高さ20センチのこの石像は、「アリュバロス(小瓶)を持つ女性」と呼ばれ、メソポタミア(現イラク)から出土した紀元前2200〜同2000年ごろの作品。下ろした髪をヘアバンドで固定し、「カウナケス」と起毛した毛織物で作られた丈の高いワンピースを見に着けている。誰を表しているかは不明だが、神殿に仕える女祭司との見方もあるようだ。
メソポタミアはティグリス・ユーフラテス両川流域の沖積地帯で、人類最古の文明が成立した地域の一つとして知られる。灌漑農業にもとづく村落文化が発展し、前3000年ごろになると、シュメール人によってウルク、ウル、ラガシュなどの都市国家がつくられた。都市は城壁で囲まれ、中心に固有の守護神を祭る神殿があった。ルーブル展の女性像もどこかの神殿の祭司かもしれない。
古代メソポタミアでは数学、占星術、暦法などの学問が発達したが、最も注目すべきは、文字の誕生である。
メソポタミア文明の文字といえば、楔(くさび)の形をした楔形文字が有名である。しかしウルクの遺跡で発見された最古の粘土板文書には、楔形文字の原型となった絵文字が多く記されている。これが現在わかっている最古の文字である。
ところが近年、この最古の文字のさらに前身が明らかになってきた。
ウルクの発掘調査が行われたのは19世紀後半から20世紀半ば、メソポタミア考古学調査の黄金期にあたる。工芸品や彫刻など学術的価値の高い出土品に混じって、粘土製の小さなものがあちこちから何千個も見つかった。大きくてもおはじき程度のものがほとんどで、円錐形、円柱形、球形など形も大きさもさまざまだったが、それ以外にこれといった特徴はない。
そのため、この見栄えのしない粘土の塊は何十年もの間、考古学者にほとんど捨て置かれた。1970年代まで、それが何であるのかという点についてまとまった見解さえなく、「子供のおもちゃ」「お守り」「ゲームに使う駒」などと推測されていた(フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』)。
実は、この粘土製品はもっと日常的に使われていたもので、もっと重大な意味を持つものだった。フランスの若手考古学者、デニス・シュマント=ベッセラが1974年以降に発表した一連の論文で、粘土製品は先史時代に5000年にわたって存在し、前近東で広く使われていた会計システムを形成していたと推論。「トークン(しるし)」と呼ばれるこの粘土製品から最初の文字が発達したと大胆な見解を示した。
シュマント=ベッセラによれば、トークンはさまざまな日用品の数の勘定に使われた。トークンの形や大きさはそれぞれ特定の物の種類や数量を表す。模様が刻まれた円錐形のものはパン、卵型のものは油、長菱形のものはビールといった具合である。
やがてトークンそのものを使うのでなく、湿った粘土板にトークンを押しつけて数を記録するようになった。たとえば、羊の数は粘土箱に入った円錐形のトークンの数で表すのでなく、粘土板にトークンを押してつけた三角形の数で表す。
それぞれのトークンに対応する印が定着すると、さらに簡単な方法が考案された。葦のペンで、湿った粘土板にトークンの形や大きさを正確に刻むのである。いわば古代の帳簿である。
これにより、トークンという三次元の物体を使った古代の会計システムは、二次元の記号を使った新しいシステムに置き換えられた。文字の誕生である。
このようなシュマント=ベッセラの推論には、いくつかの不備が指摘されてはいるものの、彼女の説を全面的に覆すほどの反論は出されていない。
人間の歴史において文化の発展に大きな役割を果たす文字の起源が、優美な詩でも雄々しい物語でもなく、日常的な経済活動の記録にあったというのは興味深い。
文字と経済活動の関係の深さを示すのはシュメール人だけではない。前13世紀に交易を活発に行った中東の諸民族のうち、地中海交易を営んだフェニキア人がつくったフェニキア文字は現在のアルファベットの起源となった。内陸での交易に従事したアラム人がフェニキア文字をもとにつくったアラム文字は、西アジアに急速に広まり、楔形文字に取って代わる。
シュマント=ベッセラは、他にも興味深い指摘をしている。トークンのうち、農耕と同時に出現した「単純トークン」が農産物の記録に使われたのに対し、都市化とともに現れた「複合トークン」は香油、金属、宝飾品といった奢侈品、パン、油などの加工品、織物や衣類などを記録した。これらの生産物は以前からあったが、会計記録されるのはこれ以降という。税と貢納物の徴収上、必要になったからだ。
前出のマーティンが述べるように、古代メソポタミア経済の会計システムは、収支を記録して、上層部の指令を受けた官僚が現場に的確な指示を出せるようにするためのものだった。会計帳簿を照合して、その指示が守られているかどうかを厳しくチェックする専門官もいた。今でいう会計士だ。そのため会計士は人類最古の専門職といわれる。
これらの仕組みは一見、現代の企業と同じに見える。しかし大きな違いは、企業会計のおもな目的の一つが無駄な出費を省くことであるのに対し、政府の官僚には現代と同様、無駄を省くという動機がほとんどないことである。なぜなら政府は少々無駄な出費があっても、市場で販売競争にしのぎを削る企業と違い、税を取り立てさえすれば収入を確保できるからだ。
古代メソポタミアの都市国家における巨大な神殿の建造は、個人や職業集団が定められた量の生産物を物納する納税義務に支えられていた。貨幣経済がまだ発達していなかったので、税はお金でなく物で納めた。違反者は棍棒で打たれるなど処罰された。徴税と処罰を命じたのは神権政治の下、権力を握る祭司たちである。
そうした事実を知ると、ルーブル展の女司祭とみられる小像も、かわいらしいとばかりは言っていられない。苦しい税を逃れようとする民に厳罰を下す冷徹な人物だったかもしれないからだ。文明の始まりから、税を取り立てる権力者は容赦なかったようだ。
<参考文献>
フェリックス・マーティン(遠藤真美訳)『21世紀の貨幣論』東洋経済新報社
デニス・シュマント=ベッセラ(小口好昭・中田一郎訳)『文字はこうして生まれた』岩波書店
小林登志子『文明の誕生』中公新書
(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)
0 件のコメント:
コメントを投稿