2024-12-21

ミレイ大統領とホッペ氏の亀裂

ラ・ナシオン誌
(2024年12月12日)

アルゼンチンのミレイ大統領がかつて影響を受け、今では「リベルタクレイジー(古典的)リベラル」と呼ぶハンス・ヘルマン・ホッペ氏とは何者か?
ホッペ氏は、ミレイ大統領に影響を与えたドイツの古典的自由主義者であり、無政府資本主義の哲学者である。同大統領の属するオーストリア学派のもう一人の指導者、マレー・ロスバード氏の親しい共同研究者であった。

ミレイ大統領は、ストリーミング番組でゴルド・ダン氏と行ったインタビューで自政権の要点を分析し、アルゼンチンの「デフレ」や原発「アトゥチャ3」建設の進捗状況など現在の問題に言及した。しかし、影響を受けた一人でありながら最近距離を置いているホッペ氏を厳しく批判した。

同大統領は対談中、古典的自由主義と無政府資本主義のドイツの経済哲学者ホッペ氏に言及した。ホッペ氏はミレイ氏の師匠だったが、2か月前、両者の間に意見の相違が生じた。75歳のホッペ氏が「財産自由協会」で講演した際、ミレイ大統領の政権運営を分析して批判を展開するとともに、同大統領の米政府への忠誠を疑問視したためだ。

ミレイ大統領は(ホッペ氏の)講演について次のように語った。「恥ずかしいことだった。彼は哲学についてよく知っていて、哲学的には優れた無政府資本主義者かもしれないが、政治と通貨理論に関しては愚か者だ。彼は(インフレは)中央銀行を閉鎖するだけの問題だと言ったが、それが最も簡単な改革だと言うこの人は、通貨問題が負債であることを理解していなかった。負債は90日以上も前のもので、セルジオ・マッサ氏(前経済相)は辞任する前にそれを1日分に減らした。つまり、マネタリーベース(資金供給量)の規模によって5倍に増加するリスクがあったということだ」

ミレイ氏は続けた。「彼らは、我々がリバタリアン・リベラルではなく、ホッペ氏のような「解放された」リベラルだと思っていた。彼の本が役に立たないと言っているわけではないが、経済について語るとなると、かなりひどい人だ」。そして彼を「愚か者」と呼び、「彼はアルゼンチンについて何も知らないことを認めた」と述べた。「彼はまるで私が公権力を握っているかのように、私を批判する分析を徹底的に行った。滑稽だ」

一方、ホッペ氏は、まさに古典的自由主義と無政府資本主義の分野でミレイ氏に影響を与えた人物の一人である。ネバダ大学ラスベガス校の経済学教授であり、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス研究所の特別研究員でもある。ザールブリュッケンのザールラント大学とフランクフルトのゲーテ大学で社会学、政治学、経済学を学び、1974年にゲーテ大学で哲学の博士号を取得した。

経済と政治の分析に関する著書を多数出版しており、その中には『君主制、民主主義、自然秩序』(2021年)、『私有財産の経済学と倫理学』(1993年)、『社会主義と資本主義の理論』(1988年)、『リバタリアニズムを正しく理解する』(2019年)などがある。

オーストリア学派に属するミレイ氏のもう一人の指導的人物、マレー・ロスバード氏の優秀な弟子でもある。ミレイ大統領はロスバード氏を非常に尊敬しており、飼い犬の一匹にロスバード氏の名をつけている。ホッペ氏は1986年に米国でこの正統派経済学者に師事し始め、1995年にロスバード氏が死去するまで親しい協力者であり続けた。ホッペ氏は、ニューヨーカー誌(訳注・ニューヨーク大学出版部の誤りか)の『自由の倫理学』の序文も執筆している。

ホッペ氏のミレイ氏評


講演中、ホッペ氏はこう語った。「ミレイ氏は、国家をギャング組織とみなす自由主義者で無政府資本主義者であると自称した。税金を窃盗とみなし、それをゼロにしたい。それが彼の公言した綱領だ。彼が影響を受けた源は、第一に、私の師であり指導者であるロスバード氏、そして私自身である。だから、私からも影響を受けたと思われるこの男について、私はコメントする権利があると感じている」

「私は明らかに他の人(政治家)よりもミレイ氏が好きだ。しかし、彼が自身の哲学的信念だと主張する無政府資本主義の観点から見ると、彼は大失敗だ」とホッペ氏は説明し、さらにこう付け加えた。「彼を英雄に仕立て上げようとするリバタリアン集団には同意しない。彼は英雄ではない」

ホッペ氏はとりわけ、ミレイ大統領の米国との連携を批判した。「ミレイ氏と、世界の悪に責任を負うすべての機関との間には、一種の恋愛関係がある。彼は、最も帝国主義的な米政府を愛し、同調している」

(次を全訳)
Who Is Hans-Hermann Hoppe, the Former Inspiration of Javier Milei Whom He Has Now Called a 'Libertacrazy (Classic) Liberal' - LewRockwell [LINK]

