2020-06-16

【熊本地震】行政のお粗末対応で被災者飢餓&震災拡大…救援物資を滞留、救援の妨げに

今月、熊本県を中心に九州を襲った大地震は、エコノミークラス症候群などの震災関連死を含め数十人もの死者と1000人以上のけが人を出したほか、9万人を超える人々を避難生活に追い込んだ。こうしたなかで、救援に責任を負うはずの行政に対応の遅れやまずさが目立つ。民間企業が東日本大震災などの経験を生かし、すばやく的確に行動しているのと対照的だ。これでは一刻を争う救援活動を主導するどころか、足を引っ張ることになりかねない。

今月14日に起こった最初の大地震後、民間企業は迅速に行動した。まず注目されたのは、日常生活に密着し人々の命綱ともいえるコンビニエンスストアだ。大手コンビニ3社の店舗は、震災発生から1週間もたたないうちに熊本県内で大半が営業を再開。飲料水や食料品を優先的に出荷し、全国から応援社員を集めるなど、過去の震災で培ったノウハウを生かした。


コンビニ以外でも、過去の経験に学んだ企業の活躍が目立つ。イオンは、被災者に風雨をしのげる避難場所を提供しようと、2004年の新潟県中越地震で使用した大型テントを提供。三井化学は、ストローで膨らますと枕やマットレスとしても使える「エア・ざぶとん」1000枚を届けた。11年の東日本大震災の際、取引先企業が、段ボールを敷いて寝ていた被災者の「床に敷くものがほしい」という声を聞いて開発したものだ。


過去の震災の失敗を繰り返し


このように民間企業の周到な準備やすばやい行動が際立つ一方で、なんとももどかしいのが行政の対応だ。

熊本県庁1階のホールではペットボトルの水や食料、生理用品などの救援物資が山積みにされたまま、各市町村や避難所になかなか届かない。「物資の仕分けなどを担当する職員が足りず、作業が追いつかない」といった県担当者の声が伝えられる。

救援物資の配布には食料や衛生用品など仕分けが重要だが、行政は素人。東日本大震災でも支援物資の滞留が指摘され、仕分けを民間物流業者に任せることでようやく避難所に物資が届くようになった経緯がある。

おもに福岡県の物流拠点から民間業者が市町村に直接、救援物資を送る枠組みがようやくできあがったのは、地震発生から数えて5日目の4月18日。東日本大震災の反省が生かされたとはいいにくい。

救援物資が滞る間、飢えや渇きに苦しむのは避難所の被災者たちである。「おにぎりを受け取るのに1時間並んだ」「子どものミルクやおむつが手に入らない」といった悲痛な声。過去の震災と同じく、劣悪な環境で病気を患ったり、ストレスをため込んだりして亡くなる震災関連死も出ている。

行政は、何がどこで不足しているのかという情報も十分把握できずにいる。そのため、物資が届かなかったり、重複して届いたりといったことが起きているという。

一部メディアでは、千羽鶴や寄せ書きなどを例にあげ、被災地に送られた不要不急な物資は現地の負担を増すだけだという、「ありがた迷惑論」が唱えられた。しかしこれは問題の本質から目をそらしている。自治体で仕分けもされず山積みになったのは、被災者が一刻も早くと待ち望む食料や日用品であって、千羽鶴や寄せ書きではないからだ。

物資の配布は指定の避難所が優先され、そのほかの場所に自主避難している人たちへの支援が足りないという問題も起こった。1995年の阪神大震災でも指摘された、避難所間の「格差」である。行政で課題として認識されていたにもかかわらず、また繰り返すことになった。

自助努力


行政が十分に機能を果たさない以上、被災者は自助努力によるしかない。その点で救いだったのは、阪神大震災時と違い、フェイスブックなど会員制交流サイト(SNS)を使い、個人が全国に窮状を発信できることだ。

