ジャーナリスト、ロバート・ブリッジ
(2022年6月2日)
6月の「LGBTQ+プライド月間」の始まりは1969年6月28日朝、ニューヨークのゲイ・コミュニティが集うグリニッジ・ビレッジにあるバー「ストーンウォール・イン」に、警察が踏み込んだときにさかのぼる。逮捕しようとする警察に対し、バーや近隣の酒場の常連客が反撃したのだ。
その後は言うまでもない。今日、ストーンウォール暴動のおかげで、LGBTQ+のコミュニティは文化的に大きな勝利を収めたと言える。同性婚は50州すべてで合法化され、ゲイやトランスジェンダーの労働者は職場における差別から保護されている。
LGBTQ+運動が成功しているにしても、「プライド月間」は一カ月、関心を集めるに値するのだろうか。かつて米黒人俳優モーガン・フリーマンは、「黒人歴史月間をどう思うか」と記者に聞かれた際、「ばかばかしい」と即答した。「黒人歴史月間を作りたいとは思わない。黒人の歴史はアメリカの歴史だ」
「でも、どうやって人種差別をなくすのですか」と記者が尋ねると、フリーマンの答えは簡潔明瞭だった。「その話をやめるのさ」。そしてこう言った。「君を白人と呼ぶのをやめるから、私を黒人と呼ぶのをやめてくれ」
このエピソードは、多くの人にとって「LGBTQ+プライド月間」の問題点を要約したものだ。「プライド月間」は、性的問題をひたすら形にしなければならない。それも子供を含む公衆の面前でだ。分別はどこに行ったのか。テレビや新聞でも、性にまつわる問題に直面することはほとんどないというのに。
実際、LGBTQ+運動は、一カ月のパレードや祭り、美徳の乱舞から取り残されたくない企業からの無料広告よりも、ずっと多くのものを得ている。この文化的権力は、生活のほとんどあらゆる側面を、小学校のレベルまで日々支配するようになった。
真っ昼間から繰り広げる性的倒錯に捧げる月が、本当に必要なのだろうか。それとも、ストレート(異性愛者)の人々にも一カ月与え、バランスを取るのが答えなのだろうか。政治的な正しさが尊重される今、LGBTQ+コミュニティの一員であることは、結婚して子供を持つよりも難しいことなのだろうか。
7月はまだ空いているのだから、「ストレート・プライド月間」として、朝の電車に揺られ、徹夜明けで歯が生えた赤ん坊を抱えて出勤する、疲れ切った顔の男女に敬意を表してみてはどうだろう。
ゲイ、トランス、クィア、バイ、それ以外の人々も含め、もし時代遅れのストレートの人々がいなければ、何も祝うことができないだろう。ストレートの人々は、この大変な時代に、子供を生み育て、家庭を営むというありがたくない仕事に志願しているのだから。
ストレートの人々はそろそろ、その多大な犠牲を称えてもらうために、国旗を掲げた祝典月間を要求しないだろうか。それは世界が本当に優先すべきことを思い起こさせる良い方法かもしれない。しかし世界の真のヒーローは報酬を求めない。ましてや一カ月のパーティーなど求めないだろう。
(次より抄訳)
Robert Bridge: As LGBTQ+ Pride Month kicks off, is it time to give straight folks their parade too? — RT World News [LINK]
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