【コメント】この記事を読む限り、ミレイ氏のホッペ氏批判は意味不明だ。インフレを鎮めるには中央銀行の廃止が最もシンプルな方法だし、それはミレイ大統領自身、就任前に主張していたことだ。もし大統領が「公権力を握って」いないとしたら、一体誰が握っているのだろうか。ミレイ氏を支援したアルゼンチンのユダヤ財閥だろうか。批判された途端、かつて尊敬していたはずの人物を愚か者呼ばわりするとは、立派な態度とはいえない。そして帝国主義的な米政府への同調。ホッペ氏のいうとおり、ミレイ氏は英雄に仕立て上げるような人物ではない。個別の政策を冷静に評価すべきだ。

2024-12-16

荘子の自由放任主義

荘子は、姓は荘、名は周。中国の戦国時代、宋の蒙(河南省)に生まれた。蒙の漆園の番人をしていたという。楚の国王が宰相の地位を与えようとしたが固辞し、悠々自適の自由人としての生活を選んだと伝えられる。老子とともに道家を代表する思想家だ。小国寡民の政治を理想とした老子に対し、荘子は一切の政治的配慮を捨て、超然として実存的な自由を説く違いがある。

荘子 内篇

著書とされる『荘子』(引用は原則、池田知久訳による。表記を一部変更。カッコ内は篇名)は、奇想天外な比喩や寓話に富む。とりわけ巻頭に置かれた「大鵬」の寓話は、はなはだスケールが大きく、大いなる自由を説く荘子にふさわしい。

「北の彼方、暗い海に魚がいる。その名を鯤(こん)と言う。鯤の大きさのほどは、何千里あるのか計り知ることができない。やがて変身して鳥となり、その名を鵬(ほう)と言う。鵬の背平は、何千里とも計り知ることができないほどだ。一度奮い立って飛び上がると、広げた翼は天空深く垂れ込めた雲のよう。この鳥が、海のうねりそめる頃、南の彼方、暗い海に渡っていこうとする。南の暗い海とは、天の果ての池である。……鵬が南の暗い海に渡っていくありさまは、三千里に及ぶ海面を激しく羽撃ち、つむじ風を羽ばたき起こして九万里の高みに舞い上がり、ここを去って6カ月飛び続け、そうして初めて一息つくのである」

蝉と小鳩がこれを笑って言う。「俺たちは勢いこんで飛び立ち、楡(にれ)・枋(まゆみ)に止まろうとするけれど、そこまで届かず地面に引き戻されてしまう時だってある。九万里もの高みに舞い上がり、さらに南を目指すなんてことをして、何になるのだろう」(逍遥遊)

これに対し、荘子は「小さな知恵は大きな知恵に及ばない」とコメントする。愚者は「飛ぶことにどんな利益があるか。疲れるだけ損だ」と言うが、賢者にとっては、力を尽くして飛ぶこと自体が生きることなのだ。

そんな荘子は政治について、政府が人々の生活に介入せず、自由に任せるよう説いた。「もしも君子が、やむをえず天下に君臨するようなことになった場合、無為(何もしない)でいるのが最もよい。為政者が無為であって、初めて人々はそれぞれの性命の自然な形に落ち着くことができるのである」(在宥)。中国思想学者の池田知久氏は「前漢初期のレッセ・フェール政策を述べた文章」だと指摘する。

近代経済学の祖とされる英国のアダム・スミスは『国富論』(1776年)で、個人が自分の利益に従って行動すれば、「見えない手」に導かれて社会の利益が促進されると説いた。荘子は近代西洋のスミスにはるかに先立つ古代東洋で、同様のレッセフェール(自由放任主義)思想を抱いていた。

経済・社会の自由な発展をこざかしい人為によって妨げれば、深刻な弊害を招く。そう解釈できる寓話がある。「南の海を治める帝を儵(しゅく)、すなわちはかない人のしわざと言い、北の海を治める帝を忽(こつ)、すなわち束の間の命と言い、中央を治める帝を渾沌、すなわち入り乱れた無秩序と言う。ある時、儵と忽が、渾沌の治める土地で思いがけず出会ったが、渾沌は彼らを大変手厚くもてなした」

そこで儵と忽は、渾沌の好意にお礼をしようと相談した。「人間は、誰にも七つの竅(あな)が具わっていて、視たり聴いたり食ったり息したりしているのに、独り渾沌だけに竅がない。一つ竅を鑿(ほ)ってやろうではないか」。こうして、一日に一竅ずつ鑿っていったところ、「七日目に渾沌は死んでしまった」(応帝王)。

自由に任せるのとは逆に、人民を重税などで苦しめる権力者に対しては、荘子は厳しい目を向けた。そうした権力者は泥棒と変わらないとして、「帯の止め金を掠め取った程度のかっぱらいは、死刑に処せられるが、国を盗んだ大泥棒となると、諸侯までのし上がる」(胠篋)と断じる。

