政府の暴走
経済の本で何かが暴走するとき、それはたいてい、「新自由主義」「市場原理主義」「資本主義」など市場経済の側に決まっている。まるでブレーキの壊れた機関車か、狂った家畜の大群か何かのようだ。
そうした「暴走本」に、ニューヨーク・タイムズの論説委員が書いたこの本が新たに加わった。電子書籍版で検索してみるとわかるが、本文に「暴走」という言葉は出てこない。キーワードだと思われる「新自由主義」すら一度も出てこない。そもそも原題は『経済学者の時代——間違った預言、自由市場、そして社会の崩壊』であり、『新自由主義の暴走』ではない。
それでも本書の主眼は、市場経済の「行きすぎ」を批判することにあり、日本語版のタイトルは羊頭狗肉というわけではない。原題どおりの『経済学者の時代』ではおとなしすぎて売れないだろうし、本文にあろうがなかろうが、『新自由主義の暴走』というおどろおどろしい言葉をあえてタイトルに据えたのは、資本主義的に正しい判断だ。
さて、海外の経済ジャーナリストが書いた他の分厚い本と同じく、本書は興味深いエピソードが満載だ。今はコロナ戒厳令のせいでなかなかできないけれども、飲み会の席で披露するにはもってこいだろう。こんなのがある。米政府がまだ金本位制を採用していた1960年代後半、ドルの価値に不安を感じた外国政府が金との交換を求めるのに苦慮し、米国は金の試掘を検討した。ある下院議員は、核爆発を利用して金を採掘するよう提案したという(第八章)。
しかし、個々のエピソードは面白いのだが、これも類書と同じく、そこから何かを主張しようとすると、ロジックの弱さをさらけ出す。互いに矛盾していたり、一歩踏み込んだ考察が足りなかったりする。
例をいくつか挙げていこう。1960年代のジョンソン政権は英経済学者ケインズの説に従い、政府支出を急激に増加させた。同時に行った減税の効果もあり、経済は成長し、失業率は低下した。1965年1月、ジョンソンは「景気が避けられないものだとは思わない」と議会で断言し、その年の終わり、タイム誌は表紙にケインズを載せ、「史上もっとも大規模で長期にわたる、広く分配されている繁栄」を、ケインズの考えを採用したおかげとした。
また、ジョンソン政権は「貧困との無条件との戦い」を推進するため、医療保険プログラムのメディケアとメディケイド、フード・スタンプ(低所得者向けの食料費補助プログラム)、貧しい地区の学校に対する助成金を導入した。これら新しい社会福祉プログラムは「成功し、貧困を大幅に削減した」と著者アッペルバウムは称える(第二章)。
アッペルバウムはすぐ後で、「ケインズ主義の勝利は短命に終わった」ことを明らかにする。1965年の後半には、経済は過熱し始め、インフレ率が上昇していた。
ところがアッペルバウムは、ジョンソン政権の福祉政策については、成功したという評価を変えない。わざわざ注を付け、こう書く。
2014年に、当時下院予算委員会委員長だったポール・ライアン(共和党、ウィスコンシン州)は、ジョンソンの貧困への宣戦布告から50周年を記念する日に、あの戦争は「失敗」だったと言い放った。入手できる証拠は異なる結論を示唆している。
アッペルバウムが示す「証拠」とは、コロンビア大学の上級科学研究員クリストファー・ウィマーらによる2013年の論文だ。そこではたしかに、ジョンソン政権の福祉政策は貧困減少に大きな役割を果たしたと述べられている。
けれども、それだけで成功だったと主張するのは無理がある。当時貧困が減ったとすれば、ケインズ主義に基づく景気刺激策の効果を無視できないはずだ。その景気刺激策が短命に終わる失敗だったのに、福祉政策だけはまるで経済全体とは無縁でもあるかのように、成功だったと言うのはおかしい。
なにより、誰もが知るように、メディケア、メディケイドといった福祉政策の費用は現在、米政府の財政を圧迫し、破綻に追いやろうとしている。ジョンソン政権に始まった福祉政策は、今流行りの言葉でいえば、まったくサステナブル(持続可能)でなかった。それを成功と持ち上げるのは、あまりにも説得力に欠ける。
次に、反トラスト法(独禁法)をシカゴ大学の経済学者ジョージ・スティグラーが批判したことに対し、アッペルバウムは近代経済学の父といわれるアダム・スミスの言葉を持ち出す(第五章)。スミスの主著『国富論』には次のような有名な一節がある。「同業者が一堂に会することは、楽しみや気晴らしのためにさえ、めったにないが、まれに集まった場合には、会話は結局、大衆に対する陰謀か値上げのための何らかの計略になる」
独禁法を擁護するアッペルバウムにとって、スミスのこの言葉は心強いもののようだ。けれどもアッペルバウムは、スミスがすぐに続けて書いた次の言葉には、なぜか触れていない。「こうした集まりを法律で禁止しようとしても、取り締まりができないか、そうでなければ自由と公正を侵害する法律になる」
アッペルバウムは、独禁法によって連邦政府が1911年、ロックフェラー家のスタンダード石油を分割したことを高く評価する。しかし当時スタンダード社は石油価格を下げ、品質を高め、むしろ消費者の利益になっていた。事実を言えば、スタンダード社に勝てない競争相手らが連邦政府に働きかけ、分割に追い込んだのだ。
アダム・スミスが恐れたとおり、独禁法は「自由と公正を侵害する法律」になった。その標的とされたのは近年のマイクロソフトなど数多い。アッペルバウムはこうした独禁法の危険にあまりにも無頓着だ。
最後に、アッペルバウムは元連邦準備理事会(FRB)議長のアラン・グリーンスパンについて、金融規制に反対としたと批判する(第十章)。大手銀行による住宅ローンの拡大やデリバティブによる投機を放置したことなど、細かな部分では正しいかもしれない。けれども、大きな構図を見落としている。
グリーンスパンは政府傘下の中央銀行総裁として、経済に巨額の資金を注入し続けた。お金とは本来、政府が無からつくるものではなく、市場で個人間の取引を通じて自然に選ばれる。そうして選ばれた代表的なお金は金(きん)だ。米国が半世紀前に金本位制をやめるまで、金はお金としての地位を保っていた。グリーンスパン自身、若い頃は金本位制を支持していたことで知られる。
しかし中央銀行総裁となったグリーンスパンは、裏付けのないマネーを市場に大量に注ぎ込んだ。現代ではあまりにも当然の行為なので気づきにくいが、本来政府とは無縁に成立する金融市場に対し、これ以上の介入はない。グリーンスパンは何もしなかったのではなく、やりすぎたのだ。
過剰なマネーの注入はバブルを生み、その崩壊から経済危機を起こした。不動産や株式の値上がりによって格差拡大を招いた。さまざまな規制や課税は経済から活力を奪い、貧困の原因となっている。
今の経済・社会問題をもたらしたのは、市場経済の暴走ではない。政府の暴走だ。アッペルバウムのこの本からは、残念ながら、その真実を知ることはできない。
>>書評コラム【4】
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