木村 貴
朝日新聞デジタルの「そもそも解説」コーナーに、「ロシアはなぜ侵攻したのか? ウクライナ危機の背景」という解説記事(2022年3月23日)がある。親ウクライナ、反ロシアの偏った見方が目立つが、その後の大手メディアの常軌を逸した報道ぶりに比べると、まだしもバランスが取れている。ポイントとなる北大西洋条約機構(NATO)に関する記述を中心に、説明しよう。
ロシアのウクライナ「侵攻」開始(同年2月24日)から約1カ月後に公開されたこの記事は、ウクライナという国の成り立ちについて説明した後、「ロシアはなぜウクライナを攻撃したのか?」という問いを立てる。この中で、次のように答える。
ロシアは、東西冷戦の時代からの西側諸国の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)が自分たちを敵とみなしてきた、と主張してきました。/ウクライナはかつてロシアを中心とするソ連の構成国でしたが、ソ連が崩壊したことで独立。いまのウクライナのゼレンスキー政権は親欧米で、NATOへの加盟を目指しています。
ここまではとくに問題ない。問題はこの後だ。
ロシアにとって、これはがまんがならない。そのため、いろんな理由をつけてゼレンスキー大統領を何とか武力で排除し、ロシアに従順な国に変えてしまいたいのです。
「がまんがならない」とは、ウェブリオ類語辞典によれば、「堪え難い」「たまったものではない」「シャレにならない」「納得できない」といった意味だ。しかしロシアにとってウクライナのNATO加盟は、そんな生やさしいものではない。プーチン大統領が同年2月24日、攻撃開始を宣言する演説で述べたように、過去約20年にわたりNATOが進めてきた東方への拡大はロシアにとって「根源的な脅威」と受け止めている。もしウクライナが加盟すれば、その脅威が国境まで達することになる。
朝日の記事は続けて、「そのため、いろんな理由をつけてゼレンスキー大統領を何とか武力で排除し、ロシアに従順な国に変えてしまいたいのです」と述べるが、これを読んだ読者がロシアに良い印象をもたないのは確実だ。しかしかりにこの記述が事実だとしても、それによってロシアを一方的に非難するのはフェアではない。西側が同じことをしているからだ。
2014年2月、ウクライナで親露派の指導者を倒し、親米派を据えるクーデター(マイダン革命)が発生した。倒されたのは選挙で選ばれたヤヌコビッチ大統領であり、後釜にはオリガルヒ(新興財閥)出身のポロシェンコ大統領が据えられた。クーデターには米国が関与していた。ウクライナの親露派をそれこそ「武力で排除」し、米国に「従順な国」に変えてしまったわけだ。
朝日の記事は、このクーデターに触れてはいるものの、米国が関与したことには言及がない。そしてあたかもロシアだけが暴力に訴える身勝手な国だという印象を読者に植え付ける。公平な解説だとはいえない。
朝日の記事はNATOについて、「NATOって何? なぜロシアと対立している?」という問いを立てている。これについて、まずこう答える。
ロシアはウクライナへの侵攻を、NATOの脅威に対する自衛措置だとも説明しています。プーチン氏は2月24日の演説で「NATOはロシアを敵と見なしてウクライナを支援している。いつかロシアを攻撃する」と言い切っています。
これは問題ない。この後、西側陣営によって結成されたNATOの成り立ちを述べ、冷戦終結後も存続したことや、1999年以降の加盟国拡大について説明する。さらに「2008年には、ウクライナやジョージアが将来的な加盟国と認められました」と述べている。続いて、次のように記す。
不信を募らせたロシアは「東方拡大しないという約束をNATOが破った」と主張し、ロシアへの直接的な脅威だとして対立姿勢を強めています。プーチン氏には「NATOにだまされた」との怒りがあるとも言われますが、ロシア側が主張する「約束」は文書に残っておらず、欧米側は否定しています。
これは今でもよく議論になる点だ。ロシアは「東方拡大しないという約束をNATOが破った」として西側に対し不信感を募らせ、これに対し西側は、そんな約束は文書に残っていないと否定する。一見、どっちもどっちの水掛け論のようだが、そう考えると本質を見失ってしまう。
この点について、国際安全保障の研究者で医学の専門家でもあるベンジャミン・エイブロー氏がその著書『西側はどのようにウクライナに戦争をもたらしたか』(2022年、未邦訳)で適切な指摘をしている。
エイブロー氏はNATOの東方拡大に関する西側の「約束」について、「正式な条約上の義務がない以上、実際の約束はなされていない、あるいは、約束はなされたが法的拘束力はない、と主張する人もいる。また現実問題として、NATOは今後数年の間にウクライナに加盟を持ちかけるつもりはなく、ウクライナの加盟問題はすべて無意味だとの主張もある」と分析する。そのうえで、「ここで二つの点が重要である」として、次のように論じる。
第一に、NATOの東方拡大が条約上の正式な義務に違反しているかどうかにかかわらず(明らかに違反していない)、欧米がロシアへの保証を無視したことは、プーチン氏らロシア指導者が騙された、恥をかかされた、軽蔑されたと感じたかどうかという問題に直結する。このような欧米の行動は、基本的な不信感をもたらし、その後の欧米の行動がそれをさらに悪化させた。
文書に残されていたかどうか、法的拘束力があるかどうかにかかわらず、ロシアがあると信じた「保証」を西側が守らなかったこと自体、不信感をもたらしたという指摘だ。エイブロー氏は続ける。
第二に、かりに頭の体操として、西側が意図を偽っていなかったと仮定しても、つまり議論のために、保証がなかったと仮定しても、より重要な問題であるNATOと西側の事実上の軍事侵攻に変化はない。
つまり百歩譲って、そもそもNATOが東方拡大しないという「保証」は、たとえ口約束でも存在しなかったと仮定しても、より重要な問題が何か変わるわけではない。重要な問題とは、ロシア国境に迫る「西側の事実上の軍事侵攻」である。エイブロー氏は議論をこう締めくくる。
結局のところ、〔冷戦終結直後の〕1990年から1991年にかけて保証がなされたかどうかは決定的な問題ではない。軍事的な脅威がNATO経由で生じたのか、それともNATOの外でウクライナと欧米諸国との二国間あるいは多国間の行動によって生じたのかも決定的な問題ではない。以前どのような言動があろうと、どのような経路で発生しようと、脅威は脅威なのである。
過去にどんないきさつがあろうと、今そこにある脅威は脅威であり、ロシアとしてはそれに対応せざるをえない。エイブロー氏自身は著書の他の箇所で、ロシアが戦争という手段を選んだことを批判しているが、西側がロシアをそこまで追い詰めた経緯を見逃さず、一冊を費やして詳しく述べている。西側に不利な事実を無視したり隠したりする西側メディアとは大違いだ。
朝日の記事は「NATOが拡大を続けることの是非については、欧米でも議論があります」と一言触れており、それなりにバランスが取れている。しかしそれに続く、「一方で、NATO側に全ての非があるとするロシアの主張にも無理があり」というコメントはしっくりこない。
もちろん、あらゆる外交問題でロシアの主張がすべて正しいとはいえないだろう。しかし、ことNATOの東方拡大に関する限り、ロシアの抗議にもかかわらず、あれこれ理由をつけて一方的に推し進めてきたのはNATO側であり、ロシア側に何か「非」があったとは思えない。朝日の記事からは、ロシアに非のない点、しかもきわめて重要な点について、ロシアにも何か責任があるという印象を受けてしまう。
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