しかし、このウォーターゲート事件自体、発生から45年たった今でも大きな「謎」に包まれていることは、日本ではあまり知られていない。真相を探ると、現代にも通じる権力とマスコミの不都合な関係が垣間見える。
1972年、ニクソン大統領の共和党の再選支持派が、ワシントンのウォーターゲートビルにある民主党全国委員会本部に盗聴器を仕掛けるため侵入、逮捕された。ホワイトハウスは関与を否定したが、ワシントン・ポスト紙が調査報道で追及。もみ消し工作も明らかになり、ニクソン氏は74年辞任した(朝日新聞「キーワード」より)。これが事件の一般的な説明だ。
事件を追ったワシントン・ポストの若い2人の記者、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインは報道の経緯を共著『大統領の陰謀』にまとめ、1974年に出版。ベストセラーとなった。76年には映画化され、世界中でヒットする。今でもブルーレイ・ディスクなどで見ることができ、原作より映画で事件のイメージをつくり上げている人も多いだろう。両記者は一躍英雄となった。とくにウッドワードはその後も米国政治をテーマとする著作を次々と発表し、ジャーナリストの神様のように崇められている。
ディープ・スロート
さて、『大統領の陰謀』には「ディープ・スロート」と呼ばれる謎の人物が登場する。行政府の人間で、ウッドワードの以前からの知人だという。ウッドワードらはディープ・スロートから多くの貴重な情報を入手し、ウォーターゲート事件で数々の特ダネをものにする。
情報源を明らかにしない報道の原則に従い、ウッドワードがディープ・スロートの正体を長年明かさなかったため、さまざまな説が取り沙汰された。事件発生から33年後の2005年、当時すでに90歳を超えていた元米連邦捜査局(FBI)副長官、マーク・フェルトが雑誌の記事で自分がディープ・スロートだと述べたのを機に、ウッドワードは『ディープ・スロート』を出版。ディープ・スロートはフェルトだったと書いた。
このディープ・スロートの「正体」は現在、ウォーターゲート事件の「公式見解」としてマスコミで流布されているものの、納得できない点が少なくない。
フェルトは02年になるまで、自分がディープ・スロートだと家族に話したことがなかった。話した頃は脳卒中で倒れて衰弱し、正気を失いがちだった。自分がディープ・スロートだと「告白」した雑誌の記事も、顧問弁護士の代筆だった。フェルトの娘によると、名乗り出た動機の一つは金銭だったという。
『大統領の陰謀』の出版を担当した著作権代理人によると、最初の草稿はできが悪く、出版社から前払いした原稿料を返せとまで言われていた。そうしたなかウッドワードが、出版前から映画化の話を持ち込んだ俳優ロバート・レッドフォードらと会食をした直後、それまで一度も話したことのなかったディープ・スロートという人物を入れるというアイデアを突然伝えてきたという。
ディープ・スロートに関するエピソードは映画にドラマチックな効果をもたらした。ウッドワードがディープ・スロートに会うのは深夜の暗い地下駐車場。会う日には前もって、自宅のバルコニーに置いてある、赤旗を差した花瓶の位置を動かして合図にする。尾行されないようタクシーを乗り換え、目的地をめざす。まるで映画向けの演出のようだが、すべて本に書いてある。
しかしジャーナリストのジム・ホーガンによれば、ウッドワードが当時住んでいたアパートの部屋は6階にあり、狭い中庭から見上げてもバルコニーにある旗は見えないという。
事件当時のワシントン・ポスト編集主幹で、ウッドワードらの上司として陣頭指揮をとったベン・ブラッドリーでさえ、ディープ・スロートのエピソードについてこう語る。
「花瓶のエピソードは本当にあったのかな。……どこかの駐車場で会ったというけれど、1回か、50回か。何回か知らないが。……どうもすっきりしない」
政治コンサルタントで作家のロジャー・ストーンは、ディープ・スロートという一人の人物は実在せず、実際は何人かの情報源の合成だとみる。フェルトはその一人だったかもしれないが、フェルトの情報権限は限られていたという。
政治権力闘争とメディア
もしディープ・スロートがフェルト一人ではなく、何人かの合成だとすれば、ウッドワードは真実を明らかにしていないことになる。なぜか。考えられるのは、ほかの情報源を隠すことだ。フェルトだけがディープ・スロートだったことにして、情報源だったことがわかっては都合の悪い人物を、秘密のままにしておくことだ。
それが誰かは諸説あるが、有力視される人物が一人いる。陸軍出身で、事件当時、ニクソン政権でホワイトハウス高官を務めたアレクサンダー・ヘイグ(のちにレーガン政権で国務長官)である。
ヘイグは当初、ニクソン大統領の右腕として知られたキッシンジャー補佐官(安全保障問題担当)の部下だったが、やがてキッシンジャーと勢力を争うまでになり、ウォーターゲート事件の渦中で前任者が辞任したのを受け、大統領側近として最高位の大統領首席補佐官に登り詰める。
ジャーナリストのレン・コロドニーとロバート・ゲトリンが1991年に刊行した共著『静かなるクーデター』によれば、ニクソンが推し進めた中国との国交回復やソ連との軍縮交渉は軍部の反感を買っていた。陸軍参謀次長のポストに就こうとしていたヘイグにとって、ウォーターゲート事件を利用してニクソンの影響力を殺ぐことは、軍部の役割を強化する「願ってもないチャンス」だったという。もちろんニクソンにばれたらただでは済まない。
そしてヘイグは、ウッドワードと旧知の仲だった。コロドニーらによると、ウッドワードは1965年にエール大学を卒業後、海軍に入り、4年間を通信担当将校として国外で過ごした。最後の5年目、通信監視将校としてワシントンの国防総省に赴任し、そこでもう一つの重要な任務を帯びる。
それはさまざまな機密情報を収集し、上級将校らにわかりやすく伝える現況報告官という役割だった。報告する相手のなかに、当時キッシンジャーの部下だったヘイグがいたのである。ウッドワードは現況報告官だったことやヘイグとの関係を否定しているが、コロドニーらは当時の上官らに事実を確認している。
もしディープ・スロートの一人がヘイグだったとすると、現在マスコミで語られるウォーターゲート事件の公式見解は根底から揺らぐ。ディープ・スロートは政治の腐敗に対する義憤から情報提供に応じた高潔な人物とされてきたが、それがヘイグだった場合、ジャーナリストの神様であるウッドワードらは政府上層部の権力闘争で一方に加担し、中ソとの緊張緩和を進める大統領をクーデターのように追い落とす手助けをしたことになるのだから。
以上はあくまで仮説にすぎない。しかし少なくとも、マスコミが政府内の特定の人物だけを執拗に攻撃するときには、その背景を疑ってみる用心が必要だろう。
くしくも対ロ関係改善に踏み出したトランプ大統領は、「ロシアゲート」の標的にされている。
●参照文献(英文のみ。ほかは本文に記載)
・Jim Hougan, Secret Agenda: Watergate, Deep Throat, and the CIA (1984, Random House)
・Roger Stone, Nixon’s Secrets(2014, Skyhorse Publishing)
(Business Journal 2017.08.28)*筈井利人名義で執筆
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