々の人間は独特で異なる個人である。それぞれの指紋だけではなく、それぞれの人格もまた異なる。(経済学者・法哲学者・歴史家、マレー・ロスバード)

平等に対する熱狂は、根本的な意味において反人間的である。個人の人格と多様性、文明そのものの抑圧に傾く。野蛮な画一性に向かう運動である。人の能力と興味は多様であるのが自然だから、人々をあらゆる点で平等にしようとする運動は、必ず全体を引き下げる。(同)

最良の授業は個人授業である。教師一人が生徒一人を教える授業は明らかに一番優れている。そうした環境でこそ人間の潜在能力は最大限に引き出されるだろう。教室で教師一人が大勢の生徒を教える公的な学校は、非常に劣った制度である。(同)

政府の命令で、学校では例えば算数を必ず教えなければならないとする。それは他の科目は得意でも算数の素質はない子供が不必要な苦しみを味わうことを意味する。政府による画一的な基準の押しつけは、人間の好みや能力の多様性に対する重大な侵害だ。(同)

政府の義務教育は多様な子供に適した私立学校の成長を阻害し、親による教育も妨げる。人間の能力は様々だから、標準以下の子、指示に従えない子、思考能力の高くない子も大勢いる。政府はほとんどの国でこの子たちに通学を強制しているが、それは人間の本性を攻撃する犯罪だ。(同)

<邦訳書>
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2021-08-18

大いなる虚構


奴隷制がなくなり、圧制者は犠牲者に露骨な暴力は振るわなくなった。さすがにそれくらいの分別はできるようになった。圧制者と犠牲者はいなくなっていないが、その間に仲立ちする者がいる。それが政府であり、法律だ。(エコノミスト、フレデリック・バスティア )

政府とは大いなる虚構である。人は政府を通じ、自分以外の全員を犠牲にして生きようとする。(同)

政府は国民から信用されるメリットを十分心得ている。喜んで国民全員の運命を支配しようとする。たくさん奪い、その多くを自分のものにする。職員数を大幅に増やす。特権にあずかる仲間を広げる。多くを奪いすぎて自滅する。(同)

政府を通じて互いに奪い合えば、お互いさまだからといって盗みでなくなるわけではい。合法で秩序立っているからといって罪でなくなるわけではない。公共の利益を何も増やさない。むしろ政府という仲介者のコストの分、減らしてしまう。(同)

もし政府が慈善家になりたければ、増税しなければならない。もし増税しなければ、慈善家になるのは控えなければならない。(同)

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2021-08-17

政府という強盗


政府は追いはぎのように言う。「金を出せ。さもなければ命はない」。税の大半とは言わないまでも多くは、そのような脅しによって支払われる。(法哲学者、ライサンダー・スプーナー)

政府は追いはぎのように寂しい場所で人を待ち伏せたり、道端から襲いかかったり、拳銃を頭に突きつけたり、ポケットを探ったりはしない。しかしそれでも強盗は強盗であり、追いはぎよりはるかに卑怯で恥知らずである。(同)

追いはぎはひとりで自分の行動の責任・危険・罪を引き受ける。政府のようにあなたの金に対して正当な権利があるとか、その金をあなたのために使うつもりだとかいうふりはしない。(同)

政府は追いはぎと違って個人として顔を見せず、自分の行動に個人として責任を取らない。仲間の誰か一人に命じて強盗をやらせ、自分たちはほとんど正体を明かさない。(同)

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2021-08-16

心の服従


支配される側の同意を頼りにできる集団だけが、権力の座を長く保てる。(経済学者、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス)

世界を自分の思いどおりに支配したければ、何とかして人間の心を支配しなければならない。(同)

人間をその意志に反し、受け入れられない権力に従わせることは、長い目では不可能である。(同)

本人の意志に反して人を権力に服従させようとしても、結局成功しない。かえって軋轢を巻き起こし、支配される側からの同意に基づき統治する最悪の政府よりも、はるかに大きな害悪をもたらす。(同)

本人の意志に反することをさせて人間を幸せにすることはできない。(同)

