しかし、それは本当だろうか。
批判を受けたのは、元ヘッジファンドマネージャーのマーティン・シュクレリ氏が経営する新興製薬会社、チューリング・ファーマシューティカルズ。同社は8月、「ダラプリム」という62年前に開発された感染症治療薬の権利を買い取り、その価格を1錠13.50ドル(約1600円)から750ドル(約9万円)へとつり上げた。命にかかわる病の薬を突然大幅に値上げしたことで、米国では怒りの声が巻き起こった。まだ30代のシュクレリ氏が動画で値上げの理由を軽い口調で説明したことも、火に油を注いだ。
次期大統領選の民主党本命候補、ヒラリー・クリントン前国務長官はこの騒動に乗じ、高騰する薬価に対応するためとして、医療保険の加入者が処方箋薬に払う薬代の上限を月額250ドル(約3万円)に制限する規制案を9月に発表した。
米国内外では、シュクレリ氏の行為は市場原理主義の象徴であると受け止める向きが多い。また、米国では薬価が全般に高騰しているが、これは政府が薬価を決める日本などと違い、製薬会社が自由に価格を設定することが原因だとして、やはり市場原理主義が批判の的とされている。
米国=市場原理主義支配という幻想
しかし、薬価の高騰は本当に市場原理主義が原因なのだろうか。
米ジョージ・メイソン大学の経済学教授、アレックス・タバロック氏によると、インドでは、約9万円に大幅値上げされたダラプリムと同じ有効成分で低価格なジェネリック医薬品(後発薬)が売られている。値段は1錠あたり米ドル換算でわずか5セント(約6円)という。
インドのジェネリック医薬品には、品質面に問題があるとの意見もある。だがこの薬の場合、欧州でも広く販売されている。今回の騒動についてタバロック教授は、「欧州で認可されたジェネリック医薬品の輸入をすべて認め、米国で販売しさえすればよい話」と指摘する。
ところが実際には、米国では政府の規制により、国内で認可されないかぎり外国製医薬品の輸入は認められない。たとえそれが、今回のケースのように、米国ですでに認可・販売されている医薬品と実質同じジェネリック医薬品だとしてもである。
もし米国が市場原理主義に支配されているのであれば、外国製ジェネリックの輸入に規制などなく、自由に販売できるはずである。しかし現実にはそうなっていない。
問題は外国製品だけではない。米国内の製薬会社がジェネリック医薬品を製造・販売するにも、規制の高いハードルがある。
米国政府で医薬品の認可権を握っているのは、食品医薬品局(FDA)である。ジェネリック医薬品を販売するには、FDAに申請し、先行薬との同一性や安全性を検査のうえ、認可してもらう手続きを踏まなければならない。この手続きには、2年程度といわれる長い時間と高い経費がかかる。
もし米国が本当に市場原理主義に支配されているのであれば、ジェネリック医薬品の販売はもっと小さなコストで早く認められるはずである。しかし現実は違う。このため、大手と比べ資金力に乏しいジェネリック製薬会社は、ある程度市場規模の大きな薬でないと、開発に二の足を踏みがちになる。
シュクレリ氏の一件では、別の製薬会社が10月、ダラプリムと同種の薬剤を開発し、1錠ほぼ1ドルで販売する計画を明らかにした。しかし、競争相手は今のところこの1社だけである。
規制で大手企業に恩恵
以上のように、政府の規制のおかげで、米国の製薬会社は国内外の安価なジェネリック医薬品との競争から守られ、競争がもっと厳しい場合よりも高い販売価格で過大な利益を得ることができる。シュクレリ氏は極端な例かもしれないが、大手製薬会社も同様の恩恵にあずかっている。
薬価高騰の犯人は、市場原理主義ではない。俗説とは逆に、市場原理が規制で阻害されていることが問題なのだ。
今回の問題を受け、日本でも市場原理を非難し、あらためて政府の薬価規制を支持する声が聞かれる。しかし実際には、規制は薬価を引き下げる市場経済の働きを妨げ、長い目でみれば社会全体に高いコストを押しつけることになるだろう。
(Business Journal 2015.12.01)*筈井利人名義で執筆
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