主人公の少女アンチゴーヌは、野にさらされた兄ポリニスの遺体にとむらいの土をかけたことが罪とされ、捕らえられます。ポリニスは外国軍を味方につけ、王位を奪おうとした反逆者だったからです。アンチゴーヌのおじで王のクレオンはポリニスの埋葬を禁じ、背く者は死刑にするよう命じていました。
クレオンの息子でアンチゴーヌの婚約者でもあるエモンは、父にアンチゴーヌを助けるよう訴えますが、法律で決められた以上、王である自分にもそれはできないとクレオンは突っぱねます。アンチゴーヌは生き埋めの刑に処され、エモンは後を追って命を断ちます。
1944年に初演されたこの作品は、 ナチス・ドイツに占領されたフランスの対独協力行為に対する批判が込められているとされます。しかしそれにとどまらず、法律と道徳の対立という普遍的な問題について考えさせられます。
欧米社会では、この作品のもととなったソフォクレスの「アンチゴネー」が古典とされ、繰り返し上演されることが示すように、法律と道徳は対立する場合があるという認識は、ある程度共有されています。
ところが日本では、そうした認識はきわめて薄いように見えます。それどころか、ほんのささいなことでも、法律に違反すること、違反しそうなことを芸能人などがやると、それだけで一斉に叩きます。
言論人やメディアも、ある政策が国会で法案として議論されている間はさかんに批判しても、法律になったとたん、何も言わなくなります。そして企業や個人がその法律に違反すると、悪法だから廃止せよと主張するのでなく、犯罪として叩きます。
法律だから何でも正しいという態度は、思考停止ではないでしょうか。法律を超える価値観を持たずに、法律が正しいかどうか判断できるのでしょうか。生き埋めにされるため洞穴を一人降りていくアンチゴーヌの姿は、私たちにそう厳しく問いかけます。(2018/01/19)=「COMEMO」での連載終了
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