使い物にならない武器
著者の白井聡氏は、マルクスの『資本論』を「人々がこの世の中を生きのびるための武器として配りたい」と述べる。しかし、間違った設計図に基づいて作った銃が使い物にならないように、間違った経済理論に基づく『資本論』は知的な武器にはなりえない。
『資本論』によれば、資本制社会では「等価交換」が原則となっているという。この考えによれば、AさんがBさんにリンゴ1個をあげ、代わりにオレンジ1個をもらったとしたら、リンゴ1個とオレンジ1個の価値は同じということになる。
けれども、よく考えてほしい。もしリンゴとオレンジの価値が同じなら、なぜわざわざ交換をする必要があるのだろうか。せっかくリンゴを手放して得たオレンジが、もともと持っていたリンゴと同じ価値しかなければ、そもそも交換を行う意味はない。
交換が起きるのは、Aさんはリンゴよりもオレンジの価値が大きいと考え、Bさんはオレンジよりもリンゴの価値が大きいと考えるからだ。つまり、物の価値とは、誰が見ても変わらない客観的なものではなく、見る人によって異なる主観的なものなのだ。
現代の経済学では、物の価値が主観的であるというのは常識だ。これに対し『資本論』は、物の価値は客観的だという間違った前提に基づいている。だから、そこから導かれる結論のすべてが間違っている。たとえば、資本家が労働者を搾取するというのは誤りだ。労働者を搾取するのは、税金や社会保険料を奪う政府だ。
論理破綻した書物は理解できない。解説する白井氏も「読んでいてよくわからなくなるのです」「何度読んでも頭がこんがらがってきます」と四苦八苦している。今の政治や社会のあり方に白井氏が感じる怒りには共感するものがあるけれども、『資本論』やマルクスは、それと闘う武器にはならない。
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