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2021-08-14

政府の法と無秩序


慣習法の下では、自然発生的に秩序が生まれる。秩序は各集団が様々な要因のバランスを取り、様々な行動を互いに調整することによって生まれる。このバランスは、行動の一部が他の機関(政府)によって、異なる知識に基づき、異なる目的のために決定されると、破壊される。(経済学者、ブルース・ベンソン)

政府の法律が前近代の慣習法に代わって支配的になったのは、人々の対等なやり取りを促す法律を制定・施行するうえで、代表民主制の政府が優れていたからではない。政治権力を持つ者に財産を移転するという、政府の目的全般の反映である。財産の移転には政府の強制力が必要だ。(同)

慣習法の下では、個人は義務に関するルールを頭に入れ、そのルールを互いに守らせようとする意欲が生じた。政府の強権的な法は本質が敵対的で、集団同士を争わせ財産を収奪・移転するから、秩序ではなく混乱を助長する。政府の法の下で、個人は協力して秩序を保つ意欲を失う。(同)

法をつくる政府は、全体主義の国王であろうと、代表民主制の政府であろうと、権力を中央に集中させ、一部の人間に有利なルールを押しつけて他の人々を犠牲にする。政府は今なお、財産を移転するからくりである。(同)

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2021-08-13

完全競争モデルの非現実


新古典派経済学の競争理論は一定の条件を前提とする。すべての市場参加者があらかじめ正しい情報を知っているという条件だ。この条件下で起こる経済活動はまったく型通りである。すなわち利潤の最大化であり、発見、過失、学習の余地はない。(経済学者、ドミニク・アーメンターノ)

完全競争モデルが適切であるのは、あらゆる妥当な情報が与えられ、かつその情報が決して変わらないときだけである。つまり、データと人々の好みが変化しない、止まった世界の中でだけである。(同)

現実の市場環境では時が経つにつれ、知識と人の好みは変わり、その結果、新古典派モデルの適切さははなはだしく弱まる。完全競争による均衡は、変化する世界では効率的ではありえない。新しい製品、新しい工夫、消費者の好みや価格に関する新しい洞察が日々生まれるからだ。(同)

変化する世界ではライバル関係、誤りとその修正、絶え間ない起業家活動が絶えず生じる。しかしそのような永遠の不均衡過程は、完全競争モデルの想定やその静的な世界観とは相容れない。(同)

企業の競争は、一定の静的な状態ではなく、つねに動的な過程だ。そこでは生産者が絶えずせめぎ合い、製品を改善して市場参加者に提供しようとする。完全競争の世界とは違い、競争の過程で利潤のチャンスを発見し、それを利用することで市場の状況を修正していく。(同)

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2021-08-12

医薬品行政の害悪


米食品医薬品局(FDA)が医薬品の品質を保証しようとして採る手段は、命令と統制だ。それはちょうど社会主義理論上、中央当局が経済全体を計画どおりに動かすため、資源の効率配分を命令と統制によって行おうとするのに似ている。(エコノミスト、ロバート・ヒッグス)

経済学者ミーゼスハイエクによれば、計画経済は必ず失敗する。本来動的な問題に対し、静的な解決策を押しつけるからだ。政府は、つねに変化する経済データをすべて把握することはできない。(同)

米食品医薬品局(FDA)の意思決定者は、医薬品に関し個人がどのくらいのリスクを許容するかわからない。だから、どのくらいの期間、試験と観察を行えば、個人が新しい医薬品を使おうと思うかわからない。(同)

政府当局に科学の専門知識があろうとも、患者自身やその主治医よりも優れた判断ができるという考えは誤りだ。ある薬の使用についてただ一つの決定(全面解禁にせよ全面禁止にせよ)を押しつけるのはあまりにも単純で、実際の状況において利用者にとって命取りになりかねない。(同)

医薬品を求めて市場を訪れる消費者が実際に重視するのは、多様な情報と、その情報をコスト、便益、リスク負担に関する自分の主観的な価値観に組み合わせる自由だ。それによって消費者は自分特有の状況にふさわしい、最適な判断をすることができる。(同)

