財産権は、客観的に識別できる境界がなければならないし、最初に占有した者が手に入れるという「入植ルール」に従って割り当てられなければならない。適用されうるのは希少な資源だけである。知的財産権の問題は、それによって保護される観念上の対象が希少でないことにある。
発明家で特許の実務家でもあった米大統領ジェファーソンは書いている。「私のアイデアをもらう人は、私の知識を減らすことはない。ちょうど私のろうそくを暗くすることなく、自分のろうそくに火をもらうように」。アイデアの利用で争いは生じない。だから財産権には不向きだ。
有形で希少な資源だけが個人間の争いの対象となりうるし、財産権のルールを適用できる。特許や著作権は、政府の立法によって認められた不当な独占である。特許や著作権の歴史的ルーツは独占的な特権や検閲にある。この特権が、本来存在しなかった希少性を人為的に生み出す。
もし知的財産権の考えが正しいなら、井戸掘りの新技術を発明すれば、世界中の人にそのやり方で井戸を掘るのをやめさせることができるはずだ。大昔、家を発明した人は、他人が自分の土地に自分の丸太で家を建てるのをやめさせたり、特許料を請求したりする権利があったはずだ。
>>翻訳@本【3】
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