福祉国家と切り離せない強制の原理をいったん受け入れてしまったら、限界はどこにあるのか。コントロールが利かなくなるのではないだろうか。累進課税で起こったように、一度その原理を認めてしまったら、歯止めがなくなるのではないだろうか。
福祉国家を拡大することはたやすいだけでなく、扇動政治家が票と政治的影響力を手に入れるのに最も確かな手段だ。それは身銭を切らずに寛大で親切だという評判を得ようとする、ごくありふれた誘惑でもある。福祉国家とは安っぽい道徳主義のお気に入りの遊び場だ。
きわめて影響力のある人々がいる。特権と権力を求め、福祉国家の拡大に強い関心を持つだけでなく、社会的扇動のために最大限利用しようとする。それは革新派のオピニオンリーダー、社会保障当局の官僚、世論の風向きを読む政治家、革新主義の旗の下に行進するあらゆる人々だ。
福祉国家はその魅力的な名前にもかかわらず、強制で成り立つ。政府の権力で従わない人々を罰する。ならば、福祉国家が自由に対する他の制限と同じく、悪であるのは明らかだ。唯一の問題は、それが必要悪かどうかだ。わずかに許容できる必要悪というのが納得できる答えだろう。
>>翻訳@本【3】
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