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2021-08-11

自由主義か縁故主義か


さまざまな政治経済体制はすべて、個人主義(人々が自分自身や自分の労働、財産のために選択を行う)か集団主義(一部の人々が権力を持ち、集団内の全員のために選択を行う)のどちらかの範疇に属する。(経済学者、ランダール・ホルコム、アンドレア・カスティーロ)

現実の世界では、経済政治体制は自由主義と縁故主義の両方の要素を含み、両者の間のどこかに位置する。世界の歴史上、産業革命の始まり以来、自由主義の要素を多く含む政治経済体制は繁栄し、自由でない体制は栄えなかった。(同)

経済学者マンサー・オルソンによれば、危険なことに、政治体制が成熟するにつれ、縁故主義に向かう傾向があり、それは国家の衰亡につながる。(同)

自由主義とその経済部門である資本主義を除き、あらゆる政治経済体制の本質は、一部の人々が政治経済上の権力を使い、一般大衆を犠牲にして身内を潤す体制である。これは権力の座にあるのが政治的多数派であろうと、一人の独裁者であろうと変わらない真理である。(同)

政府が社会を動員し、個人の権利を集団支配の犠牲にするとき、社会は縁故主義へと変質する。突き詰めれば、政治経済体制の選択は自由主義か縁故主義かの選択に行き着く。(同)

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2021-08-10

「私たち」は政府ではない


民主主義の台頭とともに、政府と社会を同一視する傾向が強まった。ついにはほとんど理性と常識に反する、「私たちが政府だ」という言葉さえ聞かれる始末だ。「私たち」という便利な複数人称代名詞によって、政治の現実を思想的にごまかしている。(経済学者・法哲学者・歴史家、マレー・ロスバード)

もし「私たちが政府」なら、政府が個人に行うあらゆる行為は正当かつ穏当なだけでなく、個人にとって「自発的」ということになる。政府が築いた借金の山を返すためにある集団が課税され、他の集団が得をしても、現実は「私たちの借金相手は自分」という言葉でごまかされる。(同)

もし民主主義では国民自身が政府だとすれば、ナチス政府に殺害されたドイツのユダヤ人は殺されたのではなく、「自殺した」ことになる。ナチス政府が民主主義によって選ばれた以上、ユダヤ人は政府であり、したがって政府がユダヤ人に行ったあらゆることは「自発的」だからだ。(同)

「私たち」は政府ではない。政府は「私たち」ではない。政府は正確な意味では国民の多数の「代表」ではない。しかしかりにそうだとして、国民の70%が残り30%を殺すことを決めても、それはやはり殺人であり、殺害された少数にとって自殺ではない。(同)

政府とは社会において、一定の領域内で暴力の行使を独占し続けようとする組織である。とくに、その収入を自主的な寄付やサービス提供に対する支払いからではなく、強制によって手に入れる、社会で唯一の組織である。(同)

<邦訳書>
  • マレー・N・ロスバード(岩倉竜也訳)『国家の解剖』きぬこ書店

2021-08-09

ワクチンという宗教


製薬業界は科学を取り込み、科学主義に変えた。それは大衆のための宗教だ。科学団体が宗教団体に、学術雑誌が聖書にとって代わった。「すべての科学者が合意している」「科学の見解は確立している」という言葉が、「神によれば」「聖書によれば」という言葉にとって代わった。(作家、ブレット・ウィルコックス)

今日、科学の権威は非道な行為を正当化するために利用されている。儀式や迷信を信じないことを誇りにする人々は、代わりに現代の「教会」の教皇や司祭に心と魂を明け渡している。それが科学者と医者だ。彼らは文明と健康の進歩に貢献する一方で、非道な行いに関与している。(同)

ワクチンは普通の薬と違い、ワクチン信者が信じるセクトにおいて、つねに正しいとされる。それを示す第一の教義は「ワクチンは安全で有効」である。この教義を疑うことは、ワクチンメーカーへの賠償要求と同じく、禁じられている。(同)

「ワクチンはつねに正しい」という教義は、ワクチンの理論的枠組みにとって不可欠である。なぜならワクチンは他の薬と違い、健康な個人に打たれるからだ。親は「ワクチンはつねに正しい」という教義を信じていなければ、健康な子供にワクチンを打たせようとはしないだろう。(同)