権力者を盗賊と同一視する考えは、他の思想家にもある。たとえば、古代キリスト教最大の神学者アウグスティヌスが著書『神の国』に記した逸話によれば、アレクサンドロス大王が捕らえた海賊は、大王に対し「私は小さな舟で荒らすので海賊と呼ばれ、陛下は大艦隊で荒らすので皇帝と呼ばれるだけ」と答えたという。アウグスティヌスは「この答えはまったく適切で真実を衝いている」と評した。荘子と同意見だ。経済学者マレー・ロスバードは「荘子はおそらく、国家を巨大な盗賊とみなした最初の理論家だった」と述べる。

冒頭で述べたように、荘子は政治権力に仕えることを嫌った。あるとき川のほとりで独り釣り糸を垂れていると、楚の国王が二人の使者を立て、国の政治を司る宰相になってほしいと頼んだ。すると荘子は釣竿を手にしたまま、振り向きもせず、こう尋ねた。「聞くところによると、その国には死んで三千年にもなるという神聖な亀がいて、王はこれを袱紗(ふくさ)で包み竹箱に収めて、先祖の廟堂(みたまや)の中に大切にしまっておられるとか。ところでお尋ねするが、この亀にしてみれば、殺されて甲羅を残して大切にされたかっただろうか、それとも生き長らえて尻尾を泥の中に引きずっていたかっただろうか」

二人の使者は口をそろえて、「それは、やはり生き長らえて尻尾を泥の中に引きずっていたかったでしょう」と答えた。すると荘子は言った。「帰って下さい。私も尻尾を泥の中に引きずっていたいと思うのです」(秋水)。自由を愛する荘子らしいエピソードだ。

あるとき荘子は夢の中で、ひらひらと舞う胡蝶(蝶)となった。荘周(荘子の本名)であることを忘れ、ふっと目が覚めると、きょろきょろと見回す荘周である。荘子は言う。「荘周が夢見て胡蝶となったのか、それとも胡蝶が夢見て荘周となったのか。真実のほどはわからない」(斉物論)

この寓話が物語るように、人生とは、もしかすると大いなる夢かもしれない。そうだとすれば、死を恐れる必要はない。『荘子』の巻末に近い列御寇篇によれば、荘子は臨終の際、手厚く葬りたいという弟子たちの申し出を退け、葬礼に必要な品々はこの天地や日月に星々、地上の万物などで十分だと答えたそうだ。

2024-12-14

木村貴の経済の法則!(2024年、随時更新)

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  5. 米大統領選、誰が勝てば株高に? 民主・共和政権のパフォーマンスを点検(2024/2/9
  6. 長期の株高をもたらす政治指導者とは? 米大統領ランキング、上位は意外な顔ぶれ(2024/2/16
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  8. 景気って何だろう? 株価との関係は?(2024/3/1
  9. 不況は買い、好況は売り 株と景気の奇妙な関係(2024/3/8
  10. 財政出動で株は買い? 判断のポイントはここ(2024/3/15
  11. 日本株、ここから始まる「正常化相場」 創造的破壊にかじを切れ【日銀、マイナス金利解除】(2024/3/19*臨時解説
  12. 財政危機は株投資のチャンス インフラ整備、「官から民へ」加速へ(2024/3/22
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  19. お金って何だろう? ロビンソン・クルーソーに学ぶ基本のキ(2024/5/10
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  21. 民力奪う国債の供給過剰、市場が警告【長期金利、11年ぶり1%到達】(2024/5/23*臨時解説
  22. 金本位制って何だろう? マネー乱造に歯止め、復権機運も(2024/5/24
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  30. 無税社会は「北斗の拳」の暗黒世界か? 国税庁の偏ったメッセージ(2024/7/19
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  39. 東京海上アセット・平山氏「インフレ時代、株の選別投資強まる」(2024/9/10*臨時インタビュー
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  48. 総無責任だった総選挙 亡国の「財政ファイナンス」に歯止めかからず(2024/10/28*臨時解説
  49. 減税は「バラマキ」という嘘 政府の施しではない!(2024/11/1
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  51. 赤字国債はもうやめよう 禁止のはずが今や「恒例」(2024/11/8
  52. 国債デフォルトという選択 世界の終わりか、健全な市場経済への転機か?(2024/11/15
  53. ポピュリズムとは何だろう 大衆迎合か、民主主義への警鐘か?(2024/11/22
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  55. 政府、剛腕マスク氏でも「効率化」できない理由 企業とまったく異なる行動原理とは?(2024/12/6
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2024-12-04

ミレイ氏の正体と国連演説

オスカー・グラウ(音楽家)
2024年11月4日

2024年9月、アルゼンチンの大統領ハビエル・ミレイ氏がニューヨークの国連総会で演説を行った。多くの人々が、国家主義的な現状に対する自由主義的なすばらしい出来事としてこの演説を称賛したが、実際にはミレイ氏は羊の皮をかぶった狼であることを証明し続けているにすぎない。
矛盾したスタイルに忠実に、ミレイ氏は聴衆に「自分は政治家ではない」と念を押すところからスピーチを始めた。「政治をしようという野心はなかった」と。しかし、これはもはや意味をなさない。ミレイ氏は2年間下院議員を務めていた。そして、強制されたのでなければ、自ら進んで政治の世界に入り、大統領候補となった。いずれにせよ、ミレイ氏は政治家となったのだ。

