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「反インフレ経済勉強会」開講のお知らせ
インフレは税の一種です。しかも普通の税よりも悪質な税です。ところが、この事実はよく理解されていません。それどころか、多少のインフレはむしろ良いことだという嘘が、現在主流の国家主義的な、誤った経済学(ケインズ経済学)や、そこから派生した極端な説 (MMT=現代貨幣理論など) によっ...
2021-11-25
国家という特殊な制度
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株主資本主義は悪くない
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国家という巨悪
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『PCRは、RNAウイルスの検査に使ってはならない』〜PCR検査のまやかし
新型コロナに感染しているかどうかは、おもにPCR検査によって判定されている(抗原検査もあるが、その割合は小さい)。PCRとはpolymerase chain reaction(ポリメラーゼ連鎖反応)の略で、ウイルスの遺伝子を大量に増やす手法だ。遺伝子の基礎研究のほか、個人識別や親子鑑定、犯罪捜査など広範に利用されてきた。
それが新型コロナの発生とともに、世界保健機関(WHO)のお墨付きにより、コロナ感染の判定手段として各国で大々的に活用されるようになった。
しかし一部の専門家は、コロナ感染の判定にPCRを使うのは問題だと指摘する。徳島大学名誉教授の大橋眞はその一人だ。大橋は著書『PCRは、RNAウイルスの検査に使ってはならない』(2020年)で、PCR検査の本質的な欠陥を以下のように指摘する。
PCRの利点として、特異性(特定の抗原を認識する性質)が99%と非常に高いことが強調される。いわば精度が高い。しかしコロナのPCR検査は、病原体のゲノム遺伝子全体のごく一部だけを調べる検査であり、この限られた部分についてのみ、高い精度で調べることができるにすぎない。
遺伝子の一部だけを高い精度で調べても、あまり意味はない。遺伝子のごく一部が他の遺伝子と類似するのは、ごくありふれた現象だからだ。大橋は「設計図図面の切れ端だけを見て、2つの建物全体が同じであるという推定をするようなもの」と喩える。
また、新型コロナウイルスなどのRNAウイルスは、変異が多いことで知られる。変異が進めば、PCR検査では検出できなくなる。2019年12月初旬にウイルスが発生したとして、2020年8月には変異率10%に達した計算で、「PCR検査ではほとんど検出できないレベル」になっていたはずだ。
ところがその後もPCR検査は続けられ、陽性者は感染者としてカウントされている。新型コロナウイルスは変異によりPCR検査では検出できないはずなので、それ以外の遺伝子を検出している可能性が高いが、その検証はされていない。
大橋は「もはや、医学的に意味のない検査を使い続けて、一体何の意味があるのだろうか。ただ何かわからないが、陽性反応が出るから良いだろうというようないい加減なことで済まされることではない」と批判する。
PCR検査の問題については最近、米国の医師ポール・アレクサンダーも別の角度から指摘している。
大臣や知事は「感染拡大」を口実に、市民の自由をいつまでも縛るつもりだ。マスク着用や対人距離の確保、外出・営業自粛といった対策の多くは、無症状者が感染源になるという説に基づき、その説の根拠はPCR検査だ。PCR検査という手法がまやかしであれば、根底から覆る。
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洛陽の繁栄、平安京の闇
杜子春が金の杯に西洋から来た葡萄酒を汲んで、天竺生まれの魔法使いが刀をのんで見せる芸に見とれていると、そのまわりには二十人の女たちが、十人は翡翠の蓮の花を、十人は瑪瑙の牡丹の花を、いずれも髪に飾りながら、笛や琴を節おもしろく奏しているという景色なのです。
その死骸はみな、それが、かつて、生きていた人間だという事実さえ疑われるほど、土をこねて造った人形のように、口をあいたり手をのばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。〔略〕ぼんやりした火の光をうけて〔略〕永久におしのごとく黙っていた。
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アッペルバウム『新自由主義の暴走』
