「民主政が商業を基礎とする場合、個人が巨富をもちながらも習俗は腐敗しないということが大いにありうることは確かである。これは、商業の精神が、質素、倹約、節度、労働、賢明、平穏、秩序および規則の精神を導くからである。したがって、この精神が存続するかぎり、それが生み出す富はなんら悪い結果をもたない」(岩波文庫版上巻、第5編第6章)
現在、富の格差がしきりに問題視されます。しかしそれが商業の精神に基づく限り、悪い結果にはならないとモンテスキューは言っています。
「商業は破壊的な偏見を癒す。そして、習俗が穏やかなところではどこでも商業が存在しているというのがほとんど一般的な原則である。また商業が存在するところではどこでも、穏やかな習俗が存在するというのもそうである」(同中巻、第20編第1章)
現代社会には民族・人種・宗教などによる偏見が根強く残っています。けれども政府が号令をかけても偏見はなくなりませんし、むしろ政府は国家間の対立を煽るような行動を取ることが少なくありません。商業によって、たとえば日本は中国、韓国、北朝鮮などと分け隔てなく穏やかに付き合うことが可能になります。政府主導の協定や制裁などでこれらの国を貿易から排除すれば、偏見を強めるばかりです。
「もしわれわれ〔=政府〕が独占企業を営むならば、誰がわれわれを抑止しうるであろうか」(同中巻、第20編第19章)
ある皇帝は妻のための商品を載せた船を見て、これを焼かせ、妻に言いました。「もしわれわれが貧者の職業を依然として営むならば、彼らはなんによってその生活の資を稼ぐことができよう」。現代流にいえば、官業による民業圧迫でしょう。モンテスキューが皇帝はさらにこうも言えただろうと付け加えたのが、引用した文章です。同様の理由から「貴族が君主政において商業を営むのは、商業の精神に反している」とも述べています。
18世紀の人々を啓蒙するためにモンテスキューが説いた商業の精神。政府が経済の自由を縛り、前近代に逆戻りしかけている今、あらためて理解を深めたいものです。(2018/01/12)
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