国連


ミレイ氏は、この機会を利用して、国連が「本来の使命」を果たしていないのは危険だと世界中の国々に警鐘を鳴らし、国連は集団主義的な政策を推進し続けていると警告した。国連の設立、主な目的、基本原則を認めたうえで、ミレイ氏は、過去70年間の国連の指導の下、戦争の惨禍は消え去っていないものの、「人類は歴史上最も長い期間にわたる世界平和を経験し、それはまた、最大の経済成長を遂げた時期とも一致していた」と強調した。また、「全世界が商業的に統合し、競争し、繁栄することを可能にする秩序の下では、世界規模の紛争の拡大には至らなかった」とミレイ氏は述べた。

ここで、ミレイ氏に思い出させる必要があるかもしれない。世界は国家主義的な世界秩序にもかかわらず、商業的に統合し、競争し、繁栄してきたのだ。国連はその存在をすべての国民国家に負う組織として、この国家主義的な世界秩序が永遠に続くことを切望している。そして注目すべきことに、ミレイ氏が語る経済成長は、国連の指導とは何の関係もなく、自由市場と資本主義によるものだ。過去70年間、世界で税収と公共支出が大幅に増加しているという事実にもかかわらずである。

いずれにしても、ミレイ氏によると、国連は自らの原則を守らなくなった。「人類の王国を守る」ことを目的とした組織は、「何本もの触手あるリバイアサン(怪物)」へと変貌し、「各国は何をすべきか」「世界中の市民はどのように生きるべきか」を決定しようとしている。「平和を追求する」組織から、「無数の問題について、その加盟国にイデオロギー的な実施計画を押し付ける」組織へと変貌した。ミレイ氏にとって、かつて「成功を収めた」国連のモデルは、国家間の協力関係に基づいて設立されたものであり、その起源は「勝利なき平和の社会」について語ったウッドロー・ウィルソン(元米大統領)の思想にまでさかのぼることができる。そのモデルは「世界中の市民に特定の生活様式を押し付けようとする、国際官僚による超国家的な政府」に取って代わられたと指摘した。 その後ミレイ氏は、グローバル規模での新たな社会契約の定義を必要とするモデルが悪化し、(持続可能な開発のための)2030アジェンダへの取り組みが加速しているとして、次のように指摘した。

それ(2030アジェンダ)は、超国家的な政府プログラムに他ならず、社会主義的な性質を持ち、問題解決を装っているが、その解決策は国民国家の主権を脅かし、人々の生命、自由、財産の権利を侵害するものである。また、貧困、不平等、差別を法律によって解決しようとしているが、それはそれらの問題をさらに深刻化させるだけである。

またミレイ氏は、国連の「未来のための協定」も批判し、国連の数々の過ちや矛盾が「自由世界の市民の前で信頼を失い、その機能を喪失させる」結果となったと主張した。ミレイ氏は国連があたかも世界政府に近い存在であるかのように装っているが、実際には、国連が発するイデオロギーの推進を国家が口実にしたところで、国連が各国家の国民に対して持つ力は、国家よりも強くはない。もちろん、特定の利益を優遇する政策を推進する温床として、イデオロギー的な大義を掲げる利益団体が国連官僚を買収することはありうるが、それによって国連が世界中の市民に対して何かを強制するような権限が得られるわけではない。

実際、当時のアルゼンチン外相、ディアナ・モンディノ氏もミレイ氏の演説を否定した。演説から2日後、モンディノ氏は、2030アジェンダや未来のための協定といったこれらの実施計画の適用は自主的なものであると明確にし、アルゼンチンはこれらの計画に含まれるいくつかの事項に「完全に、または部分的に」従うと述べた。モンディノ氏は、アルゼンチンはこれらの計画に関連する政策や協定の類から決して離脱したことはないと述べたが、アルゼンチンは他国から「やらなければならない」と命じられたことをすべて受け入れるつもりはないと強調した。この点に関してモンディノ氏は、デジタルメディアの管理に関し、倫理的ではないと考える問題については制限を設けると断言した。

2024年10月、環境副大臣のアナ・ラマス氏は、ミレイ政権は「生物多様性を公共政策にしっかりと統合する」ことを追求していると述べた。ラマス氏は、アルゼンチンの潜在的な可能性として「エネルギー転換に必要な重要鉱物や再生可能エネルギーで世界に貢献する」ことを指摘し、国際協定から離脱するよう政府から指示されたことはないと明言した。実際、アルゼンチンはパリ協定にとどまり、環境目標を約束している。全国気候変動適応・緩和計画はアルゼンチンの気候政策を体系化し、2030年までに実施される一連の対策と手段を定めている。

