その原動力となったのは、タブーを恐れず事業を立ち上げた起業家たちだ。最近、実話に基づいた、彼らの奮闘を描いた映画とマンガがともに注目されている。
映画のほうは、すでにあちこちでレビューされているインド映画『パッドマン 5億人の女性を救った男』(R・バールキ監督)である。
インドの田舎町で小さな工房を共同経営するラクシュミ(アクシャイ・クマール)は、新妻のガヤトリが生理の際に古布を使っていることを知る。不潔な布は不妊の原因になる場合があり、命にかかわる病気につながる恐れもある。妻は、市販のナプキンは高すぎて使えないと言う。そこでラクシュミは安くて清潔なナプキンを作れる機械の研究を始める。
ところが研究に没頭するあまり、いろいろ常識外れな行動をしてしまい、町の人々から非難され、助けてあげたい妻にまでやめてほしいと言われてしまう。諦めきれないラクシュミは一人都会に旅立ち、そこで成功の糸口をつかむ。ついにナプキンの製造を実現させ、妻だけでなく、インドの多数の女性を衛生面の危険から救う。
ラクシュミのモデルとなったアルナーチャラム・ムルガナンダムさんは2014年、米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれ、2016年、インド政府から国民栄誉賞に当たるパドマシュリ賞を授与されている。
一方、日本の女性起業家の活躍を描くのは、マンガの小山健『生理ちゃん』(KADOKAWA)である。ウェブメディア「オモコロ」に掲載されて人気になり、昨年6月に書籍化された。
人気の一番の理由は、女性の生理を「生理ちゃん」というキャラクターに仕立てた奇抜な発想だろう。仕事がどんなに大変でも、部活がどんなに忙しくても、必ず月に一度、女性の自宅に「どーも生理です」と訪ねてくる。そしていきなり強烈なパンチをお見舞いし、巨大な注射器で血を抜き取る。つらい生理痛や貧血の比喩だ。厄介なお客だが、悩む女性を慰めたり、理解のない男性を懲らしめたりもしてくれる。
このマンガに「おばあちゃんと生理ちゃん」というエピソードがある。
おばあちゃんこと坂井泰子さんは、生理用品「アンネナプキン」の生みの親である。1961(昭和36)年、27歳のとき、米国の生理パッドをヒントに、日本人向けの商品を作ろうと思い立つ。
それまでほとんどの女性が、丁字帯や「ゴム引きパンツ」と脱脂綿を併用した経血処置を行っていた。しかしそれでは不十分で、経血が漏れたり、脱脂綿が転がり落ちてしまうことも珍しくなかった。
坂井さんはあちこちの企業を訪ね歩き、遂にミツミ電機の出資を仰ぐことに成功。吸水性に優れた水洗トイレにも流せるナプキンができたことで、女性たちは高度経済成長で就労機会が広がる中、安心して外出できるようになった。
これらの作品であらためて気づかされるのは、新しい事業を起こし、育てる起業家の重要性だ。ムルガナンダムさんや坂井さんといった起業家がいなければ、インドや日本の女性が快適な生理用品を利用できる時代はもっと遅かったかもしれない。
注意が必要なのは、起業家は必ずしも世間でいう常識人ではなく、むしろ「変な人」が少なくない点だ。
『パッドマン』のラクシュミは使い心地を試そうと動物の血を付けたナプキンを自ら着用するが、ズボンに血が漏れて川に飛び込み、人々から聖なる川を汚したと非難される。『生理ちゃん』でも、ミツミ電機の男性社長が女性の気持ちを理解しようと女性トイレに忍び込み、使用済みの脱脂綿を自分のはいたパンツに入れてみる。見つかったら大変だが、見つからなくても十分に変な人である。
いくら女性のためを思うがゆえの行動とはいえ、さすがに嫌悪感を抱く人もいるだろう。実際、ラクシュミの妻は「死ぬより恥ずかしい」と泣いて夫を非難し、実家に去ってしまう。
しかし、優れた起業家は、単なる変人ではない。強い意志がある。世間や家族から非難されても、志をたやすく曲げない。ラクシュミは妻と一時離れても研究を続けたし、坂井さんは出資を申し込んだ企業から「女のシモのもので飯を食う気はない」と露骨な表現で拒否されても、あきらめず次を探し続けた。
こうした意志の強さも、悪くすると「がんこ」「協調性がない」と受け止められ、ますます変人扱いされる恐れはある。けれども間違いなくいえるのは、もし誰もが世間や家族との摩擦を恐れ、昔からのルールやならわしを乗り越えようとしなければ、新しい技術や手法によって人々の苦しみを救うことはできないということだ。
自由な市場経済を柱とする資本主義は、起業家が新しいビジネスを創造し、古いビジネスを破壊することで、社会を便利で豊かにしていく。この新陳代謝を、経済学者シュンペーターは「創造的破壊」と呼んだ。
生理用品でいえば、多くの女性が新しい商品であるナプキンを利用するようになれば、古い脱脂綿は廃れていく。脱脂綿業界で働く人の収入は減るかもしれない。だからといって、もし政府が脱脂綿を保護しようとナプキンの利用を規制すれば、女性に不衛生で不快な状態をいつまでも強いることになる。
日本では平安時代、法に「血穢(けつえ)」の概念が規定されたことなどから、月経を不浄視する考えが広がり、月経小屋への隔離や、食事を別にする「別火」、神社仏閣への参拝の禁止、乗舟の禁止といった慣習が、全国で行われるようになった。明治時代になって公に廃止されたあとも、タブーは地域社会に残存し、戦後も根強く生き続けていた。1970年代になっても月経小屋が使用されていた地域もあるという。
それが一気に解消したのは、生理用ナプキンの貢献が大きい。歴史社会学者・田中ひかるさんによれば、経血が漏れなくなったことで、女性たちは周囲から月経中であることを悟られなくなり、小屋にこもるなど「忌むこと」を求められなくなった。インドでも、ナプキンの普及が社会のタブー視を払拭しつつある。
1000年以上続いたタブーでも、起業家は変えることができる。生理用品の歴史はそれを証明している。さらに多くの男女が起業家として活躍し、暮らしのさまざまな領域で人々を幸せにしていってほしい。
(wezzy 2019.02.04)
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