英国のEU離脱について、主流メディアではほぼ批判一色だ。たとえば英フィナンシャル・タイムズ(FT)紙は離脱通知を論評する3月30日付の社説で「離脱は英国にとって悲劇となるが、欧州にとっても悲劇となる」と述べた。
しかし、EU離脱を非難する主流メディアの主張は正しくない。そこでは言葉の意味が意図的にぼかされている。
主流メディアでよく見かける表現は、「離脱によって英国は欧州で孤立する」というものだ。EUを離れることは欧州を離れるに等しく、欧州の経済から切り離されるに等しいというイメージが煽り立てられる。
だが政治的な独立は、経済的な孤立を意味しない。EUは欧州と同じではないし、EUを離れても欧州の経済と縁を切ることにはならない。EU非加盟のノルウェーは、主要貿易相手国に英国、ドイツ、オランダ、スウェーデン、フランスなどEU加盟国が並ぶ。同じくスイスも、ドイツ、イタリア、フランスなどと活発に貿易を行う。
むしろ主流メディアの主張とは逆に、欧州の政治統合をめざすEUを離れ、政治的に独立する国が増えれば、欧州の経済には有益といえる。政治的な独立は、経済的な相互依存を強めるからだ。
EUによる政治統合を支持する人々は、中央集権化が貿易と平和を促進すると主張する。だが実際には、政治統合で事実上の国家の規模が大きくなるほど、保護主義と戦争のリスクが高まる。政治統合で巨大な超国家が成立すると、貿易戦争に伴う経済的孤立に耐えられるようになる。超国家を構成する一部の国が他の国を戦争に引き込み、自国の対立のコストを他の国に押しつけやすくなる。
これに対し、小規模な国家は経済的に孤立する余裕がない。自国の資源や人材だけでは経済を支えられないからだ。だから他の国と経済的な相互依存の関係を築く。この関係を断つことは経済的な自滅を意味するから、戦争を抑制するようになる。
巨大な超国家はそれを構成する諸国家に対し、政策の国際的な「調和」を求める。だから超国家のなかで生きる市民は、ブリュッセルにあるEU本部の官僚たちが絶えず発する規則のような、面倒で複雑なルールから逃げることができない。
グローバル化には2種類
前出のFT紙社説は離脱派を批判し、大量に発生する貿易をスムーズにするためには、EU加盟各国の間で「膨大な数の規制を調和させる必要」があると主張する。しかし現実には、規制の「調和」には時間がかかるうえ、ようやくでき上がった規制はさらに複雑で、しかも現実にすぐに対応できなくなる。貿易をスムーズにするどころか、かえって妨げる。
これに対し多数の独立した小国が存在する社会では、市民は規制や税負担の少ない国に移動しやすい。いわゆる「足による投票」である。政府は市民が他の国に逃げ出すことを恐れ、より多くの市民を呼び寄せようと、規制や税を減らし、市民の自由や財産権を尊重するようになる。もともと規制が少なければ、それらを「調和」させる必要もない。
英国のEU離脱を「グローバル化の終わり」だとする表現も、主流メディアには目立つ。だがここでも言葉の意味がわざとあいまいにされている。
グローバル化には2種類ある。政治のグローバル化と経済のグローバル化だ。経済のグローバル化は、言い換えれば国境を越えた分業である。現代の世界では、ほとんどの国は自国の需要を満たすためだけに生産するのでなく、他国の生産者や消費者のためにも生産する。各国はそれぞれ最も得意な分野に力を注ぐことにより、生産性を向上させる。それによって世界の貧困は過去数十年にわたり改善してきた。
これに対し政治のグローバル化は、世界の諸問題は自由な貿易や分業ではなく、政治権力によって解決できるし解決すべきだと信じる。ただし、これまでの国家はもはや時代後れであり、それらを政治統合によって束ねた超国家が必要だと考える。
歓迎すべき出来事
経済のグローバル化を支える思想が個人主義と自由主義だとすれば、政治のグローバル化の背後にある考えは国家主義と社会主義である。両者は水と油といいっていい。
政治統合をめざすEUは、明らかに政治のグローバル化の一種だ。経済のグローバル化とは関係ない。ところが主流メディアはこの区別をあいまいにし、あたかも英国のEU離脱がグローバル経済にとってのリスクであり、保護貿易をもたらすかのように危機感を煽る。
しかしすでに述べた通り、政治のグローバル化に歯止めがかかることは、経済のグローバル化にはむしろプラスである。
英国のEU離脱で政治のグローバル化が後退することは、一部の政治エリートや彼らと癒着した特権的企業、その応援団を務めるメディアにとっては、自分たちの存在意義を脅かす危機だろう。しかし一般の人々にとっては何も恐れる必要はない。むしろ歓迎すべき出来事なのだ。
(Business Journal 2017.04.21)*筈井利人名義で執筆
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