2番の歌詞はこうだ。「天にそびゆる喬木を/レバノン山の森に伐り/舟を造りて乗り出でし/フェニキア人のそれのごと」(竹村正虎作詞)
フェニキア人とは、古代地中海に栄えた商業民族。シドンやティルスなどの海港都市国家を建設し、レバノン杉を用いた優れた造船技術や航海術を使って、地中海交易を営んだ。キプロス島やギリシャといった東地中海から、さらに西地中海に進出し、有名な北アフリカのカルタゴをはじめ、遠くはイベリア半島に至る多くの植民地を築く。前8世紀まで地中海交易の中核を担った。
ティルスでは、前8世紀ころまでに西アジアや地中海各地の商品が扱われるようになった。近隣からは穀物、メソポタミア地方からは織物、アルメニア地方からは馬、ラバ、エーゲ海のロドス島を経由して象牙や黒檀(こくたん)、キプロス島とサルデーニャ島からは銅、イベリア半島南部からは銀をはじめとする鉱物資源がもたらされた。
高知商の校歌に歌われたフェニキア人は、商機を求め、危険を冒して荒海に乗り出す勇者である。しかし世界最古の商業民族の一団である彼らは歴史上、必ずしも好意的な目で見られてこなかった。
旧約聖書「エゼキエル書」によれば、フェニキア人の都市ティルスは、その富ゆえにバビロニアの王ネブカドネザル2世に破壊される。エゼキエル書はフェニキア人を「お前は取引に知恵を大いに働かせて富を増し、加え、お前の心は富のゆえに高慢になった」と非難する。古代ギリシャの詩人ホメロスはフェニキア人を容赦なく批判し、彼らは海賊に違いないとほのめかす。
ティルスの植民者が築いたカルタゴに対しては、ローマと軍事的に対立したからか、さらに手厳しい。ローマ時代の歴史家アッピアノスは「カルタゴ人は隆盛なときには冷酷で傲慢であり、ひとたび逆境に陥ると卑屈になる」と非難した。伝記作家プルタルコスも「楽しみやこの世の快適さには、あまり関心をもたない」と評する。
ある研究者はプルタルコスに同意し、こう記す。「ギリシャ人にとって、カルタゴの町は何ともつまらぬ退屈な生活の場に映ったことだろう。劇場もなければ、競技場も見られない。催しものといえば、宗教的な祭りぐらいなもので、彼らを愉しませるものといったら何ひとつなかった。お祭りだけがどんちゃん騒ぎだった。この商人社会では芸術などというものは役にも立たぬものとみなされ、当然、さかんになりようがなかった」
古来、商業に対する蔑視論は少なくない。古代ギリシャの哲学者プラトンは利得のために行う商業の禁止を論じ、その弟子アリストテレスは、利潤目的の商業と高利貸しは富の獲得に限度を知らず、非難に値する職業と指摘した。
古代ローマでも遠隔地方との通商に対する偏見はきわめて強く、高利貸しの高い利潤とともに、商業の高い利潤を非難した。古代キリスト教神学者アンブロジウスは、商人の利得の性質を多く詐欺的だとみなした。
古代世界におけるフェニキア人に対する非難は、こうした商業蔑視論の系譜に属する。しかしそれは他の商業蔑視論と同じく、不当な偏見といわざるをえない。
英国のジャーナリスト、マット・リドレーは著書『繁栄——明日を切り拓くための人類10万年史』で、古代ギリシャ・ローマの世界をつくり出したのは、フェニキア人が発明した船だと指摘する。
すでに述べたように、フェニキア人の住まいのそばにはレバノン杉などの大きな森があり、その堅く香り高い厚板はとくに丈夫な船の材料になった。もちろん船は昔からあったが、フェニキア人はこれまで誰も造ったことがないほど収容力が大きく、バランスが良く、耐波性の高い「ほぞ接ぎ」を用いた船を建造する。
これによって史上初めて、海上輸送による大規模な分業が可能になった。エジプトの小麦がアナトリアのヒッタイト人を養い、アナトリアの羊毛がナイル川流域に住むエジプト人の衣服になり、クレタ島のオリーブ油がメソポタミアにいるアッシリア人の食事を豊かにする。フェニキア商人は魅力的な品々を求めてあちこちの海を走り回った。
地中海全域で、市場は町になり、港は都市に成長した。フェニキア人がさらに遠くまで旅をするようになるにつれ、より良い船や帆、より優れた航海知識、会計制度、記録管理などイノベーションが多様化する。フェニキア人の交易ネットワークは地中海全域にとどまらず、大西洋の一部、紅海、アジアへの陸路まで結びつけていく。
その一方で、フェニキア人は政治的な帝国を築かなかった。カルタゴの名将ハンニバルは第2次ポエニ戦争(ポエニはラテン語でフェニキア人の意味)を起こし、アルプスを越えてイタリアに侵入し、各地でローマ軍を撃破するが、結局、彼が夢見たカルタゴ帝国の建設は実現しなかった。
作家ゲルハルト・ヘルムは著書『フェニキア人——古代海洋民族の謎』で、カルタゴ帝国の夢はカルタゴ人にとって過大な要求だったと述べる。広くてまとまった地域に植民するのに必要な数の人間は、カルタゴにはいなかった。
フェニキア人の本質は小さな遊牧民族であって、その広大な勢力圏のところどころに安全な根拠地がいくつかあり、買い手と売り手を求めて次の土地に行く前に避難所、保護、食糧、援助を提供してもらえればそれで満足だった。
カルタゴの軍人実力者は植民地所有から生まれる権力を求めたが、「市民は権力と帝国主義的な計画、とりわけ権力に深い不信の念を抱いた」とヘルムは指摘する。
フェニキア人は奴隷貿易を行い、武力に訴えることもあった。それでも歴史上、経済的に豊かな国が帝国と化し、他国の平和を脅かすケースが珍しくない中で、権力の誘惑に抵抗した稀有な例である。
前出のリドレーはフェニキア人をこう称える。「実際のところ、フェニキア人よりあっぱれな民族がこれまでにいただろうか? 彼らは地中海全域だけでなく、大西洋の一部、紅海、そしてアジアへの陸路までも結びつけながら、しかも帝国を築くことなく、宗教にあまり時間を費やさず、歴史に残るような戦いもしていない」
フェニキア人の栄光は、貿易立国と平和主義を掲げる日本の若者が胸を張って歌うにふさわしい。
<参考文献>
小田中直樹・帆刈浩之編『世界史/いま、ここから』山川出版社
森本哲郎『ある通商国家の興亡——カルタゴの遺書』PHP文庫
本間幸作『商業科学の基本問題』中央経済社
マット・リドレー(鍛原多惠子他訳)『繁栄——明日を切り拓くための人類10万年史』早川書房
ゲルハルト・ヘルム(関楠生訳)『フェニキア人——古代海洋民族の謎』河出書房新社
(某月刊誌への匿名寄稿に加筆・修正)
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