木村 貴
朝日新聞デジタルは新年の目玉として1月1〜3日の3回にわたり、ノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチ氏へのインタビュー記事を連載した。おもなテーマは、世界の注目を集める「ロシアのウクライナ侵攻」である。
人から獣がはい出したウクライナの戦争 ノーベル賞作家の絶望と使命 https://t.co/hoo4wJgpqd
— 朝日新聞デジタル (@asahicom) January 1, 2023
「私はウクライナ人の母とベラルーシ人の父のもと、ロシア文化に育てられた」
2015年のノーベル文学賞を受賞した作家 #アレクシエービッチ さんが朝日新聞の単独インタビューに応じました。
アレクシエービッチ氏は、ロシアとウクライナに国境を接するベラルーシの出身。また記者の紹介によれば、代表作「戦争は女の顔をしていない」などで、「常に社会や時代の犠牲となった『小さき人々』の声につぶさに耳を傾けてきた」という。もしそうならば当然、今回の「侵攻」の歴史的背景をしっかり踏まえたうえで、女性や子供を含む人々が戦争の犠牲になる悲惨な現状を一刻も早く止めるよう、早期停戦を呼びかけるに違いない。ところが予想はみごとに裏切られる。
第1回の冒頭、「ウクライナ侵攻が起きて、まず感じたことは」という記者の問いに対し、アレクシエービッチ氏はこう答える。「開戦を知った時、ただただ涙がこぼれました。私は本当にロシアが大好きで、その文化の中で育ちました。ロシアに友人も大勢いるのです。戦争が始まるなんて到底信じられませんでした」
アレクシエービッチ氏のこの発言に対し、いつも日本の新聞やテレビ、あるいはせいぜい、その情報源である米欧の大手メディアの報道にしか接しない人たちは、さして違和感を覚えないだろう。しかし、少し詳しく今回の紛争の経緯を調べたことのある人なら、疑問を感じるに違いない。まるでロシアのウクライナ侵攻が何の前触れもなく、突然始まった出来事であるかのように語られているからだ。
新聞テレビははっきり伝えようとしないが、2022年2月24日に始まったロシアの「侵攻」(ロシアは「特別軍事作戦」と呼称)には、それに先立つ経緯がある。詳しくは別の機会に述べるとして、ここではごく手短にいうと、ロシアとウクライナの対立は少なくとも2014年、ウクライナで米国の支援を受けたデモ隊が親露派の大統領を倒し、親米派を据えたクーデター(マイダン革命)にさかのぼる。
クーデターで実権を握った民族主義者による迫害を恐れ、東部のロシア系住民がドネツク、ルガンスク両人民共和国の独立を宣言すると、ウクライナ政府は激しい攻撃を加え、内戦となる。この内戦は昨年2月、ロシアが「侵攻」に踏み切るまで8年間続き、その間、独立派は軍人と市民合わせて1万3000人以上の命が奪われた。これには歴史的に関係の深いロシア国民の親族も含まれる。
しかもロシアがロシア系住民の要請に応える形で「侵攻」に踏み切る直前には、ウクライナ軍の東部に対する砲撃が10日間にわたって大幅に強化されていた。長期でみても短期でみても、決してロシアが何の理由もなく、一方的に攻め込んだというような状況ではなかった。
ところがアレクシエービッチ氏はこうした経緯に一切触れることなく、「戦争が始まるなんて到底信じられませんでした」と驚いてみせる。内戦はすでに8年間も続いていたのにである。ウクライナ政府に独立を阻まれ、命を奪われた1万3000人ものロシア系住民の存在は、まるで忘れ去られたかのようだ。
もちろん理想をいえば、プーチン大統領率いるロシアは、武力に訴えるという選択肢を避け、粘り強く外交による解決の道を追求するべきだったろう。しかしそうしなかったからといって、それまで内戦でさんざん市民に暴力を行使してきたウクライナ政府やそれを支援する西側諸国に比べ、はるかに邪悪な存在だなどと言えるわけがない。
だがアレクシエービッチ氏は、「ウクライナ=善」「ロシア=悪」という、冷静な議論にはむしろ有害な、単純きわまりない図式を描く。「かつて〔第2次世界大戦中〕、ソ連人が自国をドイツから守りました。今のウクライナ人は、かつてのソ連人のように振る舞い、ロシアはヒトラーのようです」
ニュース雑誌のカバーでよく目にする、プーチン氏をヒトラーになぞらえた、わかりやすい漫画そのものだ。ノーベル賞作家の描く人間像にしては、いささか平板すぎる。ウクライナ戦争の経緯を知っていて、一方的にロシアに対する敵意を煽るのであれば、不誠実だと言わざるをえない。
アレクシエービッチ氏のロシア非難は止まらない。「ウクライナの破壊された街並みも、第2次世界大戦をほうふつとさせます。村が焼かれ、人々が撃たれました。街を闊歩(かっぽ)していたロシア兵が撤退すると、いくつもの墓が残ります。墓を掘り起こした時、人々が拷問されたのだとわかるのです」
この発言を踏まえ、聞き手の朝日記者は「ロシア軍が占拠し、後に撤退したウクライナのブチャなどでは、残虐な行為が繰り返されました」と、さも確かな事実であるかのように述べる。
しかしロシア軍の仕業として米欧メディアで一時騒がれた「ブチャの虐殺」はその直後から、遺体の状態や発見のタイミング、ロシアにわざわざ国際世論の批判を浴びる行動をとる動機がないことなどから、ウクライナ側によるプロパガンダの疑いが持たれている。また、ブチャの集団墓地に最大300人の遺体が埋葬されていたとか、ウクライナの女性捕虜がロシア軍から拷問を受けていたとかいう米CNNの報道は、ウクライナの人権監察官(解任)によるデマだったことがわかっている。
ロシア軍には人道に反する行為が皆無と言うつもりはないが、少なくともそれが敵対するウクライナ政府の発表や西側メディアの報道に基づく場合、眉に唾をつけるのが、健全なメディアリテラシーというものだろう。
けれどもアレクシエービッチ氏のここまでの発言には、そうした慎重な態度はまったく感じられない。それどころか、ここからさらに暴走していく。(この項つづく)
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