木村 貴
ロシアによるウクライナ侵攻をめぐり、国際刑事裁判所(
ICC)が「戦争犯罪」の容疑でロシアのプーチン大統領に逮捕状を出した。昨年2月の侵攻以降、ロシアが占領したウクライナの地域から子供を含む住民をロシアに連行した行為に責任があるとしている。
逮捕状は、ロシア政府で子供の権利などを担当するマリヤ・リボワベロワ大統領全権代表にも出された。ICCは、日本を含む123の国と地域が参加しているものの、ロシアや米国、中国などは管轄権を認めていない。
ニュースを受け、メディアでおなじみの専門家が一斉に、ICCの応援団よろしく、ロシアの「戦争犯罪」を糾弾している。その多くは、首を傾げたくなるものばかりだ。
立命館大学の越智萌准教授(国際刑事司法)は3月18日の朝日新聞の
インタビュー記事で、こう答える。
子どもの強制移送はジェノサイド(集団殺害)にあたりうるものです。子どもは集団の次世代を担い、子どもがいなくなることは、集団全体がいなくなることを意味します。ウクライナのアイデンティティーに対する攻撃であるという点をすくいあげるような犯罪の類型だと考えられます。
ウクライナ戦争について「ジェノサイド」という言葉を使うとき、テレビしか見ない一般人ならともかく、いやしくも専門家なら、ウクライナ政府による
ロシア系住民の虐殺が脳裏に浮かぶはずだ。ウクライナ戦争は2022年に始まったのではなく、2014年に民族主義の政府と東部・南部のロシア系住民の
内戦として始まったのであり、2021年末までに約1万4000人が死亡している。
この間、政府軍の無差別攻撃を受け、多くの子供やその家族が死亡した。たとえば、「ゴロフカの聖母」と呼ばれるようになったクリスティナ・ジュクさんと生後10カ月の娘キラちゃんは2014年7月27日、ウクライナ軍がドネツク州(ドネツク人民共和国)ゴロフカの町を砲撃した際に殺された。クリスティナさんは町の広場の芝生の上で、娘を抱きかかえたまま死んでいたという。この日の攻撃で、キラちゃんを含め4人の子供たちが
命を奪われた。
ロシア側によれば、子供を含む市民を「強制移送」したわけではなく、「保護」したのだという。ウクライナ政府による市民虐殺の恐ろしい現実を踏まえれば、別に無理のある主張ではない。ウクライナに親戚も多いロシア国民の声を考えれば、当然だとすら思える。
国連はロシアの訴えにもかかわらず、ウクライナ政府によるロシア系住民の迫害をジェノサイドとは認定していない(そもそも国連が認定し、ウクライナ政府にその責任を問うていれば、ロシアが軍事行動による自力救済に踏み切る必要もなかっただろう)。しかし市民への攻撃があったのは
多くの
記者らの
報告からも
明らかだ。このような事実を無視し、ロシアの行為を「保護」ではなく「強制移送」だと決めつけるのは、乱暴すぎるだろう。
かりにロシアの行為が「強制移送」だとしよう。それでも、現にロシア系民間人の命を奪っているウクライナ政府の行為を不問にし、ロシアだけにジェノサイドのレッテルを貼り、指弾するのは、どうみてもバランスを失している。グロテスクとさえ言えるだろう。
朝日のインタビューに答えた越智氏は、たとえロシア系の子供たちがウクライナ政府によってむごたらしく殺されても、それよりもロシアによる「強制移送」のほうが、恐ろしいジェノサイドにあたりうるものとして糾弾するべきだと、本気で考えているのだろうか。砲撃で命を落としたドンバスの子供や母親たちのことは、頭にかすめもしないのだろうか。そのような偏った判断で、越智氏の専門である刑事司法の目指す正義の実現ができるとは、とても思えない。これはもちろん、ICCの政治的な判断そのものに言える問題だ。
ICCの問題点は、これだけではない。2003年の活動開始以来、捜査・訴追の対象がアフリカで起こった事件に集中し、一部のアフリカ諸国から批判されている(尾﨑久仁子『国際刑事裁判所』)。さらに大きな問題は、ベトナム、旧ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラクなどに対し侵略戦争を行った米国の指導者の罪を裁いていない点だ。
アフガンの場合、ICCは2017年、米兵や情報機関員が戦争中に拷問などの戦争犯罪に関与した疑いがあるとして、正式捜査を申請した。米トランプ政権はこれに強く反発し、2020年にはICCのベンソーダ主任検察官らに資産凍結の制裁を科した。その後、捜査は事実上ストップしたままだ。圧力に屈したと思われても仕方あるまい。アフガン以外の戦争については、ジェノサイドなど重大な戦争犯罪に時効はないにもかかわらず、捜査に着手さえしていない。