現代医学の宗教、とりわけワクチン学の宗派から逃れることは、原理主義的宗教から逃れるよりもある意味で危険が伴う。製薬業界、医学界、政府はぐるになり、ワクチンを打たないと社会全体を恐ろしい病の感染爆発という破滅のリスクにさらすと信者に信じ込ませているからだ。(同)

ワクチンを打たないと社会を危険にさらすという教義を信じてしまうと、いつもは法的・宗教的な自由を尊重する人々がどうなるか。ワクチンの強制を拒む人を馬鹿にし、恥を知れと言い、攻撃し、誹謗し、差別し、公教育の権利を奪い、親の権利を奪い、罰金を科し、投獄さえ行う。(同)

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2021-08-07

原爆投下は犯罪である


1956年6月、トルーマン元米大統領がオックスフォード大から名誉学位を受けた際、同大の哲学者でカトリックのエリザベス・アンスコムが抗議した。トルーマンは犯罪者だ。広島・長崎で市民を虐殺した米政府と、チェコやポーランドで村人を皆殺しにしたナチスとどこが違うのか。

命を救うのは賞賛に値することだが、人間の原則と戦争の慣習のすべてに反する手段を正当化することはできない。戦争を早く終わらせ人命を救うという口実でそれが認められたら、思いつく限りのあらゆる残虐行為が正当化されてしまう。(英軍人・軍事思想家、J・F・C・フラー)

米保守思想家リチャード・ウィーバーが嫌悪感を覚えたことに、カンザスやテキサスから出たばかりの若者が軍事施設のない独ドレスデンを破壊し、由緒ある寺院を粉々にし、広島・長崎を原爆で壊滅させた。ウィーバーはこうした残虐行為を文明の基礎に対しきわめて有害と考えた。

米国のマンハッタン計画(原爆開発)に携わった物理学者レオ・シラードは死の数年前、こう述べた。もし米国でなくドイツが都市に原爆を落としていたら、米国はそれを戦争犯罪だと定義し、ニュルンベルク裁判でドイツ人に死刑判決を下し、絞首刑にしたことだろう。

広島・長崎への原爆投下は戦争犯罪である。東京やマニラの国際軍事裁判で処刑された、日本の軍人たちが犯したどの罪よりも重い。もしハリー・トルーマン(元米大統領)が戦争犯罪人でなければ、戦争犯罪人はいなくなってしまうだろう。(歴史家、ラルフ・ライコ)

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2021-08-06

御用知識人の役割


少数が多数を支配し続けるには、暴力だけでは無理だ。世論で支配しなければならない。多数派が進んで支配を受け入れる必要がある。政府は合法だと信じ、ある政策が間違っても、より大きな利益を提供してくれるからと大目に見る。大衆にそう信じさせるには知識人の助けがいる。(経済学者・哲学者、ハンス・ホッペ)

知識人のサービスに対する市場の需要は大きくなく不安定だ。知識人は大衆のつかの間の価値観に翻弄され、大衆は知や哲学に無関心だ。一方、政府は知識人のたいていは過剰に膨らんだエゴに応えることができ、ぬくぬくとして安定した勤め口を政府施設内に用意することができる。(同)

政府を支持する人は哲学的信念からそうしているわけではない。支持する理由は政府が存在し、記憶する限りつねに存在してきたという単なる事実だ。政府に仕える知識人の最大の手柄は、大衆にこの知的怠惰(無能)を植え付け、政府について真剣な議論をさせてこなかったことだ。(同)

政府が道路や学校を提供しているからといって、政府にしかその仕事ができないことにはならない。猿が自転車に乗れるからといって、猿しか乗れないわけではないのと同じだ。政府は税を徴収できるから、生産の効率を上げようとしない。政府の道路や学校は割高で品質が悪くなる。(同)

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2021-08-05

帝国主義は資本主義にあらず


帝国主義はその性格において原始的である。その特質は大昔からあらゆる社会で重要な役割を演じ、今まで生き延びてきた。つまり帝国主義とは現在ではなく、過去の生活状況の産物だ。経済学的な歴史解釈の用語を使うなら、現在ではなく、過去の生産関係が生み出したものである。(経済学者、ヨーゼフ・シュンペーター)

