洛陽の繁栄、平安京の闇
唐の都、洛陽。金持ちの息子、杜子春は財産を使い尽くして落ちぶれ、途方に暮れていたところ、不思議な老人から膨大な黄金を与えられ、贅沢三昧にふける。朝夕押しかける客をもてなすため、杜子春は連日豪華な酒盛りを開く。こんな様子だ。
杜子春が金の杯に西洋から来た葡萄酒を汲んで、天竺生まれの魔法使いが刀をのんで見せる芸に見とれていると、そのまわりには二十人の女たちが、十人は翡翠の蓮の花を、十人は瑪瑙の牡丹の花を、いずれも髪に飾りながら、笛や琴を節おもしろく奏しているという景色なのです。
シルクロードを通ってインドや中央アジアから商人や芸人が多数訪れ、繁栄を極めた唐の都らしい、エキゾチックな雰囲気がみごとに描かれている。
一方、日本の平安京。唐の都をモデルとし、天皇の威信を見せつけるため、道幅を必要以上に広大にするなど実用を無視して設計された。やがて災害や財政難で造営がストップし、荒廃する。正門である羅城門(羅生門)では、死者を捨てていく習慣までできた。クビになって行き所のない下人は、門の暗い楼の上でおぞましい光景を目撃する。
その死骸はみな、それが、かつて、生きていた人間だという事実さえ疑われるほど、土をこねて造った人形のように、口をあいたり手をのばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。〔略〕ぼんやりした火の光をうけて〔略〕永久におしのごとく黙っていた。
平安京の闇を凝縮した、恐ろしい描写だ。シナと日本、二つの都市の対照的な姿を、芥川龍之介の筆力は的確に描き、物語に説得力を持たせている。
>>書評コラム【4】
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