国家という暴力団
多くの人は、国家・政府や法律に従うことは道徳的に正しいと信じている。だから法律に基づくものであれば、「自粛要請」という矛盾した日本語に疑問も抱かず、その要請に進んで従うし、従わない人を声高に罵ったりもする。
しかし、そうした考えや態度は正しくない。本書は、国家や法律をむやみにありがたがる誤った思い込みに、根底から疑問を投げかける。
著者が述べるように、法律は原則、道徳とは無関係なルールである。殺人や窃盗など両者が一致する場合もあるが、法律は人為的に作れるから、道徳とは別の目的で制定されうる。
その最たるものが、国家自身の行為に関する法律だ。一般人が行う殺人は犯罪だが、国家が行う殺人は死刑と呼ばれ合法化されている。一般人が行う強盗は犯罪だが、国家が国民を脅して税金を取ることは合法である。
国家が国民から税金を取ることが正当化されたのは、16世紀フランスの法学者ジャン・ボダンが「主権」の概念を確立させて以降のことだ。主権というと難しそうだが、著者が指摘するとおり、「要するに暴力団の縄張り支配と本質的には変わらない」。
国家と暴力団の違いは、国家の暴力が合法であるのに対し、暴力団は違法というだけだ。著者は続ける。
国家は主権者という組長に「合法的に」支配されるシマなのだ。ボダンは主権の権限として国民からの徴税権を正当化したが、それはいわば「みかじめ料」のようなものである。なんと過激な主張だと驚くかもしれない。けれども、「国家=暴力団説」は、著者が記すとおり、別に珍奇なものではない。アウグスティヌスやマックス・ウェーバーをはじめ、神学や政治学では昔から言われていることだ。
本書は、昨今流行の無難な哲学本や教養本とは対照的に、思想の危険な魅力にあらためて気づかせてくれる。
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