19世紀前半の資本主義諸国では戦争、領土拡張、官僚外交、軍備増強、常備軍に対する徹底的な反対が起こった。その発祥は最初に資本主義国となった英国であり、同国の資本主義の発展とともに勢いを増した。過激な自由主義哲学は経済の自由全般、とりわけ自由貿易と結びついた。(同)

輸入品に対する関税は政治活動の成果であり、資本主義そのものから生まれたものではない。同様に、帝国主義が資本主義の必然的な段階だと述べたり、資本主義が帝国主義に発展すると言ったりするのは基本的な誤りだ。事実、19世紀前半の資本主義諸国は帝国主義を好まなかった。(同)

社会に残る前資本主義の要素は生命力が強い。国民生活の状況次第で時々息を吹き返すかもしれない。しかし最後は現代世界の潮流によって破壊されるに違いない。現代の資本主義の支えは天然資源ではないから、なおさらだ。独占の消滅がいつかはわからないが、それは必ず起こる。(同)

<邦訳書>

2021-08-04

ワクチンと縁故主義


縁故主義がワクチン市場にはびこっている。政府が開発に金を出し、需要を煽り、製造会社を被害訴訟から免責する。政府が接種証明という医療のカースト制度を法制化しなければ、自主的にワクチンパスポートを導入した航空会社などは、お客を増やすより減らすことになるだろう。(経済学者、バリー・ブラウンスタイン)

コロナで亡くなる米国人の多くは肥満している。肥満の主因の一つは、加工食品に含まれる異性化糖だ。原料のトウモロコシに対する政府の手厚い補助金は、コロナ流行中も減っていない。米国民は健康に無頓着に加工食品を食べ続け、外出制限でジャンクフードの消費に火がついた。(同)

ネットの言論統制には負けない。友だちや家族、隣人、同僚たちと顔を合わせてオープンに話そう。寛容でない人々はあなたを馬鹿にしたり罵ったりするだろう。そんなときは勇気を出して、純粋な好奇心から「なぜ?」と問い返せば、それが周囲に伝わり、自由を取り戻せるだろう。(同)

ビッグブラザー(支配者)には逆らえないと思うかもしれない。体制順応の流れに負けそうな自分の心を認識すれば、抵抗は静かに始まる。今はリトルブラザー(支配者の追随者)である人たちと穏やかに意見交換してみよう。リトルブラザーの支えなしにビッグブラザーに力はない。(同)

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2021-08-03

陰謀は実在する


ケネディ米大統領暗殺に関する新作ドキュメンタリー映画を完成させたオリバー・ストーン監督は、自分が「陰謀論者」と批判されていることについて、こう語る。なぜ暗殺計画が人間の能力を超えていると信じるのか、理解できない。歴史を見ればわかるように、陰謀は沢山ある。

ケネディ暗殺に関するストーン監督の新作ドキュメンタリーがカンヌ映画祭で上映されたが、主流メディアは無視した。体制派メディアは大衆の気を逸らすのが大好きで、陰謀論を憎む。ただし自分の好きな陰謀論は別だ。四年にもわたり、証拠もなしにロシアの陰謀を叫び続けた。

三十年前、「JFK」を公開したときは、世間はもっと自由でオープンで、作品に賛同してくれる人が大勢いたよ。2013年には、メディアは反対意見を弾圧するようになった。今ではユーチューブだのフェイスブックだのくだらん連中がやっているね。(映画監督、オリバー・ストーン)

ケネディ大統領は1963年、アメリカン大学での演説で米露関係の歴史について重要な指摘をした。「世界の大国としては珍しいことに、米露はこれまで互いに戦争をしたことがない」。長い平和の伝統を守ることこそ米国の懸案事項だ。プーチン大統領が自国をどう治めるかではない。(評論家、パット・ブキャナン)

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2021-08-02

ワクチンと官民癒着


米政府は大手ワクチンメーカーにさまざまな資金支援を行ない、協業している。問題なことに、政府は州を説き伏せ、学校の生徒に多くのワクチン接種を法律で義務付けさせている。事実上、独立した第三者でなく、開発者自身がワクチンの有効性、安全性、接種義務を判断している。(作家、ハンター・ルイス)

