主婦の半数以上が「後ろめたさ」を感じている
最近、専業主婦に対する風当たりが厳しい。昨年12月13日放送の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)で紹介された、しゅふJOB 総研が専業主婦・主夫を対象に実施したアンケート調査によると、「専業主婦・主夫であることに、後ろめたさや罪悪感のようなものを覚えたことがある」と答えた人は25.4%、「少しはある」も31.2%に上った。つまり、専業主婦・主夫の半数以上が罪悪感を感じているというわけだ。
罪悪感を感じる人は、共働きが当たり前になった若い世代ほど多く、「収入がないことに常に後ろめたさを感じていた」といったコメントが目立つという。
このアンケートとは別に、専業主婦に対しては「税金を納めていない」「国内総生産(GDP)の増大に貢献しない」という批判もときどき聞かれる。
しかし、こうした批判は正しくないし、専業主婦が罪悪感を抱く必要もない。金銭的な収入がなく、税金を納めず、GDP増大に貢献しないからといって、専業主婦に社会的な価値がないなどということはない。
主婦だからこそ、家庭を支えられるという自信と誇り
詳しい理屈はあとで述べるが、そのような誤解を解くにはまず、ベテラン漫画家の金子節子の連作マンガ『アラ還 愛子 ときどき母』(秋田書店)を読んでほしい。全4巻の家族編に続き、続編が第1巻まで刊行されている。
専業主婦の五十嵐愛子は夫、恒介の家に嫁いで35年。舅(しゅうと)、姑(しゅうとめ)を看取り、2男1女を送り出し、気がつけばアラ還の58歳だ。ここから家族や親戚、ゆかりの人々との平凡だが人生の機微に触れるドラマが展開されていく。下手な小説など太刀打ちできない構成力と、言葉の端々までゆるがせにしないセリフが見事だ。
愛子は恒介のサラリーマン引退後、弁当屋でパートを始めた以外、外で働いた経験がない。けれどもそれに後ろめたさを感じることなどない。むしろ物語の随所で垣間見せるのは、主婦として家庭を支えてきた自信と誇りだ。
子育てにてんてこ舞いだった頃、夕飯がいらないという連絡を怠った恒介に対し、こう抗議したことがある。
「よろしいですか、私は家で遊んでいるわけではないんです。誰の世話を優先するか、次に何をすべきか、頭はいつもフル回転。夕飯がいらないなら、わかった時点で連絡する努力を。食材も時間も節約できます。それが思いやりというものではないの」(第1巻)
そんな愛子を家族も頼りにしている。長男の大樹は、わけあって最初の妻と離婚した後、10歳以上年下のシングルマザー、美香と恋を育む。ある日、美香が盲腸炎で緊急入院し、大樹は保育園に通う美香の息子、拓海の世話を愛子に頼む。「悪いな母さん。なんせ緊急事態で、いきなりこんなことを頼める人間がほかにいなくて」(第2巻)。愛子が専業主婦でなければ、対応は無理だろう。
次男の広樹は5つ年上の才女、綾乃を口説き落として結婚。早く子どもをほしがるが、綾乃が子宮筋腫に冒されていることがわかる。綾乃とその母との確執も明らかになり、途方に暮れた広樹は愛子に「かーさん!! 俺どうしたらいいんだよっ」と昼間から電話で何度もアドバイスを求める(同)。これも愛子が昼間に家にいる専業主婦だから、果たせる役割といえる。
病床の綾乃は、見舞いに訪れた愛子の励ましに元気づけられる。無事子宝に恵まれた後、夫の広樹にこう話す。「40年も主婦しかやっていないとお姑(かあ)さんはよく笑うけど、そこらへんの仕事人より自立しているんじゃないの?」(続編第1巻)。薬剤師として働くワーキングウーマン、綾乃の言葉には重みがある。
専業主婦として合格点かどうかは、家族が決めること。
愛子は専業主婦だから金銭的な収入はないし、税金も納めていない。その仕事はGDPにカウントされない。けれどもこのマンガを読んだ読者は、愛子の働きに価値がないなどとは決して言わないだろう。家族は愛子の働きから恩恵を受けている。それは愛子の働きに価値があるということだ。
もちろん、世の中の専業主婦すべてが愛子のように獅子奮迅の活躍をしているわけではないかもしれない。それでも後ろめたく感じる必要はない。専業主婦として合格点かどうかは、世間が決めることではなく、家族が決めることだからだ。
もしあなたが専業主婦として完全に不合格なら、今ごろ夫から離婚を言い渡されるか、外に仕事に出ているはずだ。多少の不満はあっても夫婦関係が続き、しかも専業主婦のままでいるということは、夫があなたと離婚したり、仕事に出てもらったりしても、今以上に幸せにはなれないと判断し、現状を選択していることを意味する。そうであれば、他人からとやかく言われる筋合いはない。
専業主婦は税金を納めていないといわれるが、愛子の活躍を見るまでもなく、夫が外で存分に働いて稼げるのは家庭における妻の助けがあるからで、税金は夫婦というチームで納めているようなものだ。
専業主婦はGDPに貢献しないから価値がないという批判も間違いである。
専業主婦の仕事がGDPにカウントされないという事実は正しい。GDPは原則、金銭的なやり取りが発生する取引しか集計の対象に含まないからだ。だからドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(これも原作はマンガだ)の設定のように、片方が個人事業主として相手の家事に月給を払う家事代行ならGDPに含まれるが、正式に結婚して月給を払わなくなったとたん、家事という仕事に変化はないのに、GDPから除外される。
だからといって専業主婦の仕事に価値がなくなったと考えるのはおかしい。だって、仕事の内容は結婚前と同じなのだから。この奇妙な現象はむしろ、GDPという統計の欠陥を示すものなのだ。
GDPという欠陥だらけの経済指標
そもそも専門家の間では、GDPはさまざまな欠陥を抱える統計として問題視されている。
たとえば、GDPの前身である国民総生産(GNP)の整備に大きな役割を果たし、「GNPの父」と呼ばれる米経済学者サイモン・クズネッツは、GNPに政府の支出を含めることに反対だった。国民の豊かさを測る統計に、軍事費に代表される政府支出を含めるのはふさわしくないと考えたからだ。しかし当時は第二次世界大戦の最中で、米政府としては軍事費がGNPから除かれ、経済の規模が縮小したように見られるのは都合が悪い。結局クズネッツの主張は通らず、政府の思惑どおり、政府支出が含まれることになった(ダイアン・コイル『GDP』〈みすず書房〉)。
その仕組みはGDPになっても変わらない。だからどんなに無駄な公共事業でも、政府が支出を増やしさえすればGDPが増え、経済成長したように見える。そんな欠陥のある統計に含まれないからといって、専業主婦の仕事をおとしめるのは本末転倒だ。おかしいのはGDPのほうなのだから。
経済を人に対するサービスという広い意味で考えれば、金銭のやりとりがなくても専業主婦の仕事に経済的価値はあるし、それは社会的価値でもある。
『アラ還 愛子 ときどき母』 で、パート先の弁当屋を経営する義妹、秋子は、専業主婦の道を歩んできた愛子を「数字で評価されないところを、きちんとやり遂げた人」と頼りにする(第1巻)。
数字で評価されない仕事だから価値がないなどと考えるのは、経済学的に考えても誤りだ。全国のがんばる「愛子」さんにエールを送りたい。
(wezzy 2019.01.04)
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