起業家不在の主流経済学
起業家(アントレプレナー)という言葉を目にすることが増えてきた。新しく事業を起こし、経営する人のことだ。近年、スタートアップ企業が経済成長の原動力として注目されることから、起業家に対する関心も高まっている。
起業家は経済成長のカギを握る存在だから、当然、経済学でも詳しく扱われているものと、普通の人は思うだろう。ところが、それが違うのである。詳しいどころか、まったく扱われていない。嘘だと思うなら本屋に行って、よく使われる経済学教科書の索引を眺めてみるといい。「起業家」という言葉はどこにもない。
かつて経済学者シュンペーターは、経済発展の本質は産業の新陳代謝を促す「創造的破壊」であり、これについて語らない経済理論は「デンマーク王子のいない『ハムレット』のごときもの」にすぎないと述べた。デンマーク王子とはハムレットのことで、主役のいない芝居という意味だ。
起業家はその創造的破壊の担い手だから、起業家を扱わない経済学もまた、「金返せ」と罵られても仕方のない、看板倒れの代物と言わなければならない。
しかし、すべての経済学がそうではない。起業家について語らず、語れないのは、今の主流である新古典派の欠陥にすぎない。オーストリアの経済学者カール・メンガーが創始し、ミーゼス、ハイエクらが発展させたオーストリア学派は、本書の副題が示すように、起業家をきわめて重視し、理論の柱に据える。
本書が整理するオーストリア学派の知見によれば、起業家精神は学校の机で学べるものではない。それはゴルフのやり方や自転車の乗り方と同じく、個人が実践を通して学習するしかない。ビジネススクールに高額な授業料を払い、MBA(経営学修士号)を取っても、優れた起業家になれるとは限らないのはこのためだ。
むしろ起業家精神の発揮にはコストが存在しない。まったくの無から価値を生み出す、創造的な行為だからだ。それは新しい情報を生成・伝達し、起業家に新たな利益の機会を提供する。この動的なプロセスは拡散し、文明の進歩を生み出す。政府の介入はこのプロセスを妨げる。
主流のマクロ経済学に基づき、ゼロサムゲームでしかない「富の再分配」ばかり議論される昨今、富を創造する起業家の役割は十分理解されていない。他にも主流経済学のさまざまな不備を衝く本書は、日本経済の閉塞感を打ち破るヒントになるはずだ。
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