Washington's 47-Year War Against Iran - Antiwar.com [LINK]
【海外記事紹介】イランが「47年間にわたり米国に戦争を仕掛けてきた」という言説は大きな嘘であり、実際には1979年の革命以来、帝国の論理を振りかざしたワシントン側がイランに対して執拗な戦争を仕掛けてきたのが実態であると、デビッド・ストックマン氏は指摘しています。米国は革命後の新政権に対し、外交的な対話を拒むだけでなく、経済制裁や武器禁輸を通じて軍事的な無力化を図り、イランを敵対的な立場へと追い込んできました。
ワシントンによる対イラン攻撃の最大の「武器」となったのが、1980年から8年間続いたイラン・イラク戦争におけるサダム・フセインへの大規模な支援です。フセインは革命の波及を恐れ、軍の混乱に乗じてイランに侵攻しましたが、当時のイラン軍は米国製の兵器を主力としていながら、米国の禁輸措置によって部品調達ができず、空軍や装甲部隊の大部分が機能不全に陥っていました。レーガン政権はこの制裁をさらに強化し、世界的な外交工作を通じてイランへの武器流入を徹底的に封じ込めました。
兵器のスペアパーツを奪われたイランは、近代的な機械化戦争を遂行できなくなり、やがて悪名高い人海戦術へと追い込まれました。十分な訓練も受けず、軽武装のみを施された12歳もの少年兵を含む志願兵たちが、自らの身体で地雷原を切り開くという凄惨な光景が繰り返されたのです。この戦術だけで20万人以上のイラン人が命を落としましたが、これこそが米国の禁輸措置によって強行された悲劇であったとストックマン氏は述べています。
さらに米国は、1982年からイラク側へ秘密裏に戦場インテリジェンスを提供し始めました。CIAや国防情報局は衛星写真を用いてイラン軍の動きを詳細に伝え、イラク軍による正確な反撃を支援しました。米国はイラクが化学兵器を使用していることを知りながら、イランの勝利を阻止するために情報共有を継続し、結果として数多くのイラン兵が毒ガスの犠牲となりました。この戦争によるイラン側の死者は50万人を超え、経済的損失は6,000億ドル以上に達しました。こうした歴史的背景こそが、イラン国内における根深い反米感情と現在の強硬な体制を築き上げたのであり、米国の外交政策が招いた自業自得の結果であると結論付けています。
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