米政府は「インフル死」を連呼し、ワクチンを打たせようとする。しかし「インフル死」は眉唾だ。あらゆる呼吸器系の疾患による死が「インフル死」扱いされる。インフルウイルスの証拠がなく、死因がほぼ確実に肺炎(一般にはウイルスでなく細菌による別の病気)であってもだ。(同)

大手マスコミにとって製薬会社は大口の広告主だ。そのせいか、インフルエンザワクチン接種後の「副反応」はほとんど報道されない。政府の所管省庁も医師から報告された「副反応」を無視する。学術的に検証された調査ではないからだという。だが自分で調査を行うことは拒否する。(同)

米疾病対策センター(CDC)は報告に「ステークホルダー」(製薬会社)からの苦情を記した。いわく、政府はワクチンの促進が足りない。もっと多くの人に接種させれば、製造会社は確実に利益を上げられ、ワクチン生産の励みになる。その後、複数の州や病院が医療従事者に接種を義務付けた。(同)

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2021-08-01

アメリカ独立は反税革命


7月4日はアメリカ独立記念日である。1776年、アメリカ大陸会議がイギリスからの独立宣言を採択した日で、米国では毎年盛大に祝われる。

トマス・ジェファーソンが起草した独立宣言は「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」という格調高い文章に続いて、当時のイギリス国王ジョージ三世による暴政を具体的に列挙している。そこには経済に関する事柄が少なくない。

たとえば、「おびただしい数の官職を新たに設け、この植民地の住民を困らせ、その財産を消耗させるために、多数の役人を派遣してきた」「われわれの世界各地との貿易を遮断する法律」「われわれの同意なしにわれわれに課税をする法律」などである。

これらの記述が示唆するとおり、アメリカ独立の大きなきっかけは、イギリス政府との間に起こった経済上の争いだった。その経緯をたどってみよう。

イギリスはフランスとの七年戦争(アメリカの戦場ではフレンチ・インディアン戦争)に勝利し、1763年のパリ条約で、フランスからカナダとミシシッピ以東のルイジアナを、スペインからフロリダを獲得した。その結果、最初のイギリス帝国が形成された。

しかし七年戦争は当時としては大戦争であったため、戦後のイギリスは深刻な財政難に見舞われる。七年戦争中に亡くなった祖父ジョージ二世の後を襲って王位に就いた若きジョージ三世は、自らに親しい政府とともに、北米植民地に対する従来の「有益なる怠慢」を見直し、財政負担を負わせる政策に舵を切る。

有益なる怠慢とは、北米植民地に対し比較的広い範囲の自治を認め、産業や貿易の統制を厳しくは行わない態度を指す。当時イギリスは、自国の輸出産業を保護育成し、貿易差額で資本を蓄積して国富増大を図る重商主義政策をとっていたが、北米植民地に対しては、離反を避ける狙いもあり、統制は緩やかだった。それが七年戦争でフランスを北米から追い出し、植民地に対する厳しい政策が可能になった。

さっそく七年戦争終結翌年の1764年、砂糖法を制定し、外国産の精白糖への関税を上げ、キャリコ、リネン、絹、ワインなど本国を経由して植民地に輸出される外国産品に対する関税を増やすことを狙った。

これは密輸入の増加を招いた。北米植民地の商人たちは、イギリス政府の輸入規制をかいくぐり、密輸で稼ぐしたたかさを備えていた。大陸会議議長として独立宣言で筆頭に署名したジョン・ハンコックは、密輸業者として有名だった。

近代経済学の父とされるアダム・スミスは、自由貿易を説いた主著『国富論』(1776年)でイギリス政府の重商主義を批判する一方で、密輸業者について「自然な正義という観点からは正当な行為を犯罪とする法律〔=輸入規制〕がなければ、どのような点でみても素晴らしい市民である場合が少なくない」と称えている。

イギリス政府は密輸入を防ぐため、本国から北米植民地に派遣する役人を増員して摘発を強化する。税関の取締官は大小あらゆる船に乗り込むことができ、税法違反と判断すれば船を積み荷ごと差し押さえることもできた。独立宣言にある「多数の役人を派遣してきた」とは、このことだろう。

