新大統領就任が決まったドナルド・トランプ氏自身、大統領選終盤の10月下旬、かつて同じ共和党のエイブラハム・リンカーン元大統領が「人民の人民による人民のための政治」を唱えたペンシルベニア州のゲティスバーグで演説し、リンカーンを模範にアメリカの分断に立ち向かいたいと強調した。
リンカーンといえば、米国でアンケート調査などに基づき歴代大統領を業績でランキングすると、つねに首位を争うほど評価が高い。そのほかジョージ・ワシントン、ウッドロウ・ウィルソン、フランクリン・ルーズベルトなども上位の常連だ。
さて、米国で「偉大」と称えられるこれらの大統領には、ある共通するキーワードがある。それは「戦争」だ。
ワシントンはアメリカ独立戦争で司令官を務め、初代大統領に就いた。リンカーンは南北戦争で北軍を指揮して勝利を収める。ウィルソン、ルーズベルトはそれぞれ第一次、第二次世界大戦時の大統領である。
戦時の大統領は美化されやすい。特に昔の戦争であるほど、戦場や銃後の悲惨な記憶は薄れ、戦争の指導者が英雄として崇拝されがちである。だからランキング上位の大統領は、その業績を冷静に検証すると、必ずしも良い大統領だったといえないどころか、むしろその正反対である場合が少なくない。
上述した4人の「偉大な」大統領のうち、建国の父であるワシントンも美化と無縁ではない。それでも総合的に判断して、良い意味で「偉大な大統領」だったといっていいだろう。だが他の3人となると、話は別だ。以下、トランプ氏が称えたリンカーンを中心に説明しよう。
南北戦争の真の目的
リンカーンが戦った南北戦争は、米国の北部諸州と南部諸州との内戦である。両軍合わせて60万人超という、第一次世界大戦以前では最大の戦死者を出した。この戦争は奴隷を解放するための戦いだったと思い込んでいる人も多い。だが実際は違う。
リンカーンは大統領選に出馬した当時、奴隷制の西部への拡大には反対するものの、連邦議会は南部の奴隷制に介入できないと主張していた。南部に限っては奴隷制度を容認していたのである。
南北戦争勃発当初も、戦争の目的は「奴隷の解放」ではなかった。それはアメリカ合衆国という「連邦の維持」だった。リンカーン自身、「もし奴隷をひとりも自由にせずに連邦を救うことができるものならば、私はそうするでしょう」と明言している。奴隷解放に対して心情的には共感していたものの、リンカーンにとってより重要な目標は、南部諸州を合衆国に引き留め、連邦を維持することだったのである。
だから戦争勃発から1年5カ月後の1862年9月、翌年1月1日に奴隷を解放するという「奴隷解放予備宣言」を出した際も、デラウェア州、ケンタッキー州など北部の4つの奴隷州にいた奴隷は解放の対象に含まれなかった。対象は南部の奴隷だけだった(杉田米行『知っておきたいアメリカ意外史』<集英社新書>)。
奴隷制をなくすためだけなら、多くの犠牲を払って戦争をやる必要などなかった。事実、南北戦争の時代以降、オランダ植民地、ブラジル、プエルトリコ、キューバなど世界各地で奴隷制が相次ぎ廃止されたが、ほとんどすべて平和のうちに実現している。資本主義が発達するにつれ、奴隷制は自由な労働サービスとの競争にさらされ、非効率で維持できないものになっていたのだ。
一方、連邦の維持という目的は正当化できない。なぜなら「民族自決」という言葉が示すように、帰属する政治組織を自分の意志で決定するのは、法律に優先する人間の自然の権利だからだ。そもそも米国自身が、この自然の権利を根拠に英国から独立して成立した国家だ。もし南部の独立を米国政府が否定するのなら、自分自身の存在も否定することになってしまう。
つまりリンカーンは、不要で不当な戦争によって多数の人命を犠牲にしたのだ。
「偉大な大統領」の実像
それだけではない。戦時であることを理由に、市民から言論、政治活動、人身などの自由を奪った。リンカーン政権が支配する北部諸州では、新聞編集者・発行人や聖職者を含む何千人もの反戦派市民が投獄された。政府は秘密警察隊を組織し、背信行為の疑いがあるというだけで人々を逮捕した。その際、逮捕の理由は告げられず、犯罪が実際にあったかどうか捜査もされず、裁判もされなかった。
ウィルソンは第一次世界大戦の勃発当初、米国を中立の立場に保ち、「国民を戦争に巻き込まなかった」というキャッチフレーズを掲げて再選を果たした。ところが2期目の1917年4月、領土を脅かしていたわけでもないドイツに宣戦布告し、英仏に味方して連合国として参戦する。
ウィルソンは参戦の理由を「世界を安全にして民主主義を守るため」と説明した。しかしその民主主義を国内では踏みにじる。戦時中は「公益」のためと称して、リンカーン同様、反戦的な言論や報道を弾圧した。
ルーズベルトは周知の通り、日本軍の真珠湾攻撃を機に米国民を第二次世界大戦に引き込んだ。真珠湾計画を事前に知っていながらわざと攻撃させたとの説が今でも取り沙汰されるが、その真相がどうであれ、ルーズベルトはそれ以前から対日石油輸出の全面禁止に踏み切るなど日本を開戦に仕向けており、平和でなく戦争を望んでいたのは明らかである。
ルーズベルトも戦時中、市民の自由を不当に奪った。司法手続きもなしに、7万人の日系米国人や数万人の日本人移民を強制収容所に押し込んだのである。
政府は戦争で外敵から国民を守ると称して、しばしば外敵と同様かそれ以上の犠牲を国民に強いる。だとすれば、戦争の英雄として称えられる「偉大な大統領」の実像が、国民の自由や権利を不当に奪う暴君であることに不思議はない。
トランプ次期大統領には、英雄になろうとして不要な戦争を起こす過ちだけは犯してもらいたくない。
(Business Journal 2016.11.18)*筈井利人名義で執筆
0 件のコメント:
コメントを投稿