2020-04-30

守銭奴は悪くない~『クリスマス・キャロル』の正しい読み方~

英文豪チャールズ・ディケンズの中編小説『クリスマス・キャロル』は、ご存じの方も多いでしょう。欲深い商人のスクルージは、クリスマスイブの夜、相棒だったマーレイの亡霊と対面し、翌日から第一、第二、第三の幽霊に伴われて知人の家を訪問します。炉辺でクリスマスを祝う、貧しいけれど心暖かい人々や、自分の寂しい将来の姿を見せられ、心を入れ替えます。

クリスマスが近づくと、この物語がよく映画やドラマになります。今年はディケンズを主人公に、物語が生まれた経緯を描く映画『Merry Christmas!~ロンドンに奇跡を起こした男~』(バハラット・ナルルーリ監督)が公開されています。

けれども残念なことがあります。どの映画やドラマも、いや実は原作も、スクルージをカネのことしか考えない非情な人物として描くことです。たしかにスクルージはカネに執着する守銭奴かもしれませんが、見えない形で、社会に恩恵をもたらしています。


まず、スクルージが長年商売を続けられているということは、多くの取引相手を満足させていることを意味します。取引相手はスクルージの性格を嫌っているかもしれませんが、それでも取引を続けるのは、商売相手として信頼できるからです。

光文社古典新訳文庫版の訳者あとがきで、池央耿さんは、スクルージについて「付き合いにくいのは事実としても、ずるはせず、人に迷惑をかけないから、信用があって商売は成り立っていたはずである」と正しく指摘しています。

スクルージは取引相手を満足させることで、間接的に取引相手の顧客も満足させます。つまり、社会全体の満足向上に貢献しています。

次にスクルージは、争いを好まない平和的な人物です。暴力は振るわないし、他人の物を奪うこともありません。カッとなって他人に「死ねばいい」と口走ることはあっても、行動に移しはしません。死者から物を奪い手柄を誇る盗人には、怒りを燃やす正義感もあります。

これはディケンズが正直な作家だったあかしでもあるでしょう。商人というものの姿を、不自然な嘘を交えず生き生きと描いた結果、暴力を振るわず、略奪もせず、争いを好まない平和的な人物にしかならなかったのです。政治家ではこうはならないでしょう。

社会に平和的な人物が一人でも増えれば、社会はそれだけ平和になります。スクルージはその意味で、社会に貢献しています。


経済学者なら主人公のスクルージを批判できる?


経済学者なら、スクルージがお金を貯め込むことをこう批判するでしょう。貯蓄は個人や家族にとっては理にかなっているかもしれないが、社会全体にとっては良くない。なぜなら経済全体で貯蓄が増えるほど、消費への支出が少なくなり、雇用も減るからだ、と。ケインズ経済学でいう「貯蓄のパラドックス」です。

けれども、この説は正しくありません。貯蓄は有益です。穀物をすべて食べてしまったら、殖やすことはできません。同様に、富をすぐに使ってしまう代わりに、必要になるまで貯めておく人々がいなかったら、多額の投資で機械や工場をつくることはできず、私たちはこれほど高い生活水準を享受することはできないでしょう。

もし金融機関を信用せず、稼いだお金をすべてタンス預金にしたらどうでしょう。この場合も社会の役に立ちます。世間に出回るお金の量が減り、物価が安くなるからです。ディケンズが同情した貧困層にとって、物価安は何よりありがたいことです。

今の世の中では、物価安(デフレ)は不況を招くから悪いという説が広まっています。けれども、物の値段が下がっても不況にはなりません。衣服、自動車、コンピューターの値段は昔に比べ大きく下がりましたが、不況は起こりませんでした。

物価安で経営が苦しくなるのは、需要が落ちているのに値下げしない企業だけです。まともな企業なら、商品が売れなければ、社員をクビにする前に、商品の値段を下げます。商品そのものに問題があるのでないかぎり、商品は売れるようになり、失業と不況の悪循環から抜け出せるでしょう。

米国の経済学者ウォルター・ブロック氏は、著書『不道徳な経済学』(橘玲訳、講談社+α文庫)で、現金を貯め込む守銭奴は英雄だと称えます。その行為によって物価は下がり、私たちはその恩恵に浴することができるからです。

ケチな守銭奴のおかげで私たちが保有する現金の価値は高まり、同じ金額でより多くの物が買えるようになります。「ドケチが必死になってお金を貯めるたびに、わたしたちの購買力は上がっていく。スクルージは、わたしたちの恩人なのだ」。ブロック氏は強調します。

百歩譲って、お金は使わなければ経済が活性化しないとしても、心配はいりません。守銭奴本人はお金を使わなくても、その遺産相続人は往々にして遺産を食いつぶす浪費家だからです。

多くの取引相手を満足させ、争いを好まず、経済にも貢献するスクルージ。原作で十分に語られないそのすばらしさを描いてくれる映画やドラマがないかと期待していますが、なかなか現れません。

公開中の『ロンドンに奇跡を起こした男』では、小説から抜け出したスクルージが「わしの言い分が書かれておらん」と不満を漏らし、せっかく論陣を張ろうとするのに、作者ディケンズにさえぎられてしまいます。惜しいことです。もしスクルージにその言い分を十分に語らせていれば、『クリスマス・キャロル』の正しい読み方を教えてくれる傑作映画になったことでしょう。
日経BizGate 2018/12/21)

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