それでもミレイ氏は、国連を誤った方向に導いたのは2030アジェンダの採択であったと指摘し、2020年のロックダウン(新型コロナ対策の都市封鎖)における組織的な自由の侵害の主な推進者の1つとして国連を非難した。彼はこれを「人類に対する犯罪」であると考えている。たしかに国連はロックダウンの推進役だったが、多くの国がコロナパスポート(ワクチン接種証明)を導入した時期に、国連はコロナパスポートに反対の立場を示した。しかし、もしミレイ氏が演説で国家主義的な現状と国際的な体制に本当に反旗を翻したかったのであれば、自由に対するこの恐ろしいまでの侵攻の最大の受益者と加害者、つまり製薬会社と政府の間で行われている偽りのワクチンビジネスに、もっと焦点を当てるべきだった。そして、すべての強制予防接種計画の廃止を目指す自由主義者の忘れられた闘いはどうだろうか。アルゼンチンにも存在するが、ミレイ氏はこの残虐行為と戦ったことは一度もない。

アルゼンチン


ミレイ氏にとって、アルゼンチンの変革の過程を導く原則は、アルゼンチンの国際的な行動を導く原則でもある。ミレイ氏は、政府の役割は限定的であるべきだと主張し、すべての国民は専制や抑圧から自由であるべきだと擁護した。ミレイ氏が宣言するように、これは外交的、経済的、物質的に支援されるべきであり、自由を守る「すべての国々の共同の力によって」支援されるべきである。

ミレイ氏がネオコン(新保守主義者)だと知る人々にとっては、すでに周知の事実かもしれないが、「自由を守る」ための共同戦線とは、米国と北大西洋条約機構(NATO)が世界中で不当な戦争を遂行し、イスラエルが中東で何千人もの罪のない民間人を殺害して西洋の価値観を守ることを意味する。


ミレイ氏の見解では、新生アルゼンチンの理念とは、国連の「真髄」である「自由を守るための国連の協力」である。ミレイ氏は「未来のための協定」に対するアルゼンチンの反対意見を表明し、「自由世界」の諸国に反対意見への参加と国連の新たな行動計画「自由のアジェンダ」の創出を呼びかけた。そして次のように断言した。

……アルゼンチン共和国は、これまでの特徴だった歴史的な中立の立場を放棄し、自由を守る闘争の最前線に立つ。

アルゼンチンはこの演説が行われる前から、すでにミレイ政権下で中立の立場を放棄していた。しかし、ミレイ氏が長年最も多く名前を挙げてきた思想家であるマレー・ロスバードは、この立場とは逆に、「リバタリアニズム(自由主義)は、国家間の紛争において中立国が中立を維持し、交戦国が中立市民の権利を完全に尊重するよう促すことを目指している」と書いている。一方、「自由世界」という表現は、冷戦時代に米国のプロパガンダで広く知られるようになったが、ミレイ氏にとっては目新しいものではなく、大統領就任前からすでに何度かこの表現を使用していた。

2024-12-02

老子の反戦平和思想

老子は中国古代の思想家。生没年不詳。姓は李、名は聃(たん)。その著述と伝えられる書物も『老子』と呼ばれる。『史記』では春秋時代の孔子と同時代の人とされるが、戦国時代中ごろの人というのが通説。実在の人物ではないとする説もある。孔子ら儒家の教えを否定して無為自然の道を説いた、道家の祖とされる。

老子入門 (講談社学術文庫 1574)

現代米国の経済学者で歴史家のマレー・ロスバードは、老子を「最初の自由主義知識人」と呼ぶ。同じ古代中国の思想家でも、官僚の支配を擁護した儒家とは異なり、老子は急進的な自由主義の信条を打ち立てたからだ。「老子にとって、個人とその幸福こそが社会の重要な単位であり目標だった。もし社会制度が個人の開花と幸福を妨げるのであれば、その制度は縮小されるか、完全に廃止すべきである」とロスバードは解説する。

老子の思想をその著述によって具体的にみていこう(引用は原則、金谷治『老子』<講談社学術文庫>による。かな表記を一部漢字に改めた)。

「世界を制覇するには、格別な仕事をしないであるがままに任せていくことが大切である」(第57章)と老子はいう。現代の言葉でいえば、自由放任の勧めといえる。その理由の一つは「世界中に煩わしい禁令が多くなると、人民は自由な仕事を妨げられていよいよ貧しくなる」(同)からだ。今の世の中でも、政府による規制が多くなりすぎると、個人や企業は自由な経済活動が妨げられ、その結果、社会から豊かさが失われるのは、よく知られた事実である。

それゆえ、「道」を体得した聖人はこう言っている、と老子は続ける。「私がことさらな仕業のない無為の立場を守っていて、それで人民はおのずからに感化されてくる。私が平静を好んでじっとしていて、それで人民はおのずからに正しくなる。私が格別なことを何もしないでいて、それで人民はおのずからに富んでくる。私が無欲でさっぱりしていて、それで人民はおのずからに樸(あらき)のような素朴になる」(同)

