2024-03-02

靖国神社という政治の道具

靖国神社に自衛隊の幹部や隊員が集団参拝し、議論を呼んでいる。1月9日には陸上幕僚副長らが靖国神社に集団参拝し、公用車の使用が不適切だったとして計9人が処分された。また2月には、海上自衛隊の幹部候補生学校の卒業生が昨年5月、練習艦隊の当時の司令官らとともに参拝していたことが明らかになった。これについて産経新聞が参拝擁護の持論を展開しているが、ついていけない。
コラム「産経抄」は2月26日、「靖国神社に参拝してなぜ悪い」と題し、参拝を問題視する朝日新聞を批判。「弊紙は首相をはじめ、靖国神社に参拝しないほうがおかしいと主張している」と述べた。

産経の主張の内容を、1月16日の社説で確かめよう。宗教の礼拝所を部隊で参拝することなどを禁じた1974年の防衛事務次官通達について、産経は「靖国神社や護国神社は近代日本の戦没者追悼の中心施設で、他の宗教の礼拝所と同一視する次官通達は異常だ」としたうえで、「戦没者追悼や顕彰を妨げる50年も前の時代遅れの通達は改めるべきだ」と批判する。

靖国神社が「近代日本の戦没者追悼の中心施設」だという主張にはごまかしがある。幕末・維新の内戦では官軍の戦死者だけが祀られ、幕府側や西南戦争の西郷隆盛などの戦死者は天皇にそむいた「賊軍」だとして祀られていないし、対外戦争についても基本的には軍人・軍属だけで、原爆や空襲などで死んだ民間人は合祀されていない。

静かに「追悼」するだけならまだしも、「顕彰」(靖国神社ホームページの表現では「事績を永く後世に伝える」)は問題が大きい。旧日本帝国は、支那事変(日中戦争)や大東亜戦争(アジア太平洋戦争)以前にも、日清戦争、台湾征討、北清事変、日露戦争、第一次世界大戦、済南事変、満州事変と数年ごとに対外戦争を繰り返し、勝利して多くの植民地を獲得するとともに、抵抗運動を弾圧した。これが侵略戦争でないというのは無理がある。その「事績」を永く後世に伝えたいという靖国神社の姿勢は、侵略戦争を肯定していると見られても仕方がない。

靖国神社の死者の圧倒的多数を占めるアジア太平洋戦争の「英霊」たちは、「日本を守るため尊い命をささげた」と産経はいう。尊い命を本当に自発的に「ささげた」のかという問題を別にしても、兵士たちが守ろうとした日本とは、それ以前の多くの戦争によって築かれた植民地帝国であり、それ自体が日本軍のアジア侵略の産物にほかならない。

靖国神社が一宗教法人としての信念から、いわゆるA級戦犯を含め、侵略戦争や植民地支配に責任のある人々であっても、その霊を鎮めたいというなら、そうすればいい。しかし首相や閣僚、自衛隊幹部らによる参拝は、引退後ならともかく、少なくとも現役中は(たとえ「私人」の立場だと強弁しようと)認めるべきではない。部下の自衛官に圧力をかけて、見せかけだけの「個人の自由意志」で参拝させることも同様だ。

なぜなら、国家が宗教を利用して過去の戦死者を称えることは、現在の国民の戦争に対する嫌悪や抵抗を弱め、将来の戦争に協力させるための常套手段だからだ。それが過去の侵略戦争を否定しない、あるいは積極的に肯定しさえする宗教・宗派だとすれば、戦争への歯止めはさらに弱くなるだろう。

「国内左派の批判や外国の内政干渉におびえ、首相や閣僚の参拝が近年減ったのは残念だ」と産経は嘆くけれども、戦争は御免だと願う普通の日本人として、首相や閣僚の靖国参拝が減るのはまったく残念ではないし、むしろ喜ばしい。宗教を、戦争を煽る政治の道具として利用させてはならない。国民に重税を課し、自分たちは裏金によって課税を不当に免れるような、平時から国民をないがしろにする政治家たちであれば、なおさらだ。

ところで産経は、北方領土を占領し、ウクライナに攻め込んだロシアを「侵略者」と呼んでしきりに非難している。よほど侵略戦争が許せないらしい。その報道のおかげで日本人の間に「侵略戦争は許せない」という感情が広まり、日本の過去のアジア侵略を反省する人が増えれば、靖国参拝を安易に支持する人は減るだろう。呵呵。

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