これに対し報道機関は「報道統制」「政権が望まない報道をしたことに対する報復」などと反発している。一応もっともではあるが、素直にうなずけない。
政府に取材できたからといって、正しい報道になるとは限らない。政府との親密な関係によって、かえって真実が歪められてしまうかもしれないからだ。いや実際、そのような政府と報道機関の不健全な関係は過去にもあった。
その代表例は「モッキンバード作戦」である。
モッキンバード作戦とは、米中央情報局(CIA)が報道の操作を図った秘密工作である。冷戦期の1950年代に始められた。米国の主要ジャーナリストを誘い入れ、政治や外交などに関するCIAの見解を広める手助けをさせた。
作戦を主導したCIA幹部はアレン・ダレス長官、フランク・ウィズナー工作本部長、コード・メイヤー(ワシントン・ポスト紙編集主幹ベン・ブラッドリーの義兄)らである。ウィズナーはワシントン・ポスト紙発行人のフィル・グラハムを協力者に引き入れたほか、50年代初めにはニューヨーク・タイムズ紙、ニューズウィーク誌、大手放送局CBSなどの経営者やジャーナリストの協力を取りつけたとされる。
77年10月、ウォーターゲート事件報道で知られる元ワシントン・ポスト紙記者カール・バーンスタインは、ローリング・ストーン誌に衝撃的な記事を寄稿した。それによると、52年以来、ピュリッツァー賞受賞記者を含む総勢400人ものジャーナリストがCIAのために働いていたという。
バーンスタインは「CIAとメディア」と題するこの記事で、CIAに協力したとされる報道関係者を実名で列挙した。それにはウィリアム・ペイリー(CBS創業者)、ヘンリー・ルース(タイム誌・ライフ誌創刊者)、アーサー・サルツバーガー(ニューヨーク・タイムズ紙発行人)などの大物が含まれていた。彼らはダレスCIA長官の親しい友人でもあった。
CIAはこうした大物や、第二次世界大戦中に政府の情報機関である戦争情報局にいたジャーナリスト、大戦中に政府の広報に携わった職員らを通じ、海外情勢や各国指導者に関する情報を意図的にリークした。情報を小さな新聞社に流し、CIAに協力的なメディアを通じて次第に広げさせる手法もとった。
論調にも介入
ジャーナリズムとの協力体制は、53年のイランのクーデター、54年のグアテマラのクーデターなどCIAが画策した海外軍事介入で特に効果を発揮したとみられる。
ニューヨーク・タイムズ紙はイランのクーデター前夜、西側の利益に反して石油国有化を断行したモサデク首相をつねに独裁者と呼んだ。他の新聞はモサデクをヒトラーやスターリンになぞらえた。ニューズウィーク誌は、モサデクの支援により共産主義者がイランを乗っ取ろうとしていると報じた(野口英明『世界金融 本当の正体』<サイゾー>)。
メディアは報道に対するCIAの露骨な介入も受け入れた。ジャーナリストのエバン・トーマスによると、CIAでモッキンバード作戦の海外工作を担当するウィズナーは、ニューヨーク・タイムズ紙メキシコ市支局のシドニー・グルソン記者の記事がグアテマラ左翼政権の影響を受けすぎているとみて、同記者を黙らせるようダレス長官に進言した。しかるべき電話連絡の後、同紙のサルツバーガー発行人は、グルソン記者にグアテマラに入国しないよう命じた。同記者は反政府軍の調査にちょうど着手するところだった。
タイム誌でもグアテマラ担当記者はたいていアルベンス大統領率いる左翼政権に同情的な記事を送ったが、ニューヨークの編集局で同政権に厳しい論調に書き直された。記者たちは政府の介入を強く疑っていたという。
ジャーナリストのティム・ワイナーによると、ダレス長官は電話一本で、メディアのニュースの内容に口を挟むことができた。気に染まない海外特派員を現場から外させたり、タイム誌のベルリン支局長やニューズウィーク誌の東京支局長をCIAの仕事に協力させたりもできた(ワイナー、藤田博司他訳『CIA秘録』上巻<文藝春秋>)。
メディアを日常的に監視
情報のリークや介入許容より、さらに踏み込んだ協力関係もあった。
ニューヨーク・タイムズ紙のサルツバーガー発行人はダレス長官と密約を結び、少なくとも10人のCIA職員に記者または事務職員として海外支局で活動できるよう取り計らった。同紙の本物の記者は、外国のスパイの可能性のある人物に関する情報などをCIAに渡すよう奨励された。
タイム、ニューズウィークの両誌やCBSも同様の取り決めをCIAと結んでいた。放送局ではCBSとの結びつきが特に強かった。同社はワシントン支局長とCIAとの間に正式な伝達経路を設け、ニュース映画ライブラリへのアクセス権を与えた 特派員によるワシントンとニューヨークのニュースルームへの報告を、CIAが日常的に監視することを許した。
記者の多くは従順だった。イランやグアテマラの政権転覆を図るCIAの謀略について知っていたが、何も書かなかった。CIAへの協力は愛国的な市民の義務と信じたからだ。もっと単純に、機密情報を知る特権によって特ダネをものにできると感謝してもいた。
こうしたメディア側の態度は、CIAにとって好都合だった。担当者のウィズナーは、メディアを「(CIAの好きな音楽だけがかかる)巨大なジュークボックス」にしたようなものだと自慢した(スティーブン・キンザー、渡辺惣樹訳『ダレス兄弟』<草思社>)。
やがてモッキンバード作戦はその存在が知られるようになり、75年の上院情報活動調査特別委員会(チャーチ委員会)で実態が明らかにされた。翌76年2月、新任のジョージ・ブッシュCIA長官(のちの大統領、父ブッシュ)が、ジャーナリストの無償の自発的協力は引き続き「歓迎」するものの、金銭供与を伴う協力は廃止する方針を表明した。
その後、報道機関がCIAや政府との癒着を完全に断ち切ったかどうかは定かでない。しかし少なくとも外から見る限り、政府に都合の良い情報を無批判に垂れ流す体質は改まっていない。
その典型は、2003年に米国がイラクを先制攻撃したイラク戦争の際の報道である。米政府はイラクが大量破壊兵器を保有しているなどと根拠のない主張をし、報道機関はそれらをほとんどなんの検証もしないまま流布させた。偽ニュースをばらまいたのだ。これではトランプ大統領の偽ニュース呼ばわりに胸を張って反論できまい。
偽ニュースというと、怪しげなウェブサイトや交流サイト(SNS)の匿名投稿などを通じ流布されるイメージが強い。だから一流の報道機関が政府と結託して嘘ニュースを流すなどと聞くと、「陰謀論」だと笑って否定したくなるかもしれない。
しかし今回述べたモッキンバード作戦のように、陰謀論には正しいものもある。笑い飛ばす前に、歴史上の事実を学んでみよう。きっと真実を見抜く目が養われるはずだ。
◆参照文献(本文に記載したものを原則除く)
Bernstein, Carl. October 1977. “The CIA and the Media”. Rolling Stone Magazine.
Thomas, Evan. 2006. The Very Best Men: The Daring Early Years of the CIA. Simon & Schuster.
Wilford, Hugh. 2009. The Mighty Wurlitzer: How the CIA Played America. Harvard University Press.
(Business Journal 2017.04.15)*筈井利人名義で執筆
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