老子はさらに自由放任の勧めを説く。「政治がおおらかでぼんやりしたものであると、その人民は純朴で重厚であるが、政治がゆきとどいてはっきりしたものであると、その人民はずる賢くなるものだ」(第58章)。今日の政治は対照的に、人々の暮らしや経済活動の細々したところにまで気を配り、口を出そうとする。老子はそのような介入政策に反対する。なぜなら「災禍があればそこに幸福もよりそっており、幸福があればそこに災禍も隠れている。この循環のゆきつく果ては誰にもわからない」(同)からだ。

たとえば、現代の政府は景気が悪くなりかけると、すぐに財政・金融政策などでテコ入れしようとする。けれども、それによって目先は景気の悪化を避けられたとしても、永遠に先延ばしすることはできない。むしろ景気対策の副作用で物価が高騰したり、将来税金で返さなければならない政府の借金が増えたりして、人々を余計に苦しめる。そのために新たな対策が必要になってしまう。それならば、初めから景気対策などせず、経済が自然に回復するのを待つほうがいい。

また老子は「人民が飢えに苦しむことになるのは、お上が税をたくさん取りすぎるからであって、それゆえに飢えるのだ」(第75章)と述べ、重税で人々を苦しめる為政者に厳しい目を向けている。

老子の思想の特徴は、自由放任を説いた内政論とともに、戦争論にも表れている。老子は自衛戦争の必要は否定しないものの、その戦争論は平和主義、反戦主義に貫かれている。それが端的に示されるのは第31章だ。

老子は「武器というものは不吉な道具である。本来君子の使用すべき道具ではないのだ」と断じる。どうしてもやむをえず使わなければならないなら、執着をもたずにあっさり使うのが一番だ。「勝利が得られても、決して立派なことではない。それなのに、それを立派なこととして誉めそやすのは、つまりは人殺しを楽しみとしているということだ」。老子によれば、「敵を多く殺せば悲嘆の気が場に満ち、戦勝はまさに葬礼の場となる」。

戦争に勝ったというニュースが伝われば、銃後の国民は花火を上げ、行列してこれを喜ぶ。凱旋した将軍は、群衆の歓呼と小旗の波に盛大な出迎えを受ける。戦後はなくなったが、かつて戦争を繰り返した日本ではよくある風景だった。ところが老子はそうした熱狂に冷水を浴びせるように、戦いに勝ったら葬式のようにすすり泣けという。戦争の悲惨な本質を知る思想家でなければいえない言葉だ。

この言葉の背景について、歴史学者の保立道久氏はこう推測する。「老子は実際に戦闘を指揮する立場に立ったことがあったのではないか。敵を多く殺せば悲嘆の気が場に満ち、戦勝はまさに葬礼の場となるなどという言葉は、そうでなくてはなかなか吐けるものではないと思う」(『現代語訳 老子』<ちくま新書>)

黒人の救済に生涯を捧げ、のちにノーベル平和賞を受賞した医師シュバイツアーに興味深いエピソードがある。1945年5月7日、ドイツ軍が降伏して欧州での第二次世界大戦が終了したとき、シュバイツアーはアフリカのランバレネ(現ガボン)の病院で黒人患者の医療にあたっていた。たまたまラジオで大戦終了のニュースを傍受した欧州系の患者から聞いて、このことを知ったシュバイツアーはその日の夜、仏訳の『老子』をひもといて、心静かにこの一章を味わったという(楠山春樹『老子入門』<講談社学術文庫>)。

今日シュバイツアーに対しては、アフリカに対する西洋の植民地支配に無自覚だったという批判もなされる。それでもこのエピソードは、東西の平和思想の共鳴をよく伝えていると思う。

老子の戦争批判はこれだけではない。「軍隊が駐屯すると耕地も荒れ、大戦争のあとでは凶作が続く」(第30章)と指摘するとともに、「欲望をたくましくするのが最大の罪悪」(第46章)と述べ、戦争の原因は支配階層の私的な欲望だと喝破する。

中国思想学者の金谷治氏は、老子の思想は「一貫して反戦」だと述べる(『老子』)。世界で戦争が拡大する今日、平和を説いた老子の言葉をあらためて噛みしめたい。

2024-11-25

自由主義のイスラエル批判

オスカー・グラウ(音楽家)
2024年9月3日

(経済学者)ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、中央計画と社会主義の時代における自由の理想の擁護者であった。著書『自由主義』において、国家とは「社会における生活のルールに従うよう人々を強制する社会的装置」であり、自由主義の教義においてミーゼスが国家に割り当てた機能は、財産・自由・平和の保護である。そして、国家がその活動を進める際の規則から成る「法」がある。そして最後に、国家を管理する責任を負う機関から成る「政府」がある。
ミーゼスにとって、少数の人々による政府は被統治者(統治される人々)の同意に依存しているため、被統治者の大多数が自分たちの政府は優れていると納得しない限り、その形態、体制、人員を維持できる政府は存在しない。自由主義のその他のすべての要求は、財産という根本的な要求から生じる。財産とは、生産手段の私有所有(「消費可能な商品に関しては、私有所有は当然のことであり、社会主義者や共産主義者でさえも異論を唱えることはない」)を指す。

