北朝鮮は経済指標を公表しておらず、韓国銀行は1991年より関連機関からデータを取り寄せ、経済成長率を推計している。2018年のGDP減少率は、30万〜300万人が餓死したといわれる「苦難の行軍」の時期にあたる1997年(6.5%減)以来の大きさとなった。
北朝鮮の経済状況が深刻であるのは間違いない。けれども一方でほとんど指摘されないことだが、GDPの落ち込みが21年ぶりの大きさであっても、現時点の情報では、当時ほど多数の餓死者は出ていない。それはなぜだろうか。
この謎を解くキーワードは「闇市」である。闇市とは、経済統制のもとで公的には禁止された流通経路を経た物資、すなわち闇物資を扱う市場を意味する。
国民の5人に1人が直接・間接に闇市に依存する北朝鮮
社会主義国の北朝鮮では、政府があらゆる経済活動を統制するのが建前だ。しかし、90年代後半の飢饉で政府が国民に十分な食糧を供給できなくなると、国中で「チャンマダン」と呼ばれる闇市が広がり始めた。今では北朝鮮の人々の生存に欠かせない存在となり、国民の5人に1人が直接・間接に闇市に依存すると言われる。
「ニューズウィーク日本版」の記事によれば、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の調査に対し、ある脱北者女性は「政府の指示どおりにしていたら、飢え死にする」と語ったという。
世の中には、自由な市場経済に対し、ある思い込みがある。平和な状態にある豊かな国でしか機能せず、戦争や飢饉といった非常時には、政府による経済の規制や統制が必要という思い込みだ。しかし、それは正しくない。北朝鮮の闇市が示すとおり、政府に縛られない自由な市場経済は、非常時にこそ本領を発揮し、苦しむ庶民を救う。
闇市が非常時に庶民の命綱の役割を果たす例は、現代の北朝鮮にとどまらない。日本人に最も身近な例は、第二次大戦終結直後、各地で急速に発達した闇市だろう。
戦後の焼け野原になった日本を救った闇市
山田参助『あれよ星屑』(KADOKAWA)は、敗戦で焼け野原となった東京のアンダーグラウンドを含む日常を生々しく描く傑作マンガ。この作品の舞台となるのが闇市「明星マーケット」である。
当時の東京は、戦火で焼け出された市民に外地からの引揚者も加わり、飢えた人々であふれていた。そのままなら大量の餓死者が出るところだが、それを免れたのは闇市のおかげである。
マンガに描かれたように、闇市ではパン、焼き鳥、雑炊など政府の配給では手に入らない食べ物を買うことができた。
闇市で売られる商品の品質は、決して良くはなかった。マンガでは進駐軍のキッチンの残飯をいっしょくたに煮た雑炊にコンドームが混じっていたりするし、肉がたっぷり入った「スタミナぞうすい」の中身は犬の肉だったりする。それでも、身動きできないほどひもじい思いをするよりは、はるかにましである。
買う側だけでなく、売る側にとっても闇市やその周辺は命をつなぐ場だった。進駐軍用の慰安施設に売られた女性は、助け出された後、闇市の近くで飲み屋を開業する。飲み屋は女手ひとつで何もなくてもとりあえず始められる商売として、戦争で夫や親を亡くした女性に貴重な収入をもたらした。
その飲み屋に、行商の少年がロブスターと偽ってエビガニ(ザリガニ)を売りに来る。当時、戦争で家や家族をなくし、行商で暮らしを立てる子どもは少なくなかった。
闇市が非難される2つの理由
飢饉の起こった1990年代後半の北朝鮮でも、主に闇市を生活の場とする「コッチェビ」と呼ばれる子どもたちが多く出現している。政府の無謀な戦争や失政で幼くして人生を狂わされた日本と北朝鮮の子どもたちには、苦境を生き抜くたくましさが共通して感じられる。
終戦直後の食料不足の解消に闇市が活躍したのは、戦争に負けた日本だけではない。戦勝国でも同様だった。フランスでは政府が価格統制をあまり厳しくせず、日本と同じく闇市の存在を黙認した。
そのおかげで、食料を求める暴動で社会が無秩序に陥ることはなかったし、食料の生産が完全に止まることもなかった。政府の統制で安く抑えられた値段では、売っても利益にならないので、生産そのものが途絶えてしまう。米国の経済学者ミルトン・フリードマンは、戦後フランスの闇市について「経済学的には非常に良いものだった」と述べる。
ところが闇市はしばしば、道徳的に非難される。その理由のひとつは、値段が高いことだ。しかしすでに述べたように、もし統制で値段を低く抑えすぎれば、十分な食料が生産されず、結局は多くの人が飢えることになる。一方、値段を自由に設定できれば、価格競争が起こり、無理のない水準へと徐々に下がる。
闇市が非難されるもうひとつの理由は、違法であることだ。世の中には、違法とは道徳的な悪と思い込んでいる人が少なくない。けれども、必ずしも違法イコール悪ではないし、合法イコール善でもない。闇市のおかげで命をつなぐ北朝鮮の人々を、不道徳だとは誰も言わないはずだ。
終戦まもない日本で、東京地裁の山口良忠という若い判事が闇で売られた米(闇米)を拒否し、妻子を残し餓死するという出来事があった。法律違反の闇米を取り締まる立場である自分が闇米を食べてはいけないという信念に基づく死であり、しばしば美談として語られる。
だが、もし山口判事が「悪法を守る必要はない」と宣言し、闇米を食べていたら、法と道徳は同じではないという正しい考えを国民に広めることができただろう。
『あれよ星屑』の主人公、川島徳太郎は武門の家の出身で、戦中は軍隊の班長を務めたが、戦後は闇市で雑炊屋のオーナーに収まっている。厳格な父親は「川島の跡取りが闇屋とは……情けない奴だ」と罵るが、のちに自らが困窮すると、息子に金を無心する。闇市を道徳的に見下す浅はかさを象徴的に描く場面だ。
戦後、日本各地に生まれた闇市は、1949年に連合国軍総司令部(GHQ)が発した露店撤去命令をきっかけに、わずか数年でほとんどが消滅する。しかし闇市のあった地域はその後、新しい商業施設や盛り場として発展していく。東京の新宿、池袋、渋谷はいずれも闇市をきっかけに副都心としての機能を備えるに至った(橋本健二・初田香成編著『盛り場はヤミ市から生まれた・増補版』)。
非常時に庶民の命を救い、復興への道を開いた闇市。終戦関連の行事が相次ぐこの季節に、あらためてその理解を深めたい。
(wezzy 2019.08.03)
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