翌1765年には、さらに問題の多い印紙法が制定される。これはアメリカ植民地の日常生活のほとんどすべてに影響するものだった。新聞、暦、小冊子などの出版物、証書その他の法律文書、船舶関係の書類、果てはトランプにまで政府の発行した印紙を貼るよう義務づけたのである。

印紙を用いたこの課税は、すでに本国では導入されていたが、従来のような関税ではなく、植民地内の諸活動に直接介入する内国税であるとして、植民地側は強く反発した。代表を送っていない本国議会による恣意的な課税は、植民地人が持つイギリス人としての固有の権利を侵害しているととらえたのである。マグナ・カルタや名誉革命後の権利章典などイギリスの伝統に基づく、「代表なくして課税なし」の論理である。

印紙税に対してアメリカ植民地全域で抵抗活動が活発化した。九つの植民地の代表が集まって印紙税反対の決議を行い、「自由の息子たち」と呼ばれる抵抗組織の活動も盛んになった。結局、印紙法は翌年廃止が決まった。ただし本国議会は同時に宣言法を制定し、植民地に対する立法権を引き続き主張した。

1767年、植民地に対する新たな課税が制定された。紙、塗料、ガラス製品、茶など本国や東インド会社の製品・産物である日用品の輸入に関税を課す、いわゆるタウンゼンド諸法である。

印紙税の失敗から、これらの税は形の上では内国税ではなく関税とされた。だが増税策であることは明らかであり、植民地全域で反発を招いた。不買運動が活発化し、茶や服飾など本国の商品に対する不買運動が展開された。1770年、イギリス議会は茶を除いて課税を撤廃した。

これにより平穏が保たれるかとみられたが、1773年5月、新たに茶法が制定された。アメリカ植民地に対し、東インド会社が通常の関税なしに紅茶を売ることを認めたものである。大量の茶の在庫を抱え、経営危機に直面していた東インド会社を救済する目的だった。

東インド会社は関税免除により、植民地の商人や密貿易業者が取り扱う紅茶よりも安い価格で供給することが可能になった。しかし事態は裏目に出た。多くの植民地人が密貿易から生活の糧を得ていたので、政府主導で特定の会社に特権的な利益をもたらすような制度を好まなかったのである。

同年12月、ボストン茶会事件として後世有名になる事件が起こった。商人たちが中心となり、農場主、農夫、きこり、船乗りらも加わって、先住民に扮装し、ボストン港に停泊中の東インド会社の船を襲い、積んであった茶箱をすべて海に投げ捨てたのである。非常に規律のとれた行動で、茶以外の品物には手をつけず、人に怪我もさせなかった。

事件に対し本国が制裁措置をとると、植民地側は1774年にフィラデルフィアで第一回大陸会議を開いて抗議した。年が明けて3月、大陸会議にも参加したヴァージニア植民地の指導者の一人、パトリック・ヘンリーは演説で「自由か、しからずんば死を」と訴える。

翌月、ボストン郊外のレキシントンとコンコードで、本国の軍隊と植民地側民兵の武力衝突が起こり、独立戦争の幕が切って落とされる。八年の戦いの後、独立を勝ち取ったのは知ってのとおりだ。

アメリカ独立の前史を振り返ると、税を中心とする経済問題が独立に踏み切る大きな原動力となっていたことがわかる。アメリカ独立とは「反税革命」だったと言ってもいいだろう。

アメリカ独立を求めた人々にとって、自由とは経済の自由にほかならなかった。コロナ対策と称して経済の自由が安易に制限される現在、その事実の重みをあらためて噛みしめたい。

<参考文献>
  • 和田光弘『植民地から建国へ 19世紀初頭まで』(シリーズ アメリカ合衆国史)岩波新書
  • 紀平英作『アメリカ史 上』(YAMAKAWA Selection)山川出版社
  • Thomas J. Dilorenzo, How Capitalism Saved America: The Untold History of Our Country, from the Pilgrims to the Present, Crown Forum
  • Murray N. Rothbard, Conceived in Liberty, Ludwig von Mises Institute

(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)