公取委のホームページ上では、独占禁止法の目的についてこう説明されている。
「消費者の立場から見ると、市場において企業間の競争がなくなってしまうと、より安い商品やより良い商品を選ぶことができなくなるなど、消費者のメリットが奪われてしまいます」
海外の独禁当局や主流の経済学説とも共通する考えである。しかし、独占が消費者の利益を損なうという通説は、歴史の事実や経済の現実からみて、正しいとはいえない。
現代の独占規制は、19世紀後半の米国にさかのぼる。当時独占が消費者の利益を損ねたとされる例として最も悪名高いのは、石油王ジョン・ロックフェラーが興したスタンダード石油である。同社による独占の「弊害」は、今でも独禁政策を正当化する事例としてしばしば言及される。
だが、スタンダード石油が消費者の利益を損ねたという説は、事実の裏づけに乏しい神話にすぎない。ロックフェラーは1839年、行商人の息子として生まれる。高校を卒業後、簿記の助手を手始めに、セールスの仕事をいくつか経験する。信仰深く、勤勉で倹約に努めたロックフェラーは、23歳までに十分な資金を蓄えると、仲間と共同でオハイオ州クリーヴランドの製油所に投資する(1870年にスタンダード石油に改組)。
ロックフェラーは、ときには肉体労働者に交わって事業を細部まで理解し、コストの低減と製品の改善・拡充に努めた。そのおかげで、同社の精油市場におけるシェアは1870年の4%から1874年には25%、1880年には85%に上昇する。
一方、販売拡大に伴い、1ガロンあたりの製造コストは1869年の3セントから1885年には0.5セント未満に低下した。ロックフェラーはコストの低下分を消費者に還元し、1ガロンあたりの価格を1869年の30セント強から1874年には10セント、1885年には8セントに引き下げる。 従業員にも競合他社を大きく上回る賃金を支払った。このため、ストライキや労働争議で事業が滞ることはめったになかったという。
独禁法制定の本当の狙い
面白くないのは、スタンダード石油に勝てない競争相手たちである。彼らは連邦政府に働きかけ、1906年、同社を独禁法(1890年制定のシャーマン法)違反で提訴させることに成功する。
独禁法の目的は消費者保護とされる。しかしスタンダード石油が消費者の利益を損ねたという米政府の主張には、無理があった。前述のとおり、同社はきわめて効率的な経営により、石油価格を下げ、品質を高め、競合相手にも同様の努力を促したからである。
市場で高いシェアを握る企業が生産量を減らし、価格を吊り上げた事実が見当たらないのは、スタンダード石油だけではない。経済学者トーマス・ディロレンゾによると、同時期に政府から独占として提訴された企業の生産量は、1880年から1890年までの間に平均175%増えた。これは国民総生産(GNP)の増加率(24%)の7倍にも達する。この間、製品価格は大きく下落した。消費者物価指数が7%の下落だったのに対し、鉄製レールは53%、精糖は22%、鉛は12%、亜鉛は20%それぞれ値下がりしている。
当時トラストと呼ばれ、政治家やジャーナリストから非難されたこれら大手企業は、物価を引き下げ、むしろ消費者に利益をもたらしたのである。その事実は議会でも認識されていた。ある下院議員は独禁法案の審議で「トラストは製品を安くし、価格を下げた」と発言している。
一方、この議員は独禁法制定の本当の狙いについてこう述べている。
「しかし、たとえば石油の値段が1バレル1セントに下がったとしても、トラストが国民に及ぼした害悪は正当化されない。まっとうな競争を破壊し、まっとうな商売から正直な人々を追い出したのだから」
つまり真の狙いは、消費者を守ることではなかった。経営効率が悪く、値段の高い製品しか提供できない競合企業を守ることだったのである。
本当に消費者の利益のため
独禁法が政治の武器として悪用されたケースは、スタンダード石油だけではない。近年では、1998年のマイクロソフト社に対する訴訟がある。同社が市場での独占的立場を悪用し消費者の利益を侵害しているとして、米司法省と20の州が起こした。
経済学者スタン・リーボウィッツとスティーブン・マーゴリスによると、マイクロソフトが参入しなかった市場では製品価格の下落が15%にとどまったのに対し、参入した市場ではおよそ60%と大幅に値下がりした。消費者の利益を侵害するどころか、むしろ大きな利益を提供している。
ジャーナリストのジョン・ハイルマンが訴訟の内幕を暴いた。それによると、1997年8月、サン・マイクロシステムズ、ノベルといったライバル企業がシリコンバレーで極秘の会合を開き、独禁法訴訟でマイクロソフトを追い落とす作戦を練った。ノベルの本拠地ユタ州選出のオリン・ハッチ上院議員、上院司法委員会のスタッフらも同席したという。
会合後、ライバル企業はマイクロソフトを攻撃する広報活動とロビー活動に取りかかった。300万ドルを投じてコンサルタントを雇い、マイクロソフトの「不正」を司法省にアピールするシナリオを練ったという。
訴訟は2002年に和解が成立したものの、和解の条件が決まったのは11年。多大な時間とコストを費やした13年にもわたる闘争は、肝心の消費者にとって不毛だったとしかいいようがない。
政府の独占規制が政治と無縁でない以上、ライバル企業のロビー活動などを背景に、成功した特定企業を狙い撃ちにするような運用がされない保証はない。公取委の「活躍」に無邪気に拍手するのでなく、本当に消費者の利益のために行われているのか、冷静に見極める必要がある。
<参考文献>
Thomas DiLorenzo, How Capitalism Saved America: The Untold History of Our Country, from the Pilgrims to the Present
(Business Journal 2016.09.02)*筈井利人名義で執筆
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