米国はICCに加盟していないが、それはロシアも同じだ。プーチン大統領に逮捕状を出せるのなら、米国のブッシュ、オバマ、トランプ、バイデンの歴代大統領にも出せるはずだ。そうしないなら、
ダブルスタンダード(二重基準)だと批判されても当然だろう。
前出の越智氏は記事の出た翌日、ツイッターの個人アカウントでアフガンの一件に触れ、「米国が国際刑事裁判所ICCを支持することには、自国の過去を棚上げしている感は間違いなくあります。(略)ダブルスタンダードの批判とどう向き合っていくかは重要課題です」と正しく
述べている。ところが専門家仲間には、このまっとうな意見が気に食わない人もいる。
東京外語大学教授の篠田英朗氏(国際政治)は、越智氏のツイートを引用し、こう
コメントした。
「感」というのは、何でしょうね。アフガニスタンの捜査を不許可した理由は、捜査の不可能性。実際、その後許可になった後も、アフガニスタンでは捜査できていない。少なくとも論理的には、相当な捜査の後に逮捕状発行に至った今回のウクライナとは、状況が全然違う。(改行略)
米国には「自国の過去を棚上げしている感」があるという越智氏の発言にカチンときたようだ。篠田氏によれば、ロシアと米国は「状況が全然違う」。なぜなら、アフガンでは捜査ができなかったのに対し、ウクライナでは「相当な捜査」ができたからだという。
なんだか奇妙な議論だ。アフガンの捜査ができなかった大きな理由は、米政府自身が制裁までして圧力をかけたことである。それにICCは火のないところに煙を立てたわけではなく、
報道から拷問などの情報を得ていたから、捜査しようとしたのだ。その点、子供の「強制移送」が事前に報じられていたロシアと共通している。いくら「少なくとも論理的には」と断ったからといって、「全然違う」とは米国びいきが過ぎるだろう。
一方、ロシアに対し「相当な捜査」が行われたというのも疑問が残る。
ICCの検察官が逮捕状の発行を申請したのは2月22日。その約1週間前の2月14日、米エール大学の人道問題研究所が「ロシアによるウクライナの子供の再教育と養子縁組の組織的計画」と題する
報告書を発表している。ロシアが少なくとも6000人の子供を占領地域から連れ去り、ウクライナ南部クリミア半島や露本土にある収容施設で組織的な「再教育」を施している疑いが強いとする内容だ。
報告書は米国務省の委託を受けたもの。戦争犯罪や「人道に対する罪」に当たる可能性が高いと非難したうえで、一連の政策を指導した人物として、プーチン大統領に次いで、リボワベロワ全権代表の名前をあげた(同代表が子供を迎え入れる姿は報告書のカバーに使用されている)。つまり、この報告書はICCの逮捕状申請と発表時期が近いだけではなく、政策指導者のトップツー(プーチン氏、リボワベロワ氏)が逮捕状の対象者と一致しているのだ。
報告書の委託元である米国務省は、米国がICCの管轄権を拒否しているにもかかわらず、露政府関係者に対するICCの手続きに盛んに関与してきた。このことからも、エール大の報告書がICCの逮捕状と無関係とは考えにくい。
しかし、もしICCがこの報告書を頼りに逮捕状を出したとしたら、お粗末と言わざるをえない。なぜなら報告書は、露政府の発表や報道内容、交流サイト(SNS)への投稿など公開情報だけを利用する「オープンソース・インテリジェンス」の手法を用いており、目撃者や被害者とされる人物へのインタビューは一切行っていないからだ。戦争犯罪という重大な罪を告発する報告書として、あまりに不十分な論証だろう。ジャーナリストのマイケル・トレーシー氏は3月20日の
ツイートで、「方法論はまさにクレージーだ」と批判している。
しかもトレーシー氏が指摘するように、報告書の共著者の一人は発表当日、国務省が開いた
記者向け説明会で、多くの親が子供をロシアの「収容施設」に送り出す理由について、公開データをもとに次のように解説している。長くなるが、興味深いので引用する。
保護者から上がっていたのは「子供を戦闘から守りたい」という声です。 多くの家族が最前線で暮らしており、砲撃は日常茶飯事、停電も日常茶飯事で、日常生活にも戦争の影響が及んでいました。
保護者は子供が衛生的な環境で生活できるようにと願っていました。 もし子供が何週間もシャワーを浴びることができなかったり、洗濯や食器洗いが簡単にできなかったりしたら、どんなことになるか想像してください。日常生活や衛生環境が大きく変化し、混乱します。
子供には、家庭では手に入らない栄養価の高い食べ物を食べさせてあげたい。手に入らないような野菜や果物、保存がきかないもの、缶詰ではないものなどを、子供に食べさせたいのです。
