木村 貴
ロシアがウクライナへの「侵攻」を始めてから2月24日で1年を迎えるのを機に、メディア各社はさまざまな特集を組んだ。残念ながらその多くは相変わらず、「ウクライナは善、ロシアは悪」という単純で誤った図式に従い、ウクライナへの支援継続、つまり戦争の継続を支持する内容だ。
「徹底抗戦」が必要なわけ 21世紀の侵攻、許してはいけない一線 https://t.co/zTobtmxze6
— 朝日新聞デジタル (@asahicom) February 19, 2023
ロシアやウクライナ、欧米諸国はどのような出口を見据えているのでしょうか。
欧州の国際政治に詳しい専門家は「徹底的に戦うつもりのウクライナを、米欧諸国は戦闘が続く限り支えるしかない」と言います。
朝日新聞デジタルが2月19日に掲載した、東野篤子・筑波大教授(国際関係論)へのインタビュー記事はその典型といえる。「徹底的に戦うつもりのウクライナを、米欧諸国は戦闘が続く限り支えるしかない」という結論に至る東野教授の主張は、一部に重要な事実を含むものの、問題点が少なくない。
「今も激しい戦闘が各地で続いているような状況を想定していましたか」という聞き手(多鹿ちなみ記者)の質問に対し、東野氏は「私はロシアが全面侵攻を始めた時点で、長期化は避けられないと思っていました」として、その理由を次のように説明する。
ウクライナ国内では2014年に東部ドンバス地方で戦闘が勃発しましたが、それから8年間、一度たりとも停戦はできていませんでした。その戦闘が規模を拡大し、ウクライナ全土に至る攻撃につながった形です。これまで8年間続いていた事態がさらに悪化しているのに、短期間で終わるわけはないだろうと思っていました。
ここで重要な事実がさりげなく語られている。今回のウクライナ戦争は、2014年にドンバス地方で勃発した「戦闘」から直接つながった延長戦上にあるということだ。言い換えれば、戦争が始まったのは2022年ではなく、2014年なのだ。そうだとすれば、今回の戦争の本質を考えるには、少なくとも2014年以降の経緯を論じなければならないはずである。
たとえば、2014年2月、米国の支援を受けたクーデター(マイダン革命)によって、合法に選ばれた親ロシア政権が倒され、民族主義者が権力を握った事実や、それ以降の出来事だ。新政府はロシア語の使用禁止などロシア系市民に対する差別政策を打ち出し、東部・南部で大規模な抗議デモが起こる。ウクライナ政府側はこれを暴力で弾圧し、血生臭い内戦が始まった。8年間でロシア系市民1万3000人が死亡したとされる。
だから2022年に侵攻を始めた際、ロシアのプーチン大統領がその目的として掲げたのも、「8年間、ウクライナ政府によって虐げられ、ジェノサイド(大量虐殺)にさらされてきた」ロシア系市民の保護だった。軍事侵攻がその手段として最善だったかどうかという議論はあるにせよ、これらの経緯を踏まえなければ、ウクライナ戦争に対して適切な評価はできないだろう。
ところが東野氏は、ドンバスでの「戦闘」が今の戦争につながったと認めながらも、それがウクライナ政府とロシア系市民との内戦であることや、内戦の原因については、少なくとも今回の記事ではほとんど触れていない。これでは何も知らない読者は、まるでウクライナ政府と全国民は一枚岩であり、一丸となってロシアに抵抗しているかのように誤解してしまうだろう。
東野氏は、後述する「ブチャの虐殺」などにより、ウクライナ人が「ロシアの支配下における平和はありえない」ことを骨身に染みて感じたから、「徹底抗戦という姿勢が固まったのだと思います」という。しかしロシア系市民にとっては、むしろ「ウクライナ政府の支配下における平和はありえない」と痛感する8年間だったろう。
東野氏はこの後も、ロシア系市民の存在を無視し、無理のある議論を展開していく。
実際、昨年3月に一連の停戦協議がありましたが、まとまりませんでした。ロシアが要求してきたのは、ウクライナの「中立化」と「非武装化」。ウクライナはどこの軍事同盟にも属することができず、自分で自分の身を守ることもできないという条件です。ウクライナ側がのめるわけはありませんでした。
ここで東野氏は、あたかもロシアが正当な理由もなく、ウクライナに無理難題を吹っかけたかのように語っている。しかしロシアが求める「中立化」「非武装化」とは、ロシア系市民の保護という目的を達する手段だ。その背景には、米欧諸国がウクライナ政府に大量の武器と資金を供与し、それがロシア系市民の虐殺に使われたという現実がある。
ウクライナ政府が米欧とつるんでそのような蛮行に手を染めてきた以上、ロシアから「中立化」「非武装化」を迫られたとしても、「どこの軍事同盟にも属することができず、自分で自分の身を守ることもできない」などと、泣き言をいえた立場ではあるまい。
また東野氏は、ロシアが「中立化」「非武装化」という無理な条件を押しつけたせいで、昨年3月に一連の停戦協議がまとまらなかったという。一方で、その主張と矛盾するのだが、「ウクライナ側は停戦交渉中、『周辺の国が安全を保障してくれるなら、北大西洋条約機構(NATO)に入れなくても中立でもよい』という立場を公にしていました。それは本心だったと思います」と認めている。
