2020-04-28

現代経済学は「見せかけの知」?~数学の誤った利用~

2018年のノーベル経済学賞は米エール大のウィリアム・ノードハウス、米ニューヨーク大のポール・ローマーの両教授への授与が決まりました。1968年に創設された経済学賞は今回が50回目の授与となります。今の経済学の本質的な問題について考える良い機会です。

今の経済学の本質的な問題とは、一言でいえば「自然科学の模倣」です。

この問題はノーベル経済学賞そのものとも深い関わりがあります。ご存じの方も多いでしょうが、ノーベル経済学賞は厳密な意味ではノーベル賞ではありません。ノーベル賞の公式サイトにも「ノーベル賞ではない(Not a Nobel Prize)」とはっきり書いてあります。


端的に示すのは正式名称です。他の賞の正式名称が「ノーベル物理学賞」「ノーベル化学賞」などであるのに対し、経済学賞は「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」といいます。スウェーデン国立銀行とはスウェーデンの中央銀行で、日本でいえば日本銀行にあたります。

物理学、化学、生理学・医学、文学、平和の他の5つの賞がアルフレッド・ノーベルの遺言に基づいて創設され、1901年に始まったのに対し、経済学賞のスタートは前述のように、20世紀も後半の1968年。スウェーデン国立銀行が設立300周年を記念してノーベル財団に働きかけ、創設されたのです。

文学、平和賞を除けばもともと自然科学を対象に創設されたノーベル賞。自然科学者の中には、経済学賞の追加を快く思わない人々もいたようです。最初の経済学賞が贈られた同じ年、クォーク理論で物理学賞を受賞することを知らされた米物理学者、マレー・ゲルマン氏は「彼らと一緒に授賞式に並ぶということか?」と不満を鳴らしたとされます。

けれども学生時代、経済学をかじったことのある人はこう思うかもしれません。「経済学は社会科学の中では自然科学に近い学問。だって自然科学と同じように数学を駆使しているから」

たしかに今の経済学の論文や専門書は、同じ社会科学に分類される法学や政治学、社会学などと異なり、まるで物理学のように数式や記号にあふれています。経済学者自身、数学に基づく厳密な学問であるという誇りを込めて、経済学を「社会科学の女王」と呼ぶことがあります。

経済学が数学を多用することには理由があります。自然科学の手法をまねてきたからです。物理学者の長沼伸一郎氏は経済学で用いる数学について「物理や天体力学の世界で成功した数学技法で使えそうなものを寄せ集めて作られた」(『経済数学の直観的方法 マクロ経済学編』)と指摘します。


経済学は数学で自然科学と同じような成功を収めているか


しかし肝心なのは、経済学が自然科学の手法を模倣することで、自然科学と同じような成功を収められるかどうかです。

ニュートンが自ら考案した数学の微積分に基づき理論化した力学の法則は、今でも通信衛星の軌道計算、ミサイルの誘導、津波や地震のシミュレーションなどで幅広く活用されています。アインシュタインが発見した相対性理論のおかげで、人工衛星を使った全地球測位システム(GPS)によって現在位置が正確にわかります。

これに対し、経済学はどうでしょうか。毎年、ノーベル経済学賞が発表されるたび、学問上の業績がうやうやしく紹介されますが、その業績が実際に人々の暮らしを豊かにしたり、経済危機を防いだりしたという話は聞いたことがありません。

むしろ失敗談のほうが目立ちます。100年に1度といわれた2008年のリーマン・ショック以降の経済危機を事前に予測した経済学者はほとんどいませんでした。1997年にノーベル経済学賞を共同受賞したマイロン・ショールズ、ロバート・マートンの両氏が経営にかかわった投資ファンド、ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)は同年発生したアジア通貨危機による市場の変化を読み誤り、破綻しました。

なぜ自然科学の手法に学び、数学に基づく緻密な論理を築いたはずの「社会学の女王」が、ふがいない姿をさらしてしまうのでしょう。そもそもの出発点である、自然科学の模倣が間違っていたのではないでしょうか。

一部の経済学者はそう考えています。その一人は、1974年にノーベル経済学賞を受賞したフリードリヒ・ハイエクです。

ハイエクは「見せかけの知」と題する受賞記念講演で「経済学者が政策をもっと成功裏に導くことに失敗したのは、輝かしい成功を収める自然科学の歩みをできるかぎり厳密に模倣しようとするその性向と密接に結びついているように思われます」と自然科学の模倣を批判しました。そして、自然科学の手法を社会科学に無批判に適用する態度を「言葉の真の意味において決定的に非科学的」(『哲学論集(ハイエク全集 第2期)』)だと厳しく戒めたのです。

じつは、今年の受賞者の一人であるローマー教授も、経済学における数学の使用のあり方に苦言を呈したことがあります。

2015年、ローマー教授は経済学の権威ある学術雑誌「アメリカン・エコノミック・レビュー」に寄せた短い論文で、現在の経済学には真の数学と異なる「数学っぽさ(mathiness)」がまかり通っていると批判しました。

同氏によれば、普通に人が話したり書いたりする言葉(自然言語)が、数学という形式言語と緊密に対応していれば、言葉遣いはより論理的で正確になり、経済学の科学的な発展に寄与するはずです。ところが実際には、数学を厳密に使用せず、うわべだけの「数学っぽさ」によって言葉との関係をわざとあいまいにする経済学者が少なくないといいます。学会で政治的な勢力を保つには、学説のシロクロがつきにくいほうが好都合だからです。

学者とは世俗を超越し真理だけを追求するものだという幻想を抱く人にとって、ローマー教授のこの指摘はショックでしょう。けれども経済学者も人間です。

アラン・レビノビッツ氏という米国の宗教哲学者は2016年の話題になった記事で、ローマー教授の「数学っぽさ」批判に触れつつ、議論を掘り下げます。今の経済学は古代中国における占星術のような、難解なだけで役に立たない科学もどきであるにもかかわらず、政府は経済政策の口実として利用します。なぜ心ある経済学者は警鐘を鳴らさないのでしょうか。

ある経済哲学者はレビノビッツ氏にこう答えたといいます。「力のある理論を捨てたら、経済学者は王座から引きずり下ろされてしまう。社会学者みたいにはなりたくないのさ」。科学的に正しい理論より、素人に理解できないもっともらしい「見せかけの知」のほうが政治では力になるのです。

ローマー教授は12月に予定されるノーベル賞記念講演で、できれば受賞理由となった技術革新と経済成長の話などより、44年前のハイエクのように、経済学における「数学っぽさ」の横行を世界が注目する中で批判してもらいたいものです。きっと「人類のために最も偉大な貢献をした人」という真のノーベル賞の趣旨にふさわしいものになるでしょう。
日経BizGate 2018/10/19)

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