福祉国家の起源は1880年代のドイツ帝国にあるとされる。鉄血宰相ビスマルクは労働者のために義務的な労災保険、疾病保険、老齢年金を創設した。ビスマルクは利他主義者ではなかった。社会政策によって労働者を革命的な社会主義から引き離し、帝国に対する忠誠を買おうとした。
19世紀後半、野心を抱く米国の社会科学者にとって、ドイツの大学に留学しなければ一人前とは言えなかった。多感な若者たちが米国に持ち帰ったのは、ビスマルクの社会政策に対する好意的な見方だ。それは国家を崇拝するドイツの教授の教えから吸収したものだった。
米政府は市民を守って社会の調和を促すふりをしながら、実際は正反対のことをした。アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)は人種間の対立を強めた。環境規制で多額の資金が浪費され、コストは便益を上回った。食品医薬品局(FDA)は公衆衛生を改善するどころか、多数の死と苦痛をもたらした。
半世紀前、仏哲学者ベルトラン・ド・ジュヴネルはこう述べた。「現代の心理的特質は、恐怖が自信に勝っていることだ。あらゆる階級のあらゆる人々が個人の存在を政府の保護に頼り、政府をなんでも与えてくれる存在とみなしている」
>>翻訳@本【3】
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