だが結局、停戦合意には至らなかった。その理由として、東野氏は「キーウ近郊のブチャの惨状が判明したことが大きかった」という。ロシア軍により市民約400人が虐殺されたとされる問題だ。しかしこの「ブチャの虐殺」については、遺体の状態や発見のタイミング、ロシアにわざわざ国際世論の批判を浴びる行動をとる動機がないことなどから、ウクライナ側によるプロパガンダの疑いが持たれている。それを理由にウクライナが停戦交渉をやめるのは、筋が通らない。
停戦交渉がまとまらなかった本当の理由は何か。イスラエルのベネット元首相が最近明らかにしたところによれば、ウクライナのゼレンスキー大統領はNATOに入らず中立国になるなどの条件をのみ、ロシアのプーチン大統領も「非武装化」の条件を取り下げ、停戦合意の寸前まで近づいていたものの、米欧から和平プロセスを「ブロック」されたという。
つまり昨春、停戦交渉で合意できなかったのは、東野氏の主張とは異なり、ウクライナが条件をのめなかったからでも、「ブチャの虐殺」でロシアに対する不信感が募ったからでもなく、米欧から妨害されたからなのだ。
東野氏は、「私はこの1年間を通して、いろんな方から『この戦争の落としどころは』と聞かれましたが、侵攻された側に対して落としどころを問うのは酷です」と語る。しかし実際には、「侵攻された側」のウクライナは、停戦交渉で「落としどころ」を探っていた。それを「ブロック」し、停戦を許さなかった米欧の行動のほうが、戦火に苦しむウクライナ市民にとっては、よほど「酷」だろう。
停戦交渉が頓挫した後、ゼレンスキー大統領はウクライナ市民をひたすら戦争に駆り立てている。嘆かわしい限りだが、東野氏はそう考えないらしい。
日本ではいまだに、「ゼレンスキー大統領は、国民を無理やり戦わせて残虐なんだ」と誤解されています。ウクライナの人の特質を考えたとき、ゼレンスキー氏は国民を強制して戦争に引きずり出しているというより、「絶対にロシアの支配下には入らない」というウクライナの民意に従っている側面が強いのです。
この東野氏の主張は、明らかに事実をゆがめている。「絶対にロシアの支配下には入らない」という考えが、ウクライナの「民意」であるはずがない。なぜなら東部・南部のロシア系市民はむしろ、ロシアの支配下に入ることを望んでいるからだ。昨年9月、東部のルガンスク、ドネツク、南部のザポロジエ、ヘルソン各州はロシア編入を問う住民投票を実施。87~99%が賛成し、編入された。ウクライナや欧米は非難し、編入を認めていないが、住民が編入後、ロシア支配を嫌って逃げ出しているという話はない。
そもそもロシアは侵攻当初から、「ウクライナ領土の占領」は目的ではないと明言している。それが信じられないにせよ、「絶対にロシアの支配下には入らない」という考えは、ウクライナの「民意」というより、せいぜいロシア系市民を除く「多数意見」だろう。しかし東野氏は、そうは言わない。ウクライナ国民が一丸となってロシアの侵略に徹底抗戦を唱えているという、わかりやすい「物語」が成立しなくなるからだろう。
その「物語」を前提に、東野氏はさらに勇ましい発言をする。
「戦えば戦うほど犠牲が出てかわいそうだ」という指摘も間違いではありませんが、それは目先の犠牲を甘受してでもウクライナの独立と領土、主権を守りたいというウクライナの世論を見誤っていると思います。
戦争中の「世論」とはどういうものか、東野氏も日本の近現代史を通じて知っているはずだし、事実、ウクライナでは野党系メディアを閉鎖するなど言論弾圧が横行している。それでも東野氏は、家族を戦場に送り出すウクライナの人々が本心から、「目先の犠牲」、つまり家族の死を甘受してでも、「独立と領土、主権を守りたい」と思っていると信じるのだろうか。ウクライナの人々の心を「見誤っている」のは、東野氏のほうではないだろうか。
東野氏は、「そろそろ諦めましょう」「領土を譲って終わりにしましょう」と言うウクライナ人には、「これまで1人も会っていません」という。その返答が本音かどうかはともかく、少なくとも答えた人の中に、実際に編入という形でロシアに「領土を譲って終わりにし」た東部・南部のロシア系市民が含まれていないのは明らかだ。つまり東野氏にとって、ロシア系ウクライナ人はウクライナ人ではないのだ。ひょっとすると、「徹底抗戦」を叫ばない腰抜けのウクライナ人も、ウクライナ人には数えていないのかもしれない。
最後に、東野氏は「ウクライナが完全に納得するまで戦う以外の道はないことを、侵攻開始から1年が経ったいま、改めて感じています」と述べる。この「ウクライナ」とは、誰を指すのだろう。本音を押し殺して「徹底抗戦」を叫び、家族を戦場に送り出す市民か。メンツと地位にこだわる政治家か。ウクライナに武器を売りさばいて、「戦闘が続く限り支える」米欧の軍産複合体か。それとも、その応援団を務める専門家か。いずれにせよ、その人々が「完全に納得」するまでに、あとどれだけの命が奪われるのだろう。
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