2022-06-10

嘘の帝国

民主主義を掲げ、専制主義を声高に批判する国の政府やメディアは、国民が適切な判断をできるよう、偽りや誇張のない正しい事実を何よりも大切にするはずだ。しかし、現実は必ずしもそうではない。

ウクライナの前人権監察官リュドミラ・デニソワ氏は、ウクライナ政府に代わって「武器と圧力を提供するよう世界を説得する」ために、ロシア兵による性犯罪の報告を「誇張」したことを認めた。ロシアの通信社スプートニクによると、6月3日にウクライナの出版物に掲載されたインタビューで、デニソワ氏は自分の誇張が少なくとも一度は成功したと主張し、次のように述べた。

「たとえばイタリア議会の国際問題委員会で演説した際、ウクライナはとても疲弊していましたよね。ウクライナとウクライナ国民に必要な(イタリアの)決断を何とか後押ししようと、恐ろしい話をしたのです」。デニソワ氏によれば、イタリアの連立与党「五つ星運動」は当初、ウクライナへの武器供与に反対していたが、「(自分の)演説の後、党首の一人が、武器供与を含め(ウクライナを)支援すると言ったのです」という。話をでっち上げた効果というわけだ。

デニソワ氏は5月31日、誤った情報を流したとしてウクライナ議会で234対9の不信任投票を受け、人権監察官を解任された。米ニューズウィーク誌が報じたように、ウクライナ議会のパブロ・フロロフ議員は、デニソワ氏が解任された理由として、ロシア軍占領地での「不自然な性犯罪」や子どもの性的虐待に関する詳細の数々が、「証拠に裏付けられていない」ことを挙げた。 フロロフ議員は、このような誤情報は「ウクライナに害を及ぼすだけだ」と主張したという。

デニソワ氏の「誇張癖」が害を及ぼしたのは、もちろんウクライナだけではない。2月にロシアがウクライナで軍事行動を始めて以来、デニソワ氏が語るロシア軍の「悪行」の数々は、米欧の主要メディアで事実として紹介されてきた。
たとえば、ロイター通信は4月5日、「ブチャの集団墓地、最大300人の遺体埋葬か=ウクライナ人権監察官」と題する記事で、デニソワ氏の情報に基づき「ウクライナの首都キーウ近郊ブチャの教会付近で見つかった集団墓地に、150─300人の遺体が埋葬されている可能性がある」と報じた。
また、米CNNテレビは翌日、やはりデニソワ氏の情報に基づき、「ロシア軍から解放の女性捕虜、『拷問を受けていた』 ウクライナ当局者」と題する記事を公開した。「女性捕虜は士気を砕くために男性の前で裸にされたり、スクワットや髪を切ることを強制されたり、尋問を受けたりした。ロシアのプロパガンダ動画撮影への協力を強要された人もいるという」と、デニソワ氏の主張をそのまま伝えている。

普段から米欧メディアに右へならえの日本の新聞・テレビも、デニソワ氏の主張をそのまま垂れ流していた。

その点、ウクライナのジャーナリストは違った。デニソワ氏の解任に先立ち、ウクライナの記者数百人は公開書簡を発表し、デニソワ氏の衝撃的だが明らかに根拠のない言い分が、しばしば額面どおりに受け取られていると警告した。そこで引用されたのは「6カ月の女の子をロシア人はティースプーンでレイプした」「(兵士)2人が赤ちゃんの口と肛門をレイプした」「9カ月の女の子がろうそくでレイプされた」といったデニソワ氏のおぞましい主張だ。

戦時下のウクライナで、「敵に塩を送った」と言われかねない当局者批判を堂々と行った同国のジャーナリストの勇気に感服する。日本の大手メディアの記者に、同じことができるだろうか。

米欧の政府や大手メディアは、ロシアなど敵対勢力の「偽情報」を激しく批判するが、自分たちは平気で嘘をつく。その中でも特におぞましく卑猥な例は、「カダフィのバイアグラ」だ。スプートニクが記すように、2011年、当時のスーザン・ライス米国連大使は、リビアのカダフィ政権が「集団レイプ」を促すために、兵士に性機能改善薬「バイアグラ」を配布していると国連で語った。後にこの主張は、親米欧の人権団体アムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチでさえ、証拠がないと断言した。

その同じ国連で今月6日、安全保障理事会はウクライナ情勢を巡る公開会合を開き、パッテン事務総長特別代表が、ウクライナ各地で性暴力被害の訴えが3日までに124件あったと述べ、「経験上、氷山の一角だ」として各国に対策を講じるよう求めた。これに対しロシアのネベンジャ国連大使は「ロシア兵による性暴力の証拠はない」と反論し、ウクライナや欧米諸国の情報戦の一環だと主張した。

ネベンジャ大使の部下であるポリャンスキー国連第一副代表もツイッターへの投稿で、ロシア兵に関する欧州連合(EU)の「嘘と根拠のない主張」からみて、EUは「明らかに(真実を)必要としていない」と批判した。ロシアのテレビ局RTによると、同副代表は「(デニソワ)前人権監察官の嘘が暴露された後も、一部の発言者は物語を修正できなかった」と皮肉った。

同副代表が言うとおり、デニソワ氏の情報を事実として伝えた西側政府やメディアは、同氏解任後も、真偽を検証したり過去の報道を訂正したりした様子はない。何もなかったかのように口をぬぐっている。トランプ前米大統領の「ロシア疑惑」を大騒ぎしたあげく、根拠がなかったと判明したときの開き直った態度そっくりだ。

英作家ジョージ・オーウェルは「嘘の帝国で本当のことを言うと反逆罪になる」と喝破した。私たちは「嘘の帝国」から抜け出すことができるだろうか。

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