ミーゼスが言うように、自由主義の政策を一言で要約するとすれば、「財産」という言葉になるだろう。

戦争・征服・イスラエル国家


1948年、パレスチナにイスラエル国が建国された際、大多数の土地所有者の同意を得ることなく、政府が樹立され、その支配地域が拡大された。土地所有者の大半は追放されたり、殺害されたり、あるいは二級市民の地位に甘んじたりせざるをえなかった。実際、彼らはイスラエル軍によって奪われた広大な土地に住み、所有していた住民の大多数であった。このように、戦争と征服によってイスラエル国家が誕生し、建国前の数十年間にパレスチナに移住したユダヤ人の大半が、イスラエルという新国家の統治者の多数派となった。それ以来、イスラエル軍はイスラエルの拡大を目的とした戦争を止めず、新たな領土を征服し、それらの領土もまた、イスラエル国家の建国時に征服された領土と同様に、合法的に国有地として指定されている。

もし戦争が万物の父であるというのなら、人類の福祉と進歩のためには、人命の犠牲は必要であり、戦争による犠牲者を悼んでも、その数を減らそうとする努力をしても、戦争を廃絶し、永遠の平和を実現したいという願いを正当化することはできない。しかし、自由主義の視点は根本的に異なる。ミーゼスが説明しているように、自由主義の視点は、戦争ではなく平和こそが万物の父であるという前提から出発している。自由主義者が「戦争を忌み嫌う」のは、戦争が有害な結果しかもたらさないからである。

人間を進歩させ、動物から区別するのは社会協力である。生産的なのは労働だけである。労働は富を生み出し、それによって人間の精神的な開花のための外的基盤が築かれる。戦争は破壊だけをもたらす。何も創造できない。戦争、殺戮、破壊、荒廃は、我々をジャングルの捕食獣と同類にする。建設的な労働は、人間特有の特性である。

イスラエルの元首相メナヘム・ベギンが同国の征服を正当化するために用いた格言は、「我々は戦う、だから我々は存在する」というものだった。これはパレスチナのアラブ人が奪われた土地を取り戻すために用いることもできる(特に成功した場合)。いずれにしても、ミーゼスは戦争を悪とみなし、戦争を遂行し勝利する能力の有無に関係なく、次のように述べている。

(自由主義者は)勝利した戦争は勝者にとっても悪であり、戦争よりも平和の方が常に望ましいと確信している。強者に対して犠牲を要求するのではなく、自らの真の利益がどこにあるのかを理解し、平和は弱者だけでなく強者にとっても有益であることを理解することを求めている。

しかしミーゼスにとって、各々が戦う目的は重要である。

平和を愛する国家が好戦的な敵に攻撃された場合、抵抗し、攻撃を撃退するためにあらゆる手段を講じなければならない。自由と生命のために戦う人々によるこのような戦争における英雄的行為は、完全に称賛に値する。ここで、大胆さ、勇敢さ、死への軽蔑は、それらが善き目的のために役立つものであるため、称賛に値する。

ミーゼスに従えば、人間の行動が善か悪かは、「その行動が何のために行われ、どのような結果をもたらすか」によって決まる。この意味で、彼は次のような例を挙げている。

(ペルシアの大軍に対し少数の軍勢で戦って戦死した古代スパルタの王)レオニダスでさえ、祖国の防衛者としてではなく、平和な民から自由と財産を奪うことを目的とした侵略軍のリーダーとして斃れたのであれば、我々が彼に対して抱く尊敬に値する人物ではなくなるだろう。

戦争・宗教・自由主義


イスラエルの指導者たちは、パレスチナのアラブ人の祖国への侵略や財産の略奪を、戦争遂行能力に基づいて正当化しない場合、神学上の根拠に基づいて自らの行動を正当化し、ユダヤ民族を選ばれた民として選んだ神に訴えることで、戦争と征服を正当化する。しかし、これが自由主義の法の下の平等を否定する議論でないにしても、自由主義が理想とする、平和という同じ目標に向かって融合する自由主義的な国内・外交政策による全人類の完璧な協力という究極の理想とは明らかに異なる。つまり、国家間においても、各国内においても、自由主義は平和的な協力関係を目指している。

……自由主義の政策と計画全体は、人類の仲間同士の相互協力の現状を維持し、さらにそれを拡大するという目的を果たすために設計されている。

ミーゼスにとって、自由主義の思考は全人類を視野に入れ、コスモポリタンでエキュメニカル(全人類的)である。すべての人間と全世界を視野に入れている。

一方、自由主義は関心を世俗のものに限っている。宗教の王国は世俗のものではない。それゆえ、ミーゼスによれば「自由主義と宗教は、それぞれの領域を侵すことなく並存しうる」のである。両者が衝突するようなことがあっても、それは自由主義のせいではない。なぜなら、自由主義は「宗教的信仰や形而上学的教義の領域」に立ち入ることはないからだ。また、平和の確保が何よりも優先されるべきであるという信念から、自由主義は「あらゆる宗教的信仰と形而上学的信念に対する寛容」を宣言している。しかし宗教的には、ベギンは、エホバの神の永遠の贈り物であるイスラエルの地(古代のユダ王国とイスラエル王国)をユダヤ人入植者に与えることでイスラエルの領土拡大を主張し、占領した土地を「解放された」と位置づけた。