そして、家族が買えないようなものを子供に与えられるようにしたかったのです。 この報告書で紹介されている子供たちの多くは、必ずしも高所得とはいえない家庭の出身ですが、旅行は完全にロシア政府が費用を負担しています。 他の手段では得られない機会であり、すべて往復の費用として提示されました。費用の中で不明とされるものは何もありませんでした。
また、多くの町や州の多くの親たちが、子供たちが収容施設に行くだけでなく、施設から無事に帰ってくるのを見てきたことも忘れてはなりません。 そして教師は、一年や一授業だけでなく、何年も生徒と一緒に過ごし、親との関係を築き、何世代にもわたって家族との関係を築いてきたのです。教師らは、安全で望ましいことだから、子供を施設に送るべきだ、これが子供にとって最善のことだ、と保護者に言いました。そして保護者はそのアドバイスに従ったのです。
あまりにも意外な内容で、まるでロシア側の弁明を聞いているようだ。この説明を聞く限り、教師のアドバイスはあったにしても、親は子供を自発的に「収容施設」に送っている。ロシア政府は費用負担で勧誘こそしているが、強制したわけではない。西側メディアが伝えるように、ロシア中心の愛国教育を受けさせられたとしても、それで子供が安全に暮らせるなら、ロシア系の親として抵抗はないだろう。
こうした事実を知りながら、報告書が結論としてロシアを「強制移送」の疑いで糾弾したのは、理解に苦しむ。しかし説明を聞いた記者たちは不思議に思わなかったか、思っても無視したのだろう。黙って国務省の意図どおり、ロシアを非難する
記事を書きまくった。報告書が集めたような家族の声をICCが参照したかどうかはわからないが、参照してもやはり無視したに違いない。真剣に調べたら、おそらく「強制移送」の容疑が成り立たなくなってしまう。
逆にいえば、ICCは、自由意志で子供をロシアの施設に送ったという保護者の声を十分に吟味しないまま、逮捕状を出した可能性がある。だとすれば、ここまで説明が長くなってしまったが、篠田教授がいうような「相当な捜査」が行われたとは言いにくい。結論として、ICCにおけるロシアと米国の取り扱いの違いはダブルスタンダードのそしりを免れず、司法機関としての中立性に疑問を投げかける。
最後に、とびきりぶっ飛んだ専門家を紹介しよう。日本大学危機管理学部の福田充教授である。朝日新聞の「プーチン氏に逮捕状」の
記事(3月18日)にこうコメントしている。
プーチン大統領が戦争犯罪にあたる人道に反する罪や、一般市民の大量殺戮に手を染めたのは今回のウクライナ侵攻が初めてではない。かつてプーチン大統領はチェチェンでテロ対策の名目で無実の市民を大量に殺害し、シリア内戦に介入し同国民を空爆で大量に殺戮し、ジョージアでもクリミアでも市民に暴力を振るい、ウクライナに全面侵攻し市民を大量殺戮した。この20年来の人道に反する市民への殺戮行為があったにもかかわらず、世界はこのプーチン大統領の行為を見て見ぬふりをして放置し、ソチ冬季五輪に熱狂し、外交的、政治的にも手を結びプーチン大統領に支援を続けてきた。それは日本政府も多くの日本人も同じである。そのことに対してどう反省し、どう責任をとるのか。私たち自身も過去を振り返り検証せねばならない。(改行略)
チェチェン紛争で反ロシアの武装勢力を米国のネオコン(新保守主義者)が
支援していたことや、シリア内戦で米軍が女性や子供を空爆で
殺害し隠蔽したことなど、いろいろ指摘したいことはあるが、長くなるので割愛する。一つだけいえば、福田氏が「この20年来の人道に反する市民への殺戮行為」を問題にするのなら、なぜ3月20日に開戦20年の節目を迎えた、米国による
イラク侵攻という犯罪に一言も触れないのか。ダブルスタンダードでなければ、何かの間違いだろう。
ロシアの戦争犯罪に見て見ぬふりをして、ソチ五輪にうつつを抜かした日本人に猛省を求める峻厳な福田氏はもちろん、それ以上に大規模な米国の戦争犯罪を不問に付すことは、決して許さないはずだ。ただちに日米安保条約を破棄し、米軍基地には出て行ってもらわなければならないし、
ブッシュ元大統領の逮捕をICCに求めるべきだし、米国のプロ野球団体が主催するワールド・ベースボール・クラシック(WBC)も残念ながら、次回からは不参加である。戦争犯罪にノーを突きつけるためには、当然の行動だ。WBC以外は、いいアイデアかもしれない。
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