人間の本質に関する重要な事実は、個人が非常に多様であることだ。もちろんあらゆる人間に共通する肉体的、精神的な特徴はある。だが他のいかなる種にもまして、個々の人間は独特で異なる個人である。それぞれの指紋だけではなく、それぞれの人格もまた異なる。(経済学者・法哲学者・歴史家、マレー・ロスバード)
平等に対する熱狂は、根本的な意味において反人間的である。個人の人格と多様性、文明そのものの抑圧に傾く。野蛮な画一性に向かう運動である。人の能力と興味は多様であるのが自然だから、人々をあらゆる点で平等にしようとする運動は、必ず全体を引き下げる。(同)
最良の授業は個人授業である。教師一人が生徒一人を教える授業は明らかに一番優れている。そうした環境でこそ人間の潜在能力は最大限に引き出されるだろう。教室で教師一人が大勢の生徒を教える公的な学校は、非常に劣った制度である。(同)
政府の命令で、学校では例えば算数を必ず教えなければならないとする。それは他の科目は得意でも算数の素質はない子供が不必要な苦しみを味わうことを意味する。政府による画一的な基準の押しつけは、人間の好みや能力の多様性に対する重大な侵害だ。(同)
政府の義務教育は多様な子供に適した私立学校の成長を阻害し、親による教育も妨げる。人間の能力は様々だから、標準以下の子、指示に従えない子、思考能力の高くない子も大勢いる。政府はほとんどの国でこの子たちに通学を強制しているが、それは人間の本性を攻撃する犯罪だ。(同)
<邦訳書>
- マレー・N・ロスバード(岩倉竜也訳)『教育: 自由と強制』デザインエッグ社
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