そして、自由主義が(かつて)「来世における人間と世界の関係だけでなく、現世の問題についても自らの判断に基づいて規制する権利を主張する政治的な力である」教会と対決したのであれば、イスラエル国家とも対決しなければならない。イスラエル国家が宗教戦争を行なっているからだけでなく、何十年にもわたって、住民全体の財産、自由、平和に対して政治的・軍事的権力を恣意的に偏見をもって濫用することによって、民族・宗教の帰属によって歴史的なパレスチナの世俗の問題を規制してきたからである。

戦争・私有財産・自己決定


自由主義者は「説教や道徳的な訓戒によって戦争を廃絶できるとは思っていない」けれども、戦争の原因を排除する条件を作り出すことはできると考えている。そして、戦争の原因を排除するための第一条件は私有財産であると述べたうえで、ミーゼスは次のように付け加えている。

戦争時においても私有財産を尊重しなければならない場合、すなわち、戦勝国が民間人の財産を自らのものとする権利を持たず、また、生産手段の私有が至るところで優勢であるため公有財産の接収がさほど大きな意味を持たない場合、戦争を遂行する重要な動機はすでに排除されている。……自決権の行使が茶番に終わらないよう、政治制度は、ある政府から別の政府への領土の主権の移譲が、誰にとっても何の利益も不利益ももたらさない、最も重要性の低い問題となるようなものでなければならない。

しかし、イスラエル国家の指導者たちは、戦争の原因を排除しようと努力したことは一度もなく、むしろそのような原因を作り出すことに固執してきた。イスラエルの領土のほとんどすべてが国有地であり、同国の法律では、同国の土地はすべて公共の信託財産として保有され、排他的な私有財産としては保有されないと規定されていることを考えると、イスラエルにおける公共財産は大きな意味を持つ。そして1948年以来、戦争の征服者であり勝利者であるイスラエル国家は、今日に至るまで、多くの私有財産を民間人から接収してきた。

さらに、パレスチナの主権は、英政府によってアラブ人多数派やその他の誰かに譲渡されることは決してなく、むしろユダヤ人少数派に大きく委ねられた。その多くは、イスラエル建国以前から英国の国家権力から恩恵を受けており、それはユダヤ人の移住を促進するためにアラブ人の土地収用を推奨し、幇助するものだった。これらの出来事は、英政府がアラブ人の大多数の市民権を保証すると約束したことや、その故郷における自決権を真剣に考慮したことを茶番劇におとしめた。それ以来、1948年以降はイスラエル国家の手によって、何百万人ものアラブ人が不利益を被るだけでなく、死や貧困にも直面してきた。

実際、アラブ人と同様に、イスラエル建国以前のパレスチナのユダヤ人社会にも、同様の自己決定権が認められていた。そして、自由主義の考え方では、この権利は戦争を防ぐためにきわめて重要である。

……特定の領土の住民が、それが単一の村であろうと、地域全体であろうと、あるいは隣接する複数の地域であろうと、自由に行われる住民投票によって、その時点で属している国家に留まることを望まないことを表明し、独立国家の樹立を望むか、あるいは他の国家に併合されることを望む場合、その意思は尊重され、遵守されるべきである。これが革命や内戦、国際紛争を防ぐ唯一の現実的かつ効果的な方法である。

しかし、イスラエル国家の建国がまさにこの権利をはるかに超えたものであり、イスラエルはアラブ人の運命をその自己決定権に反して決定する権限を持っていたため、戦争を防ぐことができなかった。

ユダヤ教のラビの息子であったミーゼスの考えに従うならば、自由な国の民でありながら社会協力を選ぶのではなく、宗教的な正当化によって戦争や征服を選ぶ選民であることはできない。要するに、イスラエルの建国とその拡大継続は、自由主義を放棄することによってのみ正当化できるのである。

(次を全訳)
A Misesian Case Against the State of Israel | Mises Institute [LINK]

【コメント】パレスチナ問題についてはミーゼスの弟子であるマレー・ロスバードも取り上げ、イスラエル政府を厳しく批判している。今回の記事はリバタリアンの論客グラウ氏が、「もしミーゼスがパレスチナ問題を論じたら」という趣旨で書いたものだが、説得力がある。ロスバードがパレスチナの正義という倫理的な側面を強調するのに対し、ミーゼスは功利主義者らしく、戦争は害悪しかもたらさないと損得に訴えるだろう。いずれにしても重要なのは、自由主義の立場からは、イスラエル政府によるパレスチナの侵略と虐殺は愚かで許されない行為だということだ。

2024-11-23

俳句(2024年11月)



いなびかり凍てつく果ての闇夜かな

暗きよりせせらぎ聞ゆ返り花

この先に行くところなし狂ひ花

戦争は今日も終はらず狂ひ花

読書の秋賢くなったためしなし