しかし、これらの対策はドライバーの責任や車の安全対策だけをクローズアップし、問題の本質のもう一つ重要な部分を見落としています。
もし死亡事故が起こったのが、民間の娯楽施設内にあるカートコースだったら、どうなるでしょう。カートがコースを飛び出し、見物していた親子が死亡したとします。たちまち行政が立ち入り調査に踏み込み、コースの設計や安全対策に問題があったなどとして、処分を下すでしょう。運営企業は賠償責任を負い、経営者は辞任するでしょう。刑事責任を問われるかもしれません。
ところが行政自身が管理する国道や県道だと、ドライバーの責任ばかりがあげつらわれ、交通事故に対する道路行政の責任が問われることはまずありません。国土交通大臣が事故の責任を取って辞めたなどという話は、聞いたことがありません。
もちろんドライバーには前方不注意や運転ミスなどの責任はあります。車を運転する限り、不注意やミスは決してあってはならないものですが、人間の限界を前提に、運転に万一の問題があっても大事故につながらないよう気を配るのが、道路というサービスを提供する者の本来の義務の一つであるはずです。
しかし実際には、道路の安全確保に対する行政の努力は、十分とは言えません。5月に滋賀県大津市の県道交差点で起こった事故では、ガードレールや車止めのポールがあれば、事故は防げたかもしれないと言われています。保育士と園児らが歩道上の車道から離れた場所で信号を待つなど用心していたそうなので、道路の安全対策をもう一段進めていたらと考えると残念です。
大津市の事故の場合、歩道はありましたが、日本では国道ですら、歩道のない道路が珍しくありません。高度成長時代、次々に自動車道が建設された際、歩道や自転車道が併せて整備されなかったためです。1964年の東京五輪に間に合わせるため、急ごしらえで道路を作ったことも一因といわれます。このため欧米諸国と比べ、歩行中や自転車乗車中の交通事故による死者数が多くなっています(所正文ほか『高齢ドライバー』)。
来年、56年ぶりに開催される東京五輪には、欧米などから多数の外国人が訪れます。政府はこの機会に日本の魅力をアピールしようと躍起になっていますが、華やかな五輪会場の外にある危険な道路の実情が知れ渡れば、逆に日本のイメージダウンにつながりかねません。
それでは一体、道路の安全性を高めるにはどうしたらよいでしょうか。最近のように悲惨な事故が立て続けに起こり、世間の関心が高まれば、政治の力によって安全対策が一時強化される可能性はあります。けれどもそれは長続きしないでしょう。政府には道路の安全を確保する「動機」が乏しいからです。経済学で「インセンティブ」と呼びます。
民営化すれば強制されるまでもなく自発的に安全に気を配る
民間のカートコースで死傷事故が起これば、危険を恐れて利用者の足が遠のき、運営企業の業績は悪化し、最悪の場合、倒産する恐れもあります。だから誰かから強制されるまでもなく、自発的に安全に気を配る動機が生まれます。
これに対し政府は、国道や県道で交通事故が多発し、利用者が鉄道など他の交通手段に多少流れたとしても、収入が減る心配はありません。政府の収入である税金は、道路の利用度とは関係なく入ってくるからです。これでは利用者のために安全を確保しようとする動機は生まれません。
交通事故に本気で取り組むのであれば、政府が道路サービスを運営するこれまでのやり方を根本から改め、新たな方向に転換する必要があります。「一般道の民営化」です。
日本は1980年代に国鉄(現JR)や通信(現NTT)の民営化を行い、成功させた実績があります。道路の場合も高速道路については、財務大臣や自治体が引き続き株主になってはいるものの、2005年に民営化されています。これを一般道路に広げるのです。
ひと昔前なら、一般道の利用者を特定し、利用料金を徴収するのは技術的に無理だと言われたかもしれません。けれども今は、人工知能(AI)を利用した認証技術が発達し、キャッシュレス決済も普及しています。技術的な障害はほとんどないと言ってよいでしょう。後で述べるように、そもそも道路の利用からはお金を取らないというビジネスモデルが主流になる可能性もあります。
高速道路の民営化も議論を呼びましたが、一般道の民営化にはそれ以上の反対が予想されます。一番ありそうなのは「民間企業は利益を追求するから、安全が軽視される」という意見です。けれども、この意見が正しくないことはすでに見たとおりです。利益の追求と安全の重視は相反するものではありません。利益を重視するからこそ、利用者が離れないように安全も重視するのです。
もちろん民間の会社も事故を起こすでしょうが、政府との大きな違いは、事故の反省を生かし、再発を防ぐ動機があることです。事故を繰り返せば経営者の責任が追及されます。代替手段があれば利用者が競合会社に乗り換え、市場から淘汰されてしまうでしょう。もし利益追求が安全軽視につながるなら、利益追求と無縁な政府の道路で事故が多発する事実を説明できません。
道路の民営化に対し、もうひとつ予想される反論は「道路が有料になって金持ちしか利用できなくなり、庶民は締め出される」というものです。これも正しくありません。今の道路が無料なのは見せかけだけであり、実際には税金という「料金」を払わされています。民営化されれば道路単位で収益が管理されます。市場原理が働くことで、「料金」は価格競争により安くなるでしょう。
それどころか「料金」はタダになる可能性もあります。ヒントになるのはショッピングモールです。
ショッピングモールの「モール」とは遊歩道の意味で、その名のとおり、場内に遊歩道が巡らされています。この遊歩道を歩くのに料金はいりません。無料です。ショッピングモールの運営会社は遊歩道を無料にすることで買い物の利便性を高め、店舗の売り上げを伸ばすことによって、遊歩道の建設・維持費用をまかなっているのです。
一般道の民営化にもこれを応用します。ショッピングモールの運営会社は、開発の際に周辺の道路を買い取り、快適で安全な車道や歩道を整備するのです。それによって集客アップにつなげ、道路の整備費用をまかないます。
同じように、街中にある商業施設やレジャー施設がそれぞれ周辺に道路を作り、それらが道路網を形づくっていくでしょう。街中の車道は今のようなスピードの出やすい直線ではなく、ショッピングモールの遊歩道のような、回遊性に富んだカーブの多いものになる可能性があります。
もしかすると車は街の入り口に停め、街中は自動運転の電気自動車などで移動するようになるかもしれません。建築家の末光弘和氏が提案している、車の入れない緑道を多用した日本発のスマートシティーに近い姿です。
歩道も今のように狭く歩きにくいものではなく、ショッピングモールのように、車いすやベビーカーでも通りやすい、弱者にやさしいものになるはずです。道徳心からではなく、それが集客につながるからです。
米経済学者ウォルター・ブロック氏は著書『道路の民営化』(未邦訳)で「政府による道路の誤った運営に人々が無関心なのは、単にそれに代わるやり方に気づいていないからだ」と述べています。私たちには民営化という選択肢があるのです。
国鉄や高速道路の民営化が実現され、航空事業が民間で立派に運営されていることを思えば、一般道だけが不可能と考える理由はありません。危険な道路という負の遺産を残した前回の東京五輪から半世紀余り。世界に真に誇れる未来の道路網を築くため、今こそ一歩踏み出すときでしょう。
(日経BizGate 2019/6/19)
0 件のコメント:
コメントを投稿