19世紀半ば、自由主義は西洋諸国で勝利を収めた。憲法で基本権が保障され、法の支配と私有財産に根ざす法制度が定まり、自由貿易の拡大を通じ金本位制に基づく世界経済が生まれた。英政治家リチャード・コブデンは穀物法廃止の運動に続き、内政不干渉の理論を平和の基礎として打ち立てた。(歴史家、ラルフ・ライコ)
ドイツにも古典的自由主義の伝統があった。自由貿易運動を率いたのは、英国生まれのジョン・プリンススミスだ。保護貿易を唱えた経済学者フリードリッヒ・リストのライバルといわれる。プリンススミスによれば、政府は規模拡大のためにできるだけ多くの役目と経済的コネを手に入れようとする。(同)
古典的自由主義の柱は私有財産、自由な市場経済、法の支配、憲法による信教・出版の自由の保障、自由貿易に基づく国際平和である。1900年頃まで単純に自由主義(リベラリズム)として知られた。今のリベラリズムは、平等という目的のために私有財産や市場経済に広く介入する。(同)
1900年以後、英自由党は国家主義に舵を切った。当初経済の自由を重んじた米民主党や、党名に自由を冠する大陸欧州の諸政党でも同様の変化が起こった。これは民主主義と選挙政治の影響だ。自由主義政党は社会主義と競ううち、有権者の利益誘導にたけた政治家たちを生み出した。(同)
1900年頃から英語圏などの諸国で、自由主義的(リベラル)という言葉は、民主社会主義の書き手に奪われてしまった。昔のリベラルが個人の自由の敵として恐れた政府は、むしろ自由を拡大する原動力とみなされるようになった。古いリベラルは新しいリベラルに取って代わられた。(同)
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