木村 貴
さて、ノーベル賞作家のアレクシエービッチ氏は、朝日新聞デジタルのインタビュー記事第1回の後半から、ロシア非難をさらにヒートアップさせる。ロシア人は「獣」だと言い出すのだ。そしてロシア人が獣になった原因について、「私はロシア人を獣にしたのはテレビだと思います」と言う。
ウクライナの「 #ネオナチ問題 」とは何か。筆者はロシアではなくこれまでの西側報道を参照しながら読み解き、こう指摘しています。「極右・ネオナチ問題がある」のはロシアのプロパガンダではない。それを侵略戦争の理由とするのがプロパガンダである、と。https://t.co/rlemhIVbSs
— 論座 (@webronza) March 23, 2022
どういうことか。アレクシエービッチ氏は続ける。「プーチンはこの数年、戦争の準備をしてきた。テレビはウクライナを敵として描き、人々を、ウクライナを憎む獣にするために働きかけてきました」
これを受け、朝日記者が付け加える。「ロシアではプーチン氏が大統領に就任した2000年以降、政府によるメディア掌握が進んできました。ウクライナ侵攻でも政府の主張に沿ったプロパガンダが展開されています」
つまり、ロシアではプーチン大統領率いる政府が、テレビを通じて自分に都合の良いプロパガンダ、つまり嘘を振り撒き、ロシア人はそれを信じ込んで、「ウクライナを憎む獣」になってしまったというのだ。
それでは、ロシア政府がテレビを通じて吹聴した嘘と、それに対する真実とは、どのようなものか。アレクシエービッチ氏は二つ例をあげる。
一つは、「ナチ」の存在だ。アレクシエービッチ氏はこう話す。
あるウクライナ兵が、(侵攻後に)捕虜にしたロシア兵に「母親に電話して実情を伝えれば解放してやる」と言いました。電話で「ママ、ここにはナチはいない」と話したロシア兵に、母親は「何を言ってるの。誰に吹き込まれたの」と叫んだ。母親が口にしたのはテレビが流す内容でした。
わかりにくいが、ウクライナ兵に捕まったロシア兵が、母親に電話で「ママ、ここにはナチはいない」と「実情」(真実)を伝えたところ、テレビに洗脳された母親はそれを信じず、「何を言ってるの」と驚いたというのだ。ここでいう「ナチ」とは、ナチスドイツの思想を信奉する、いわゆるネオナチのことだろう。
ようするにアレクシエービッチ氏はこのエピソードで、ロシア政府はテレビを通じ「ウクライナにはナチがいる」という嘘をロシア人に信じさせているが、実際には「ナチはいない」というのが真実だと言っているわけである。
ロシアが一方的に侵攻に踏み切ったというストーリーと同じく、この「ウクライナにナチはいない」という主張も、最近の大手メディアの報道にしか接しない人は、なんとなく信じてしまうかもしれない。だが以前から欧米のネオナチ問題に関心のある人なら、違和感を覚えるはずだ。
なぜなら以前は大手メディア自身、「ウクライナにナチはいる」と報じていたからだ。他ならぬ朝日新聞社が運営する言論サイト「論座」の2022年3月23〜24日連載記事で、ルポライターの清義明氏が伝えるように、2014年に設立された準軍事組織「アゾフ大隊」(その後「アゾフ連隊」)の中核メンバーはネオナチ集団であり、その事実は2017年時点でニューヨーク・タイムズ、ガーディアン、BBC、テレグラフ、ロイターなど米欧の主要メディアが取り上げていた。
「欧州の極右事情やウクライナ情勢に詳しい人ならば、この数年でウクライナの極右・ネオナチの存在が問題化していたことは常識のレベルの話である」と清氏は述べている。
その後、ウクライナからネオナチがいなくなったわけではない。昨年のロシア「侵攻」後、メディアが一斉に口をつぐんでしまっただけだ。邪悪なロシアに立ち向かう「善」であるはずのウクライナに、ナチがいては都合が悪いからという「忖度」にしか見えない。
このように言うと、「ネオナチはどの国にもいる」と「反論」する向きがある。たしかにネオナチの存在は、欧州中心に多くの国に共通した社会現象だ。しかしウクライナではアゾフは正規軍に編入され、これとは別の「国家親衛隊」という内務省管轄として特設された特殊部隊では、その中核を担う存在にまでなっている。ネオナチが正規軍に組み込まれているのは、世界でウクライナだけだ。この事実は、さきほどの「論座」記事で清氏が指摘している。ウクライナにおけるネオナチと政府権力との関係は、他の国とは比べ物にならないほど深い。
西側メディアでも報じられたそうした事実を、アレクシエービッチ氏が知らないはずはない。それにもかかわらず、ウクライナにおけるナチの存在をテレビの洗脳による妄想にすぎないと切り捨てるとは、言論人としての姿勢に不信を抱かずにいられない。
そもそも、ロシア兵捕虜に対するウクライナ兵の「実情を伝えれば解放してやる」という言葉は、明らかな脅しだ。脅されて口にした「ママ、ここにはナチはいない」という言葉は真実ではなく、むしろ解放されたい一心からの偽りではないかと疑うのが、作家の観察眼以前に、常識というものだろう。
もう一つのエピソードは、ウクライナ東部ハリコフ(ハルキウ)への爆撃だ。これはさらにわかりにくい。まずはそのまま引用しよう。
こんなロシア人女性もいました。「ええ私の姉妹はハリコフ(ハルキウ)に住んでいます」。ハリコフは何度も爆撃された街です。「それでも、私は自分の大統領を信じています」。残念ながら、テレビは大きな力です。私たちは甘く見ていました……。
すでに述べたように、ロシア人はウクライナ、とくに東部に親族が多い。このロシア人女性も、ハリコフに姉妹がいる。そのハリコフは「何度も爆撃された街」だという。誰から爆撃されたのか。この文脈からすれば、ロシアからとしか読めない。だからこのロシア人女性も「自分の大統領」、すなわちロシアのプーチン大統領がいつか爆撃をやめると信じていた。しかし残念ながら、プーチン氏はテレビで洗脳された国民の支持をいいことに、爆撃をやめようとしない——。補って考えると、こうなるだろう。
けれども、またしても疑問がわく。ハリコフはすでに述べたように、ロシア国民の親族を含む、ロシア系住民の多い東部の街だ。その街を、ロシアが「何度も爆撃」するものだろうか。
アレクシエービッチ氏の話では、「何度も爆撃された」時期は不明だが、2014年からの内戦期のことであれば、爆撃したのはおもにウクライナ政府のはずだ。日本の独立系ニュースサイトIWJが2022年6月16日付記事で伝えるように、かつてウクライナ軍が東部ドンバス地方で自国民(ロシア系住民)を攻撃していた事実は当時、NHKでさえ報じていた。
2022年2月のロシア「侵攻」後も、ウクライナ軍は東部の街や駅を爆撃し、それをロシアのせいにする「偽旗作戦」を展開しているといわれる。これらの状況に鑑みると、東部の街がロシアによって「何度も爆撃された」という話を鵜呑みにはできまい。
もちろん現在、ロシアはウクライナと戦争をしているのであり、軍事施設に攻撃目標を絞ったとしても、人命や財産が犠牲になるのは避けられない。だがその罪はウクライナ側も免れないはずだ。
いずれにしても、あやふやなエピソードを頼りにロシアだけを一方的に断罪するアレクシエービッチ氏に、事実に基づき両者の罪の軽重を見極めようとする態度は微塵も感じられない。(この項つづく)
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