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2014年に、当時下院予算委員会委員長だったポール・ライアン(共和党、ウィスコンシン州)は、ジョンソンの貧困への宣戦布告から50周年を記念する日に、あの戦争は「失敗」だったと言い放った。入手できる証拠は異なる結論を示唆している。
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グレーバー『ブルシット・ジョブ』
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もしブルシット・ジョブの存在が資本主義の論理に逆らっているようにみえるとすれば、ブルシット・ジョブの増殖に対するただひとつのありうる説明は、いまのこのシステムが資本主義ではないからということになる。あるいは少なくとも、アダム・スミスやカール・マルクス、さらにいえばルートヴィヒ・フォン・ミーゼスやミルトン・フリードマンの著作から認めることのできるような資本主義ではないということになる。(同。強調は引用者)
そこでは経済の命法と政治の命法とが大幅に融合をはじめているがゆえに〔略〕資本主義とはまったく異なっているということになる。たしかに、多くの点で、それは古典的な中世封建制に類似している。貴族や封臣、従者たちからなるヒエラルキーをはてしなくつくりだす傾向も同じである。(同)
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宇野重規『民主主義とは何か』
自由が脅かされるとき
今の社会では、民主主義と自由主義は同じようなものだと、何となく信じられている。だから「自由民主主義(リベラル・デモクラシー)」という言葉もあれば、「自由民主党」と堂々と名乗る政権政党もある。しかし、民主主義と自由主義が似たようなものだという考えは、正しくない。本書を読めば、その事実を知ることができる。
著者は本書で、ドイツの法学者・政治学者であるカール・シュミットの考えを紹介する。シュミットはその思想がナチスに利用されたとして批判されるけれども、民主主義に対する問題意識には鋭いものがあった。
シュミットは、自由主義と民主主義を明確に区別した。両者は本質的に異なり、これを安易に同一視することが、混乱を生み出しているとシュミットは主張した。
シュミットによれば、民主主義の本質は「同質性」である。同質性があるからこそ、民主主義においては、治者と被治者の同一性がいえる。逆に言えば、民主主義の同質性を維持するためには、「異質なるものの排除あるいは殲滅」が必要だという。
これに対し、自由主義の本質は「討論」である。多様な意見による討論を重視する議会主義は自由主義に属するものであって、民主主義ではない。議会主義ではしばしば公開性と権力分立が強調されるが、これらも自由主義的な理念であり、民主主義とは無関係だとシュミットは言う。
シュミットはさらに議論を進め、だから民主主義は議会主義なしにも存在しうるし、むしろ指導者が国民から喝采を浴びる独裁と結び付くとまで述べる。著者は「今日の目からすれば、これはあまりに極端な議論であり、危険な暴論」と急いでストップをかけるが、民主主義と自由主義の矛盾を正しく指摘した思想家は、シュミット以前にもいた。
フランス革命期の政治家・批評家バンジャマン・コンスタンは、ルソーの人民主権論を批判し、こう論じた。仮に人民が主権者となるからといって、その下での統治が必ず良いものになるとは限らない。問題は、誰が主権者になるかではなく、誰が主権者であるにせよ、その主権の範囲ではないか、と。
主権の力が強大になり、その及ぶ範囲が拡大すれば、どうしても個人の自由や権利が侵害される。そうだとすれば、主権の担い手ばかりを論じているのではなく、主権の力に外から枠をはめることが重要ではないか。民主主義の下でも、個人の自由は侵害されることを警戒すべきではないか。自由主義者のコンスタンはそう説くのである。
「多数者の決定によって、少数者の権利がいかに容易に侵害されるかを知っている現代人の私たちとしては、コンスタンのルソー批判に説得力を感じざるをえません」という著者のコメントに、まったく同感である。
著者自身は、民主主義の課題を認識しながらも、その未来を信じているようだ。それは甘いのではないかと感じるけれども、民主主義に対する批判を公平に紹介した本書の価値を減じるものではない。コロナ対策を名目に、民主主義国家によって個人の自由が脅かされる今、本書によって民主主義と自由の関係をあらためて学んでおきたい。















