2018-12-26

格差論の混乱

所得や富の格差は、2018年も経済ニュースをにぎわすテーマの一つになりそうです。ところが、これほど話題になるにもかかわらず、格差をめぐる議論にはしばしば混乱が見られます。

人が富を手に入れる方法には二つあります。一つは自発的な交換で、もう一つは強制的な収奪です。

資本主義は自発的な交換で成り立ちます。世界有数の富豪であるマイクロソフトのビル・ゲイツ氏やアマゾンのジェフ・ベゾス氏は、人々から強制的にお金を奪って富を築いたのではありません。便利な製品・サービスを提供し、それを多くの人々が自発的に購入したことで、富を手にしたのです。売り手と買い手の双方が得をするプラスサムゲームです。

一方、資本主義以前の社会では、強制による収奪が一般的でした。諸侯や領主は税や賦役、貢ぎ物の義務を負う奴隷や農奴を犠牲にして生活しました。競争はギルドによって制限され、特権を得た一部の生産者が利益を独占しました。奪う者が奪われる者の犠牲によって潤うゼロサムゲームです。こうした政治力による富の収奪は、現代でも民主主義の名の下に続いています。

自発的な交換によって生じる富の格差は、経済的にも倫理的にも、何ら問題はありません。ゲイツ氏やベゾス氏が億万長者になったからといって、私たちは何の不利益も被っていません。むしろ私たちが両氏から便利な製品・サービスという大きな利益を得たから、彼らは豊かになったのです。富の格差を問題にしなければならないのは、強制的な収奪の場合です。

ところがこの区別をきちんとしない、乱暴な議論が少なくありません。フィナンシャル・タイムズのコラムニスト、マーティン・ウルフ氏は「民主主義脅かす格差拡大」と題する記事で、富裕層優遇とされる米税制改革を、前近代の農業社会における収奪と同列に論じています。

かりに米税制改革が富裕層優遇だとしても、それは減税によるものです。富裕層は自分の富の一部を取り戻すにすぎず、他人の富を不当に奪うわけではありません。富裕層からいくらの税を取るのが適正かという意見はさまざまでしょうが、少なくとも減税を正反対の収奪と一緒くたにするのは正しい議論ではありません。

格差問題に関する実のある議論は、明確な論理に基づくことから始めたいものです。(2018/01/01

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