自主避難所となった熊本市の県立高校では、避難者が「公共の物資が一切届きません」「絶望します」と発信すると、福岡や大阪から救援物資が続々と集まった。だが、高齢者が多い自主避難所ではこうした手段も使えなかった。

自助努力といえば、水の確保もそのひとつ。熊本市内のほぼ全域で断水が続いたため、行政からの給水を待たず、神社などの湧き水や井戸水を利用する動きが広がった。

行政による救援があてにならないことを示した、皮肉なエピソードがある。

熊本刑務所による避難者受け入れだ。施設の一部を開放し、地震で被災した近隣住民約150人を受け入れた。刑務所は災害救助法の適用外のため、自前で非常食を多く蓄えていたほか、水は井戸水を使っていたため、避難者は食料や水に困らなかったという。

こんなことなら、熊本市民も国や自治体に税金を払わず、その分、自前で非常食や水の備蓄を増やすほうがましと思いたくもなるだろう。

仕分けや避難所の人手が足りないのなら、被災地で活動した経験のあるボランティアに頼ればいいはずだ。ところが受け入れがようやく始まったのは、地震発生から1週間たってから。熊本県の事実上の外郭団体である県社会福祉協議会は、二次災害の危険があるとして受け入れを見送っていた。メディアでも、ボランティアが交通手段や宿泊先を確保しないまま現地に来れば迷惑になるといった論調がみられた。

たしかに二次災害や迷惑の恐れは否定できないが、ボランティアが来なければ、避難者はそれ以上の危険にさらされることになる。支援拠点を被災地から離れた場所に移し、そこでボランティアを受け入れるといった工夫の余地もあったはずだ。「ボランティア迷惑論」には、対応能力に乏しい行政側の都合ばかりがちらつく。

人手不足の結果、過重な労働を強いられたのは現場の自治体職員だ。ネット上では、みずからも被災し、避難所でどんなに働いても苦情ばかり言われるという職員の嘆きに同情し、避難者を責めるような論調もある。

だが、これは問題を矮小化するものだ。危険や不安にさらされた避難者が行政への不満やいらだちをぶつけるとしたら、現場に派遣された自治体職員しかいない。悪いのは避難者ではなく、機動的な対応ができず、現場に負担を押しつける行政上層部である。

それでも、震災の直撃で混乱する自治体はまだ同情の余地がある。関西広域連合が東日本大震災で採用した「カウンターパート方式」を参考に、自治体間で連携した支援を試みてもいる。

現場を無視した指示で犠牲者を生む


お粗末きわまるのは、安倍晋三首相率いる中央政府である。

たとえば、政府が熊本県に「全避難者の屋内避難」を求めた一件だ。雨の予報で「土砂崩れの可能性もあり屋内避難の必要があった」(河野太郎防災担当相)というが、「余震が怖くて部屋の中にいられないから出た」(蒲島郁夫知事)のが現実だろう。今回の地震では、多くの人が倒壊家屋の下敷きになって亡くなった。現場を無視した指示が家屋倒壊の犠牲者を増やした可能性もある。

在日米軍の輸送機MV22オスプレイによる食料品などの輸送支援の受け入れも、救援を優先するというより、オスプレイの日本配備を正当化する意図があったのではと問題視されている。さらには、九州で連続地震が続くなか、鹿児島県薩摩川内市の九州電力川内原発1、2号機の稼働を続けることにも批判が強まっている。深刻な原発事故につながった東日本大震災の教訓に学んだのか、首を傾げざるをえない。

石破茂地方創生担当相は、「防災省」を新たに設置すべきだとの考えを示した。しかし率直にいって、過去の教訓に学ばない行政がいくら出しゃばっても、民間の足手まといになるだけとしか思えない。救援活動は思い切って民間主体とし、行政はその邪魔をしないよう引っ込むくらいの発想の転換が必要だろう。

Business Journal 2016.04.23)*筈井利人名義で執筆

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