2022-06-29

経済計算

経済学者、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス
(1944年)

資本主義がなぜ優れているかといえば、新しい事業を計画したり、すでに稼動している工場、農場、作業場が有用かどうかを評価したりする際に、計算が可能な唯一の制度だからだ。社会主義や中央計画がなぜ非現実的かといえば、生産手段(原材料、土地、建物、道具、機械など)が私的に所有されず、その結果、生産手段に市場価格が存在しないため、いかなる種類の経済計算も不可能だからだ。

物質的な生産要素には無数の種類があり、それぞれの種類の中でも、物理的な性質と利用可能な場所の双方において互いに異なる。何百万人もの労働者は、働く能力に関して大きく異なる。科学技術は天然資源、資本財、労働力を消費財の生産に利用すれば何が達成されるか、無数の可能性に関する情報を提供してくれる。

これらの手順や計画のうち、どれが最も有利なのだろうか。どれが最も緊急なニーズの充足に貢献する可能性が高く、実行に移すべきだろうか。その実行によって他のプロジェクトから生産要素を流用することになるが、どれを延期・中止すべきだろうか。

技術者は、何がどのようにできるかを示してくれる。しかし、あるプロジェクトの実現が物質的な幸福を本当に増大させるかどうか、希少な生産要素を他のラインから引き抜くことによって、消費者がより緊急だと考えるニーズを満たせなくならないかどうかを判断することはできない。経済計画の指針は、市場価格である。あるプロジェクトの実行がコスト以上のものを生み出すかどうかは、市場価格だけが答えることができる。

自由企業と生産手段の私的所有に基づいて組織された市場社会では、消費財の価格は、その生産に必要な諸要素の価格に忠実かつ密接に反映される。こうして、考えうる無数の生産過程のうち、どれがより有利で、どれが不利かを、正確な計算によって発見することが可能になる。企業は経済計算によって、消費者の需要に生産を合わせることが可能になる。

他方、どのような社会主義のもとでも、生産管理の中央委員会は、経済計算を行うことはできないだろう。市場が存在せず、その結果、生産要素に市場価格が存在しないところでは、それらは計算の要素になりえない。

社会主義の下では、利益も損失もはっきりしない。計算がないところでは、計画され実施された事業が、最も緊急の必要を満たすのに最も適したものであったかどうかという問題に対する答えを得る手段がなく、成功も失敗も闇の中で認識されないままとなる。

社会主義の支持者は、損益がはっきりしないことを優れた点だと考えているが、それは大きな誤りである。それどころか、それはあらゆる社会主義的経営の本質的な悪弊である。自分のしていることが、求めている目的を達成するための適切な手段であるかどうか、無知であることは利点ではない。社会主義的経営は、目隠しされて一生を過ごすことを強いられるようなものだ。

(次より抄訳)
Economic Calculation | Mises Wire [LINK]

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